【第一幕】群れを外れた羊は丘を登らない-Rough Landing ,Hollyhock-
ゲーセン帰り、夢前がコンビニに寄りたいと言うので、僕らは公園近くにあるいつもの場所に向かっていた。
その辺りは高い建物が少なく妙に懐かしい雰囲気で、いつまで居たくなってしまう居心地が良い場所だ。
この街自体、懐かしい気持ちにさせるモノが多いが、特にと言ってもいいだろう、非常にノスタルジックな気分になる。
「……」
空を見上げてみれば、茜色の空。
どこまでも続く綺麗で見惚れてしまう空。
この街の夕焼けは、不思議といつまでも見ていられる。
昔に想いを馳せて泣きたくなったり、悩んでいた事がどうでもよくなったり、何だか勝手に憂鬱な気持ちになってしまったりと、人によって様々な気持ちを与えてくれる夕焼けは、この街だとただ僕らを包み込むだけの『優しい存在』だ。
いつまでも見ていられる。何も考えなくいいと、抱き締められている気持ちになる。
――だから、この街の夕焼けはずっと沈まない。
「ねえ、通り過ぎてるよ」
向っていた場所をわずかに行き過ぎていたようで、ご指摘の声が飛んだ。
慌てて反転して折り返す。小さい段差に乗っかってガタンと音を立てる
夕焼けを見ていると、たまにこういう時がある。ぼーっとしてしまうような、意識を持って行かれるような、夢心地な感覚。
それはきっと、この街の夕焼けだからだろう。
「すまんのう」
「ええんやでー」
駐輪場に入り、自転車を停める。先に降りた夢前の後を僕も追って、コンビニに入る。
すると、入店音と共にいい匂いがした。
壁には大きくおでんセールの張り紙。
そう、匂いの正体はおでんだ。
夢前は他には目もくれず、レジ前のおでんを嬉しそうに眺めている。
すげえメスの顔をしていた。僕にはやらない顔だ。
「因みにこれは女子力上がる食べ物なのか」
「さあー、知らんですなあ」
どうでもよさそうだ。さっきの話はなんだったんだろう。
「いやーいいっすねー。学校行く前に具を入れておいたのが効いたねー。ふふふ」
そそくさと容器に汁と大根などの具を移して行く姿は、もう見慣れたものだ。
夢前はしょっちゅうここのおでんを食べに来ている。
具材が無けりゃいつの間に補充して、これまた美味い具合にダシの加減や暖める時間を調整したりと、おでんを美味しくするのにぬかりない。
将来こいつは、家庭的な女になるのかも。
「しかし、そうも毎日のようにおでんって飽きないのかよ」
「いやはや奥が深いんだよ、おでんは。兵悟さんも一緒におでん道極めようよ」
何だよその道。
「たまに食べるならいいけれど、ずっとってのは何だって飽きるものだぞ」
「わたしは飽きないよ。この先もずっと好き」
「……ああ、惚れてんのか」
「うん。おでんにベタ惚れ。結婚しようかな」
そう言って幸せそうに容器と箸を持って外に向かってしまう夢前。僕はお気に入りのグラビア雑誌と冷蔵庫に並んでるミルクティーを取って、後を追う。
「ねー、いる? ちくわぶ好きだったよね」
ちょこんと駐車用の石に腰掛けた夢前が隣に手で招く。何だか飼い主においでおいでされてる犬みたいだ。
「ふーふーしてからくれ」
「えー、自分でしなさいよー」
自転車のカゴに雑誌を入れ、夢前の隣に腰かける。何だかんだ言いつつちゃんとふーふーしてた。そういうとこ好き。
「はい」
そんでちくわぶうめぇ。
「ほんなにかばていいなかつのんかべべべぼ!」
「え、なんて?」
ようやく飲み込めた。熱いからめっちゃハフハフした。
「そんなに食べていいのか? カツ丼食えなくなるぞ! って言った」
「あー、てっきり兵悟さんの呪文シリーズかと思ったよ」
ねえよ。そんなシリーズ
「これはおやつだから問題ないよ。そもそもカツさんはもう少し空けてから食べる予定」
「おやつにおでんを食べる女子って初めて聞いたわ」
「そうかな。おでんってお菓子よりカロリー低いし、安くていっぱい食べれるから割とアリだと思うけどな」
最後であろう白滝を噛みしめつつ、割り箸を振りながらうんうんと頷く夢前。容器から薄っすら上がる湯気は、どこか物悲しい。
「でも女子力は」
「知らぬい」
「いい加減な奴だ」
とりあえず持ってきたミルクティーを渡す。けど、おでん汁を堪能し始めて全く気付いてない様子。
右の頬に当ててやる。顔を顰める。
「やめんしゃい」
口を「む」の形にしながら、ミルクティーを受け取ってふぅと息を漏らし、こちらを睨んできた。
全然怖なくない。うさぎだもの。
「わたしの至福の瞬間を邪魔したな兵悟さん」
「ごめんて。怒るなって」
「……ふふ、仕返しだっ!」
ツチノコ見つけた時みたいな急なテンション(ツチノコシリーズと名付けた。なんかすごそう)で叫び、ぐいっと立ち上がりながら、残りのおでんの汁を一気に口へ入れようとする夢前。
そして一言。
「うわ、熱っ!」
一人で盛り上がり始めた。
たぶん、こいつ的には汁を飲み干してビシッと決めようとでもしたんだろう。
しかし何が決まるのだろう。テンションで生き過ぎだ。
「天然を抑えろ」
「うう、おでん帽子作戦失敗」
ああ。
どうやら、おでんの入ってた容器を僕の頭に被せるつもりだったらしい。
何か地味に嫌だ。衛生的にも。見てくれ的にも。
「ゴミはゴミ箱へどうぞ夢さん」
「はい、どうもすいませんでした兵さん」
入れ口から中のゴミが見え始めたそれに容器を押し込み、さっさと自転車の荷台に座る夢前は、例の座り方で僕を待つ。
細い脚をのんびり揺らして、ちょっと前屈みになる。
おお、尻のラインがなかなかどうして――
黙っておこう。
「ねえねえ、これなに?」
僕の持ってきた雑誌を身体を伸ばして手に取って、表紙のグラビアを眺める。水着を着たアイドルが何人か映っている、少し刺激強めのものである。
「あら。いきなり大人なページが」
表紙から数ページめくったところで指が止まってちょっと恥ずかしそうにしている夢前。
たぶんヘアヌードのページらへんだろう。
「プレイボーイはそこがメインな部分あるしな」
「やー、これわたしが恥ずかしい」
自分で読み始めたくせに、ポイっとカゴに投げてそっぽを向いてしまう。女子って意外にこういうのは大丈夫そうな気がしたのだが、夢前はそうでもないようだ。
「たかがヘアヌードやんけ」
「お外だよ? 誰かに見られたらどうするの」
「誰もいないからいいじゃん」
「え、また常識置いてきちゃったの? 感覚おかしいって」
まあ当然、僕ら以外にも人がいるのなら話は別だが、なんたって二人だけだ。今更グラビアを外で見たところで恥ずかしがる事なんてない。
もっと過激なヤツはさすがに気を使うけど。
「そういうのは見えないとこ置いて」
「反応が良いからもっと困らせたい」
「やー、帰ったら兵悟さんコレクション捨ててやる」
きっと表紙だけ根をあげるだろうとか思いつつ、僕は自転車にまたがる。
そうやって嫌われない程度にからかいながら、隠し場所を変えておこうと決めて、ペダルを漕いだ。