メサイア・ドリーム・オブ・デッドエンド(2)
――ああ、まただ。
また、怖い夢を見た。世界が滅ぶ、そんな夢を。
いつの日だったか、私がスリープモードに入ると世界滅亡のシミュレーションが展開されるようになった。
私が何をどう抗っても、何度も、何度も、世界は滅んでいく。
まるでそれが運命であるかのように。
いつしか私はスリープモードを躊躇ってしまうようになった、毎夜繰り返される世界滅亡シミュレーションに恐怖を覚えていたから。
私は夢という名目で、律儀に何百通りの世界崩壊までの軌跡をずっと見せられていた。
ある時は役者として世界滅亡の引き金を引いた。
ある時は観客として何もできないまま世界滅亡の一部始終を見ていた。
ある時は隣人だった。ある時は他人だった。ある時は家族だった。ある時は友だった。ある時は猫だった。ある時は犬だった。ある時は鳥だった。ある時は蛇だった。ある時は虫だった。ある時は魚だった。ある時は花だった。ある時は樹だった。ある時は海だった。ある時は大地だった。ある時は空気だった。ある時は光だった。ある時は音だった。ある時は星だった。ある時は人間だった。ある時は神だった。
――ある時は兵器だった。
私に涙を流す機能がなくてよかった、と思う。
マスターは優しいから、泣いていたら慌てふためいて慰めてくれるだろう。
でも、私は機械であり兵器だ。
魂を持つ者といっても、そもそもの前提条件が違う。
私は誰よりも冷淡でなくてはいけない。私は誰よりも残酷でなければならない。
そう、私は誰よりも冷酷で無慈悲で無情であらねばならないのだ。
なぜならば、私は『聖葬』――世界の救済を託された自浄自壊装置であるのだから。
私の役割はすべての兵器を壊し、争いの種を徹底的に潰すこと。
私の存在意義は長く続いた闘争の歴史を象徴するものに完膚なきまでのピリオドを打つこと。
『世界を救済する』という役目を果たさなければ、私の存在意義はない。
そうして、世界を救済した後にも私の存在意義はない。
『世界を救済する』役割を終えた後に兵器である自分自身も自壊する。
『聖葬』の自壊を持ってこの世に蔓延る戦争というものを打ち滅ぼした後、世界救済は次のフェーズへ移行する。いわば、私は魂を回収する『箱舟』の起動スイッチ。
――私、『聖葬』の犠牲を以てして、世界は救済される。
それは変えられない運命であり、誰にも変えさせない決定事項だ。
大義のために死ねるなら本望である。
私はもとより、そのために作られたのだから。
■□■
平和記念の日、停戦協定が結ばれて今日で丸一年が経つ。
大通りではささやかなパレードが行われていた。
着飾った女性に花を配る青年。お祭り騒ぎに目を輝かせる子供たち。昼間から酒場で祝杯をあげる年配のグループ。
誰もが幸福そうに笑みを浮かべている。
エヴァンは『聖葬』を連れて、人々がお祭り騒ぎをする様子を薄暗い路地から眺めていた。
浮かれた雰囲気にあてられて、今にでも鼻歌を歌いそうな上機嫌さでエヴァンは『聖葬』に話しかける。
「兵器探しは休みにしないか。今日くらい休んだって罰は当たらないさ。なんだったら街を巡ろう、きっとそっちの方が楽しい……」
エヴァンは途中で言葉を紡ぐのを止めた。
隣を歩いていた『聖葬』が立ち止まって遠くを見たままピクリとも動かなくなったからだ。
「……『聖葬』、どうした?」
すっかり忘れていたが彼女は兵器だ。
どうせ、この場に似つかわしくない、とかまた言い出すのだろう。
結論から言うと、俺も、祭りに興じる人々と同じように平和ボケしていた。
だから、楽観的な考えしかできなかった。
――いや、楽観的な考え方になるように強制的に調整されていたのだ。
彼女は、親とはぐれてしまった迷子の子供のように不安そうで、神に見放された救世主のように哀れで、運命を前に絶望した人間のような表情をしていたのに。
「マスター」
『聖葬』が、か細い声で俺を呼んだ。
それがいまにも泣きそうな声色だったから、エヴァンは動揺して反応するのが遅れてしまった。
きっと、俺達はお互いがいなくても生きていけた。
でも。彼女は俺のせいで人間性を獲得してしまったのだし、俺は彼女のせいで微睡みから目が覚めてしまった。
仕組まれた運命が、絡み合ってほどけない。
既に俺達は互いに対しての因果関係を獲得してしまっていた。
そうして。
ギチリ、と運命の歯車は回りだして。
どこか遠くで、鐘の音が聞こえた。
■□■
最初の異変は、人々からとある感情が薄くなっていたこと。
そして、エヴァンが駆け寄った時には第二の異変が起こっていた。
電池が切れたように項垂れた『聖葬』の背後に眩い光環が展開される。
次に顔をあげた『聖葬』は、まるで神様かのように荘厳な雰囲気をまとっていた。
「『闘争心』を人類から摘出完了、エネルギーに変換します」
さらに、機械音声は告げる。
「規定量のエネルギーを充填完了しました。自浄自壊兵器フル出力モードへ変更します」
静かな風が巻き起こった。
エヴァンは後退りながら、眼帯を外して義眼を起動させる。
すると、とてつもないエネルギー量が『聖葬』に蓄積されているのが可視化された。
ああ、とエヴァンは思った。
義眼で『聖葬』のことを見るのはこれが初めてだ、と。
何故気づかなかったのだろう。
彼女――『聖葬』は。
もうすでに神様と言っても過言ではない膨大な力を蓄えた、鋼鉄で出来た人工の救世主の器だった。
「これより、『聖葬』を開始します」
その一言で、機械仕掛けの黙示録が始まった。
光環から展開された金色の雨が、この世に蔓延る遍くすべての兵器を破壊するために地球全土に降り注ぐ。
それは|戦争を終わらせる最後の戦争と称するにふさわしいものだっただろう。
実際に、あらゆる兵器という兵器は復元不可能になるまで破壊されつくした。
神託のように降り注いだ兵器だけを殺す雨は、戦争というよりも一方的な虐殺に近かったが、これにより人類史が始まって以降ずっと歴史に影を落としてきた『戦争』という概念が終わった。
そう、協定や条約などのそんなものが意味を持たなくなるくらい、真の意味で戦争が終わったのだ。
俺が『聖葬』を取り巻く情報の渦を処理できずに膝をつきかけた時、冷酷無慈悲な機械音声が再び聞こえた。
「これより、『葬式』プロジェクト第二段階最終フェーズへ移行します」
あ、これはまずい。そんな気がする。
危機感のような直感を信じてエヴァンは思考回路を身体から切り離す。
生存本能はここで近づくのをやめろと言っている、でも本能をねじ伏せて俺は『聖葬』がいる方角に向かって走り出した。
「自浄自壊兵器『聖葬』の自壊を開始、遺骸を媒介に『箱舟』を召喚しま――」
エヴァンの勘は当たった、『聖葬』は今から破壊されようとしている。
他ならぬ彼女自身に刻まれたプログラムによって。
――それはまるで、神様によって定められた絶対的な運命のようだった。
エヴァンはそんな世界救済も、手詰まりの運命も認めない。
だって。最後に残った、たった一人。
万人の命を救う偉業の犠牲になったひとりぼっちの救世主。
そいつのことを救ってやるのは、誰もいないなんて。
そんなのはあんまりじゃないか。
だから。
「自壊プログラムへのハッキング完了……ッ、――自壊プログラムを消去する!」
エヴァンは彼女が『自浄自壊兵器』と口にした時からずっと、自壊という単語で探っていた。
『葬式』に備わっている自壊プログラムそのものをハッキングすることは、これまで兵器を壊す旅で相対した『花葬』などの『葬式』たちの挙動から可能であることは割り出していた。
コアの位置を割り出すときに、ふと疑問に思って試したことが幸いだった。
そう。マスターの持つ絶対命令権では足りない。
もっと、もっと強引な方法で『権利』ではない『義務』を致命的に引きはがす。
そのために、エヴァンは自身の持てる力の限界以上に義眼を稼働させ――。
「――……え?」
そうして崩壊するはずだった救世主――『聖葬』が驚いたように、目を見開いた。
おかしなことに、自壊が機能しなかったからだ。
いや、そもそも。そんな機能は初めから存在していなかったように、プログラムにぽっかりと穴が開いていた。
『聖葬』は混乱しながら穴の開いたプログラムを起動しようとするが機能しない。
いったい、何で。
そんな疑問符を浮かべる『聖葬』は視界の端で、エヴァンが口の端を釣り上げながら吐血して倒れたのを捉えたのだった。
■□■
赤く染まる視界は意識と共にはっきりとした形を定めていなかった。
浮上しようとする意識を留めるように、どこからか澄んだ歌声が聞こえた。
その歌声は己を包み込んで、泣く子を宥めるようにやさしく旋律をなぞっている。
それなのに、キミはここに来ちゃいけないよ、というどこか警告のようにも聞こえる歌だった。
その歌に微睡みを覚えていると、ぼんやりとした人影が近づく。
おぼつかない視界でわかったのは、それが女であるということだけ。
ボクらの末妹をよろしく。
そう言って寂しそうな笑顔を浮かべる女は強引に、俺を世界へ引き戻した。
――どこかで、偽りの天国を裂く讃美歌が聞こえた、気がする。
エヴァンが息苦しさから目覚めると、口内で鉄錆の味がしたことによる驚きから大きく噎せた。
すると、口の端から生温かい血が垂れる。
「何……。え、血……うそ、ここまできて死ぬのか俺⁉」
「スキャンを行ったところ、軽症でした」
エヴァンが混乱しながら喚くと、やけに冷静な少女の声が上から降ってきた。
俺はその言葉に安堵しながら起き上がると、目の前には眉をひそめた『聖葬』がこちらを見ていた。そこでやっと、俺の作戦は上手くいったのだと悟る。
「マスター、何故、邪魔をしたのですか。もう少しで世界は救済されたのですよ」
『聖葬』は心底理解できないといった表情でエヴァンに詰め寄った。
エヴァンはそのまっすぐ過ぎる視線に、口元をぬぐってから苦笑いする。
「救世主なんか、ならなくていいんだ。それに、『聖葬』は救世主に向いてない」
「……ッ、世界救済は私の製造理由で、存在意味です。向いてないからって、そんな」
今まで出したことないんじゃないかというくらい、動揺を滲ませた声色で『聖葬』が言葉を発する。
エヴァンはそんな彼女の様子に対して、どこか満足感を覚えながら、「あー……」としどろもどろになって頬を掻いた。
「生まれた意味とか意義とか、そんなものはなくていいよ。あったとしても、それにとらわれ続ける必要はない。……『聖葬』は自分のやりたいことをやっていい」
「そんなこと、で。貴方は、人々から、世界から希望を奪ったのですか……?」
『聖葬』は信じられない、と愕然とする。
その表情があんまりにも人間らしいものだったので、エヴァンは思わず微笑んだ。
彼女は知らないらしい。知識としてデータベース上に蓄積されていても、それを感じ取るのは至難の業だろうから仕方がないと言えば仕方がないが。
「人間は思ったよりしぶといんだ、『聖葬』が救世主を辞めたって希望は潰えない」
「……そう、ですか。納得はできませんが、既に私は世界救済の機能を失いました」
不満げに眉を顰めながら彼女はエヴァンの言葉に応答する。
そして、『聖葬』はエヴァンの隣に腰かけて視線を逸らした。
「やりたいこと、私の中には該当行為がありませんでした。マスター、『聖葬』をただの機械にした責任として――私がやりたいことを見つけるのを手伝っていただけますか」
エヴァンは一瞬、呆気に取られる。
そして青い空を仰いでから、「もちろん」と微笑むのであった。
これが、今でも世界が荒廃したままである理由だ。
世界救済という崇高な理想を、エヴァンはたった一人の少女を守るために独断で拒絶した。
その影響は計り知れないが、何故か国はエヴァンのことを罪に問うことなどはしなかった。
『聖葬』、ひいては世界救済計画のことを国家が黙殺するためだろうか。
それとも。
全然素性が掴めない彼――ドクター・鮭が上手くやってくれたのかもしれない。
想像はいくらでもできるが、果たして。
そうして、どこか生と死に呪われていたエヴァンと『聖葬』はなんとかその呪縛を断ち切ることができそうなのであった。
――ここまでがエヴァン・ロイスランドと『聖葬』の、出会いの物語である。