ラストリゾート(1)
許容があきらめに似た感情であるのならば。
あとどれだけのことを、許さずにいられるだろうか。
■□■
気が緩んで、痛みで意識を再び失っていたらしい。
気が付いたら医務室にいた。そして、四肢を拘束されてベッドに寝かされている。
そこで左の視界が消え失せていることに気がついて、見えている世界のアンバランスさに吐き気がした。
そうだ、俺は。
「……ッ、キャロルは」
状況を確認するすべはない。
スクラップにされたのだから廃棄場にでもいるのだろうか。
いや、彼女は『葬式』だ。軍の機密情報に近い。
ならば、砂のように粉々に砕かれているのだろうか。
散々戦争でこき使われて。
人格があるのに愚弄されて。
その最期がスクラップだなんて。
兵器だから仕方ないと割り切るには、理不尽な扱いだった。
俺が彼女の最期を想像して怒りを覚えていると、カーテンが開かれて、ドクター・鮭が姿を現す。
「おはようございます、エヴァンさん」
「なあ、キャロルは、『偽葬』はどうなった⁉」
エヴァンは喚きたてるように上ずった声を出した。
相も変わらず、飄々とした笑顔を崩さないままでドクター・鮭は応える。
「『偽葬』は壊れちゃったので今頃は廃棄処理されていますよ」
わかっていたはずだ。
彼女は兵器であり、人間ではないのだと。
眉を顰めて怒りに耐える、ここでドクター・鮭に怒鳴ったとしてもただの八つ当たりだ。
ズキリ、と失った左目が痛んだ。
「……、っ」
「そうそう、エヴァンさん。義眼を入れる手術をこれから行いますからね」
は、と息が漏れた。
それから、目を片方失ったのだから義眼を入れることは道理にかなっていることに思い至って、口を閉じた。
「……わかった」
「おや、こうもすんなりと了承が得られるとは。手始めに、これにサインしてくださいね」
ドクター・鮭はクリップボードに挟んだ書類を取り出す。
何かと思えば手術の誓約書だった。緊急性を要する際は書かないらしいが今回は意識が戻ったため、特別にということらしい。
エヴァンがサインをすると、ドクター・鮭は「どうも」と受け取った。
仰々しい文章が並んでいた、正直三割くらいしか理解できていない気がする。
まあでも、どうにでもなれ、だ。
騙されたとしても、どうせ使い潰される命だ、俺にそんな利用価値はないだろう。
「では」
どこか満足そうな笑みを浮かべるドクター・鮭が看護師たちを呼びつけた。
そして看護師たちが慣れた手つきで俺をストレッチャーに乗せて、手術室へと運んでいく。
この時は知る由もなかったが、というか自棄になって知ることを怠ったが、この時書かされた誓約書は手術に関するものではなく。
ドクター・鮭が新しく開発した高性能義眼に関するもの、だったらしい。
■□■
無事手術を終えたエヴァンはキィン、という僅かな機械の駆動音に脳を直接揺さぶられるように響くのを感じて飛び起きた。
抉られた左目はもう何も見えないことを覚悟していたが、不思議なことに視界は両方とも存在した。
義眼とは言っていたが、ただの義眼ではないらしい。
『義体』プロジェクトにより医療技術が大幅に進化したという話は聞いていたが、まさかここまでとは。
科学の進歩をその身に感じながら、ここまで発展しているのならば、そりゃ死者の人格のコピーを搭載した人間の生き写しのような機械だって作れてしまうよな、と妙に納得してしまう。
だからといって、その死者の眠りを妨げる行為は許せそうにはないが。
そんな風にエヴァンが考え事をしていると、自動扉が開く。
……自動扉?
それまで違和感を持たなかったが、いつの間にか見知らぬ、病室にしてはいささか無機質な部屋に移されていたことに気がついた。
「お目覚めですか」
「ああ」
エヴァンが返事をすると、部屋に入ってきたドクター・鮭は嬉しそうにニコリと笑った。
「貴方に入れた義眼の機能について説明に来ました」
――義眼の機能?
視覚を取り戻すとか、そういった機能の話だろうか。
いまいち単語が繋がらずエヴァンが顰め面をしていると、それを察したのかドクター・鮭が続きを喋り出す。
「義眼は神経と接続していますので視覚は取り戻せたかと。でも……なんと、その義眼の機能はそれだけじゃないのですよ」
まるで通販番組かのように芝居がかった口調で喋るドクター・鮭に対して、エヴァンは苦笑いしながら「それで」と相槌を打ちながら続きを促した。
「貴方のそれは、ある実験の試作品から派生した高性能義眼です。具体的に何ができるかと言いますと、機械の構造や情報を自動解析する機能や、使用者の感情をエネルギーとして電力を供給する自動充電機能などが主に備わっています」
「おい! なんでそんなものを事前説明なしに他人の目に入れたんだ、アンタ」
ジャジャーンと説明書を取り出すご機嫌なドクター・鮭に対して、エヴァンはとっさに言葉を返す。
「え? 誓約書はちゃんと読まないといけませんよ、エヴァンさん」
しまった、と思った。キャロルを失って半ば自暴自棄になっていたため、誓約書はざっと見しか読んでいなかったうえにあまり内容を吟味していなかった。
だが、今更後悔したところで時すでに遅し。ことは全部済んだ後である。
「……ドクター・鮭。返品は可能か? 厄介ごとの匂いがする」
「ふふふ! 残念ながら今更遅いですよ」
ニコニコと笑ってエヴァンの申し出を却下するドクター・鮭。
当然ではあるものの、エヴァンは遠い目をしてため息をついた。
そこに、畳みかけるようにドクター・鮭は言葉を紡ぐ。
「それと、その義眼は軍部に無許可でつけていますのであしからず」
「は?」
「一応機密情報なので、性能がばれたらオレ達の首が取れます、アハ!」
思わずエヴァンが聞き返すが、ドクター・鮭の回答は変わらない。
無情な現実に思いを馳せてから、思いっきり息を吸ってエヴァンは叫ぶ。
「もう既に厄ネタじゃないか、このバカドクター!」
■□■
そんなこんなでひとしきり話し合った後、ドクター・鮭は「書類上は通常の義眼ということにしておきますので、貴方は負傷兵という扱いになると思います」と最後に言い残して去って行った。
俺はというと、軍病院の施設に移されて全治一ヶ月の療養と退役を言い渡された。
それもそうだろう。
傍から見たら俺は兵器の暴走する原因を作り、片目を失明した負傷兵なのだから。
退役だけで済んだのはきっとドクター・鮭の根回しがあったからだろう。
「はあ……」
エヴァンは贅沢にも窓際のベッドで療養と言う名の怠惰をむさぼっていると、周囲が妙に騒がしいのに気がついた。
なんだろう、と耳を済ませた時にちょうど仕切りのカーテンが開かれ、エヴァンはドキリと心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「エヴァン!」
声の主はフィンだった。フィンは簡易的な礼服を着て、その横に聖歌隊のような恰好をした少年を引き連れている。
おそらく、手紙でのやりとりに出てきたフィンの『葬式』である『絞葬』だろう。
一応、フィンには手紙で片目を負傷して療養したのち、退役することとなったことを伝えてあった。
しかし、エヴァンはすっかり見舞いという概念を失念していたため、目を丸くした。
「……フィン、ごめん。心配をかけたな」
いてもたってもいられなかったらしく、フィンは目の下にくまを作っている。
おおかた、山積みの業務をこの見舞いのために無理して片づけてきたのだろう。
「無事、とはいかないが。命があって良かった……」
フィンが心の底から安堵したような声を出すと、「うん」とエヴァンは相槌をうった。
何と説明したものか。
実は片目を失明したけど科学技術の力で見えていて……とは絶対に言えないため、エヴァンはもどかしさを胸に秘めて眼帯に触れた。
その仕草を見たフィンはものすごく心配していますという顔で、エヴァンを眺める。
罪悪感に焦がされながら、エヴァンは目を伏せた。
「……その、最近どう? やっぱり手紙じゃ伝えられないこともあるだろ。ちょうどいい機会だ、ゆっくり話そうぜ」
エヴァンがたどたどしく言葉を発しながら、ゆっくりと視線を上げると、フィンはやっと張りつめた糸が切れたように気の抜けた笑顔を見せた。
そうして、フィンの表情を見た『絞葬』がどこか悔しそうな顔をしていた。
気の所為だろうか。
ちらり、と『絞葬』の方を伺うとフィンは思いついたように喋りだす。
「紹介がまだだったね。この子は『絞葬』、知っての通り俺の相棒さ。よろしく」
「……僕は『絞葬』、マスターからはメレンゲという名前をもらっています」
フィンに促されて、『絞葬』ことメレンゲが渋々といったように声を出した。
声色からもあまりこちらに対して好意的ではないように感じるが、エヴァンはとりあえず「よろしく、メレンゲ」と言いながら笑顔を作って手を差し出す。
しかし、メレンゲは差し出された手を見つめるだけで何もしなかった。
メレンゲの態度に対し、フィンがため息交じりに仕方がないといった風に名前を呼ぶ。
「……メレンゲ」
手紙に聞いていた通り、人間とあまり打ち解けないタイプの『葬式』らしい。
俺はそちらの方が兵器として本来あるべき姿であるから好ましいと感じるのだけれど。
こんなことを聞いたら誰かさんから猛烈な批判を浴びそうなため、口には出さないでおくが。
そうして名前を呼ばれたメレンゲは「それがご命令でしたら」と、淡々とした態度でエヴァンと握手を交わした。
「まったく。すまないね、メレンゲは人間と触れ合うのが気乗りしないらしい」
「良いよ、別に。気にしないでおく」
フィンが苦笑いをして頬を掻く。
その姿ですら様になっていて、爽やかなのだから少し羨ましい。
エヴァンとフィンがしばらく歓談していると、それまで一切口をはさんでこなかったメレンゲが不満そうな声色で言葉を発した。
「マスター、時間です。お喋りは終わりにしましょう」
ずっと視界の端で観察していたが、メレンゲはどうにも俺がフィンと仲良くしているのが気に入らないらしい。
話が盛り上がると視線を下に逸らして少し頬を膨らませていた。
メレンゲはフィンによほど大切にされているのだろう。
その仕草は好きな人を少しの間とられて焼きもちをやく少年のように思えた。
「そうか。時間管理ありがとう、メレンゲ」
メレンゲはこれくらい当然だ、といったように鼻を鳴らす。
フィンとメレンゲの様子をエヴァンは微笑ましく見守りながら、フィンに別れの言葉を告げる。
「今日は来てくれて感謝する。じゃあな、あんまり根詰めんなよ」
その言葉を聞くと、フィンは名残惜しそうに「……エヴァン、ありがとう」と笑った。
何やら含みのある言い方だが、エヴァンはあまり気にせず笑い返す。
そして、フィンが軽く手を振って仕切りのカーテンを開けて立ち去ろうとした。
が、何やらフィンが思いつめたような、そんな表情で振り返る。
どうした、という言葉をエヴァンが発する前にフィンが口を開いた。
「……さよなら、エヴァン。君との日々は今でも俺の宝だ」
そう言って、フィンとメレンゲは足早に立ち去っていく。
おそらく、だが。
これが今生の別れになるとフィンもわかっていたのだろう。
だって、そうじゃないか。
こちらは戦線を離脱し、あちらは前線に立って敵と相対する立場だ。
戦争は人間の命を消費し、奪う。
兵士は務める時から死ぬことを覚悟している、俺だって命の覚悟はしていた。
突然、戦うのをやめていいと言われる日が来ることは予想していなかった。
死にたくない俺は願ったり叶ったりだが、普通の兵士はこうはいかない。
ただ、他人より運に恵まれただけなのだ、俺は。
それが悪運なのか幸運なのか今はわからないが、つかの間の平穏な日々を嚙みしめるとしよう。
そう思いながらエヴァンは友の背中を見送って、目を細めた。
これが、フィンと口頭で言葉を交わした最後の日だ。
いつの日かフィンとの手紙は途絶えた。
ああ、あいつは死んだのだと実感は薄いままに時は流れていった。
無情にも時は流れていくのだ。
生者にも、死者にも、平等に。