七
部屋で聞こえるのは、ヴォルフとカリンが食事をする音と、使用人が動く音だけ。
王宮の食事は当然だが、とても美味しい。
スパイスが苦手なカリンにとっては自国の食事よりも口にあっていた。
一皿一皿美味しく頂き、カリンのお腹の空きがほとんど無くなった頃、ようやくデザートが運ばれてきた。
海に見立てたカスタードクリームの上に、島に見立てたメレンゲがのった可愛らしいデザート。
スプーンで一口掬い、舌にのせるとシュワっととろけるメレンゲに、舌に絡みつく淡い甘さのカスタードクリームは濃厚な卵のコクを感じる。
『美味しい・・・っ!』
青い瞳がちらりとカリンへ向く。
少し考える素振りを見せたあと、ヴォルフは口を開く。
「・・・シャープクックの卵のイルフロッタントです。お口に合いましたか?」
カリンは穏やかに微笑んで頷く。
『えぇ、初めて食べました。今朝、ヴァプール王国出身の使用人がシャープクックの卵がとても美味しいと言っていました。こんなに美味しいんですね。』
それはよかった。とヴォルフは自身のイルフロッタントを口に運ぶ。
心做しか食事を始めた時よりも表情が柔らかくなったと感じるのは勘違いだろうか。
甘い物がお好きなのかしら?
それならば今のうちに、とカリンは先程から気になっていた事を伝えてみることにした。
『ヴォルフ様、差し支えなければ私に敬語を使うのはお辞め下さい。』
ヴォルフはじっとカリンを見てすぐに逸らす。そして、分かった。と一言だけ言った。
意外と伝えてみるものかもしれない、とカリンは一人心の中で頷いた。
丸い硝子のような透明な球の中には白い靄が漂っていた。それを、真っ白なドレスを着たカリンと同じく真っ白なタキシードを着たヴォルフが向かい合って囲んでいた。
教会の中には二人の他に誰もいない。
婚約の儀を始めるのだ。
「婚約の儀の前に、伝えておかなければいけないことがある。」
ヴォルフが口を開く。
彼の青い瞳は自分を見ているようで全く見ていない。
『なんでしょうか?』
また婚約破棄とかだとちょっと困るなぁ。
そうなったらうちの別荘にでも引きこもろうか。
元々私はダラダラするのが好きなのだ。
そんなことを思っていると、ヴォルフはすらすらと話し始めた。
「お前を娶ったのは跡継ぎを産むためであり、お前を愛することは無い。俺が求めることは健康な跡継ぎを産むことと、極力俺に関わらずに南の離宮で大人しくしていることのみだ。」
なんだ、そんなこと。
カリンはにっこりと微笑んで頷いた。
『かしこまりました。』
ヴォルフは思いの外あっさりとしたカリンの回答に少々面食らったが、態度には出さなかった。
もう少し渋るか、泣き出すか、婚約をカリンの方から破棄してくれるかもしれないと期待もした。
しかし予想に反してカリンは冷静だった。
これは思わぬ拾い物かもしれない。ヴォルフは素直にそう思った。
自分に媚びる素振りもなければ、悲劇のヒロインさながら泣きわめくわけでもない。
自分に酷い言葉を言われても、取り乱すことなく静かに頷く。
態度に関しても申し分ない。
使用人に冷たい態度をとるわけでもなく、寧ろその逆だ。誰よりも丁寧に使用人を扱っている。
容姿も整っているし、さすが公爵令嬢だ。マナーも良いし、教養もある。相槌も丁寧で、必要以上に話しかけてくることは無い。
元々自国の王室に嫁ぐ予定だったと聞く。王宮教育もされているのだろう。
婚約者を作ることで、女避けの口実にもなるし、夜会などでのいつ結婚するんだ、ぜひうちの娘をというお決まりのセリフを聞くことも無い。
そう考えると、この話を持ってきた父上に少しは感謝してもいいのかもしれない。
そんなことを考えながら、婚姻の儀を行う。
どういう仕組みかは分からないが、二人が球に触れると、白い靄が中心に集まり、淡い光を放つ。
ぼんやりと手に温もりが伝わり、光が消えるまで待つ。
これで婚約の儀は終了だ。
大切にされている割には呆気ないものだ。