サウロの気持ち
病室備え付けの洗面台で洗顔し終えて、俺は聖書世界のサウロの気持ちが理解できた。顔の汚れと一緒に、目からウロコのようなものまで落ちたらしい。俺は死んでなんかいないことに気付いた。顔でも洗おうかと思い立ちベッドから降りてからここまで、昨夜というか今朝、眠りに落ちる寸前まで回顧したアノ内容に、何ら不思議を感じなかった。自分が自殺していたというのに。入水自殺を遂げたことを事実と受け止めていた。夢の中の出来事のようにそれを当たり前と考えていた。『何故』という問いが俺から発されることはなかった。
しかし、水滴をタオルで拭った俺はもう気づいてしまったのだ。
俺は自殺なんてしていないことに。
だから、今こうして考えることも出来ているんだし。
それに弟なんていなかった気がする。いなかったから欲しかった。欲しかったけどいなかった。だから弟の存在を想像した。俺にとって想像は実在だったし、実在だったので飽きたら殺した。想像のシナリオは幾つもあったから、俺が自殺したり消されたりするストーリーも、あった、筈だ。
多分、そうだった気がする。でも、そんな気がするだけかも知れない。日数も分からなくなる程、個室に閉じ込められている生活のせいか、加速度的に自分がおかしくなっているような感じもあるからだ。それとも最初っから変調を来していたのか。鏡には苦笑いを浮かべた俺の顔が映っている。その自分の表情が、あの架空の弟の顔にどこかだぶって見えた。たちまち不快なんだか懐かしいんだか訳の分からない感情にとらわれる。もしかすると軟禁されてるために制約された自我が自由を求めて部屋一杯に充満し、そこかしこに漂ってる誰かの記憶の残滓みたいなものまで精神に取り込んじゃってるってことかも。勿論、そんな『誰かの記憶』が浮いていればの話だけど。それとも、制約から逃れようとする思考が元々の幻視体質と相俟って暴走してるんだろうか。そうかもしれない。白い壁をキャンバスに、病室を舞台に俺にとってのもう一つの現実が立ち上がってきているのかもしれない。シュールレアル。そう、俺はシミだらけの壁をキャンバスに、絵筆も握らず口述もせず記述もしない、ただ想像し幻視するだけのシュールレアリストなんだ。きっと。違うか? この考えすらも暴走してるのか?
実は、正気と狂気との微妙なあわいにワタシはいるのか・・・・・・。
いずれにせよ、浅からぬ狂気と錯乱とで、自分自身が見えなくなっていることは確かだ。顔を手の平でぺしゃぺしゃ叩いて気分を引き締める。
気合、入った。
幾分正気になった、気がする。朝だっていうのに相変わらず日が沈んでいるみたいに暗い窓の外からは、盆踊りの練習でもしているのか、太鼓の音が微かに聞こえてくる。聞くつもりもないのに聞いてる俺まで浮かれた気分になってくるから不思議なものだ。音は物理的な力で人の鼓膜を振動させるだけじゃなくって、音階毎に固有の理念を秘めていて、これが人の心を浮き立たせたりうっとりとさせたりするんじゃないかしらん。
精神状態に影響を及ぼす音の威力について思索を巡らしていると、突然、俺の集中を意図的に断ち切ろうとするかのように誰かが無遠慮にドアをノックした。無機質な音だ。思わず舌打ちしてしまう。そんな俺にお構いなしに看護師は、血圧測りますねと言ってから毎度のことだがきつくきつく俺の腕を縛る。事務的に手際よく、しかし愛想なく血圧を測定する看護師に心の中で毒づいてみる。そんなに強く緊縛しなくってもいいじゃないのさ。俺はどこにも逃げないよ。だが薄目を開けると、もう看護師の姿はなかった。左腕に残る圧迫感だけを残して。
太鼓の音ももう聞こえない。
そういえば、家族は一人も見舞いに来ない。いったい、どうしたんだ、俺の母親。父親。一粒種のこの俺が入院しているというのに。同居しているときはわずらわしいことこの上なかったが、いまでは見舞いにも来ないなんてのはあんまりだ。それなら、俺が幼い頃、もう少し放任主義で育ててくれればよかったのに。
一人っ子の心境なんて体験したヤツでなきゃ分かりはしない。両親からの過剰な愛情が幼い時から叩きつけられるように浴びせ掛けられる、その鬱陶しさ。平日の授業参観なのに、教室の後ろを振り向くと、なぜか父親まで来ちゃっているし。俺の一挙手一投足に注がれる視線、そこからそっと逃げ出す俺。どんなに逃げても視線のネットに引っかかる。もがいても、羽を持たないワタシは遠くへ行くことは出来ない。深い強い関心で絡め取られる。
嗚呼、天使のような翼があったなら。大空高く異なる文化圏にまでも飛んでゆける翼が、明日の朝起きたとき、ワタシの背中に生えていますようにと祈ったこともあった。とにかく勘弁してくれよと小さく悲鳴を上げる毎日だった。
そがいなこと思っちょったなんて、あんまりじゃ。
いつのまにか、ベッドの傍らに立っていた母親が言った。縛るだなんて、酷すぎます。いつだってパパやママはあなたに対して心からの愛情を注いできたいうのに。そんな言葉を返すなんてあんまりじゃろう。そりゃあ、あんな事故もあって、あなたが誰とも口も利かなくなってからは、直接にわたしたちの思っていることを伝える手段が無いから、仕方なく朝はテーブルの上にママからの手紙、パパからはたまにお小遣いを置くっていう関係になってはいたけんども。そうしないとあんたが暴れたり何日も部屋から出て来なくなっちゃうから、泣く泣くああしていたんよ。それにいくら勉強だけは出来るからって言っても東京になんて行かしたくなかったんよ。あんた、分かっちょる? 気持ちの上では、いっつもあんたを見ているつもりだったんよ・・・・・・。
久々に聞いた母親の伊予弁、何故だか所々標準語と混ざって乱れているし、おまけに一人称とかの使い方が統一されていなかったりと色々気になるけれど、なかなかいいじゃないのと俺は思っていた。
薄いピンクのワンピースらしき服の上に、病室なのになぜか白の割烹着を着た母は言葉を続けた。ここだけの話やけど、あんたが一人じゃさみしかろうと思ってな、きっと兄弟欲しがっているんじゃろうと思ってな、母さんたち、あなたにせっかくだからお姉さん見繕ってあげようとしたこともあるんよ。あんたの良きお手本となるような。そうねぇ、あれは事故の翌年だから、あなたが小学六年生のときのことよ。中学二年生ぐらいのかわいく器量良しで、図抜けて気立ての良い子はいないかしらと。誘拐計画まで立てたんだから、お父さんと一緒に。だけどな、犯行前夜、違うわ、『犯行』なんかじゃない、ちゃんとした理由あるんやし。その『最高の計画』実行の前日の夜になってな、お父さんが急にブルッちゃったもんだから、中止になったけどね。でも、お母さん、一人でもやるつもりだったんよ。パパが泣いて震えて止めるから、仕方ないか、と思ったけれど。ああいうとき、男って、ホント弱いわよねぇ。あっ、もちろん、最初は冗談でお父さんと話してたのよ。だけど、そのうち、段々、本気になってきちゃってね。あれは、自分でもおかしかったな。
それで、まぁ、当たり前だけんど、こりゃあ、やっぱりお姉さんは無理かしらってことで、もう一度、妹か弟を作ろうと。まぁ、あんたももう大人だからこんな話しても大丈夫だと思うけど、ちょっと無理だったわね。だって、あんたは、私が四十二のときに生んだ子なんだもの。あの頃は、かなりの高齢出産だったんだからねぇ。そりゃあ四十過ぎて子供産む人は珍しくはないけど、あんな小さな町では、そんな歳で初産なんて聞いたこと無いっていう人ばっかりだったんよ。医者も驚いていたわぁ。少し脱線しちゃったけど、それでもって、もう一人、あんたの弟か妹をって計画したときは、わたしも五十を越えていたでしょ。あんたにはかわいそうだったけれども、無理だったわねぇ。
まぁ、何にせよ、自分のお腹痛めて産んだ子が可愛くないなんてこと、あるわけないじゃないの。あなたも、いつか自分のお腹痛めて子供産むときが来れば分かるわよ、ずうっとずうっと先のことかもしれないけれど。でもその前に、ここから出なくっちゃね。あなたも事故のことを気にするばっかりに、自分のことも嫌っちゃうなんてねぇ。私らのこと嫌いになるんはかまわんのよ。でも、自分のことは嫌いになっちゃ、いけなかったんよ。何べんも言うけど、あれは事故だったんよ。あの子はあんたのこと、ホント好きじゃった。きっと満足だったはずよ。だから、あんたが気にしよる必要ないんよ。
わたしら、いつでも待っちょるからね。いつでも帰っておいでなぁ。
そこまで言ってから、母は白い割烹着の両袖を捲り上げた。これで、わたしの話はおしまい。折角だし料理でも作ってあげようかね。病院食ばっかりじゃ飽きちゃうでしょうと言い残し、母は部屋から出て行った。
ドアの向こうへ消える母の後姿からベッドサイドのテーブルに目を移すと、もうそこには、いつものトレイの上にサンドイッチとカップスープが載せられていた。上体を起こし、中身を確認してみる。タマゴサンドとツナサンド。そして、小さいとき、ワタシの好きだったコーンスープ。涙がこみ上げて来る。頬を滴る涙はしずくとなって、患者衣の胸の辺りへ、そして布団の上へと流れ落ちた。自分の人生、そんなに悪くなかったかもしれない。ちゃんと愛されていたじゃないの。
ありがと。
いただきます。
胸の奥にあったかさを感じながら、キチンと合掌して、母親がワタシのために作ってくれた朝食をいただいた。