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Track 2. ORION

 ルナールとは、類人(るいと)が考えた『ルーナ・()・ハミル』を並び替えたあだ名だ。

 出会った当初に気まぐれで思いついたものだが、「類人さんが付けてくれた!」と興奮した様子で社長室に駆け込み、そのまま芸名にしてしまったのである。


 ちなみにこれは余談だが、代々襲名してきた名家の由緒正しきロイヤルな名前を付けたいアメリカ人の父親VS絶対に日本語を使いたい純日本人の母親の仁義なき戦いは、(つき)()と読むことで平定されたらしい。

 その辺の匙加減(さじかげん)は類人にはよくわからなかったが、彼の名前にも『人間だから人類を反対にして類人』なんてダジャレのような由来がある。『人類を反対にしてしまったらそれはもはや人間ではないのでは……?』と、この世の真理に足を突っ込みそうになったこともあったが、何やかんやで思春期を乗り越えてスレずにここまで成長した。


 話を戻そう。

 二人が所属しているのは、日本のエンタメの歴史と共に歩んできた老舗芸能事務所『ORION(オリオン)』だ。サブスクの出現で衰退の一途を辿るCD市場の中で安定的な売り上げを叩き出す男性アイドルが名を連ねている。


 その三代目社長である百合子(ゆりこ)のスペシャルお気に入り、いわゆるスペオキがルナールだ。

 二人の出会いは彼女が知人の付き合いで参加したアメリカの企業パーティ。主催者だったハミル財閥の御曹司ということでルナールの紹介を受けた瞬間、強烈な雷に打たれたとか。


 骨格の定まらない少年たちの十年後の姿が見えるという百合子の審美眼は、ルナールが将来(もたら)すであろう日本エンタメ産業への年間経済効果を3000億円と仮定した。

 言わば幻の金鉱山、人間国宝の職人の手元に舞い込んだ原石、アイドル業界の至宝なのである。


 が、お金の話など彼女はどうでもいい。

 彼の立った場所が舞台のセンターになると言っても過言ではない圧倒的な存在感は、事務所の内外に大きな衝撃を(もたら)すだろう。

 多国籍が入り混じって飽和状態にあるボーイズグループ市場に、日本が愛で育ててきた『アイドル』という特異な存在を再臨させる。それが百合子の夢だ。

 その布石として、ルナールは十分すぎる素質を秘めている。


 敏腕な秘書はその場で契約書を作成して、ルナールと家族へ提示した。美しい顔を怪訝にひそめたルナールだったが、タブレットに表示された電子契約書にORION(オリオン)の表記を見つけた瞬間、その態度が豹変。


「オーケー百合子! 僕行くよ、日本に!」


 見た者を消し炭に変えそうなほど神々しい笑顔で電子署名をしたルナールは、呆ける家族をよそにブラックカードを一枚持って日本へ降り立った。

 オリオンの初代社長が理事長を務める芸能人ご用達の私立高校で留学ビザを取り、超人的なスタイルであるがゆえに似合わない学生服を着て東京の街を歩くルナール。何を隠そう、彼は生粋のドルオタなのである。


 教育に厳しい親の目を盗んでアメリカの自宅から日本人男性アイドルのコンサートDVDを輸入し、自作のファンサうちわと公式ペンライトをテレビの前で振り回しながら尊いと涙を流して七年。立派なドルオタ御曹司に成長したルナールにとって、百合子との出会いはまさに天啓だったのだ。




「僕、類人さんと一緒じゃなきゃアイドルやりません」




 これは街頭ディスプレイでの一幕より一か月前の話である。


 常に最新のエンタメを求め世界中を飛び回る神出鬼没な百合子社長に珍しく呼び出されて緊張していた類人の前で、駄々を捏ねる子どものようにきっぱりすっぱり言い放つ。

 天使の擬人化を思わせる端麗な容姿から放たれたまさかの言葉に、渦中の類人は密かに絶望に打ちひしがれた。


 百合子が直々にスカウトした金の卵の噂は既に事務所の内外で大きな話題になっていて、そんな彼からの突然のご指名は見方を変えればチャンスと言える。デビュー前の若いタレントが(ひし)めくORION(オリオン)で頭一つ抜きん出るために、社長のスペオキであるルナールの提案はまさに鶴の一声と成り得るだろう。


 しかし類人は知っている。

 本人や事務所の意向がどうであれ、外部の人間の手が加わったマーケティングにはわかりやすく『格差』が用いられる場合があることを。

 センターの一人を輝かせるためには、本人に努力をしてもらうよりも周りを下げた方が簡単で効率的なのだ。

 アイドルは産業なのだから、そういう側面があったとしても仕方がないと理解はしている。そして一度作られた『格差』は長い年月を経ても完全に拭い去ることが難しい。


 人間には生まれ持った役割があると類人は考えている。そして察した。この金の卵の経済効果を最大限捻出するために、自分が『下げられる側』に回される未来を。そのために何者にもなれず星空の隅で(くすぶ)っていたのだと。


(俺がなりたかったのは、シリウスなのに)


 アイドルはファンの間でよく星に(なぞら)えて語られる。自らが持つ光源で光る恒星もあれば、彗星のように他の星の光を反射して輝く星もある。


 類人がなりたかったアイドルは、全天の一等星の中で最も明るい恒星、シリウスだ。金の卵を輝かせるための宇宙の塵(彗星)ではない。


 彼の危惧を唯一理解してくれたのは、事務所が抱えるアイドルの卵たちのマネージャー、藤本多嘉司(ふじもとたかし)だった。

 彼自身もかつてORION(オリオン)でデビューを目指し研鑽を重ねた一人である。努力が必ずしも報われるわけではないことを身をもって知っている多嘉司は、後輩に夢を託してサポート役に回った。


 大型新人の気まぐれとカリスマ社長の圧力が(うごめ)く災禍のような空気の中で「類人はほら、大事な時期だし。無理に受ける必要はないからな」と青い顔で言ってくれた。


 多嘉司の言う大事な時期というのは、タレントの契約形態に関することだ。

 毎年当たり前のように更新してきた長ったらしいマネジメント契約書の中段には『甲が満二十二歳になる年、乙は甲の意思に関わらず契約の更新を棄却することができる』と書いてある。

 つまり二十二歳までにデビューできなければ、退所を促される可能性があるということだ。

 そして今年の冬、類人はその対象年齢を迎える。


 この縛りは、若いタレントを大勢抱えるORION(オリオン)の『誠意』だった。

 契約書には年齢制限の他に、学業優先、半年ごとの能力査定、事務所が推奨するボランティア活動への参加などが織り込まれている。それは所属する一人一人がオリオン座が導く一等星になってほしいという願いと、努力が報われなかった少年たちが行き場を失わないための道標(みちしるべ)の意味を持つ。


 先の見えない夢に後戻りのできない日々を無作為に投資し続けるのではなく、他の道を選ぶタイミングを設定し、そのゴールに向けて何にも代えがたい十代の輝かしい時間を費やす。

 その結果夢を掴み取る者、もしくは燃え尽き症候群のようになり対象年齢を迎える前に自ら芸能界を去る者、そして群雄割拠のORION(オリオン)に見切りをつけ別の芸能事務所に移籍する者がいる。彼らはいついかなる時も自らの将来を選択できるのだ。


 そんな恵まれた環境に身を置くにも関わらず、類人は自分がこれからどうすべきか答えを決めきれずにいた。

 必要以上の努力はしてきたつもりだが、チャンスには恵まれなかった。次々とデビューしていく同期や後輩を送り出し、事務所に見切りをつけて去って行く同胞を見送る日々。面接五十社目からお祈りメールを受け取ってやさぐれた大学の友人から「類人はいいよなぁ。十代から仕事してるようなもんだし、就活もしなくていいんだろ?」と言われた時は、苦笑いを返すことしかできなかった。


 長いだけで実績が伴わない芸歴を誇ればいいのか、健闘する友人に倣って将来の分かれ道を進めばいいのか。だが類人はあまりにも長く夢を見過ぎた。簡単に手放すことができれば、とっくに星空から消えていただろう。

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