悲しくて、切なくて。愛おしくて。
その日は授業も頭に入ってこなくて、ぼんやりと中身のない一日を過ごした。帰ってからも予習復習をする気になんて慣れないから、今日は帰ったら明日の朝までゆっくりと眠ることにしたいと思う。
桜並木。この桜並木は散ることを知らない。でも去年の今頃は深い緑に包まれていたような気がするのだが。
冷たい風が吹いたと思うと、後ろには桜羽が立っていた。何処か哀愁漂う瞳をこちらに向けながら。
「桜羽、どうしたの……?」
「舞桜ちゃん、僕は今日、君に謝らなければならないことがある」
深刻な顔でそう告げられ、私はたじろいだ。
深刻な顔の中の、哀愁漂う瞳。そこには、涙が浮かんでいる。その涙は桜を反射して宝石の様に綺麗に輝いていたものの、今にも壊れてしまいそうな、そんな気がしてならなかったのだ。
「いいよ。大丈夫だよ。私はどんな桜羽でも受け入れるよ」
私のこの言葉は、一時の慰めとかではなく、ただ切実な本心だった。
ここで初めて、心地よく心臓がキュン、と縮んだ。少しの痛みと苦しみを伴うものの、心地よくて、幸せで、涙が出そうだった。
初恋。それを悟った瞬間、私は買われた気がする。
叶うのか分からないこの気持ちに私は一瞬で囚われてしまった。目の前にいる桜羽への愛しさが止まらない。
「僕は——」
そこで一旦言葉を切った桜羽。固唾をのんで、それを見守る。
「……もう二度と舞桜ちゃんに逢えないんだ」
一瞬、理解が追い付かなかった。
目の前では泣きじゃくる桜羽。それにつられて私も泣き出す。
「何で? 何で……」
私は泣きながら、ひたすらに問い続けた。
やっと、「好き」という感情を芽生えさせることができたというのに。それを向ける、桜羽ともう逢えないだなんて。
「僕は、死んでいる。地縛霊なんだ。ずっとずっと、ここにいた。でももう、死後千年が経ったから、生まれ変わらなくてはいけない。ごめんね、ごめんね……」
そんなこともう、驚かなかった。
今はひたすら、桜羽をずっと視界に入れていたい。ずっとここにいてほしい。また桜が怖くなってしまう。生きる希望を無くしてしまう。
「舞桜ちゃん……いや、舞桜」
その声はとてもしっかりしていた。
「愛してる。大好き」
その言葉は、好きという感情が実って、甘い果実となったことを意味していた。
ダムが決壊したかのように涙が出てくる。
「大好き、大好き、大好き……!」
抱きしめられて離してくれない。いや、もうずっと離してほしくなんかない。離されたら、途端に冷たい世界へと放りだされてしまう。
「ずっと大好き……! これからずっと、未来の先も。地獄でも、来世でも……!」
叫んでも叫んでも、結果は変わらない。目の前にいる桜羽はもう消えかかっているのだ。その体はもう貫通して、質量を持たなくなった。でも私はずっと、腕を背中に回し続ける。
自分が少し情けないと感じたその時。
「舞桜、泣くな!」
か細いけど強い声。途端、頬を強く、でも優しく叩かれ、包まれた。
質量こそもうないものの、温かい。
「舞桜には未来があるんだ。お前は僕以外の誰かを愛して、幸せになる。僕の願いだ。分かった?」
頷きたくなかった。でも、頷いた。
私は、過去を引っ張らない。絶対に。
これから花開く人生のために、私は我武者羅に走り続ける。
桜羽という、遠い過去の愛しい人は思い出にして、新しい人を愛さなくてはならないのだ。
辛いけど、何故か希望が湧いてくる。
「さよなら……」
「ありがとう。舞桜。頑張れ……」
柔らかく唇が触れる。
次の瞬間、桜羽はもうそこにはいなかった。桜並木も、緑の木々と化している。
私は地面に倒れこむ。
泣いた。ずっと泣いた。ただただ、泣き続けた。
これが贖罪。桜羽への贖罪だ。桜羽との約束を破ってしまう。私は確かに新しい人とは結ばれるだろうけど、その人への愛は上辺だけ。
本当に愛せるのは、桜羽だけなんだ……。
「ごめんね……」
桜羽を、これからもずっと愛す。永遠に逢えない恋人への、切なく響いた言葉は、外の空気を震わせた。




