リビングデッド・ノクターン(1)
――生きてもいないし、死んでもいない。
そんな精神状態を、俺達はずっと抱えていた。
■□■
新兵器のテスターだと聞いた時には、ついに殉職する日が来るのだと思った。
きっとこき使われて前線に立たされてむごたらしく死ぬのだ。四肢が散り散りになって、顔もわからなくなって死体は焼け焦げ、ドッグタグも見つかったらいい方なのだ、と。
「……終わった」
悲観的な顔になる。もともと辛気臭いと言われがちなこの顔だが、生まれてこのかた警報は鳴りやまないし昨日話していた人々が逃げ遅れて死ぬような戦争の世界にいるのだからそのくらい仕方ないと思う。
そんな隣人もまともに愛せない世界で、どう楽観的に生きるのか。その秘訣があったら教えてほしいくらいだ。
手紙を見つめること数秒、どうあがいても貰った事実は変わらなくて深くため息をついた。
そこで、ドンと隣から壁を叩く音がする。
エヴァンのため息の音は寄宿舎の薄い壁を貫通してしまったようであった。
思わず口を押えて黙るが、それのせいで余計居心地が悪くなる。どうせ俺は死ぬのにどうして憐れんでくれそうな隣人ですらこんなに威圧的なのだろうか。
なんてところなのだろう、この世に愛はないのかと錯覚するほどの仕打ち。
エヴァンは、まあそれも仕方がないかと思い直す。
なにせ、ここは陸軍学校――いずれ国のために死ぬように訓練を重ねるための学校であるのだから。
■□■
エヴァン・ロイスランドは、ずば抜けた優良な成績のわりには軍隊に相応しくない少年であった。
士気を下げそうな辛気臭い悲観的な思考回路で、あろうことか死ぬのを怖がっている。
我が国のために死ぬことが誉である我々を、いつも一歩下がって不気味だと言う。
軍学校に所属し、我が校が誇るエリートのくせに猫背気味で訓練にもしぶしぶといった態度で参加する。おまけに態度が腰抜けなくせに、やることは的確。
命の危機に立たされて焦っているのに、そのすべて敵を殲滅し生き残るすべにたけている。
見下しているのか、おちょくられているのではないかと最初は思ったがどうにも変えられない彼の性格らしい。
ああ、と思うのだ。持たざる者からすると、もう少ししゃんとして残酷であれば、我々も彼を恐れ遠ざけることができるのに。
それなのに、彼は誰にでも分けてだてなく接し、上官の指示に逡巡するぶりもなく従うくせに、後から「あれはないよな」とか言って我々と同じ感性を持つ。
どうにも人間臭くて、叶わない。
戦争には不要である弱者のような精神で、隣人を愛そうとする。
その姿が、その在り方が血に染まりきった我々にとってどうにも眩く、思わされるのだ。
邪険に扱う人々もいる、その光をうざったらしく思う人もいる。
けれど、戦争に対して煮え切らない思いを持つ我々にとっては、どこか希望の星であるように思えてならないのだ。
■□■
ふるり、とエヴァンは身震いをする。
新兵器のテスターとして軍隊本部に呼び出されて、今まさに本部へと到着したからだ。
威圧感に押しつぶされそうになる。
五臓六腑に染み渡る重圧に吐き気すら催しそうだ。
エヴァンは本部の建物を見上げて、生唾をのんで集合場所へと歩みを進めた。
やけに晴れ渡った青い空が綺麗だったのを覚えている。
「諸君、よくぞ集まってくれた」
これ見よがしに勲章をジャラジャラと下げたふくよかな男性が張りのある声で鼓膜を刺激した。それはテレビでよく見かけるような有名人である上層部の人間で、パレードでもないただの新兵器のテスターたちの集まりで呼ばれるには少々ふさわしくないのではないかとエヴァンは思う。
しかし、考えを改めさせられるのはその挨拶から数刻たった、件の兵器をお披露目された時だった。その兵器の見た目は着飾った少年少女のようで、どう見ても人間にしか思えなかった。俺達が頭に疑問符を浮かべたところで、上層部の彼は目を細めて笑う。
「これは『葬式』という兵器だ。これから投入される予定の」
思わず皆から感嘆の息が漏れた。ざわつく周囲が、静粛に、という声で静まり返る。
「ただ、性能が不安定でね。そこで、『葬式』には選ばれた使役者が必要だ」
こほん、ともったいぶって咳払いをした。そして、重大な任務を言い渡すように、威厳に満ちた声を張り、俺達を一人一人見つめる。
「新兵器のテスターとして選ばれた栄誉ある君たちには、この『葬式』の使役者……マスターとして戦場に立ってもらう」
歓喜の声が複数あがった、また、ある者たちは当然だといった表情で彼を見つめていた。
俺はどちらにも属することはなく、ただ顔に出さないように、兵器の子守をしろということかと怪訝に思っていた。
「手順は後程説明がある。では、諸君。我が国に栄光をもたらしたまえ!」
上層部の彼は敬礼をし、こちらが敬礼を返すのを見届けると足音を立てて踵を返した。
残されたマスターたちは浮足立った雰囲気を醸し出し、上官がいなくなったことを良いことに、ざわざわと騒ぎ出す。
これといって話すような知り合いもいないし、どうしたものかと新兵器の説明会を待つ姿勢になったところで背後から気配がして、それから元気よく声をかけられた。
「エヴァン! やっぱり、エヴァンじゃないか」
「だれ……、あ。フィン………か?」
金髪碧眼のさわやかな、女性だったら王子様のようだと色めきたった声で歓声をあげそうな眉目秀麗な顔立ち。御婦人たちの好感度が爆上がりしそうな微笑みを浮かべて、少年はこちらを見てやあ、と手をあげた。
「うん、その通り。俺はフィン・タルトレットだよ。久しぶりだね、エヴァン」
フィン・タルトレットは俺のスクールの友達だ。
義務教育の始まりから修了まで、一緒にいたいわゆる幼馴染というやつだ。
スクール修了時、俺が陸軍の適性をもらった一方、フィンは空軍の適性をもらっていた。
そこから軍学校に所属した際に離れ離れになってから、なあなあの関係になって連絡も取らなくなり、今に至るといったものだ。
「久しぶり、最後に会ったのは四年前か?」
「うん、スクールの時以来だ。懐かしいな」
よくもまあここまで好青年に育ったものだ。最初の軍隊の疑似訓練である森林合宿の時に、過酷すぎて泣きべそかきながらひいひい言っていたのに。
昔の仲間内では泣き虫のフィンといじられていた、その影は見る影もない。
「……今じゃ俺の方が泣き虫かもな」
「もう、冗談はやめてくれ」
フィンが照れくさそうにはにかむ。
そして、ここからが本題だけれども、といった風に目を細めた。
さらり、とフィンの金髪が風に揺れた。エヴァンの黒髪もその風に揺らされる。
「それにしても、新兵器のテスターで一緒になるとは」
「ああ、あそこまでの上層部の方が出てきてくださるなんて光栄だな」
「やっぱり? そう思うよね」
俺達にはもったいないほどの高貴なお方だ、とフィンは付け足す。
言外で、「この兵器には何か裏があるだろうね」と示しているのだ。
察しが悪いわけではない俺は、苦笑いしながら頷いた。
これ以上は軍本部ですべき話ではない。
そう考えた俺達は何かあった時のため、連絡先を交換することにした。
そうこうしているうちに号令が飛ばされ、元居た位置に整列し直し、フィンと別れた。
「お前ら、そろそろ説明会の時間だ! 開催場所は二階にある会議室の五だ!」
きびきび歩け、とでも言わんばかりに早足で先頭を歩く上官の後に続く列を乱さず、足音を揃えるとまではいかないが足並みは揃えてついていく。
誰もが期待に満ちた表情をしている、それもそうだろう。
初めて扱うのが自分たちである新兵器のお披露目会だ。
この兵器をうまく扱って戦果をあげれば、一気に上官まで上り詰めることが可能かもしれない。
そんな高揚感と期待に満ちた瞳を血に飢えた獣のようにぎらつかせている。
殊勝なことだ。人間の形をした兵器を出す国にもどうかと思うが、進んで命を投げ出したいと思う奴らの気が知れない。
気づかれないようにエヴァンは前行く背中にじっとりと湿度の含んだ視線を送りつつ、隊列を乱さないよう歩いていく。
すると、「止まれ!」という号令がかかる。
ぐっ、と息を飲み込み、足を踏みしめて勢いを殺すと両開きの扉が乱暴に開け放たれた。
いまどき古臭い木製の扉に若干驚くが、これもアナログにすることにより敵のハッキングを防ぐためなのだろう。
会議室へと招き入れるように開け放たれたドアを潜る。
後から考えるに、此処で意地でも引き返しておけばと思うものの、俺も特別感にかまけて浮足立っていたのだろう。
熱狂や特別というものは、正常な判断能力を失わせる。
それはどの世の中でも、常であることだ。
■□■
説明会の内容は大まかにまとめると要点が五つほどあった。
一、『葬式』は義体プロジェクトから発展したが故に人間の形をしている。
二、『葬式』自体が使役者を選んでマスターを決めるため、全員がマスターに選ばれるわけではない。
三、『葬式』とマスター関係を結んだものは、戦場で『葬式』に大まかな指示を出すために存在する。
『葬式』は基本的に自律型戦闘兵器である認識で構わない。
四、『葬式』という兵器は各自、その名前を象徴する必殺技を持っている。
五、前述した必殺技を使うと『葬式』はどこか一部を破損する。
そのため、乱用はできないが多くは戦況を覆すほどの必殺技を持つことが多い。
以上である。後は、省いても問題ないであろう話だったため割愛する。
ちなみに途中途中に「これは軍事機密である」と念押しされて喋られるため、うんざりするくらい長ったらしく堅苦しい話が続いた。
上官は咳払いを一つすると、話を締めくくる。
「ひとまず、今日のところは解散とする。明日は陸港へ朝五時に集まるように」
陸港とは砂漠にある港のことだ。
港とはいうもののその実、『箱舟』と呼ばれる船型の大型移動拠点が停まることから名づけられた。
エヴァンは陸軍学校生であるがゆえに『箱舟』に乗るのは初めてではない。しかし現在は軍学校を卒業した直後であるため、正式な軍の所属として乗ることになるだろう。
襟元を正すような思いで明日には『箱舟』に乗り込まざるを得ないこと思うと憂鬱だった。
思わずため息をつきたくなるような心地で、俺は解散していく同僚たちを眺めていた。
やはりフィンはエリート集団の中でも一目置かれているようで、もうすでに輪の中心にいた。
誰だってそうだろう、あんなに品行方正が服を着て歩いているような規範のような人間には気に入られたいに決まっている。
なぜならば、それは大成するであろうことが目に見えてわかっているからだ。
それに対して、己のなんと惨めなことか。
周りから距離を置かれて遠巻きに見られており、まるで腫物扱いだ。
それもそうだ。
俺がいるだけで士気は下がるし、性格もこの通りジメジメしているし、そんな奴に関わるのは誰もが避けて通りたいだろう。
エヴァンは苦笑いを浮かべながら、会議室を後にする。
とにかくもう、帰って休みたかった。
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エヴァンが去ったあと、会議室は一瞬ざわついた。
どこに行ってもエヴァンは目立つ存在なのだろうと、フィンは微笑みを浮かべながら内心で心配をしていた。
彼は、とにかく生存することにたけている。とっさの判断も生粋の戦士である彼は数ある陸軍学校の中でも有数の実力を誇っていた。
生存することは戦士の基本である、とフィンは思う。
どんなに磨き上げられた技術を持っていても、どんなに研鑽を積んでも死んでしまえばすべてが無に帰るからだ。
戦闘能力も判断力も生存能力もピカイチであるエヴァンは、なぜかいつも悲観的だ。
本人は隠しているつもりだが、戦争で大方が失くして忘れた隣人愛が根付いているからだろうか。
愛が豊かな人間のくせに、有事の際はすべて合理的に判断する。
そうして、後からそれを後悔して背負っていくのだ。
エヴァンは墓標の星みたいな人間だと思う。それ故に、誰にも理解されない。
みんな、エヴァンのことを不気味な化け物だと思っている。
本当は誰よりも人間らしいヒトなのに。惜しい在り方だ。
フィンは会話を切り上げてそそくさとエヴァンを追いかける。
幼馴染の悪口なんてあまり聞いていて気分のいいものではなかったからだ。
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翌朝、陸港に到着した俺達を迎えたのはただの『箱舟』ではなかった。
そこに現れたのは『ノアの箱舟』と呼ばれる超大型要塞だった。
陸軍に所蔵していて憧れない人はいないほどの有名さ、『箱舟』と大雑把に指すときは大体この『ノアの箱舟』を皆が思い浮かべているほどだ。
そうして、圧倒されつつも皆が乗り込むとさっそく地上十階のラボに案内される。
分厚い自動ドアが開かれる、そこには何やら忙しそうに机に向かう研究者たちの姿が見えた。
その脇を邪魔にならないように気をつけながらずかずかと奥に進んでいく。
上官がカードリーダーをかざして研究室奥の扉を開くと、そこには簡素な椅子にまるでドールのように着飾った青年や女性、または少年少女たちが眠るように並んで座っていた。
事前に聞かされていたものの、この人間に見える兵器が『葬式』であるのか。
本当に人間ではないのかと騒めく一同の前方から、ニコリと笑って楽しげでいっとう明るい声が歓迎する。
「『葬式』のマスター候補の皆皆様、おはようございます!」
声を発した、赤髪を一つに束ねた白衣の少年は、きょろきょろと物珍しそうにこちらをどこか品定めするような視線で捉えた。
「オレはドクター・鮭です。どうぞ鮭くんとお呼びください。えーっと、今回は貴方たちが使役する『葬式』を決めますので、少し離れて整列してもらえますか?」
拡声器を使ってドクター・鮭は俺達に指示をする。
「鮭」、おおよそ人間につける名前ではないと思うがどうせ偽名なのだろう。
なにせ、研究者は秘密主義が多い。
それにしても、軍学校卒業したての俺達よりも年端の行かない少年がどうやって今の地位に就いたのか、少々伺いたいところだ。
「……そうそう、オッケーです! さすがは軍隊の皆様、統率力が違いますねえ。ヨシ、貴方たちの基礎データはこちらでプログラムにインストールをしておきました。そのため、いちいち選ぶことはしなくても良いのですが……実際に見たいと言う『葬式』がいましてね。ちょっとわがままを聞いてあげてください」
『葬式』に研究者に指図するようなわがままを言う意思があるのか、とエヴァンは目を丸くした。
ただの自律型兵器とはいえそこは高性能であるから意思を持つことが普通なのか?
いや、そんなことは。戦うものに心なんて搭載しない方がいいに決まっている。
思い浮かんだ考えを振り払うように前を向く。
握った手の指先が震えているのを感じていた。
「さて、お目覚めの時間ですよ。ハロー、ワールド……っと」
『葬式』たちが一斉に起動する。
ぱちりと瞬きをして、微かな機械の駆動音が聞こえた。
ギギギ、と動き慣れていない機械の動きなどはなくその所作はなめらかで、思わず技術力に感嘆の息が漏れる。
「さあ皆さん、存分に選びなさい」
ここからは『葬式』たちによる品評会だ。
人間はマスターに相応しいか見定められ、神様に微笑みかけられるのを待つだけ。
まるで運命の相手を選ぶようだ。人生のパートナー、命を預ける選択なのだから。
ただし、俺はこの時に運命なんぞには出会わなかった。
端的に言えば、『葬式』のマスターとしては選ばれなかった。
それもそう、俺にはそもそも戦場自体が向いていないのだから。
戦場を駆ける兵器になんて選ばれるはずもなかったのだ、こんな男が。
俺を選ぶのは、余りものに目をつける酔狂な聖人君子ぐらいしかいない。
……いなかったのだ。
手を取られ、手を取り。
歓声を当然のように受け止める自信に満ちた者たち、どんどん残っていくことに焦りを感じて乾いた笑いを出す者たち。
どっちつかずで、もう諦めて早く帰りたいと思いながら俺は残された人数を数える。
ざっと見、三十人といったところか。
『葬式』に選ばれた者たちは詳しい説明会に案内され、この場には余りものしかいない。
「はい、皆様お疲れさまです。残った方々は『葬式』の二次生産をお待ちくださいね」
ドクター・鮭はそう告げて「失礼します」と、ぱたぱたと走って行ってしまう。
呆然とする俺達に、上官が憐れむようなそんな目線を送りながら「後程、各自の所属通達をする」と声を張りあげて解散する運びとなった。
プライドをへし折られた者は「っ、なんでだよ!」と吐き捨てるように去って行き、ある者は肩をがっくり落としてその場を去った。
ひとり、またひとりとぽつぽつと人が減っていく。
そうして残ったのは俺一人になった。
「……あれが本当に人間じゃない、なんて」
口から出たのは、その一言だった。
あのような自然な動き、仕草、姿形。
どれをとっても人間のようにしか見えなかった。
技術の進歩はここまで来てしまったのか。
もうそれは禁忌の領域ではないのか。
いくら義体プロジェクトをベースにしているとはいえ、あれほどまでに人間に似せられるのか。
……待てよ、義体プロジェクトをベースに?
まさか。
いや、疑問の種は尽きない。
エヴァンが科学の末恐ろしさに戦慄していると、背後から声をかけられた。
声の主はドクター・鮭だ。
「どうかされましたか?」
「……あ、ああ。なんでもない……」
うわの空で呟くようにして発した言葉を、ドクター・鮭は腑に落ちないと感じたようだった。
「疑問があればお答えしますよ」
エヴァンは逡巡した。
どこまで聞いたら許されるのか、そのラインを探ろうとする。
そうして、ドクター・鮭の無邪気な笑顔に毒気を抜かれた。
「じゃあ、お言葉に甘えて。どこまで人間をベースにしているんだ、アレは」
もうどうにでもなれ、と根底にある一番重要な疑問を呈する。
すると、ドクター・鮭はニコニコとした無邪気な笑顔を絶やさないまま言い放った。
「人格だけです」
「……は」
「『葬式』は死者の人格の再利用を行っています。長引く戦争で、死者の数も増えたので」
「死者の人格の再利用……? そんなことが、許されていいはずが」
人格の再利用とは何なのか。
それは魂と呼ばれるものではないのか。
死者は安らかに眠ることを許されているはずだ、そうでなければ戦争なんて救いのないものがはびこるわけがない。
そもそも、何でこのような重要なことを俺に教えるのだ。
俺が言いふらしたところで大した影響力もないと思って、足元を見られているのか。
……影響力がないことは、まったくもってその通りだが。
それにしたって死者の人格の再利用の行きつく果てが兵器だなんて。
そんなこと、許されていいはずがない。
「随分と甘いことをおっしゃるのですね、エヴァンさん。死者さえも利用する、それが戦争というものですよ」
その微笑みは無邪気ではあるが無垢ではない。
その笑みが狂気に満ちたものだとしても、俺にはその内側を判断するすべがない。
それに、彼はまるで最初から俺が最後に残ることを見越しているような気さえしていた。
真実が、見えなくなってきた。
真っ暗闇の中、手探りだけで歩いているような心もとなさが胸の内に広がった。
エヴァンが、ふらり、と後退するとドクター・鮭は覗き込むように近づく。
その金色の瞳の中で、ぐるりと渦を巻いているものを狂気と呼んでいいのだろうか。
「……っ」
どこまで、人間を愚弄するような研究を行っているのか。
それは理性によって口にしなかったが、相手は聡明な研究者だ。
察されてはいるだろう。
「では……、これで」
此処は逃げるが吉だ、とエヴァンは判断して上ずった声をあげて急いで退室した。
そして、去り際に。
「せいぜいお気をつけて。生き残って、戦争の最期を見届けてくださいね」
ドクター・鮭がそう言ってこちらを慈しむように見ていたのは。
きっと、気の所為ではなかった。