メサイア・ドリーム・オブ・デッドエンド(1)
|我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか《エリ・エリ・レマ・サバクタニ》。
かつての救世主は死に際にそう叫んだらしい。
そう、彼の救世主は磔刑に処された罪人として惨たらしく、一度死んだ。
茨の冠をかぶせられた此度の救世主は、その役目を果たすときに何と言うのだろう。
■□■
とりあえず、エヴァンが住居であるアパートに戻ろうとすると、そこには異様な光景が広がっていた。
そこには一面の花。そう、花が建物にまとわりつくように咲き乱れていたのだ。
肺が凍りつきそうになるくらい冷たくて、植物は淘汰されるような寒さなのに。
外は幸いにも雪は降っていないが、それでもなお空気は刺すような寒さを伴っていた。
場違いにも狂い咲く花が美しく思えるのは、人の性だろうか。
そんなことを考えながら花を眺めていると、不意に義眼が入っている方の目が微かに熱を持った。
義眼が熱を持ったと同時に、脳内に情報が流れ込む。
この花が機械で出来たものであり、陸軍から失踪した『花葬』が使用する花型デバイスである、と。
「情報を転送しました。マスター、警戒を」
突然のことに対して驚くエヴァンの混乱を打ち破るように、『聖葬』が声を発した。
いきなりそんな無茶な、とエヴァンは苦笑いしながら拳銃を構える。
『花葬』と言えば、三年前の話ではあるものの、陸軍の中でもエース的な存在であったはずだ。
そもそもの話、ただの人間が『葬式』に警戒した程度では勝てない。
分類が支援機であり、戦いが不得手だったキャロルにも俺は反応速度で負けたのだ。
そんな奴がエース扱いされていた『葬式』に勝てると思うのか。
エヴァンが視線で不満を訴えると、『聖葬』は何の感情も無くポツリと呟いた。
「マスターには義眼があるでしょう」
何故それを、と口に出そうとして花型デバイスがまとわりついていた建物が崩壊する。
仕方がない。エヴァンは眼帯を外した。
臆せずに指摘されたことを実行するには、命令を入力された機械のようにこなせばいい。
そこに感情が絡みつかないように、淡々と。
感情と身体を切り離せずして、どうやって戦場を駆けるだろうか。
俺は三年のブランクを感じながら、鍛錬を怠っていなかった自分に感謝しつつ、土埃をあげながら倒壊する建物から距離を取る。
視界を潰されたら面倒だ、と後退しつつ五感を鋭敏に研ぎ澄ませながら辺りを伺った。
そうして瓦礫の上に立つ華奢な人影を捉えた。
エヴァンは義眼を瞬きで起動させる。キィン、と駆動音を伴って仄かな熱を持った。
既視感。先ほどの感覚は義眼に接続されたものだったのだろうか。
視る――たった一つの動作で、『花葬』のことを解析していく。
『花葬』は度重なる戦闘で半壊しており、形は保っているものの、その身体のほとんどから機能が失われていた。
しかし現在、『花葬』は自身の『葬式』としての能力を展開している。
『花葬』が司る能力は『花型デバイスを操作する』もの。
このまま能力を使わせておけば自壊していくだろうことは想像に難くない、が。
腐っても『葬式』という戦争で一世を風靡した兵器である。
花型デバイスを手足のように使う彼女を野放しにしておけば、半壊しているとはいえ町ひとつ消してしまうだろう。
それを防ぐには、花型デバイスを処理しないといけないようだ。
解析結果から思考を展開させていると、『聖葬』がいつの間にか隣に立っていた。
「花型デバイスはこちらが処理します。マスターは『花葬』のコアを回収してください」
そう言って『聖葬』は花型デバイスに手をかざした。
すると、花型デバイスがノイズ音を立ててぎこちない緩慢な動作になり、その花弁をはらはらと落として無力化されていく。
手足となる花型デバイスを封じたなら、後は本体である『花葬』を倒すだけ。
相手は『葬式』とはいえ、これなら人間の俺でも勝機がある。
そう判断したエヴァンは足に力を込めて『花葬』の懐へと飛び込んだ。
土煙がおさまった瓦礫の上で『花葬』がこちらを見た。
ふと気づく――コアってなんだ?
あわてて義眼に意識を集中させ、目の前の少女のかたちをした機械のコアを検索する。
ヒット、人間でいう心臓の位置にあった。コアは幸いにもむき出しである。
というかここで突然鋼鉄の身体を破ってコアを取り出せと言われたらエヴァンはさっさと無理だと断じて逃亡していた。
ギギギ、と金属が擦れ合う音がして『花葬』がこちらに照準を合わせている。
それを知覚して内心ひやひやしながら、エヴァンはコアに手を伸ばした。
そうして、飛び込んだ勢いのままエヴァンはコアを『花葬』からひったくる。
「ァ……、ア」
最期に『花葬』がノイズと金属音の混じった不快ともとれる声にならない声をあげた。
何と言っているのかは聞き取れない、聞くに堪えない悲鳴だったかもしれない。
歯を食いしばりながら、エヴァンは手にした『花葬』のコアをまじまじと見つめる。
人間の心臓を鋳型に押し込んで、溶かした宝石を流し込んで固めたような見た目をしていた。
初めて知った。『葬式』は宝石のような心臓をコアとしているのか。
悪趣味なことだ。『葬式』の開発者はさぞ性格が悪いことだろう。
そして突然視界がぶれた、何事かと思えば義眼が起動していたらしい。
これが俗に『賢者の石』と呼ばれるものであり、複製した死者の魂を入れる魂の器であると、直接脳内に情報が入れられる。
入れられた情報が多かったのか、眩暈と頭痛がしてきた。
これはまずいと思い、エヴァンは義眼をスリープモードにしつつ、これ以上ものを見ないように手でふさぐ。
そうしていると、近づいてきた『聖葬』が眼帯を持ってこちらに渡した。
「お疲れ様です、マスター」
「……ところで、なんでお前は『葬式』のくせに自ら出向かなかった?」
眼帯をつけながらエヴァンは『聖葬』に対して疑問をぶつける。
それに対して、エヴァンの言葉に『聖葬』は首を傾げた。
「適材適所というものです。先ほどの判断は、成功率が最も高い手段を選びました」
人のこと手段扱いしやがって、とは思うものの口には出さないでおく。
「それより、住居がなくなってしまいましたが」
「あー⁉ え、そうじゃん……どうしようただでさえ俺、戦死扱いなのに!」
嘆きながらエヴァンが途方に暮れていると、『聖葬』が瞬きをした。
そうして何かを思い出したかのように、袖を引っ張って物陰にエヴァンを案内する。
「マスター、これはある方からの餞別です。なんでも前払いの依頼だそうですよ」
「なにこれ。棺、か……?」
物陰にはおおよそ全長三メートルほどの棺があった。
「触れてください」
何だろう、とエヴァンが適当に棺へ触れると「認証完了」という機械音声がして、サイドカーが付属した大型バイクに変形していく。
思いがけないロマンに興奮しながら、エヴァンは感嘆のため息をついた。
そうしてから、先ほどの『聖葬』の言葉を思い出す。
「……ん、待てよ。さっき前払いの依頼って言わなかったか」
「ええ、ドクター・鮭からの『すべての残存兵器を破壊してください』との依頼です」
「やりとりからなんとなく顔はちらついていたが、あのクソドクター……ッ!」
エヴァンが快晴の青空に向かって「厄介ごとばかり任せやがってそんなこと普通に考えてできないだろ!」と叫ぶと、辺りに声が反響して少々こだました。
こうして俺達は無理難題を突き付けられながら、渋々旅に出ることとなる。
不満を叫んでしまった後だから言いづらいのだが、旅の資金は十分すぎるほどもらってしまった。
決して、丁寧に偽装パスポートや大量の金貨などを用意してくれたドクター・鮭に少し恩義を感じてしまったわけではないのだ。そう、断じて違うと言い張ろう。
■□■
エヴァンが『聖葬』と出会って旅をしてから、約一年が経った。
兵器が残っていそうな場所を手あたり次第に巡り、時には国境を越えたりなどもした。
一緒に数多の兵器を破壊してきて気づいたのだが、どうも『聖葬』は代償を伴う己の名を冠した必殺技を使わなくとも、機械にハッキングする能力が備わっているらしい。
流石は新型の『葬式』、といったところだろうか。
ただ『聖葬』はなぜかマスターをやたら前線に立たせる、気がする。
三年前は『葬式』はマスターの戦争代理人のようなものであったはずだが、もしかして新型はそうではないのだろうか。
いかんせん『葬式』に対する知識が三年前で止まっている俺にはわからないことだ。
『聖葬』と出会って約一年が経ったということは、停戦協定が結ばれてから約一年が経つということだ。
約一年とぼかしてはいるが、正確には一年にはあと一日足りない。
まさに明日が、停戦協定が結ばれてから一年が経つ記念すべき日である。
明日は既に祝祭日として指定されていた。
まったくもって気の早い平和ボケした国民だ、と思う。
正直に言うと俺も浮かれているのは確かだ。
だって、戦争のない一年なんか過ごしたことがなかったから。
俺が生まれてから二十五年間、この国ではずっと何かしら諍いが起こっていた。
この一年間の国民のように心穏やかで平和な時なんて過ごしたことがない。
まあ、俺は皆の平和を守るために兵器を破壊するのに勤しんでいたわけだが。
平和の記念日の前夜祭として、市場は浮ついた雰囲気が漂っていた。
「『聖葬』、なんかほしいものあるか?」
はぐれないようにエヴァンの上着の裾を掴む『聖葬』はパチパチと瞬きをする。
そうして数刻ほど逡巡したのちに、「ありません」と淡々とした受け答えをした。
まだ淡白な印象を受けるものの、こいつも随分人間らしくなったものだ。
出会ってすぐの頃だったら即座に否定されていただろう。
それにしても『聖葬』は本当に無欲なやつだ。
たいした願いごともなければ、自ら頼みごとをしてきたことも戦闘以外ではないに等しい。
……訂正する。頼みごとは一回だけされたことがあった。
ただ一度だけ、彼女が兵器ではなく年相応の少女のような頼みごとをしてきたことがある。
あれは確か、一緒に旅をするようになってから四ヶ月が経ったあたりのことだった。
真っ暗闇の、月のない晩。
人里離れた寂れた場所であったため、星だけが爛々と輝いていた。
エヴァンは度重なる移動の疲れから、珍しく辺りに警戒もせず熟睡していたのだ。
トントン、と不意に肩を叩かれる。
朦朧とする意識の中、目を開けると迷子のように不安そうな顔をした『聖葬』がいた。
「怖い夢を見ました」
「……夢?」
『葬式』って夢を見るのか、と物珍しく思ったエヴァンはどんな夢だったのか聞き返す。
少し口ごもって躊躇ったあと、『聖葬』は「世界が、滅ぶ夢を」と言葉を紡いだ。
それがあんまりにも泣きそうな声色だったものだから、エヴァンは思わず『聖葬』を抱き寄せた。兵器とか、そんなこと今は関係なく。
彼女を安心させてやりたいと思ったから。
こういった時にエヴァンはどう声をかけてやるのかが正解かわからない。
だから、せめてぬくもりだけでも分けてやろうと思ったのだ。
そうして、それ以上、二人は言葉を交わすことなく朝を迎えた。
その日はどうしてかエヴァン自身もよく眠れたことを覚えていた。
それだけ。彼女が自発的かつ自分のために頼みごとをしてきたのはそれだけだ。
もしかしたら悪夢を見たことが初めてだったのかもしれない。
ならば、安眠のためにぬいぐるみでも買い与えてあげるべきだろうか。
とりあえず適当な露店でぬいぐるみを買い与えてやると、『聖葬』は驚いたように目を丸くしながら「ありがとうございます、マスター」と礼を述べた。
ぬいぐるみを抱きしめた時に、『聖葬』の口角が僅かにあがったのをエヴァンは見逃さなかった。
なんだ、やっぱり年相応の少女のようじゃないか。
この子の魂はどんな生前を送っていたのだろうか。
死者の眠りを妨げる冒涜を到底許せるわけではないが、ふと気になった。
気になった、それだけだ。別に聞きやしない。覚えていないだろうし。
――奇しくも、彼女に生前などはなく、その魂は生者でも死者でもない。
そんなことを露も知らないエヴァンは、『聖葬』の頭を優しく撫ぜる。
エヴァンに頭を撫でられた『聖葬』はくすぐったそうに目を細めた。