四
現在の時刻は三時である。いつもならこの時間に起きてしまってももう一度寝るだろう。しかし今日は更にこの二時間前には起きて身支度を整えていた。
睡眠不足の顔は見せられないので、いつもより数時間早く就寝したのが良かったのだろう。目も晴れておらず、頭もスッキリしていた。
家族との別れの挨拶もそこそこに、ヴァプール王国との国境がにある通門に向かって馬車を進める。
通門までは三時間程、ヴァプール王国に入ってから王宮までは一時間程だ。
私の乗る馬車には護衛兼使用人の家の者が一緒に乗り込んでいる。馬車の前後には四人ずつ護衛を乗せた馬車が走っている。その他に腕の立つ御者が三人。
そんなに護衛はいらないと言ったのだが、お父様は頑として譲らなかった。万が一があるかもしれない、と。
更にはお兄様方までお父様側について、八つの紅い目に睨まれたので諦めた。
この馬車に乗っているのは、公爵家唯一の獣人族出身の女の使用人だった。彼女は茶色のうさぎの耳が愛らしい、十七歳になったばかりの自分より五つ年上なのにも関わらず、そばかすが彼女を幼く見せている。
なぜ女性の使用人にしたかというと、嫁入り前の女を男と二人きりになることは好まれないからだ。
好まれないだけであって、婚約の儀までは、清い身で無ければならないという明確な決まりは無い。しかし、婚約の儀から婚姻の儀までの間は特に婚約者以外の男性と二人きりというのはご法度だ。
婚約の儀から婚姻の儀までは半年開けなければならない。
その理由は諸説あるが、一時の感情の昂りだけで結婚を決めてしまうと、その後苦労することになると信じられているからだ。これはその通りだと思う。冷静になる時間が必要だと多くの人が言う。
半年を経てそれでも双方の意思が変わらなければ婚姻の儀を執り行うのだ。
さらに、半年の期間をあけることで、婚姻の儀以降に身篭った子どもは完全にパートナーの子どもであるということの証明にもなる。
この二つの理由が大きいだろう。
『ねぇ、ミズキはヴァプール王国の出身なのよね?』
耳を大きく広げて周囲の音を聞き取っていたミズキに話しかける。
「はい。五歳まで住んでいましたが、両親が離縁し、人間の母と共に一年間セントタウンで過ごしました。それから母と共に前フォーサイス公爵にお仕えするために母の故郷でもあるトアイトン王国へと戻りました。」
『ヴァプール王国は貴女の目から見てどんな国だったの?』
ミズキは少し考える素振りをみせ、そして懐かしそうに喋り出す。
「そうですね・・・。冬はとても厳しくて、夏は涼しいです。私のように獣人の血を引く者は寒さに強く、暑さに弱い者が多いので特に不便は感じてなかったですけど、人間である母はとても寒がっていて、冬場は外に出たがらなかったのを覚えています。お嬢様も気を付けてくださいね。」
『冬物のコート、もっと分厚いものにした方が良かったかしら?』
「そうかもしれませんね。」
二人でクスクスと笑い合う。
「あと、ヴァプール王国の思い出は____」
よく討伐された魔物が見られること。それが死んでいるとわかっていても怖くてたまらなかったこと。
ヴァプール王国の料理は五感が麻痺するので、スパイスなどが一切使われないこと。
新鮮な魔物が多いので、素材の味はいいが、人間のように沢山の料理の種類がある訳ではなく、単調な料理ばかりでそれで育っていない人は少し飽きること。
獣人は人間よりも怪我や病気の治りが早いので、自分の身体に無頓着なものが多いこと。
平均的に男女ともに身長が高いので怖く見えるが、仲間意識が強いので、一度仲間と認められれば、その後は相当なことをしない限りよく助けてくれる者が多いこと。
ヴァプール王国にのみ生息する、アマオと言う果実がとても美味しくて今も忘れられないこと。
シャープクックという鳥の卵がとても美味しいこと。
ヌマガニや、ヌマワニなど、ヌマとつくものは大体高級食材だが、ヴァプール王国では沢山生息しているので安く手に入る。とか、後半は食べ物の話ばかりだったか、楽しい時間を過ごせた。三時間はあっという間にすぎ、通門についた。
通門には何人かの獣人族がいて、馬車が止まると近づいてきた。
多くが背の高い女性だ。
「カリン・フォーサイス公爵令嬢様の馬車ですか?」
獣人族の女性達の中で、一際体の締まった女性が声をかけてくる。
恐らく彼女がリーダーなのだろう。
「はい。私は従者のミズキです。」
先にミズキが降り、周りの安全が確認できてからミズキの手を借りて降りる。
「私はリョウです。第二王太子妃候補様も気軽にリョウとお呼びください。
それでは予定通り、ここからは私達が責任をもって我が国の第二王太子妃候補様をお送り致します。」
「よろしくお願いします。__お嬢様、行ってらっしゃいませ。私はいつもお嬢様の幸せを願っておりますので。」
深く頭を下げるミズキの肩に手を置く。
『ありがとうミズキ。家の皆によろしくね。__カリン・フォーサイスです。何分初めての事ばかりで道中御迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いします。』
軽く頭を下げると、慌てて話しかけられる。
「私たちは敬語を使われるような身分ではありませんので、どうか楽になさってください。
王様の強い要望で女しかおりませんが、皆普段は魔物の討伐や王家の護衛をしている腕良い者達です。安心してください。」
後ろで八人の女性達が頷いている。
「第二王太子妃候補様は私が御一緒させていただきます。他の者たちは馬に乗って周りを囲みながら護衛しますので、お先にお乗り下さい。」
四人乗り馬車に、斜めに向かい合って座る。
リョウが周りに出発の合図をかけると馬車が揺れ始める。
「第二王太子妃候補様。」
『よろしくお願いします。差し支えなければ、私の事は第二王太子妃候補ではなく、下の名前で呼んでいただけると嬉しいです。』
トアイトン王国でもそう呼ばれていたのでなんだか落ち着かない。
そう言うと、リョウは微かに驚きを見せる。
「私のような身分のものが名前で呼んでも良いのですか?」
それが普通なのではないだろうか。
『勉強不足ですみません。ヴァプール王国では名前で呼ぶことになにか意味があるのですか?』
リョウはそういう事か、と頷く。
「はい。身分が上の方が下の者に、名字ではなく下の名前で呼ぶことを許すのは、その者を信頼した、親しくなることを許可する、等の意味を持ちます。ですので・・・」
『そうなんですか。それでは尚のこと名前で呼んでください。私はリョウを信頼していますし、道中の命を預けていますから。それに、ヴァプール王国に来て、初めて私が話した方ですから。』
「それは、王様からの命令ですので・・・。分かりました。よろしくお願いします、カリン様。」
ふい、と横を向いたリョウの頬は微かに赤く染まっていた。