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【第一幕】群れを外れた羊は丘を登らない-Rough Landing ,Hollyhock-

この街はずっと夕暮れで、時間というものが無い。

 だから、時計なんて必要ないし、何かに急ぐ必要も無い。

 朝も夜も来ないし、雨も曇りもない。

 けど、腹は減るし眠くもなる。

 お湯も火にかけてしばらく経たないと出来ないし、風呂に入らなければ垢も溜まる。髪だって伸びる。

 要は、僕らだけには時間が流れていて、この街には流れていないのだ。

 実に不可思議な話だろう。

 しかし、それよりも不可思議なのは、この街に居るとそんな事もどうでもよくなっていくところだ。

 いつからここに居るのか。

 何故ここに居るのか。

 他に誰か居ないのか。

 もし仮に、それらの答えを見つけても、何か変わる訳でもないし、望んでいる結果になる訳でもない。

 元の、僕らがここに来た時の場所へ戻りたいのかと訊かれれば、寧ろここに居たいくらいと答えるだろうし、そもそも元の場所なんてあるのかすらも、よく分かってない。

 いや、きっとあるのだろうけど、存在はするのだろうけど、どんな場所だったか覚えてない。

 ――忘れてしまった。

 そう言った方がいいのだろう。

 この街で過ごす『僕らの時間』は、着実に何かを忘れさせてくれて、優しく包み込んでくれる。

 心地よくて、気持ち良くて、いつまでだって居たいと思える。

 終わりなんて無い。やがて、その時が来るまで、好きにさせてくれる。

 街を出る日。その日が来るまで、ずっと。

 

 ◇

 

「今日、公園に行ってみよう」


 寝起きの夢前は、いつもよりも反応が遅い。だから、僕がそう提案してから随分間があった。


「……いいよ、けど、何しにいくの」

「何となくな。まあ、学校帰りにも寄ろうぜ」

「んー」


 群青色のシーツからのろのろと体を這い出して、櫛で髪を整える。でも、言われなきゃ分からないくらいにしか乱れてない。

 寝方に秘訣でもあるのであろうか。


「はい。兵悟さんのお好きな場所に」


 欠伸を一つして、ようやく布団から出る。見れば、枕元に板チョコが置いてある。

 おそらく昨日のだろう。


「ああ、冷蔵庫に入れるの億劫で、昨日ベッドにおきっぱなしにしちゃったの。朝ごはんにすればいいしとか思って」


 冷蔵庫は小型の物を置いてあるが、電源の関係でベッドから少し離れたところにある。

 早く寝たい気持ちから、そう思わなくもないが、さすがに面倒くさがりだろう。

 見えるとこは綺麗にしてるくせに、よく分からん。


「じゃ、さっさと支度すませてくれよ」

「うん。分かったー」

「あ、着替えくらい手伝ってやってもいいぞ」

「それは分からない」


 ◇


 毎朝学校に行くのは、生活リズムを整え、時間を忘れない為だ。

 誰もいないし、時間も気にする必要もない。となると、ただ何もせずに漠然と時を過ごしてしまいがちだが、それはまずい。

 この街の夕暮れは、優しく暖かい。そして、時を忘れさせてくれる。

 つまるところ、時間を感じる事をしないと、感じ方を忘れ、次第に肥大化し、ここに居る事すら忘れてしまう危険性があるという事だ。

 僕はそうなった人間を知っている。

 その人はこちらの事なんて忘れてしまっていたけど、僕は覚えている。


「思い出はもう充分楽しんだ」と言って、最後はずっと夕暮れを眺めて、次の日に消えた。

 確か出会って、三日分の時間だったが、それなりに話をして仲良くなったのに、その日にはすっかり忘れてどこかに行ってしまった。

 それがどこなのか。行ったらどうなってしまうのか。

 僕らには分からない。

 ただ、その人は街に来たばかりの僕らに言ったのだ。

『時間を忘れたら、全部忘れていく。全部忘れたら、もうこの街には帰って来ないところに向かう』

 と。

 だから、僕は大事なものを忘れない為に学校に行っている。

 自分達の恐らく通っていたであろう学校に、何をするでもなく、夢前の隣の席に座り、時間割に従って放課後まで過ごしている。

 それが、今僕らに出来る事なのだ。


 ◇


「一限は、確か体育だよな。持久走でいいか?」


 三年二組の教室。夕暮れが差し込み、年中放課後みたいな雰囲気を感じながら、時間割表を眺める。

 なぜか止まっている時計代わりの、二十四時間で一トラック回る設定にしたストップウォッチには八時間五十分の文字で、黒板の曜日は木曜日と書いてある。毎回、僕らが手動で書き直してるものだ。

 つまり、今日は金曜日だ。

 小さくなったチョークで曜日を書き換えて、席に着く。約三十名程の座席の窓際、それが僕らの席。


「持久走は飽きたよー、卓球とかにしてよー」

「走るの嫌いなだけだろ。つうか、卓球は先週やった」

「あらー、そうでしたっけ」


わざとらしくとぼけられる。なんかリアクションが古くさい。


「諦めて走ろうぜ。大丈夫、今日は一緒に走ってやっから」

「そう言って置いてくのは定番。もう、ちゃんと労ってね」


溜息を吐きながら、スカートを降ろす夢前。下に体操着を着ている為、特にドキドキもない。

続けてブレザーとセーターとブラウスと、僕の前で平然と脱いでいく。

いつも思うけど、下に着ているからと言って、その平然さは女としてどうなのだろう。


「兵悟さんはわたしに何を求めてるのさ」


呆れ半分の瞳。別に変な目で見てる訳ではないのに何故だろう、この感じ。

怒られてるみたいだ。

僕も制服を脱いでいく。同じく下に着ているので、着替えが直ぐに終わる。

互いに体操着姿になった僕ら。こいつのは寝巻で見慣れているからか、部屋着みたいな印象。対する僕は、焼けてないサッカー部っていったところか。

……いや、サッカー部じゃないけど。

二人でチャイムの音と共に校庭へ向かい、軽く準備体操をする。

誰もいないグラウンド、誰もいない校舎、どこまでも続く夕暮れ、十六時三十一分で止まった時計……。日常のそれらを視界に入れながら、ラジオ体操でもしているかのように、無意識に覚えた順番の屈伸運動やストレッチをしていく。

丁度、目の前の体育準備室を見上げてみる。

体育館に繋がっているそこはなぜか鍵が掛かっていて入った事はない。入る必要もないのだが、そういう行けない場所を見かけると、人は気になってしまう。あそこはどうやったら入れるのだろう。漠然とそんな事を見る度に思う。


「にしても、ぱっつんは夕焼けに映えるな」


 隣に歩いてきた夢前は、夕焼けの逆光でちょっと色気があるように見える。

 丸顔でその前髪だったら、普通は幼さを感じるところなのだろうけど、光加減は随分印象が変わるものなのだ。

 いつもより大人っぽいのだ。


「え、映えるとかあるの?」

「なんかこう、いい感じなんだよ」


不意に目を逸らしてしまう。改まるのは幾分、苦手な性分。

つって。


「あー、いつもの褒めるの下手な兵悟さんシリーズかー。うんうん、ありがとうね」


 そして、僕の頬っぺたを人差し指で突きながら笑い掛けてくる夢前。

 自然と体も近い位置になって、ほのかな甘い香りが鼻をつく。

 おいやめろ、恥ずかしいだろうが。


「ねえ、なんでいつも素直じゃないの?」

「変なからかい方すんな。勘違いされるわ」

「誰にかな? わたしに?」


 調子に乗ってさらに身を乗り出して訊いて来やがる。ムカつくからデコピン一発。痛くない程度の可愛いヤツを。


「やー、暴力シリーズ禁止」

「全然暴力じゃないだろ。スキンシップ」

「もっと可愛げがほしいなー」

「ゆめちゃん」

「なにさ、ひょーごくん」


 華麗に昔の呼び方をスルーされ、跳ね返ってくる。本当、今日は弄ばれてる感すごい。

 一応慣れてるんだけどここまで来ると悪意を感じる。

 アレか? そんなに走るの嫌なのか?

 あり得そうな理由だ。


「じゃ、グラウンド五周な」


 ストップウォッチを片手に、よーいドンの合図を図る。学校にいるときは基本的にチャイムを一時間ごとに鳴らしてるから要らないんだけど、これが無いと落ち着かなくなってしまった。

 それにほら、ストップウォッチを首から下げて走るなんて陸上部っぽいし、かっこいいじゃん。


「そうかな。走りづらそう」


 茶々を入れるなよ。

 

 ◇

 

 汗を拭きながら教室に着くと、夢前が先に着替えるからとこもってしまった為、僕は隣の教室で外を見ていた。

 別に、着替えを持って来てこっちですりゃいいんだけど、なんとなくそれは味気ない。

 違う場所でさっさと着替えて、淡々と授業を受けて、機械的に時間割をこなす……だなんて、一緒にいるのになんてつまらないだろう。

 僕らだけの、『常識』とか『社会』とか関係のないやり取り。

 他人からしたら、要領悪くて非効率的な行動でも、それが心地いい。

 夢前がしたいように、僕がしたいように。

 自分がしたいように。

 それがこの街での『常識』で『社会』。


「兵悟さん、黄昏ているところすいませんが終わりましたよ」


 声のする方に目を向けると、セーターを羽織った夢前が隣の窓から顔を出していた。さっきの前髪は汗で乱れてたのにちゃんと直っている。


「ああ。じゃ、制汗剤貸してくれ。せっけんの」

「うん。机に置いとくね」


 告げて、教室に戻る。

 意味の無い着替え場所の交代だが、これも慣れてしまっていて、今更この僕らの流れを変える気も無い。


「次、音楽だし先行ってるよ」


 入れ替わり、音楽室に向かう夢前を尻目に机の上にある着替えを取る。隣には綺麗にたたまれた体操着が置いてあって、そこに制汗剤が乗っている。

 体操着を脱いで、体に直接制汗剤をぶっ掛ける。冷たさとくすぐったさが同時に襲い、せっけんの爽やか匂いが辺りを包む。

 しっかり汗を拭いておかないとかえって匂いが混じる為、持って来たタオルでくまなく拭く。

 一応こういうデオドラント的なのは気にしている。夢前は露骨に嫌がったりはしないだろうが、僕の気持ち的に良い気持ちというのはしない。

 ある種礼儀というか、マナーのようなものだ。

 守らないと守らないで、自分が落ち着かない。

 まあ、自己満足ってヤツだろう。


「……」


 隣にある夢前の体操着に目が行く。

 長い事ずっと一緒にいるけれど、あいつもまた、僕への礼儀やマナーのようなものを守って生きているのだろうか。その辺り、真面目に考えた事がない。

 そりゃ、ある程度は礼儀やマナーみたいなものは守ってるだろうけど、もっと個人的なそんなルールを。


「にしても、服屋の店員みたいなたたみ方だな」


 もしそれがあるとしたら、机の中も、ロッカーの中も、そんなあいつのルールは適用されているのだろうか。

 僕の見える範囲で、そうやって生きているだけなのだろうか。

 自由だし、あいつの勝手だ。

 ――けど。

 少し開いた夢前のバッグ。貸してくれたのと同じ制汗剤が雑把に何本か放り込んであるのが見えてしまう。

それ以上は考えるを辞めた。


「やば、チャイムだ」


 怒られる訳でもないのに、チャイムの音を機に手が早くなる。

 教科書と、筆箱を持って教室を急いで出て、廊下を一気に掛けて、階段を登る。

 何で焦ってるのか、自分でもよくわかってない。ただ、そうしなければいけないのが体の中に染み込んでいて、足を急がせている。

 音楽室の前に着く。防音扉を開けて、中に入った。


「はあ……」


 我ながら、馬鹿みたいだと思う。

 守る必要の無いルールに、マジなっているなんて、どうかしてる。

 けどさ。


「え、まだ体育やってたの? 別に走らなくてもよかったのに」

「……なんか」

「なんか?」


 もしそのルールも忘れたら、全部忘れてしまうと思うから。

「急がないといけない気がしてさ」

 こいつの事も、自分の事も。

 知らない間に、いつの間にか全て。


「なにそれ。意味わかんないよー」

「はは、意味わかんないな」


 それは嫌だ。


「あ、また汗かいちまった。臭かったらごめん」

「えー、エイトフォー貸した意味ないじゃん」


 だから、やっぱりこいつといる限りは、ルールに縛られてないとダメだ。

 もし僕の自己満足だろうが、なんだって。


「夢前って汗臭い男嫌い?」

「えー、そりゃねぇ」


 僕だけでも絶対、忘れないように。

 繋がっているように。


「でも、僕は嫌わないでな」

「んー何の話かな? ずっと好きだよ」


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