リビングデッド・ノクターン(3)
キャロルが『偽葬』を使ったことを確認すると、俺は気を失っていたようだった。
ドクドクと抉られた左目から血があふれていく。
抉られたというよりか、眼孔の中をごっそり持っていかれたという感覚。
的確だが乱暴に左目だけを抜き取られた。
「っ、痛ぇ……」
突然視界の半分を喪失したエヴァンは内心パニックになるが、何とか壁を伝って立ち上がる。
まだバランス感覚が適応していないため頭が痛いが、それどころではない、と己を奮い立たせた。
自分が何分、いや何時間ほど気を失っていたのかはわからない。
予想するにキャロルは俺を殺すよう命じられたのを、偽りとした。
そしてあんなに絶望したような表情をしていた彼女だ、どうせマスター殺しに走っているだろう。
マスターを自発的に失い、命令権という自制心がなくなったキャロルが何をするのかは明白だ。
――人を殺す。
なぜならば、キャロルは『葬式』という兵器だから。
エヴァンは焦っていた。
己のせいで『葬式』が暴走したからではない。
己のせいでキャロルが仮にも今まで味方だったものに手をかけるのが嫌なのだ。
ぽたり、と動いたせいで廊下に血が垂れる。
痛いのは二の次、失ったものは戻らない。これくらい我慢できる。
潤む片方だけの視界に頼りながら、壁伝いに歩いていく。
キャロルに連れてこられたところは人の常駐するエリアから外れた倉庫の近くの部屋だ。
歩いていけない距離ではない、だがこの亀のような歩みで、果たして起こり得る惨劇を止められるのか。
不安と恐怖に押しつぶされながらもひたすらに歩く、歩く。
ちょうど遠くから怒号が聞こえた時、向かいの方角から人影が見えた。
「おや」
年若い少年の声、ぶれる視線を上に移すとそこにはドクター・鮭がいた。
何という幸運だろう。悪運のような気もするが。
「ッ、早く応急処置をしてくれ!」
エヴァンが上ずった声を出して懇願すると、ドクター・鮭は「承りました」と持っていた荷物を漁って救急キットを取り出した。
ドクター・鮭は止血処置等を手際良くこなしていく。
手当している間、何も聞かれなかったのが不気味ではあった。
いや、手当をしてもらっている立場なのでこれ以上の彼について悪態をつくのはよそう。
「これで、多少動いてもよろしいかと。あとは医務室に行ってくださいね」
「感謝する。……ああ、後で、な!」
平衡感覚を取り戻しつつあったエヴァンは壁に手を当てながら、怒号の聞こえた方角へと走る。これ以上、キャロルを放ってはおけなかった。
「ええ、これもすべては御心のままに」
ドクター・鮭が微かにそう呟いたことも気づかずに、エヴァンはその場から去っていった。
■□■
居住エリアに着いた時、目に入ってきたのは鉄臭い鮮やかな赤色だった。
遅かった、間に合わなかった。
エヴァンは歯噛みする思いを抱えながら、キャロルのマスターの死体に近づいた。
まだ熱が残っていた。
ということは、最初の殺人が行われてから時間がさほど経っていない。
息を整えてエヴァンは立ち上がり、目を瞑って聴覚を研ぎ澄ます。
人々の騒めき。――違う。
怒号に悲鳴。――近い。
鉄と鉄のぶつかり合う音。――それだ。
音が聞こえた方向へと、息を切らしながら走った。
走って動いたせいか、じわりと包帯に血が滲むのを知覚する。
そんなことはどうでもいい。
とにかく走れ、走れ、走れ。これは俺の罪なのだから。
人ごみを押しのけて、戦闘音の聞こえる場所へとたどり着いた。
喧騒の中、扉に近づく。今更、後戻りなんてできやしないのはわかっていたから。
「『偽葬』!」
「また……ッ。そこ、なのだわ!」
キャロルと相対するのはひしゃげた鉄パイプを持つ少女だ。
たしか『義体』プロジェクト出身の、カシメ・ベキジョウと言った名前のはずだ。
視覚から消え、別の場所に転移したように見えるキャロルをカシメは鋭い一閃でなぎ倒していく。
「視覚だけじゃわかっちゃうか……! まだまだ行くよ、『偽葬』」
「な……、じゃあ。これはどう、かしら!」
キャロルは惜しげなく必殺技である『偽葬』を使っていく。恐らく自滅する気だ。
対して、カシメは義体をリール状に変化させて円を描く範囲攻撃を行う。
それもキャロルには予想できたようで、まったくもって当たってはいなかった。
しかし、周りの壁が倒壊し、埃が舞い、偽装が追い付かなかったキャロルの居場所が一瞬判明した。
おおよそ人間にできる戦いではない。
下手に割って入ったら、戦況を崩してしまうだろう。
そんなハイレベルな戦いに飛び込む勇気がある者は幸いにしていなかったようだ。
この場合、勇気というより、蛮勇で無謀に近いが。
俺の場合は、勇気も何も持たないから、とっさの反応だけで飛び込んでいかざるを得ないのだけれど。
開け放たれた扉の隙間に身体をねじ込んで、エヴァンは叫ぶ。
「キャロル!」
カシメが怪訝そうな顔をする。それと同時に、キャロルが動揺する気配が伝わった。
「……え? あ、わっ、来るなよ、エヴァン!」
これを好機とみなしたのか、カシメがキャロルの気配がする方向に鉄パイプを撃ちだす。
それはまるでビーム砲のような威力と速度で、人間では到底かなわないことは明白だった。
ただしキャロルは、支援機とはいえ腐っても『葬式』。最新の兵器である。
撃ちだされた鉄パイプを間一髪で避ける。
ただ、余波は受けてしまったようで右足が千切れてしまった。
千切れた右足からはショートする何かの配線が見えて、ああ、本当に彼女は人間ではないということを思い知らされた。
「勝負あり、ね」
「ああ、負けを認めよう」
降参だ、と付け足してバランスを崩して倒れこんだキャロルは両手を上げる。
カシメはエヴァンを一瞥すると、「音声機能と記憶メモリは残してあげるわ」と言ってキャロルの身体をずたずたに引き裂いた。
「……私はこれで。淑女は最期の時を奪うほど無粋ではないの」
「ありがとう、最後に戦った相手がキミで良かった」
四肢を捥がれたキャロルは目を細める。既に感覚は遮断してあるようだった。
「……キャロル」
「そんな泣きそうな顔するなよ。愛しいエヴァン」
俺はそっとキャロルに近づいて、その顔に手を置く。
それに対して、キャロルはくすぐったそうに笑った。とても穏やかな笑みだった。
「ねえ、エヴァン。最期に一つだけお願いできる?」
死に逝く、いや、壊れていく兵器の最期のひと時。
徐々にノイズ交じりになっていくキャロルの声。彼女が不確かになっていく。
「ボクのこと忘れないで。ずっと、一生背負って歩いて」
「……ああ、わかった」
キャロルはこれ以上、確かな言葉を発せないだろう。だって、もう声はノイズだ。
ザザ、とノイズが走る音が、降りしきる雨の音に似ていると感じる。
そうしてエヴァンは彼女の頭を撫ぜ、彼女が微睡むように機能停止するのを見届けた。
■□■
たしかに『偽葬』は墓標の星に傷をつけたのだ。
エヴァンの事柄を何でも自分の中にしまい込む癖が悪化したのは、明確にこの出来事が原因だ。
彼は確かに彼女によって墓標の星という機能を果たした。
――そう、この時はじめて墓標の星は輝くことができたのだ。