表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/26

【第一幕】群れを外れた羊は丘を登らない-Rough Landing ,Hollyhock-

「え? これって、どういう事?」

「分からん。ただ、あの時電車が見えて、それで」


 記憶にはしっかりと、先ほどまでの光景が残っている。

 マミが突然逃げて、僕らはそれを追った。そうしたら、何もなかった筈の線路に電車が走り、駅がいきなり現れた。実に奇怪な話だ。


「……こいつには、分かってるのか」


 そして今起きた現象を、マミは分かっている。

 線路を歩く僕らを誘導するかのように外に飛び出し、その線路には電車が現れて、止まった場所が駅になっていた。

 マミに案内されるがまま、僕らはたどり着いたのだ。

 この街の駅に。


「……迷わせられちゃったのかな、わたしたち」


 僕に抱えられたマミを見て夢前がぽつりと言う。


「どういう事だよ」

「この駅、なんか今まで見てきたものより凄く懐かしい感じがしない? あの券売機も、切符しか通せない改札機も、そこの待合室も……全部懐かしい。だから、また迷っちゃったんだよ」

「何を言いたい」

「この街の事」

「……」


 言われる通り周りを見渡すと、確かに懐かしくて、昔ながらの雰囲気がある。

 けれど、全体的に錆び付いていて、街中のあの温かい空気が無く、ひどく冷たい。冷え切っていると言ってもいい。

 別物だ。


「この街で何か起きたって事は、わたし達の『懐かしい記憶』にも何かあったんだよ、きっと」

「なんでそんなの分かるんだよ」

「思い出したんじゃない?」

「何を」

「さあ?」

「……」


 あっけからんとした様子で語る夢前。一体何を思い出したと言うのだ。

 この光景を気に留める事もなく、平然として、何を考えているんだ。

 僕には、分からない。

 分かってはいけない。


「で、どう? 兵悟さんはさ、駅に来れた訳だけど、何か思い出せたの?」

「……」


 正直に言って、ここは僕の記憶には存在しない駅だった。

 懐かしさはある。だが、それは自分たちの思い出があるが故に感じられるものでは無く、あくまで空気感の話だ。 古くさいと言った方が正しい。街頭テレビや、フォークソングなんかを知った時の、あのような感覚に近い。

 つまり、ここは僕らの場所とは『何か』が違う。

 僕は首を横に振り、寒気さえ覚えるこの空間から、早歩きでさっさと出る。

 どうやら夢前が後に続いて来た、合わせず構わず先に足を進めていく。

 出迎えた夕焼けすらも怪しい雰囲気だった。

 なんなんだ、この状況は。


「もー、わたしの周りの人ってなんで置いてきたがるの」

「猫は人じゃないだろ」

「一緒だよう、そんなの」


 唇を尖らせながらついて来ているであろうか。声が不服そうだったが、僕はそのままの速度で自転車を置いた場所を目指した。


「なあ、お前は何か感じなかったか? あの駅に」


 街中に入ったところでようやく後ろを振り返る。制服のスカートをのろのろ揺らしながら、少し駆け足で近づいて来る夢前がいる。


「そりゃー、急にあんな場所に居たからビックリしたよ」

「そうじゃなくてさ、もっとこう、空気感とか」

「んー、何回か来たような感じはあったな。実際にあの券売機とか改札とか待合室とか、使ったと思うし」

「……」


 僕が単純に忘れていているのだろう。そう思うのが正しい。

 思い出しに来たのはいいけど、結局思い出せなかった。あり得る話だ。

 だが、何故こんなにはっきりと、あの場所が自分の記憶に無いと断言でしまうのだ。

 記憶というのは、機械みたいに完全消去なんて出来ない。忘れても、確実に少なからずの記憶の破片が残る。だから、人間はその曖昧な記憶の破片を何かに結びつけてしまっては、なんとなく懐かしいなどと感じるのだ。

 じゃあ、おかしいじゃないか。

 この街の駅が、自分の記憶の破片のどれとも結びつかないだなんて。


「いいや、夢前。帰ろう」


 前を再び向いて、足を進める。

 緩やかな坂の先にある踏切の、自転車を置いたその場所まで。


「ねえ、待って」


 不意に後ろの夢前に呼び止められ、反射的に振り返る。

 なぜか両手を広げて辺りをキョロキョロと周りを見回して。


「なんだよ」

「いやぁ、ね。急にいなくちゃったの」

「はあ?」


 一瞬何を言っているか分からなくて、ぼくは聞き返した。

 が、なんとなくその様子からして予想はついた。

 またヤツが逃げ出したらしい……さすがに振り回され過ぎだと思う。


「マミちゃん。気付いたらいなくて」

「……いいんじゃね。飼ってるとかじゃないし」

「そうだけどさぁ」


 残念そうにしながら、空を仰いで「はぁ」と大きい溜息を吐く夢前。そんなにあの猫がお気に入りだったのだろうか。なら、もっと警戒をしておけばいいものを、油断するのが悪い。


「あ。あれ」


 突然に視線を辺りに戻した途端、夢前が近くに何かを見つける。

 同じ方向を振り返ってやると、そこには時代に置き去りにされたかのような佇まいの店があった。

 看板には、"花屋いつじま"と細い質素な字が並んでおり、店頭を見る限り、またその名の通り花屋があった。


「今、あそこにマミちゃんいた。行ってみようよ」

「マジ? よく見えたな…………つうか、花屋なんてあったのか? この街に」


 そして、そこはどこか重苦しい行き詰まった空気を漂わせ、やはり僕の記憶には存在しない場所であった。

 さっきの駅の時と同じような、妙な違和感。

 正直行きたくない。


「分かんない。けど、見てみよ」

「あ、おい。勝手に突き進むな」


 一人で先に駆け出してしまう夢前。その後を僕は渋々追っていく。

 あそこはあまり近づきたくはない。

 でも、だからこそ、こいつを一人の状態で放っておくのは気が引ける。


「マミちゃん、おいでー」


 店内に響くように呼び掛けていたが、夢前の様子を見るにマミの姿は無さそうだ。

 僕も店内へと追いつく。店には、独特の花の香り。夢前は再度呼びかけていたが、その声に反応する音は聞こえない。


「なぁ、そこまであの猫にこだわらんでもよくないか? どうせ、ひょっと次の日には顔を出すと思うぞ」

「嫌だよ。逃しちゃうの、何か嫌」

「……頑固だな、お前も」


 店内の花の束を掻き分けて、夢前は隅々まで調べていく。僕も見た目、手伝ってやってるように振る舞いつつ、狭い店内を見ていく。

 が、やはりマミの姿はない。もう、違う場所に逃げたのではないだろうか。


「いないなぁ。マミちゃん」

「こんな狭い場所にいないのなら、もう別のとこにいるんじゃないか?」

「うーん………………。そうかもね。この狭さで居ないだもん。仕方ないか。とりあえず、今日は一旦戻ろ」


 意外にあっさりと諦めて帰るようだ。その辺は無理をしないスタイルなのか、単に面倒になったのかは知らないけど、帰るのなら一応、僕も最後に周りを見渡しておこう。

 ……赤い花、黄色い花、紫の花、水色の花。まさしく色とりどり、様々な種類の花が咲いていて、綺麗に置いてある。

 店自体は古いのに、花は全く枯れそうな感じもない。

 きっと、ここでずっと咲き続けてるのだろう。


「それにしても、綺麗だよね。ここのお花」


 僕の視線に気付いたのか、夢前が近くの赤い花を見て言う。屈んで鉢植えを触りながら、花を眺め始める。


「これはタチアオイ。花言葉は情熱とか熱い恋とかそんなのだった気がする。源氏物語で詩が詠まれてるんだね」

「へえ、すげえな」


 さすが、花屋が夢であった故によく知っている。さらに、僕は花なんてまるで興味が無いが、その語られた内容に思わず関心を示せた程だ。良いとこだけかいつまんで説明出来る辺り、幼少期のそれだとしても、伊達じゃなかったのが分かる。


「こっちの黄色のはアンデスの乙女って言うの。可愛い名前だよね。小さな花をたくさん咲かせてる感じも可愛い。確か散房花序って言うんだっけ。花言葉は『素敵な未来』」

「そっちの紫のも形が似てるな」


 僕もちょっと面白くなって隣にしゃがみ込み、アンデスの乙女と対面に位置するその鉢植えを指さす。

 見た感じ、形状は今話にあった散房花序に似ている。


「ああ、ヘリオトロープね。ハーブとしても有名だよ。バニラのいい匂いがするから、香水の原料にもなってる。花言葉は『夢中』。好きな人に送ってもらいたいよね」

「へぇ。結構使い道あるんだな、花って」


 もうしばらく花談義に花を咲かせてもよかったが、このタイミングで腹が鳴った。ストップウォッチを見る。十九時間二十分。いつもなら夕飯を食べる時間だ。


「そろそろ何か食おうぜ。ファミレスとか向こうにあったし」

「あ、うん。そうだね。大分歩いたし、ガッツリしたカツ丼でも食べたいね」

「昨日食ったやんけ」

「忘れちゃったなぁ」


 わざとらしく言いながら立ち上がり、店を出る。店先にはさっきの青色の花がポツンと置かれていて、どこか寂しげだ。


「……」


 後から出てきた夢前がふと、その花を見て立ち止まる。少し思いにふけるような、懐かしむ表情をして、何やら両手を合わせる。


「失礼します」


 そう言うと、いくつかの苗の一つを、サッと手で切り離した。持って帰るらしい。あの猫同様、お気に召したのだろうか。いや、雰囲気的にあまりそういう感じには見えなかったが……。


「そいつはなんて花だ?」


 僕の問いに、しばらく両手に転がしたそれを夕陽にかざして、夢前は静かに呟くように告げる。


「…………忘れちゃったなぁ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ