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桜の花弁、舞い落ちる。  作者: 藤倉スバル
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辛い日々の中、君と

 小学生の頃が眩しく見えた。

 こんなどうしようもないことを思ったのは、中一の四月だった。桜と葉が、木を支配するのはどっちかと競争をしている。

 私はとんでもなく疲れているのだろう。そもそも、過去に戻るだなんて不可能に決まっている。なのに、こんなことを思ってしまうのだ。中学生になってからというもの、全てのことが憂鬱でたまらない。

 なんで、たった数か月で人間関係が大きく揺れ動いてしまうのだろうか。そんなこと知らないけど、皆小学生の頃の無邪気で明るい皆とは打って変わって、陰湿な人間になってしまったのだ。

 その陰湿の犠牲者となったのが私、桜瀬舞桜。桜が満開の四月に生まれ、桜を育てている家系の娘として生まれたことからこの名がつけられた。

 おじいちゃんが『桜咲く 瀬の風に舞う 桜の子』とかいう滅茶苦茶な俳句を詠んで、そこから私の名前が付けられた。だから私の生まれる前の名前候補の中には、(ふう)()という名前も含まれていたらしい。

 舞桜。母方の家は代々伝統の舞踊を引き継いでいることもあり、すごくいい名前だと親戚は絶賛するが、私は嫌いだ。この名前が。

 ——桜が。

 この名前のせいだ。私が陰湿の犠牲者になってしまったのは。

『桜なら、簡単に散っちまうんだろ? だったらじわじわと痛めつけてやる』

『あらあら。このくらいで泣くだなんて。やっぱりあんたは弱く散る桜でしかないのね。ふふ、憐れだわ』

 この名前のせいで、家系のせいで、何度苦しめられたか。辛くて、悲しくて。なんで自分で選ぶことの出来ないこの名前、そして家系のせいで私が苦しめられなくちゃならないんだ。

 怒りで体が震えてくる。全てすべて、私がこの世に生まれてきたから。生まれてこなければ、こんなことにはならなかったのに。いっそ、死んでしまいたい。そんなことさえ思う。

 桜なんて、大嫌いだ。あんなに可愛い色をしておいて、こういうところで私を苦しめやがる。大嫌いだ。全てが大嫌い。この世界に意味なんてない。

 春を好きな人は多いだろう。でも私は、どうしても好きになんかなれない。桜は咲き、虫は這い出てくるのだ。好きになんて、なれるわけがない。

 好き、とかいう感情をあまり持ったことがない。好き、になりかけたことはあるものの、好きの部分をどんどん踏み潰して、嫌い、の部分に水を撒いてしまうから、全てが嫌いなのだ。

 嫌い、を踏み潰して好き、に水を撒けばきっと、幸せになれるに違いがない。なのに、できないのだ。嫌いしか育てられない。愚かで憐れな人間が、私。

「授業始めるぞ」

教師の声と共にチャイムが鳴り響く。

 一校時は国語。今日は確か新しい物語を読むんだっけか……。

「今日は、『桜都伝説』です」

 その題名を聞いた途端、背筋が凍った。桜都。題名から安易に想像できてしまうその内容に、心からの寒気を感じる。もう桜になんて触れたくない、って思っているのに。

「今日は十七日……出席番号十七番の桜瀬! 読んでくれないか?」

 当てられてしまった。こんな日に限って。憂鬱でたまらなくて、思わずため息を吐きながら立ち上がる。

「『桜都伝説。作、汐野波留。桜は、何かを見せる力があるんだと思う。実際僕は、何かを見た。人影だった。僕は既に死んでいる。だけども特別な力を感じる人には見えるんだ。僕の姿が。この美しい桜の木の上、今日も僕は眺める。命ある、恵まれし者を』」

 これはどうやら長編小説の様で、何十ページも続いていた。こんな馬鹿馬鹿しい物語を何か月もかけてやるのかと思うと、頭が痛くなる。

「この『桜都伝説』は、一年間かけてやっていきます」

 その言葉は予想通りと言えば予想通りなのだけれど、改めて言われるととてつもなくこの物語が怖くなった。

「皆。今桜瀬が読んでくれた場所の文章を解説していくぞ。まず、最初の部分は……」

 教師が解説をしていくが、ノートを取る気にもなれない。どんなホラー小説よりも怖いこの物語。桜は怖い。嫌いをついに通り越してしまった。怖くなってしまった。

 不安で、辛くて、一人虚しく空を見上げた。

 学校が終わり、家へ帰るその時。桜並木へと差し掛かって、私は目を瞑った。

 怖くて仕方がないのだ。だけど、目が痛くなってしまう。瞑っていると、何故か痛くなってしまう。開けろ開けろと体が催促しているかの様に。痛い……。

 誰かに無理矢理こじ開けられたんじゃないかと疑うほどに、はっきりと視界が開けた。目の前には満開の……桜。

「いやああっ!」

 目を瞑ろうとするものの、瞑れない。何故……?! 怖いのと痛いので涙が出てきたその時。甘い香が辺りに漂ってきた。包み込むようなその香は、桜であると確信したのに、何故か拒むことはなく、しっかりと受け入れることができる。

「大丈夫」

 背後から聞こえてきた少年の声。振り向くと、ピンクアッシュの短髪に、桜色の瞳をした、柔らか気な雰囲気の少年が立っていた。

「誰……?」

「僕は桜羽場桜羽。ここの並木に住んでいるよ。君、どうやら怖がっているみたいだけどどうしたの?」

 その純粋な瞳は、本来の桜の美しさを語ってくれている様だった。優しくて、儚げで、可愛らしい。本来の美しさを忘れてしまった私の心を痛めるのに充分過ぎたそれは、私の心の奥深くにじわじわと浸透していった。それさえも美しく感じて、目が眩みそう。

 瞳というのは、なんと美しいものか。嬉しさも、怒りも、悲しみも、苦しみも、楽しさも、弱さも、強さも、全てがその瞳が織りなす色から伝わってくる。織りなされたその色は、その人にしか出すことができないのだ。

 でもやっぱり、私は桜に嫌悪を感じている。私を痛めつけたその桜を、恨まない訳には行かなかったのだ。

「ここは、全てを包み込んでくれるよ。辛くなったなら、何時でもここにおいで」

「あ、ちょ!」

 桜の向こう側に消えて行ってしまった桜羽。私はそれを眺めることしかできず、ただ呆然としていた。

「いやぁ……」

 か細くて誰にも届かない声を上げて、目を瞑り、桜並木を走り抜けた。

 桜羽がいるときは大丈夫だったのに、彼がその場からいなくなった途端に抑え込まれていた嫌悪が逆流するかのようにして襲い掛かってくる。

「……っ」

 家までの道のりは、ただただ辛かった。

 黄昏時の街は、本当に暗い。例えるものが何もないくらいに暗いのだ。物理的な問題ではなく、人がいなくて、まるで自分以外の全員が殺されてしまった様。 その犯人に今は必死に怯えている状態だ。

 架空でしかないのに。その犯人も、自分以外の全員が殺されたという自分が『事実』と言い張っていたことも、実際は『架空』言わば『妄想』なのに。

「……ただいま帰りました」

 そっと呟くものの、家に両親はいない。この家に誰か他の人がいればいいのだけど。今孤独なのは辛い。

「お帰りなさいませ。お嬢様」

 でも家政婦がいた。家政婦は正直言って、上辺だけの愛情しか注いでくれない。料理やお茶を用意してくれたりはするのだけど、それだけ。話し相手にもなってくれることはあるけど、毎回マニュアルの様な薄っぺらな返事しか返ってこない。

 手渡されたワンピース。薄いピンクで、ついている飾りは純白のリボンと腰のクラシックなベルト、清楚なレースだけだ。

 桜か雪をモチ―フにした洋服しか着せてもらったことがない。清楚で、ほんのりとした可愛さがあるだけだ。

 私は幼稚園からの一貫校に通っているが、ここに通っている理由というのが制服に薄い清楚なピンクのリボンがあるから、というもの。本当、家の桜至上主義には怒り通り越して呆れてしまう。

 きっと将来もこの家の言いなりになって、嫁としての教育をされ、適当な男性と結ばれて、子どもを産まされ、夫と子に無償の愛を振りまき、更には両親の世話までこなす人生になるだろう。

 適当な男性と結ばれることに悪い気はしないものの、少しくらい選ばせてほしいという気持ちがある。恋だってしたいし、良家のお坊ちゃんではなく、普通に中流家庭で育った明るい男の子に憧れているのだ。

 それか、何か、何処か付いて行きたくなる様な男の子。不思議な感じがして、一緒に居ると癒される……。 

「はあ……」

 こんな叶いもしないことを妄想してしまうのが最近の癖だ。辛くて悲しくてたまらないと、すぐこんなことを考えてしまう。辛いし情けないけど、仕方がないのだ。心の中にしか、逃げ道はないのだから。

 勉強をしようとするものの、何故か手につかない。頭から、さっきの少年……桜羽のことが離れないのだ。桜羽のその優し気な笑顔が愛おしくて、切なくて。思い浮かべるだけで泣いてしまいそう。

 逢いたいという気持ちが私を刺激する。でも、許されない。

 ここまで切ない気持ちになったことがなかった。切ない、でもただただ幸せでたまらなかった。

「……」

 部屋には冷たい沈黙だけが満たされている筈なのに、私の心はただただ熱くて。息ができないくらい切なくて、でも幸せで。

 この感情が何なのか、解明したくてたまらない。

『どけよ、この陰キャ!』

「……! 夢か……」

 最近、悪夢を見ることが多い。

 というか、現実でひどいことを散々されているのだから、当たり前と言えば当たり前なのだけれど。

 いい夢はすぐ忘れるのに、悪い夢は何度も思い出してしまうのだ。

 気が付けばもう窓の外には柔らかくて優しい朝日が輝いていて、小鳥もさえずっている。

 ピンクの部屋着から制服に着替えてリビングに行く。

「おはようございます。お父様、お母様」

「おはよう。舞桜」

「舞桜、おはよう」

 両親に挨拶を交わして、私は机の上のフレンチトーストとミルクコーヒーを味わう。甘くて、とても美味しい。口の中でとろけてゆく。

 顔を洗い、化粧水をつけ、歯を磨き、髪をとかす。

「行って参ります」

「いってらっしゃい」

 起きてから家を出るまでは、本当にあっという間だ。両親とは必要最低限の会話しかしない。起きたら朝食を食べ、身だしなみを整えるだけだ。

 桜並木に差し掛かるから、また目を瞑った。すると、またあの甘い香が周囲に漂ってくる。

「おはよ。舞桜ちゃん」

「あ、桜羽。おはよう」

 今日もその桜並木に彼はいた。彼はやっぱりその優し気な目を細めて、私をじっと見つめている。

 桜羽といるときだけ、桜並木が怖くないから不思議だ。

「桜羽、学校は行かないの?」

 今の時間は八時。一番近くの中学校に通っていたとしても、もう出なくては間に合わない。

 すると桜羽は腕を組んで、少し考え込む。

「……僕、温室育ちなんだ。『外の子に会うのは許しません』って。だからこの桜並木からも出られないんだ。だから今舞桜ちゃんとお話しているのも、こっそり。ところで舞桜ちゃんは時間大丈夫?」

 私を心配してくる桜羽。私は腕時計を確認した。八時十分。学校には十五分にはついていないといけない。

「ヤバい! 遅刻しちゃう!」

 私は一目散に駆けだした。桜羽は急いでいることにも関係なく、穏やかな瞳で「いってらっしゃい」と見送ってくれた。

 何とか間に合い、安堵のため息を吐き出した。今日も頑張るとするか。すると——。

「おい、陰キャ!」

 背後から声が聞こえたかと思うと、そこにはクラス一のいじめっ子、百目鬼(どうめき)実樹理(みきり)が立っていた。爪がとても鋭くて、木くらいは簡単に切り倒してしまいそうだ。

「お前、桜だろ? 桜は害虫に害されて終わりなんだよ」

「み、実樹理!? やめて!?」

 鋭いその爪で私の顔が傷つけられていく。痛い、苦しい……。

 顔に血が滲んできたその時。

「そこの中等部一年! 何をしているの?!」

 声が聞こえてきたと思うと、高等部の先輩が二人立っていた。一人は大人っぽいかき上げロングヘアに、もう一人は緩い三つ編みの可愛らしい印象の先輩だった。

「ああ? なんだよてめぇら」

 高等部の先輩だということもお構いなしに歯向かう実樹理。

「私は風紀委員長、梅月美梅」

「同じく風紀副委員長、桃北胡桃! いじめは許さないわ! 名前とクラスを言いなさい!」

 先輩、それも風紀委員が来てくれたからもう助かった! やった! 

 そう思ったのもつかの間。 二人同時に胸倉をつかまれてしまう。

「は、放しなさい!」

「ああ? 生意気な口利いといて何言ってんだよ」

 そういって 二人を頭から地面に叩きつけて、意識を失わせてしまう。

 ああ神様。非人道的で残虐な私をお許しください。

 実樹理の注意が風紀委員の二人に向いているから、私は見向きもせずに走った。先輩を犠牲に、私だけが助かるだなんて……。


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