九
ドラゴンの炎に包まれた時、妙な懐かしさを覚えた。しかし、それと同時に頭が酷く痛んだ。
割れるような痛みに意識が飛びそうになる。
朦朧とする意識の中、カリンの頭にはやけに鮮明な映像がパラパラと流れていた。
『アセスメント・・・カンファレンス・・・記録・・・課題・・・。今日も睡眠時間二時間か・・・。』
『林さんこんにちは〜。良く寝られましたか?』
「昨日は寝苦しくて、六時間くらいしか寝られなかったのよ。」
『最近夜も暑いですもんね。寝る時に氷枕とか当ててみますか?』
(私は今週五日間のトータル睡眠時間が六時間・・・。)
『お母さん!国試!受かってたぁ!』
「本当に?おめでとう!お父さんに電話しなくちゃ!」
『看護師四年目の萌葱花梨です。
前職は470床の総合病院で、NICUに勤務していました。
救命救急で働くのは初めてなので、最初は手間取ってしまうかもしれませんが、業務に早く慣れるよう頑張ります!よろしくお願いします!』
パラパラと流れていた映像が、一際はっきりと見え始めた。
『大丈夫。大丈夫。もうすぐ助けが来るから。』
泣き叫ぶ小さな女の子と、自分に言い聞かせるように女の子を抱きしめる若い女性。
崩れ落ちてくるトンネルの瓦礫。燃え上がる車達。壊れたトランシーバーからはノイズしか聞こえない。
呼吸をする度に焼けそうになる喉。サウナなんて比じゃない熱気に包まれながら女性は涙を一筋流した。ガソリンの臭いまで感じる。
これは記憶だ。
私の、記憶。
萌葱花梨として生きた私の記憶。
そうか・・・。
小さな頃から感じていた違和感。
ふと感じる自分が自分ではないという恐怖。
その正体が今わかった。
萌葱花梨としての記憶を全てを思い出した。
平成の時代、日本という国で産まれ、看護師として生きた。その二十八年を。
そして、災害派遣の最中に起きた火事で、小さな女の子と共に死んだあの日のことも。
驚く程鮮明に。詳細に。
「カリン!」
カリンの目からはあの日の花梨と同じく一筋の涙が流れ、滑らかな頬を滑った。
名前を呼ぶ方に顔を向けるとヴォルフがなんとも言えない顔でこちらを見ていた。少し怒っているようにも見える。
自分を呼んだのは王様だった。
国民は遠巻きに下がらせ、近くにいるのは王様とヴォルフだけ。他の王家の人々は護衛に囲まれていた。
腕の中には大きな泣き声を上げるドルフォ。
『良かった・・・。』
しかし、ドルフォの泣き声は更にヒートアップする。
これは、恐怖で泣いているのではない。何かがおかしい。
さっとドルフォを体から離し、その身体に目を走らせる。
『っ!?』
右腕が赤く爛れ、酷い火傷になっている。
服なんかはボロボロに焼け焦げ、痛々しい火傷には血が滲んでいる。
急いで周りを見渡して、走る。
『ドルフォ様、少しの辛抱ですから!』
大広間の大きな噴水に自分の腕をつける。
『良かった・・・。』
大丈夫。充分冷たい。
静かに揺れる水面に、その小さな腕をつけて冷やす。
「おい!何をしているんだ!説明してくれ!大丈夫なのか?」
後ろから追いかけてきたヴォルフが早口で捲したてる。王様はじっとこちらを見つめている。
『ドルフォ様は見てわかるように、酷い火傷を負われています。
火傷自体は正しい処置をして、痛みが引けばあとは大したことはありませんが、放置すると感染症などを引き起こします。特に、ドルフォ様はまだ幼いので・・・最悪の場合は、ヴォルフ様にも容易に想像できますでしょう?』
とどのつまり、死だ。
高熱に苦しみ、死に至ることはこの国では珍しくない。日本のような先進国であればなんてことは無いが、この大陸ペンタゴン全体は発展途上国以下の医療知識しかない。
菌やウイルスという概念すらない。
大陸ペンタゴンでは、命に関わる程の大きな怪我をするとセントタウンに住むエルフに治して貰いに行く。だが、治療費はけして安くはない。
大量の魔力を消費するからだ。
故に、骨折や切り傷、火傷程度ならそれ自体では命に関わることは少ないので殆ど放置だ。
特に獣人族は自然治癒力が高いので、怪我を放置することが多い。だから、感染症による致死率も他国より高いのだ。
花梨の記憶がとカリンの記憶の両方がある今、この世界の医療の状況は劣悪であることがわかる。
とりあえず、今はドルフォ様だ。
幸い、ドルフォ様は元気に泣いているので意識はある。
『ヴォルフ様、差し支えなければ腰の短剣でドルフォ様の衣服を切ってはくれませんか?』
あ、あぁ。と指示したように衣服を裂いてくれたヴォルフに礼を言う。
『ドルフォ様。痛いですね。でも、もう大丈夫ですよ。怖いものからは私が守ります。』
"大丈夫よ。花梨の怖いものからはぜーんぶ、お母さんが守ってあげるからね。"
頭の中で優しい声が響く。
大丈夫。大丈夫。と背中を撫でると泣きすぎて枯れかけていた声が小さくなり、やがて時折しゃくり上げるだけとなった。
大広間にいる全員が、それを固唾を呑んでみつめていた。
『ドルフォ様の腕を、とりあえずこのまま十分ほど冷やします。その間に用意して頂きたいものがあるのですが・・・。』
王様の顔色を窺ってみる。
「聞こう。」
良かった・・・!
火傷の治療に必要なのは・・・。
『包帯と、あと・・・。』
えーっと、そもそもこの国に医療用のワセリンとかがあるとは思えないし・・・。
代用できそうなものは・・・馬の油か、熊の油か、熊・・・。あっ!
『アウルベアーの油って、ありますか?』
アウルベアーは、梟によく似た大きな嘴と翼を持った持った熊のような魔獣だ。
魔物の森で討伐をしているこの国にならあるかもしれない。
自分の記憶の中にある、熊の味とアウルベアーの味は良く似ていた。多分大丈夫だろう。
「アウルベアーの油?なぜそんなものを!っ・・・。」
こちらを睨みつけ、噛み付くように話し出すヴォルフを王様が制す。
「それは、信用出来る治療法なのか?」
王様の青い瞳に、不安そうに顔色を伺う私が映っている。
・・・だめだ!
こんなんじゃだめ。不安そうな看護師にだれがやってもらいたいと思う?そんなの、患者も不安になる・・・!
王様を、強い意志を持って見つめる。
『火傷は乾燥を防ぐことが一番大事なのです。信じて、頂けないでしょうか?』
王様がの首が、大きく縦に動いた。