二
「カリンお嬢様__旦那様がお呼びです。坊っちゃま方もお揃いですのでお早めにご挨拶に、と。」
すっと差し出された手を軽くとり馬車から降りる。耳の早いお父様のことだ。きっと先程の件だろう。
『わかったわ。着替えて直ぐに行くと伝えてちょうだい。』
学園と同じくらい大きな公爵邸では、急いだとしてもそれなりに時間がかかってしまうのだが、お父様もそこは理解してくれるだろう。
急ぎつつも、どんな時でも美しい姿勢は崩さない。その癖も王家に嫁ぐ教育の賜物だった。二歳から始められたその教育も、もう無駄になってしまったが。
ようやく自室に戻ると、控えていたメイド三人が着替えの手伝いをし、髪を整える。
全てが完了すると、傍に控えるメイド達に礼を言う。
『ありがとう。お父様の書斎で良いのかしら?』
「はい。そう仰っておられました。」
『わかったわ。__それと、きっと私は直ぐに国外へ行くことになると思うの。そのための用意を進めておいてくれるかしら?』
「お嬢様・・・。」
メイドの一人が恐る恐る口を開く。
『なにかしら?』
いや、言いたいだろうことも、聞きたいだろうこともわかっている。わかっているけどわかっていない振りをするのだ。
その空気を言わずとも察したメイドは口を閉じてすっと控える。うちのメイドはなんて優秀なのだろう。
「・・・いえ、かしこまりました。」
ふわりと微笑んで、よろしくね。と声をかけるとメイドは顔をくしゃりと歪めて頷いた。
メイド達はもう私の処分を聞かされているのだろう。
きっと、私はもうこの国にはいられない。
王家の発言とは、それだけの重さがある。
幸い、うちには二十六歳のアラン兄様と、十八歳のケイト兄様、そして、第一王子と婚姻の儀を済ませたダリア姉様がいる。私一人が居なくたって家は成り立つし、ダリア姉様のおかげで王家との関係は途切れない。
果たして私は、どの国に飛ばされるのだろうか。
五角形の大陸ペンタゴンを綺麗に五等分したうちの北東の一角が、我が国トアイトン王国である。
国民のほとんどが人間で、他国のように大きな特徴がある訳では無いが、比較的安定した国だ。やや偏見と差別が多く、貧富の差もないわけではないが、一番下の平民でもその多くがそれなりの暮らしを送れているほどには裕福な国である。
トアイトン王国の隣国、大陸ペンタゴンの南東に位置するウスタイン王国は職人気質な者が多いドワーフの国だ。人間の子ども程の身長だが、その身体はがっしりとしていて逞しい。その性格と身体を活かして、ものづくりが盛んな国であり、今やこの大陸でほ、大きなものから小さなものまでウスタイン王国製のものが主流である。
ウスタイン王国の隣国は、南西に位置するルトナーク王国である。ルトナーク王国はエルフが多くを占める国だ。エルフは大体スラリとした体に端正な顔、人間よりも少し尖った耳をしている。見た目と声だけでは、男女の区別が難しい種族でもある。
大陸ペンタゴンに住む他の種族との大きな違いは、魔法が使える、という点である。魔法の扱いに長けており他国では直せない怪我なども治癒魔法が得意な者にかかれば、綺麗に治すことが出来るので命に関わる大きな怪我などは、エルフの元まで耐えられるかどうかが生死を分けると言われている。
ルトナーク王国にはトアイトン王国以外に隣国が無く、大陸ペンタゴンの北西には他国と同じだけの面積に広大な森が広がっている。
その森を綺麗に妖精の森と魔物の森が分けている。なぜ中心を取ったように綺麗に境目が出来ているのかは未だ分かってない。エルフの国ルトナーク王国側には妖精の森が、そして大陸ペンタゴンのもうひとつの国、北側の一角にある獣人の国ヴァプール王国側には魔物の森が広がっている。
魔物は妖精の森との境目にはなぜか近寄らない。だが、反対のヴァプール王国には頻繁に魔物が出るのだ。だからこの北側の一角には高い身体能力を持ち、戦闘に長けた獣人族にしか住むことが出来なかったのである。
獣人は完全に獣の形をとることはなく、外見は耳と尾以外は人間と大差ない。人間の耳の代わりに獣の耳がついているのだ。聴力などの五感が優れていて、人間よりやや背が高いものが多く、身体は頑丈にできている。それぞれの獣の特性が強く体に現れる。例えば、猫科の獣人は水が苦手な者が多く、身体が柔らかくしなやかである。
獣人は総じて五感に優れ、身体能力は桁違いなのだ。群れの意識も強いため、ヴァプール王国の軍事力は凄まじい。この強さがこの国の平和を保ってると言っても過言ではない。
我が国トアイトン王国、ドワーフの国ウスタイン王国、エルフの国ルトナーク王国、妖精の森と魔物の森、そして獣人の国ヴァプール王国。この五つの区画の中心には、どこの国にも属さないセントタウンという街が存在する。
どこの国にも属さず、どこの国からも自由に行き来ができる。他国と貿易をするのも、他国のものが欲しい時も、このセントタウンに行くのが今や一般常識である。
他国に行く時には、まずはセントタウンへ行き、れぞれの領地への通門で身分を証明し、入国許可証を得てから入国をする。領地が接している場合はそこの通門を使うことも可能だ。
妖精の森・魔物の森はそれぞれエルフの国ルトナーク王国と獣人の国ヴァプール王国が管理しており、入りたい場合はそれぞれの国を通して行かなければならない。
海には魚人族という種族が存在しているが、言語も文化も大きく違うため、大陸ペンタゴンとの交流は盛んではない。その姿を見ることも子爵以上の身分ならあるだろうが、男爵や平民が見ることは一生に一度あるかないかくらいだろう。魚人族は下半身が魚であったり、蛸の足であったり、貝に入って移動したりと、それぞれの魚介類の特性が見られる。
『お父様、カリンです。本日の出来事の報告にまいりました。』
大きな扉の前で、中に聞こえる程度の声を出す。直ぐにお父様の声が聞こえ、それと共に、中の使用人が扉を開ける。
「入室を許可する。」
『失礼します。』
真向かいには真剣な表情でこちらを見ているお父様。左側のソファにアラン兄様、ケイト兄様、ダリア姉様、そしてダリア姉様の隣には第一王子のユーゴ・ベネット様が座っている。
ダリア姉様の目が、心配気に私を見ていた。
「まずは挨拶をしなさい。」
『はい。』
まずはこの中で一番身分の高い第一王子のユーゴ様とその妻であるダリア姉様にむかってドレスのスカートを持ち上げる。
『ユーゴ王子様、ダリア妃様、この度は私の至らなさから、御足労頂き誠に申し訳ございません。』
「いいんだよカリン。悪いのは君じゃない。うちの愚弟が迷惑をかけたね、僕からもお詫びさせてくれ。すまなかった。」
自分のことのように辛そうな表情をするユーゴ様の隣で、ダリア姉様が頷いている。
『お心遣い深く痛み入ります。』
ユーゴ様は更にその端正な顔を歪めた。
「・・・カリン。前にも言ったけれど、僕は君の兄でもあるんだ。そんな他人行儀はやめてくれ。」
「そうよカリン。私だって王族の一員にはなったけど、貴女と血を分けた姉妹だってこと、忘れないで?」
ダリア姉様の瞳が濡れている。
『私には、勿体ないお言葉です。』
続けてアラン兄様とケイト兄様にも礼をする。二人ともあぁ。と素っ気ない返事だったが、その顔はたった一人の妹を心配する兄の顔だった。
「さて・・・挨拶はそのくらいにして、本題に入ろう。カリン、報告をしてくれ。」
大方知っているだろうお父様に、形式ばかりの報告をする。
『はい。本日をもって、第二王子セージ・ベネット様より婚約破棄宣言がありました。自分は運命の人と出会ったので、との事でした。
セージ様が、王様の許可は後でとると仰られたので私も婚約破棄に同意を示し、帰宅しました。』
お父様は軽く頷く。
「こちらの情報と大差ない。ユーゴ王子、この婚約破棄について王室ではどうなっているかお教え願う。」
「この度の愚弟の婚約破棄については特に報告は上がっていなかった。本人の意思で決定されたものであり、王家全体の意思ではないと理解して欲しい。こちらとしては婚約継続、また、婚約の儀と共に婚姻の儀をして欲しいと考えているが、破棄の場が悪く・・・。今回のことは王家の代表として、そして・・・あんなのでもあいつは僕の弟ですから、あいつの兄としても、あなた達に謝らせて欲しい。__本当に、申し訳ないことをした。」
ユーゴ様が立ち上がり、深く頭を下げた。隣のダリア姉様も同様に頭を下げている。王家の一員として、王子の妻として、義理の姉として。
「顔をお上げください。今回のことは誰も予測出来なかった。兎に角、明日予定されていた婚姻の儀は取りやめとし、この場を持って第二王子セージ・ベネットと公爵家次女カリン・フォーサイスの婚約破棄を認めることとする。__異論はないな。」
『はい、お父様。』
「カリン。お前の処遇についてだが、先程先方より魔導電話があった。」
すっと背筋が伸びた。
魔導電話とは、エルフとドワーフの共同開発により誕生した離れた者との会話を可能にする道具だ。とても高価なもので、貴族以外は購入することが難しい代物で、世間ではあまり一般的な連絡方法ではない。どの国でも多くは手紙が用いられる。
「ヴァプール王国の国王より、お前を第二王子ヴォルフ・ガルシア様の元へと嫁がせたいとのことだ。どうだ?」
ヴァプール王国の第二王子は、先日二十歳の誕生日を迎えたばかりで未だ未婚、婚約者もいないと聞く。
てっきり他国の、公爵家の側室にでもなるかと思っていた。それがまさかの王家とは。
元々どこのお家からでも縁談を受けようと思っていた。
『謹んでお受けいたします。』
お父様の目が少し揺らぐのがわかった。それに、お兄様方が息を飲んだのも鮮明に感じ取れた。
「カリン。嫌ならば断っても良いのだぞ?」
一家の主としての顔から、娘を愛する父親の顔が垣間見える。
『何故ですか?ヴァプール王国と我がトアイトン王国との国交の架け橋の一員となれることは幸せです。さらに、他国の王家との繋がりが出来れば、家としても更に力がつきます。それに、獣人族の方々がとても乱暴だと言うのはただの昔の噂ですわ。』
少しの沈黙が流れる。
「・・・わかった。先方より提示された婚約の儀は一週間後。その後お前のための歓迎の儀を執り行って頂けるそうだ。婚姻の儀はその半年後に行われるだろう。」
『はい。楽しみにしていますとお伝えください。』
「相分かった。」
お父様が頷いて魔導電話を持ってくるように使用人に言う。
『それでは失礼します。』
「あぁ。」
お父様の許可を得てから、扉を開ける使用人に礼を言い書斎を出る。
この国の者の多くは獣人族にあまりいいイメージを持っていない。その理由は諸説あるが、偏に乱暴だと皆口を揃える。だが、カリンはそうは思っていなかった。彼らのお陰で私達は魔物に怯えずに暮らせているのだ。感謝することはあっても偏見を持つことは無い。
一週間後までに獣人族の歴史や文化について知識を深めようと、自室に向いていた足を屋敷の図書室へと向ける。