【第一幕】群れを外れた羊は丘を登らない-Rough Landing ,Hollyhock-
首の後ろがチクチクする。かゆい。
早くスポーツパークのシャワーで流そうと、用意していたいつものスウェットと下着を脇に抱える。
このフロアから大体五分程度の位置にあるスポーツパークだが、そういえばスポーツ施設の方はあまり利用した事がない。
何せ、夢前はそこまで運動神経が良くない。すぐにバテて自爆する。
そもそも二人で出来るスポーツ自体も多くはない。あるのはバドミントンと卓球くらい。
遊戯室にあるビリヤードとかダーツとかの、運動神経の良し悪しが関係ないヤツの方がよっぽど盛り上がる。
この前なんか二十戦ぶっ通しでナインボールをやったくらい。最後の方は二人とも死んでたけど、かなり盛り上がった。
――この後遊んでいこうかな。
漠然とそんな事を考えながらスポーツパークに到着する。
広くて誰もいない空間。それに対峙している僕。
何か巨大な『寂しさ』のようなものを感じていると、もう一つの歩く音が後ろから近づいてくる。
「ねえ」
振り返った先、夢前がさっきと同じの学校指定のジャージ姿で近寄って来る。
そしてパークを見ながら、
「この後遊んで行かない?」
と。
なんか同じ事を考えてたなんて口にしづらくて、ぶっきらぼうになる。
「ああ、いいね」
わざとらしく誤魔化して、僕用のシャワールームの扉に手を掛ける。
ガタン、とドアが開いて二人して重なる「じゃ、あとで」。僕は中に入る。
狭くて湿り気を帯びた一人だけの世界。ずっと居たら滅入ってしまうだろう。
やはり一人だけというのはどんな場所でも嫌だ。
だから、僕は夢前といるのだろうか。
だから、夢前も僕といるのだろうか。
時々にこうやって、考えても仕方ない事を考えては自分達の『存在』というのを確かめようとする。
それは二人とも同じで、行動は違えど必ずそうしている。
例えば二人乗り。
例えばクレーンゲーム。
例えばおでん。
例えばヘアスタイル。
どこかで自分の『存在』となるモノを共有して、どこかでそれを実感し合って、僕らはここで生きているのだ。
悪い事でも、良い事でもない。本当、考えても仕方ない事。
僕らの当たり前の事。
服を脱ぐ。首筋についている髪の毛を落とし、その時一緒に何か落ちるのを見て気付いた。
涙。
きっと僕は、『今』を失うのが怖いのだ。
あいつは、どうなんだろう。
◇
「おお、いいぞわたし」
さっきあげたミルクティーを一口含んで、9番ボールに狙いを定める夢前。
手玉が真ん中に行ったせいで、台に体を押し当てるような体勢になりながら、片目をつぶって玉の軌道を予想している。
対して真後ろにいる僕、眼前のお尻にしか目が行かない訳で、本当にもうどうしようもない気持ちになっている。
「体操着ってすごいな」
「なんの話ですかー」
浮き出た下着のシルエットに妄想を掻き立てられていると、コツンと玉が打つかる音がした。9番ボールが押されてノロノロとポケットへ向かっている。
真っ直ぐな軌道を維持して、そのままストンと気持ちいい音。
……という事で、勝者は夢前となった。
「いえーい。リベンジ成功」
「負けた……」
一勝二敗という、おしいようなおしくないような結果に溜息を漏らしながら、道具を片付ける。
同時に無性に腹が減ってくる。変に集中していたから、飯の事を忘れていた。
「僕もカツ丼にしようかな」
「お、兵悟さんもカツ丼道極める? いいねいいね」
「だから、なんだその道」
いつもは互いに好きな物を持ってきて食べたり、どっちかが気まぐれで料理したりするのだけれども、たまにこうして、一緒の物を食べたくなる。
大した理由はない。ただ何を食べるか考えるのが面倒なだけかもしれない。
けど、一緒だとなんかいい。
「今日は作んのか?」
「まあ、作って欲しいなら」
「じゃあ頼む」
「はーい」
別段、こいつの料理の腕がすごいという訳ではない。ただ、料理の味よりも、あの作ってくれた感が好きというか、温かみを感じられるのがいいのだ。
夢前がフロアに出て、すぐ近くにあるショッピングカートを取りに行く。
パークの出口から食品フロアは繋がっていて、一汗かいた後は買い物して帰れるという親切設計になっているのは、実に便利である。
「じゃあ行きましょーか」
楽しそうにカートを押して、道を先導する夢前。
カツ丼を作る材料なんて大して多くないのに、わざわざカートを持ってくる辺りがこいつらしい。
小さい頃、何回かうちの母親の買い物にくっついて来ては、必要ないのにカートを持って来て買い物させてたっけか。懐かしい。
そんな夢前の背中を見ながら、僕もまた同じ速度で歩き出す。モール内にはガタガタとした音が響く。
「やっぱお肉はロースだよねー、食べた気するし、おいしいし」
「僕は肉ならももが好きだ。鳥だがな」
「唐揚げ丼になっちゃうね。まあ、おいしそうだけど」
「付け合わせは味噌汁がいいな」
「わたしはたくわんで充分」
「おでんじゃなくて?」
「それはないでしょー」
時々こちらを振り返りながら、 夢前の手によって材料が揃えられていく。値段を気にしないでいいから、目についた物をカートに入れている感じだ。
カツ丼を作るのに必要ない物もちょくちょく入ってくる。おい、板チョコなんて何に使うんだ。
「女子力のため」
寝巻きを学校のジャージにしてるくせに、よく言うよな。
◇
二人して食品の配置を把握している為、迷う事なくスムーズに買い出し(買ってないけど)は終わった。
正直もう、モール内は庭みたいなものだ。どこのフロアに何の店があって、どの商品があるかは大体分かる。
まあ、物は出したら出しっ放しなんで、見つからない事も多いけど。
「れっつごーキッチン、目指すは~馬鈴薯」
カートに積んだそれらを押しながら、ご機嫌な唄を口ずさむ夢前。向かう場所はもちろんキッチン、もといフードコート。
一本道を抜け、大きめのフードスペースに出る。多過ぎるテーブルの端には、この前来た時の痕跡が少し残っている。食材とか料理雑誌とか、そのまま置きっ放しになっていた。
「兵悟さんさー、料理出来たら持ってくけど、どこらへんいるー?」
「いや、いいよ。ここで待ってる」
「あ、なら一緒に作ろうよー。カツ揚げるだけだしさ」
丼モノの店の近く、集めた材料を手当たり次第に置いていく。肉にパン粉に卵に油に米一キロにソースにマヨネーズに和三盆なんかもある。いや、何に使うんだよ和三盆。
「ああ、そうすっか」
「じゃあ、兵悟さんはご飯炊いて」
「分かった」
そうこうして、さっそくカツ丼作りが始まる。
ふと、学校の家庭科でやった親子丼の調理実習を思い出した。あの時も、僕はご飯を炊くだけで、女子が先陣切って殆どやってたな。やはり、男子は邪魔者扱いなのだろうか。じゃ、女子だけでやりゃあいいのに、とか思ったり。
「あ、二人分だけだし、ジャー使えばいいよ」
業務用の炊飯器を開けようとして気付く。そうだ、こんな何十人もの飯を作る機械でわざわざ僕らの分を作る必要はない。なんか、普段作らないから店の器具しか使わないといけないような気がしてしまった。こういうのを柔軟性が無いと言うのだろうか。
近くにおきっぱなしの、料理の際にいつも使っている家庭用炊飯器をこちらまで持って来て、作業開始。三合分くらいの米を目盛りに合わせて、釜に入れる。何回か研いで、同じ要領で水を注ぐ。そしてスイッチをオン。ピッと音が鳴って僕の仕事の終了を告げた。
……便利な世の中だ。便利過ぎて仕事のしがいが無い。
「次なんかあるか?」
手持ち無沙汰なのも嫌なので、せっせと溶いた卵に肉を浸す夢前を見る。寝巻きの学校ジャージのせいで本当に調理実習みたいな気分だ。基本うちの学校、授業はジャージだったから。
「こっちはご飯炊けるくらいまで浸しておくつもりだから、付け合わせでも作る? おみおつけとか」
雑把に並んだ材料には、豆腐やネギ、味噌がある。ついでに『究極の味噌汁』とか言うインスタント味噌汁もあるけど、これは何? あんま料理作らない僕用?
それを使うのもなんか癪なので普通に作ろうと鍋を探す。業務用の大きい鍋をスルーし、いつもの家庭用のを取ってくる。
さて、具は他に何を入れようか。
「なあ、夢前――」
そうやって、僕らは大して時間も掛ける必要のない一品を、話しながら余計な事をしながら、のんびりと作っていった。味がどうなるかなんて考えもせず、ただ二人で料理をして、そんな時間をただ過ごすだけでも充分で、満足だった。
このまま、もう少し、この街にいたい。
いつか街を出る日まで。もう少しだけ。