【第一幕】群れを外れた羊は丘を登らない-Rough Landing ,Hollyhock-
あれから三週間程の時間が経ったのだが、どうも夢前の様子が変だ。
ぼーっとする時間が増え、何かに思い馳せるような表情を浮かべる事が多くなった。
どうしたのか訊いてみても、ロクな返答は帰ってこないし、喋りたがらない。
近くにはいるのだけれど、ただ隣に居るだけ。付き添っているだけ。
以前のような心地よさは、疑念へと姿を変え始めている。
「おい、起きろ」
「…………」
「さっさと着替えてくれ。もう、朝飯食っちまったぞ」
「…………」
「先、行ってるからな」
「…………うん」
この調子で、必要な言葉しか話さない。
質問には首を縦横だけで答えるし、了解の意を示す時は全部「うん」の一言。その他、基本無言。
表情こそはあるが、殆ど人形と接してるみたいだ。
「おい、二度寝すんな」
「…………ねむいから」
「僕もそうだ。けど、学校サボる訳もいかないだろ」
毛布にくるまってしまう。要するにそんなの知らないって事だ。
「……ったく、遅刻でも来いよ」
「…………」
そして生活の方もめちゃくちゃになった。
今までなら、平日の時間帯に沿って学校へ行く生活をしていたが、最近は行かない日が増え、ずっと寝ているようになった。
食事も不規則で、食べる物はお菓子ばかりだし、身だしなみも最低限に揃える程度。風呂こそは毎日入っているが、髪は乾かさない。
加えて、洗濯も掃除もしたがらなくなったから、まとめて僕が一緒にやっている。
これじゃまるで、お世話係だ。
「どうなってんだよ、本当」
通学路、自転車を漕ぎながら呟く。
いつもじゃ綺麗な夕焼けも、最近は不気味に感じてしまう。
誰もいない街。僕らしかいない街。
そうであった筈なのに、今は僕しかいない街だ。
一人だけ、一人ぼっちの、世界だ。
「…………さむ」
途端に風が吹く。
冷たい、肌を刺激する風。
暑くもなく、寒くもない筈の街に吹く、冷えた空気。
いつ振りだろう、気温を気にしたのは。
「あ、今日は金曜か。音楽どうすっかなぁ」
夢前があんな調子になって以来、学校での過ごし方も大分変化してきている。
教科書を広げてれば何とかなる国語、数学、社会辺りはいいが、家庭科、音楽等の複数名で想定されている実技教科は、完全に手に負えない。
事実、家庭科と音楽に至っては、移動教室もせずぼんやりしてるだけだ。
以前より学校の意味をなしてない。
まだ、夢前に音楽や家庭科辺りを教えてもらえてた時の方が、明らかに有意義だった。
今は、無意味でしかない。
「……」
学校に着く。
いつからだろう、校門には何も書かれてない立ち看板のような物が置いてあった。
誰かがやった気配もないし、もちろん僕は手を付けてない。
おそらく夢前も。
だからそれに気付いた時も、最初からあったんじゃないかってくらいの感覚だった。唐突に現われたというより、そこにあったのを思い出したかのような感じ。
校舎に入る。下駄箱に入っている上履きがどこか寂しい。一人取り残されているようだ。
あいつ一人いないだけで、古くさい校舎内も相まって、廃校になってまったかのような気がする。
――僕と夢前が通う学校。
学校名、自分のクラス、出席番号、その辺り何も覚えてないのだが、僕らは確かにここに通っていた。
今もこうして、生活リズムを忘れないようにという名目で。
「……ん?」
生徒玄関に入ったところ、廊下に『何か』が通る気配があった。
ハッキリと分からなかったが、地面に近い位置を、ゆっくり移動していたように見えた。
恐る恐る、壁から廊下を覗き込んでみる。いない。枯葉でも舞ったのであろうか。でも、肝心の枯葉なんて見当たらないけど――。
「ミャア」
すると、近くの教室のドア、黒いあいつがひょこっと飛び出てきた。
マミだ。
「なんだ、お前か。久々だな、黒いの」
「ミャミャ」
一ヶ月振りくらいであろうか。随分ご無沙汰だったマミは、変わらず気怠そうに鳴く。
見てくれはほんの少しふっくらして、首輪の小さいトランクは不器用にちょっと空いている。
あそこには何が入っているのだろう。
マミはその首輪に付けられたトランクを揺らしながら、トコトコと奥の方へ歩いていく。
後ろをついて行くと、見えたのは一階の一番端の教室。やけに変な位置にある家庭科調理室。マミはそこで止まる。
「ドア開けろってか」
律儀に腰を下ろして僕の方を振り向く。
早くお前が開けろ。と言わんばかりの形相をして、ゴロゴロ言いながら……けれど最後は欠伸。
自由過ぎるな、本当。
「ほれ」
「……」
しかも、開けてやったのに礼も言わない。
可愛くねぇな、こいつ。
調理室に入ったマミは、調理台の近くをグルグルと歩き回り始め、時々鼻を床につける。
手掛かりをヒントに真相を追う探偵の如く、匂いを感じる場所を割り当てて、何かを探す。
「帰っていいか?」
「ミーミャ」
「お、通じた」
僕は僕で暇なので机に座りながらストップウォッチを眺める。
八時間四十分。
意外に早く着いてしまったので一限の体育まで時間はある。
――少しくらいは付き合ってやるか、この猫に。
「ミャア」
「なになに、面白いもんでも見つけたの…………って、おい」
僕らが勝手に持ち込んだであろう食材棚の下の方をゴソゴソまさぐり、マミはその正体を見つける。
正体、かつお節。パックのヤツ。あと、二袋。
「あーはいはい」
しかも、わざわざそいつを器用に口にくわえてこっちまで持って来る始末。
なんだよ。自分で食いたいだけだったのか。
「でも、なんでかつお節あるんだっけ。普通に忘れた」
それなりの理由があったのだろうけど、当時は当時、もう覚えてない。
たぶん、調理実習とかは全然関係無くて、単純に食べたいから何か作ろうとしてたんだけど、途中で面倒くさくなっておじゃんしたのだろう。
しっかしなんだっけか。
やけに気になる。
半ば好奇心と共に食品棚を開ける。ずらっと缶詰や調味料が並んでいる。このインスタント味噌汁の束とか、どこから持ってきてんだろう。
「あ、これ」
見覚えのあるパック、というか物体を見つける。
タコである。
茹でてある、調理済みのタコだ。
他にもパン粉、ロース肉なんかもある。
「どっかで見た事ある食材だな」
材料を眺めながら調理台に腰掛けようとする。
すると、パサッ。何か落ちる音がした。
「あ」
調理台におきっぱなしにされたであろう、料理雑誌が落ちたようだ。
ちょうど開いていたページには、『美味しく出来るカツ丼の作り方』と、何ページかに渡ってカツ丼の作り方とちょっとした時短テクニックが写真付きで載っていた。
全然覚えてないが、この状態から考えると、昔ここでカツ丼を作ろうとしていたらしい。
フードコートで作った時よりも、恐らくずっと前に。
「ミー」
マミが鳴きながら、再び歩き回り始める。かと思ったらさっさと調理室を出て行きやがった。
なんて自分勝手なヤツだ。
僕も見失わないように廊下まで出る。
何やら校舎内が寒々しい。そういえばマミに気を取られて入ってくる時ドアを閉めてなかった。ひとまず生徒玄関のドアを閉めに向かう事にする。
「ミャ」
と思ったらマミに先回りされてた。
お前も寒かったんだな。
◇
ストップウォッチを見ると一限が始まる頃だったので、とりあえず僕は体操着を着て体育館にいた。
いつもなら外で走ったりしてるんだけど、一人になってからというもの、夕焼けのグラウンドは無性に寂しくなるので、最近は体育館で卓球の壁打ちやフリースローをして時間を潰している。
この前は夢前がいたので、ノリで二人でバドミントンをやったが、いかんせん盛り上がりに欠けた。あいつはそれだけして直ぐに帰っちまったし、僕は僕で消化不良で、お互いなんとも言えない空気になった。
まあ、そもそもあいつは運動苦手だし、しょうがないっちゃ、そうなんだけど。
「黒いの。フリスビーでもやるか?」
「ムミャ」
で、今日は今日でここにマミがいる。
連れてきたのでも、連れてこられたのでもなく、互いに体育館という行き場所が被った。という理由で。
なんなんだ、この猫。
「……お前はネコジャラシと遊んでた方がいいか」
ご不満そうな顔をするマミに、体育館と校舎の通り道で引っこ抜いたネコジャラシを向ける。
身近なところにも生えているもんだ。駅を探しに行ってなければ、気付かないでスルーしてたであろう植物だもんな。ちょっとした事で見えるモノが変わる。
しかしマミは無反応。全くもって反応してくれない。
今は気分じゃないのだろうか。
仕方なく立ち上がり、体育倉庫を開ける。電気の切れた暗い部屋には体育に必要な用具が所狭しと並んでおり、入る気も引けてくる。
よく使うのは手前に、そうでないものは奥に、整理するのも面倒でぐちゃぐちゃになっているのだ。
ああ見えて夢前は見えないとこは大雑把な性格である。
完全に片づけを任せるタイプの僕と一緒に居れば、ショッピングモールよろしく、中途半端に散らかる状態にもなるのだろう。
ダメな組み合わせだ。
「っておい、どこ行くんだ」
扉を開けたと同時。マミがまた早歩きで勝手に行ってしまう。
バスケットボールの山を避けて、バレーボールのネットを渡り、壁際の柱の前まで勢いよく……。
僕もストップウォッチの僅かな光で周りを照らし、手探りで奥まで行く。
それ故一瞬つまずいたが、目の前に壁の感触。何とかマミの近くまで来たらしい。
体勢を立て直す。すると、変な出っ張りに当たる。ストップウォッチで照らせば、どうやらドアノブ。
つまり、ドアだった。
「ん、もしかして、柱だと思ってのって、ドアだったのか」
なんとまあ、今の今まで気づかなかった。暗くてそこまで中に入ったりする事もなかったから、近付いて初めて気づいたレベル。
手にかけたドアノブを、とりあえず回してみる。
鍵はかかってなくすんなりと開き、その部屋が眼前に現れる。
「――体育準備室。繋がってたのか」
体育館の中からは鍵が閉まってて開かない、グラウンドからは窓しか見えない体育準備室。
意外に広く、天井も高い。
壁の方を見れば、教員用の大きな机が置いてあって、その上に紙の資料や名簿が乱雑に積み上げられている。
そして、何と言っても部屋中央に置かれたそれ。
まだやり掛けであろうその状態は、いつかの僕らを思い出す。
――ビリヤード台。
スポーツパーク内に設置された娯楽室と同じ物。
他にも、ダーツ版やスロットゲームが置かれてる。
なんでこんなとこにあるのだろうか。
「あ、おい」
すると、マミがピョンと飛んで机に乗っかる。
机の物が崩れるのはまずい。咄嗟に手が出た。
が、落ちたのは紙切れ一枚だけで、特に大事故にはならなかったようだ。
落ちたそれを拾い上げて机に戻そうとし、ちらりとその紙切れの内容が目に入る。
未提出者:三年二組 夢前
「……未提出?」
夢前。
あいつの名前が書かれたそれは、どこか見覚えのある筆跡で、けれど全く書いた覚えの無い『未提出』の文字。
一体さっきからなんなんだ。あの食材を見つけた時も、ここの入り口が分かった時も、なんで同じような感覚に苛まれるのだ。
そして、何故それら全部を、マミがまるで僕に突きつけるかのように示すのだ。
「お前、ひょっとして」
「……ミャ」
相変わらず興味無さそうに、気だるい表情のマミ。
しかしその目は、僕に訴えかけるものがあった。
強く。お前がやらなきゃいけないと。
「……」
改めて準備室を眺める。ビリヤード台やダーツと他に、何かあるのではないかと、目を配らせて。
この紙に記された事は、きっとマミが僕に伝えたい内容なのだろう。
同時に、夢前があんな状態になってしまった要因もここにある。
ある筈なんだ。
「ん、これって」
机の下、大きい段ボール箱が置いてあるのが、目に留まる。
箱は少し開いていて、何やら飾りのような装飾が飛び出している。
近寄って箱を引っ張り、机の下から出す。
……軽い。大きさと重さが比例してないようだった。
隙間に指を掛け、開けてみる。
すると、そこには大量の反故紙や塗料、ニスなどの材料と作りかけの張子が置いてあった。
――そう、張子のお面がそこにあったのだ。
「ああ――」
今の今までここの記憶はぽっかりと抜け落ちていたのは何故だろう。
ここでした事。ここにいた事。
僕と夢前がこの街に来る前の事。
なんで、思い出せないんだろう。
覚えていないといけないのに、どうして忘れようとしていたんだろう。
……僕は思い出したい。
夢前がここでしていた事を。
僕が何をここにしに来たのかを。
「……まだ終わってなかったのか」
そうだ。僕はそいつをまだ終えてない。
やらなきゃいけない事が、ちゃんとある。
不明確なら不明確なままで答えを出さないといけない。
探さなきゃいけない、思い出さなきゃいけないモノを。
忘れようとしていた、僕らの思い出を。
「なら、思い出しに行くか、全部」
嘘の時間に、夢を見てる暇はない。
手に取ったストップウォッチを、僕はようやく捨てた。