【第一幕】群れを外れた羊は丘を登らない-Rough Landing ,Hollyhock-
僕らは道端の適当な場所に自転車を停めて、線路沿いに駅に向かっていた。
駅がどこにあるのか、何という駅なのかは覚えてない。
となると手掛かりになりそうな場所はこの線路だろう。線路の上をひたすらに伝っていけば絶対に駅がある。
――ある筈なのだが。
「何もないな」
眼に映るのは変わり映えしない風景だけ。
同じような、見た事のあるような景色が、永遠に続いているだけ。
この街を出ようとなんてした事がなかったから知らなかったけど、僕らはどうやら閉じ込められているらしい。
この街に。
「兵悟さん、どうする? このまま歩いても意味なさそうだけど」
「どうすっかね……ってかお前さ、あんま驚かないんだな、この状況に。もっとリアクションあってもいいだろ」
夕焼けが沈まない事を知った時も、自分たち以外しか人がいない事を知った時も、こいつはやけに落ち着いていて、終いにはへらへら笑ってやがった。なんかこう、いわゆる超常現象に対して、緊張感に欠けてるのだ。
「うーん、謎と言えば謎だけど、まあその時になってみないと分からないし、あんま騒いでもね?」
そんで出たよ。こいつのその時にならなきゃ分からないシリーズ。
なんつうか、質問に対して適当な回答なのはいつもだけど、これは考える気すらも感じられないパターンである。
「好きなタイプの男性は」
「その時にならないと分かりません」
「結婚願望は」
「その時にならないと分かりません」
「服は上から脱がされたいか、下から脱がされたいか」
「おや、何の話かな」
はぐらかされた。わざとらしい。
「言っていいのか? セッ」
「やー、いいよ言わなくて」
「で、やっぱ上からか?」
「知らないもん。分かりませーん」
唇を尖らせて、そっぽを向かれる。
やっぱこっち関連の話題は恥ずかしいらしい。まあ、一応女子だし。
……いやそれは置いといて、問題なのはこの状況だ。
まさか閉じ込められているような状態とは、思ってもみなかった。街からまだ出るつもりもないが、街にずっと残るつもりもないのだ。
いつかは出る。ならば、出口くらいは今の内に探しといた方がいいだろう。
「仕方ない。一旦戻るか」
後ろを振り返って、立ち止まった足を再び動かそうとする。
眼に映るのは夕焼けの中の陽炎と、線路の先にある街並み。
そして、黒い何か。
「なんだ……あの黒いの」
線路の上にポツンといるそいつは、ジッと僕らの方を見ていて、かと思えばキョロキョロ視線を変えては、もぞもぞと動く。
僕らから約五十メートル先、なんだかんだ近づいてくるそいつは、どうやらずっとこちらを追って来たらしい。
一体どこからつけられていたのだろう。
「へえ、猫なんてこの街に居たんだな」
ようやく足元まで歩いてきた黒い猫。思ったよりも小さくて、細い体つきをしていた。
ちゃんと食べてないのだろうか。毛の色と同じ色の首輪には、石ころくらいの箱がぶら下がっている。よく見りゃトランクの形をしていて、頭を動かす度にそれが左右に揺れている。
何だか、うっとおしそうだった。
「おーキミかぁ。何してたのかなぁ。寂しくなっちゃったのかなぁ。ごめんにゃあ」
急に甘い声を出しながら猫と戯れる夢前。
見た感じ面識があるらしい。初めて知った。そんな気配、全然なかったのに。
「どこにいたんだ、そいつ」
「どこだっけ。場所は覚えてないけど、割と前から知ってるよ」
「へえ。気づかんかった」
毎秒夢前と行動を共にしている訳じゃないからな。どこかのタイミングで会ってたんだろう。けど、別に僕と接触しちゃまずいって事もないのに、よくも今まで見れなかったものだ。
「なんか、逢瀬してる男女って感じだ」
「おうせってなに?」
「こそこそ会うって事」
まあ、お前とはそういう関係じゃないけどな。
「ふうん? いやね、隠すつもりはなくて、この子が兵悟さんに会いたがらないの。わたしが一人の時じゃないと現れなくて」
「夢前と会ってるところ見られたら僕に怒られるとか思ってるのかもな。人間みたいなヤツだ」
近くにあったネコジャラシを引っこ抜き、黒猫の顔辺りに持っていく。しかし、「ミャア」と気怠く鳴いて明後日の方向を向かれた。
「まあ兵悟さんはそこまで独占欲強くないからね。寛容だもの」
「そりゃお前を独占してもな」
「ツンケンしてんなぁ。いいけどさあ」
「でさ、こいつ名前とかあんの」
「この子? マミちゃんって名付けた。真っ黒でミャアって鳴くからマミちゃん」
その理屈だと、クミとかクロミでも良さそうな気がするけど、今更どうこう言うのも野暮ってもんだろう。僕もマミと呼ぶ事にしよう。
それにしても、なんでいきなり現れたのか。このタイミングで出てくるだなんて、なんかこいつなりに思うところがあったのだろうか。街から出て行っちゃダメとか、逆にお見送りに来たとか。
影から見てて、こいつなりに思うところが。
「気まぐれなんじゃない? 猫だもん。何となく来ただけだよ」
僕からネコジャラシを取って、今度は夢前がマミにそれを近付ける。やっぱり明後日の方向を見た。
……と思ったら、ミャアミャア言って戯れだす。それを見て、夢前が手を伸ばしても全く嫌がる様子は無い。お互い分かり合ってる感がするのは僕だけだろうか。
「猫はね、昔から人を迷わせる動物なんだよ。それこそ気まぐれに、人を道から外させて、帰ってこれない場所まで誘ってしまうような、こわーいヤツなの。でもさ、勝手に迷ってるのは人間の方なんだよね。猫のせいにしてるだけで、全部人間の思い込みなの。猫はただ気まぐれてるだけ。本当にそれだけ」
そのマミを見ながらも、どこか遠いところに視線を泳がせる夢前は、屈んでもう片方の手で頬杖をつく。夕焼けに照らされて儚げな雰囲気が漂っている。
――なんでこいつは、夕焼けに照らされるとそう見えてしまうだろう。
「よいしょっと……じゃ、戻ろっか」
マミを抱えて立ち上がり、元来た道の方向を見る。
視界に映し出された街並みは、淡く揺らめく陽炎に霞まされている。それはどこまでも遠くて、僕らのたどり着けないところにあるみたいにも見えた。
こんなに歩いたんだなと、一人で感心する。
同時に、これだけ歩いても街からは出られないんだと溜息。マミも随分ご苦労なこった。何もここまでついてこなくてもいいのに。
「わざわざ来てもらったのに悪いな。駅はまた今度にしようか」
「気にしないでよ。わたしは兵悟さんについて来ただけなんだからさ」
夢前の腕に抱かれるマミを、何となくひと撫でしてみたが、やっぱりそっぽを向かれた。僕は猫に嫌われているのだろうか。なんだかなあ。
「……」
見渡せば、この辺はネコジャラシだらけだ。たまに花がある。青色の小さい花。花屋志望だった夢前は知っていたりするのであろうか。訊いてみてもいい気がする。けど、敢えてそれはしないでおこう。
あっさり「知らない」って言われるのも、反応に困るしな。
僕らはそのまま足を進めていく。その間、なぜか夢前は静かだった。マミの首元を触るだけで、何も話してこない。猫が手元にいると、喋るのって難くなるのだろうか。
――いや、そんな筈ないか。
たぶんただ、何となく話さないだけだ。
本当にそれだけなんだ。
虚しく響く線路を歩く音を聞きながら、街に戻っていく。
「ミャア」
どのくらいの時間が経ったのだろうか、マミが夢前の撫でる指にかったるそうな声を出して反応した。
思わずマミを窺う。
ふてくされたような顔をしていた。実は静寂が嫌だったりしたのであろうか。
だとしても、もっと可愛く鳴いたらどうだろう。さっきからこいつの鳴き声は可愛げがない。
「みゃあ」
そしてなぜか夢前が鳴く。マミに顔を近づけて楽しそうに戯れ始めるけど、当のマミはあまり乗り気じゃないようだ。
自分で鳴いておいて、いざ構ってやったら迷惑そうにする。
素直じゃないヤツだ。
「兵悟さんみたい」
「なんでそうなる」
認めたくなかったが、僕は夢前に対してこんな感じなのか。
あからさまにアピールはしないけど、実は態度に出てしまっている。それは自分でも分かっている。
何か痛々しい。現実を見せないでくれ。
「ああっ」
すると、マミがひょいっと夢前の手元から飛び出した。
線路の外側を、軽やかに飛び跳ねるように進んでいく。結構足が速い。
「待ってー」
慌てて夢前もそれに続いていく。生い茂るネコジャラシの背が少し低い場所。マミはそこに入るなり突然止まってこちらを見た。
自由だなあの黒猫。
「それに振り回される夢前もなかなかどうして」
「なんてー?」
「なんも」
夢前も周りの草を掻き分けて突き進む。あぁ、スカートやソックスになんか色々くっついてる。ありゃ後で洗うの面倒くさくなるパターンだ。
しかし、僕も追いかけて行く内、スラックスにネコジャラシやらが泥やらが付いてしまう。ああ、帰ってからこいつを洗わなきゃならないと思うとテンションが下がる。
「ったく、お前は小学生か。勝手に進みやがって」
「だってマミちゃんが逃げるんだもん。しょうがないよ」
「いやまあ、そうだけどさ」
「でしょ」
「けど、なんか、ガキの頃と変わらなすぎだろ」
猫といえば、小学四、五年の頃だったか、こいつが野良猫を家に連れ帰っては父親に怒られたのは。
学校の帰り道に必ず通る線路沿いの道があって、その茂みに入っては野良を数匹持ってくる。
で、アパートだからそんなの飼える訳ないって言われるもんだから、渋々元の場所に持って帰る。たまに、僕の方にもやって来て、こそこそ猫の世話をしたな。
あの時から、僕が猫に好かれないのも、夢前が猫に対して猪突猛進なところがあるのも、今のを見たらなんら変わってない。
成長しないものだな、人間って。
「そうかなー」
「そうだ」
「ミャアー」
タイミングよくマミにも反応される。実はあの時の野良の中に、こいつがいたんじゃないのだろうか。あり得ない話じゃない。
だとしたら、他にも野良たちはいるのか。その内探してみるのもいいかもな。
「あーあ、お前、ケツにまで草ついてるぞ」
「うそー。わ、気づかなかった」
「普段の女子力とやらはどこへ?」
「さあー?」
追いついたところで、マミが毛繕いしながら、気だるい欠伸をして出迎える。
妙におっさんくさい動作だ。
またどっかに行かれるも面倒なので、制服についた草を落としている夢前を尻目に、マミを抱えてやる。
意外にすんなり腕に収まった。こう近くで見てみると小さくて可愛らしいが、一瞥よこした顔が不機嫌そうでブサイク。本当可愛げない。
もう一度撫でてやろうと頭に手を置こうとする。今度は受け入れてくれたのか、嫌がる素振りをしなかった。けど、目線を合わせようとしない。
「一体どこを見てるのやら」
何かを――そこから何かを出てくるのを待ってるかのような様子に、僕もマミと同じ方向に目を向けようとした。
――まさに、その時だった。
「え?」
線路の奥側から電車のクラクションが鳴り響いたのだ。
「わ、なになに、あれ」
反射的に振り返る。
そこには、街へ向かって線路を突き進む、古びた電車が走っていた。
ガタンゴトンと音を鳴らして、まるでそのまま駅に到着するかのように速度を緩め始めて。
さっきまでの光景が嘘のように変化した。
そもそも、駅なんて無かったのに。
「あ、れ?」
無かった筈なのに。
「ここは……どこ……?」
なんで僕らは改札の前に立っているのか――。
「ミャア」