【第一幕】群れを外れた羊は丘を登らない-Rough Landing ,Hollyhock-
「僕って天才かもしれない」
ただの好奇心だったのだ。ただ、置きっぱなしのそいつを混ぜてみたら面白そうな気がした。それだけだったのだ。
「うん、兵悟さんこれはアリ。わたしは好き」
「惚れる?」
「ベタ惚れだね、結婚しようかな」
その味を噛み締めながら二人して頷く。
美味い。カツ丼のご飯に茹でダコ入れるむっちゃ美味い。
あそこの置き去りにされた食材の中、妙に目立っているパック入りのタコを気まぐれ半分ぶっこんでみただけなのに、ご飯にタコのダシが程よく効いて揚げたてのカツを絶妙な調和を見せたのだ。
タコ飯とカツってこんなに相性良かったったんだな。
「……なあ、タコって言えばさ、夢前、"怪人オクトパシ"って覚えてる?」
「どったのー、急に」
「アレだよ。"レッドマスク"に出てくる敵」
箸で半玉を崩しながら、昔好きだったそれを思い出す。
たぶん、まだ小学校の頃だ――僕はその話が大好きだった。
「んん………………ああ、紙芝居のやつかー。公園に毎日やりに来るんだよね」
「そうそう。しょっちゅう一緒に行ってたな」
それこそ、そんな時代から夢前とは仲が良くて、よく遊んでいた。
小学校の帰り、母親の井戸端会議を横目に見ながら、近所の公園にてその場に居た奴らと隠れんぼや、かけっこをしていた。
夢前もたまに加わっては、僕に「ひょーごくん、どったのー」なんて言ってたっけ。
……あれ、今も変わってなくね。
「あん時の夢前は可愛いかったのにな」
「嘘でしょ? 今の夢前も可愛い。に一票で、どっすか」
「死票」
「え。ひでーや、ひょーごくん」
……うわ。
今の呼び方はもう慣れたけど、昔のってなると変にむず痒い。僕が何と呼ぼうが夢前は気にしなさそうだけど、今のひょーごくんで実感した。普段と違う呼び方は、恥ずい。
呼ぶのも呼ばれるのも。
「ふふ。わたしの事、昔みたいに“ゆめちゃーん”って呼んでもいいんだよ」
しかし、こいつはこの余裕の笑みである。さすがは"ゆめちゃん"僕なんかと全然ちげぇや。
「ふふ……にしてもよく覚えてたね、紙芝居。わたし言われなきゃ忘れてたよ」
箸を置き、頬杖をして言う夢前。少し指を曲げた頬杖は、いつものスタイルだ。
「まあ、あの手の話は結構好きだったからな。特に"レッドマスク"はすげえ覚えてる」
「確か、将軍ナントカっていうのがラスボスなんだよね」
「"将軍ゴーゴン"な。"怪人オクトパシ"はその手下みたいなもんだよ。怪光線で何でも凍らせる」
「懐かしいー。ふふ、兵悟さん、本当に好きだったんだね」
前のめりに語る僕に、楽しそうに笑いかけてくるのが心地良くて、ついつい話し過ぎてしまう。同じ思い出が分かるからこそ、夢前との昔話は好きだ。きっとそれが、どんなにつまらない話だって。
しばし、紙芝居にどんな話があった盛り上がったところで、ふと、夢前が思い出したように言う。
「でもさ、どの話も最終回が来ないんだよね」
彼女にしては似合わなく、力なく笑って言葉を漏らす。開けられた一拍程の間が、なんだか長く感じられた。
「次の日になると、別の話になっててさ。昨日まで頑張ってた主人公もいなくなっててさ、『あれ?』ってなるんだけど、お話が始まればそんなのも忘れちゃってて――」
別に、重い空気になっているのではない。ただ、夢前がそんなふうに話すのに、僕は少し戸惑ったのか、言葉が出なかった。
明るくて、嫌な事があってもけろっとしている彼女に、『どう言葉を掛けたらいいのか分からない』とか『何をしてやればいいか分からない』という事なんて、今までなかった。
単純に、それだけの話で、それだけなのに、なぜか、何も言えない。
なんでだろう。夢前にこんな顔をされるのは――
「でさ、紙芝居のおじさんに訊いても結末は教えてくれないの。『ちゃんと最終回は来たよ』って言うってさ。おかしいよね、来てないのに……ねえ、覚えてる? あのおじさんの事」
空気を察してか、普段の調子で問いかけられる。僕は、「ああ」と頭を掻いてその紙芝居のおじさんを思い出してみる。
……しかし、どんな人だったのか覚えてない。すごく優しくしてくれた記憶はあるのだが。
よく飴とかも配ってたし。
「あの人、何者だったんだろうね。お母さん達も別に怪しんでなかったし、割と有名な人なのかな」
「……さあな。僕もそこまでは覚えてない。今じゃああいう人って見ないから、もう辞めちまってるかもしれないし」
そもそも紙芝居自体、もう廃れつつある文化だ。わざわざ見に行く子供もいないだろう。
あの時はスマホやパソコンは僕らの手に届かなかったし、わざわざテレビなんかみるよりも、単純に皆で公園で見る紙芝居の方が面白かった。
話はどうあれ、一緒にきゃーきゃー言い合えるのは楽しかったし、その後に物語に出てきたキャラになりきってごっこ遊びも出来た。
だから、紙芝居は人気だった。
次の日にならないと続きが分からないあのドキドキ感は、当時はマンガやアニメよりも凄まじかったのだ。
「ん、まあ続きはまた明日って事で、今日は終わりにしようぜ」
そうやって昔の事を思い出しつつ僕は空になった丼を持って席を立った。そろそろ眠たくなる時間だ。明日の学校に備えて寝てしまおう。
無論、ただ行くだけの話で、授業とかある訳じゃないが、習慣を怠るのは良くない。
夢前も僕を見て立ち上がる。流し台の水を張った桶に容器を入れ洗剤を垂らしておく。
「ごちそうさま」
「うん。おそまつさま」
それだけ言って、フードコートを出る。大した言葉も交わさず、淡々と歩いて寝床の家具屋のフロアに向かっていった。
途中、突き当りにあった晴着を着たマネキンが人に見えて、二人して声を上げる。全くの同タイミングで驚いたのだ。さすがに馬鹿馬鹿しくて笑い合う。それきっかけに、また普段の感じの適当な会話が繰り広げられる。
こうして今日も終わる。
この日常がまだ続いて欲しい。なんて、ありきたりなくだらない事を願う。
僕らはまだ、昔みたいに、ほんの子供だ。