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自動記述の白い壁  作者: polisha
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不条理は地続き

 結局、人生に解決なんかありはしないのだろう。起き抜けに壁のシミを暫く眺めていて、不意にそう思った。あの娘が何を待っていたのか何故あの待合室にいたのか、結局分からずじまいだった。得心の行く解決があるのは、小説だけで充分、そんな気がしている。

 まあ、もちろんすべての小説が予定調和的な解決、大団円で閉じられるわけじゃあない。中には、閉じられるどころか、話が拡散しっぱなしのまま唐突に終えられるものだってある。不条理を描いたって言えばそれまでだけど、作者及び物語から一方的に関係を破棄され、突き放されたようで、後味が悪いったらありゃしない。でも、却ってそうした小説のほうがよっぽど現実には即している、そう俺は思う。

 不条理といえば、最近トイレに行った記憶がないが、なぜだ。まぁ、いい。そんなこと。どうも入院しているうちに大分精神も参ってきたようだ。白い部屋に監禁されているようなものだから仕方ないかもしれない。とにかく鉄の表面に生ずる錆、頭皮から生まれるフケと、入院生活に伴う軽い錯乱って、同じ関係なのかもしれない。壁掛け時計は午前八時を指しているのに、窓から見える景色はいっつも暗くて、目の前にはいっつもシミのついた白い壁。こんなことなら、個室じゃなくて大部屋にすればよかったか。これでは、まるで本当に隔離されているようだ、と思ったところでふと気づいた。 

 俺、入院してから、医者や看護師といった病院関係者以外の人間って見たことあったっけ?もちろん、幻視のではなく、呼吸している人間に。果たして他の患者に遭遇したことあるか。急に不安に襲われる。俺は左ひざの手術でここにいるんだよな。もう術後何日だよ、そろそろリハビリに取り掛かる時期じゃないのか。なんか本当に閉じ込められているような気がしないか。じゃあ、あの待合室に行ったのは? あれ、事実か? 現実に脚を引き摺りながらあの娘がいる待合室には確かに俺は行った。じゃあ、あの子は現実か? いや、非現実、非存在。じゃあ、その非現実の存在に会いに行ったのは本当の現実か? 非現実は現実なのか? 分からなくなってきた。自問自答を繰り返すうちに現実感が薄くなっていく。落ち着け落ち着け。俺は自分の名前だって思い出せるし自分がなんでこの病院にいるのかってことだって明確に理解している。俺が何故左ひざを怪我したのかだって・・・・・・、大丈夫だ、思い出せる。そう大丈夫だ。あれは試合中の膝十字固めで負傷したのだった。それでバキバキミキミキと・・・・・・。

 ちょっと、待て。今頭に浮かんだのは、現実にあったことか? 俺って格闘技なんて経験したこと、本当にあったっけか? 

 よく考えると、そんなの齧ったことさえないんじゃないのか―――。


 膝をぶっ壊した原因を探る取り留めもない思索に耽っているうち寝てしまったらしい。時計は四時を回っている。昼食や午後の検温はどうなったのか少しは気になるが、熟睡している俺を見て看護師から勝手にパスされたということで納得するとしよう。 

 さて、膝負傷の源流を辿る旅の再開。まず前提として確認しておかねばならないのは、膝十字、これで膝の靱帯だの半月板だのを壊されたってことだ。これはそれこそ痛みが生ずる度に何度となく思い返してきた事実の筈だ。いや、待てよ。その原則とさえなっている膝十字固め自体を俺は疑わねばならないのかもしれない。徹底的な懐疑精神を、批判精神を我に。そう言い聞かせると、空手の組手練習中、正対する相手に、正面から膝めがけての容赦のない前蹴りを喰らって、九の字に折れた俺の膝。そんな気もしてきた。そう組み手だ、いや、違う。あれは試合中のアクシデントだ。そう、冷蔵庫のような頑丈そうな体躯を持つ相手に奥襟を掴まれたまま払い腰でキレイに宙に放り出された。それはスピード、タイミングともに抜群の切れを持つ投げだった。宇宙遊泳ってこんな感じかなんて考えているうちに俺は受身を取り損ね青畳に腰を打ちつけた。そして、捨て身となった相手の全体重が俺の左ひざの上に乗っかって、バキバキと・・・・・・。

 いや、俺は柔道なんてしたことはない。記憶が完全に混濁している。痛みは確かに在るのになんでその痛みがあるのか、それだけがはっきりしない。入院や手術時の辺りを境に、それ以後の記憶は明瞭になってくるんだが、その前が曖昧だ。疑問が生ずれば忽ちに胸に閃く解決ってモノが俺の拠り所たる直感なのに、天降ってもこなければ湧いても来ない。耳元で囁くような声だって聞こえやしない。何故だ。とにかく落ち着こう。ちゃんと考えてみよう。時系列で考え直してみよう。息を整え、俺は膝を痛めた時点までの自分の人生を辿ってみることにした。


 入院中だし、他にやることもないから暇つぶしにも丁度良い。


 「生まれてきた時、最初に見たのは分娩室の光だった。医者と看護婦さんの顔、そして嬉しそうな母の笑顔」という場面から人生の回想が始まれば、生まれたとき産湯を入れた盥が日の光を反射していた光景を憶えていると言ったミシマみたいで恰好いいんだけれど、生憎、母の胎内の暗がりから明るい濁世のこの世界に放り出されて来たときの記憶は俺にはない。

 一等最初の記憶は、それより遡り母親の胎内に居たときのこと。俺はまん丸いお腹の中で小さく丸まっていた。自分が母親の中にいるってことは理解してた。そして母親が風呂に入る時間は最高の幸せだった。胎内ってのははじめっから暖かいことは暖かいのだが、はっきり言って少しばかりヌルイ。だけど母親が湯船に浸かってくれると、俺を包む羊水までいい具合に暖まってひどく気持ちがよい。おまけに浮力もあるから、腹の中の俺までいつもよりもぷかりと浮いて、今思うとあれはパラダイスだった。だから生まれるってことは楽園追放なのかもしれない。お釈迦様は『生苦』を説いた。『生苦』と言っても、「生きる」のが苦しみなのではなく、「生まれる」のが苦しみなのだそうだ。慧眼だと思う。あの胎内の幸せに勝る幸福感を俺は知らない。

 そして続く記憶は0歳児の時。後で母親に確認したところ、生後七ヶ月か八ヶ月だったことが判明している。そのとき居たのは、母親ともう死んじまった母方の婆さん、それから母親の姉とその娘。この俺の従姉妹の女の子は俺より二ヶ月年長で同い年。色白だった俺は赤がよく映えるからとの理由で赤い浴衣。色黒で俺に比べりゃ男顔の従姉妹はかわいそうに青い模様の浴衣を着せられふてくされて泣いていた。それを横目に茶目っ気たっぷりに喜ぶ俺。

 ねぇ、ワタシ、赤い浴衣着せてもらって嬉しいんだよ。ねぇ、よく似合うでしょう。

 0歳でも自我は既に目覚めてた。他人との比較、見た目の優劣、それぐらいの自我ってヤツは。そんな俺の目に付いたのは残り物の白飯が入っていたお釜だった。俺は思った。これは、いい。サイコーだ、と。お釜まで這い這いで進んでいって、しゃもじを掴む。そしてしゃもじにたっぷりとついた飯粒にむしゃぶりつく。ウフフ、くいしんぼでしょ。口の周りには白い飯粒が付着しまくり、愛らしさが出まくる俺。

 なんておっちょこちょいなんだろう、ワタシって。でも色白ですべすべしてて、すんごぉくかわいいでしょう。

 手を叩いて笑い喜ぶ観客達。そんな俺を羨ましそうに恨めしそうに見つめる従姉妹。へっへっへ。俺の勝ちだよ。ぼくらの年頃の赤ちゃんは、とかく、色白の方が年長のご婦人方の受けはよくって、モテモテなのだ。愛される資質に恵まれているんだよ。はっきりとそう思っていた記憶がある。

 語彙は違うがニュアンスは間違いなくそんな感じで。


 子供は無邪気で悪意なし。結果悪でも、動機は純粋。いたずらっ子は尚かわいいっていう神話俗説伝承はナンセンス極まりない代物だ。その意味をすっかり反転させて理解するってのが、真実ってものでしょう。子供は邪気に満ちている。いたずらざかりは悪意でたっぷり。俺の場合だけかもしれないけれども。反省も込めて。だけど、そんな俺の愛と悪意の生活に終焉をもたらしたのが、五歳年下の弟だった。    

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