【第一幕】群れを外れた羊は丘を登らない-Rough Landing ,Hollyhock-
「昔、公園のどっかにタイムカプセルを埋めたのさ、思い出した」
小学三年の頃だったであろうか。
僕と数人の遊びのグループでタイムカプセルを埋めた。
何を埋めたのかなんて、当然覚えちゃいないんだけど、何年後かにそいつらと掘りに来ようぜと約束し合ってから、十年くらい経ってしまった。
たぶん、皆タイムカプセルの事すらも忘れてしまっているだろう。
僕だって紙芝居の話をしなきゃ思い出せなかった。
と言うのも、タイムカプセルの提案者は紙芝居のおじさんなのだった。
まあ、なんでそんな流れになったのかはよく覚えてないけど、タイムカプセルなんてワクワクするワードを聞いたら、やらずにはいられなかったのだろう。
「へー、知らなかった」
「そいつらと僕らだけの秘密だったからな。夢前には言ってなかったんだよ」
「え、なら今言っちゃってよかったの?」
首を傾げる夢前。僕はベンチに深く腰掛けていた体勢を整えて言う。
「もう皆忘れちまってるだろうし、一人で見つけるのも気が乗らない。でも思い出したら気になって仕方なくてな。一緒に探してくれ」
「ふうん? じゃ、兵悟さんの仰せのままに」
「で、場所だが」
同時に立ち上がって早速埋めてそうな場所を考える。正直公園ってとこ以外全く覚えてない。
だからまずは客観的視点で。
小学生が隠しそうなところ、埋めるのがラクそうなところ。
「ねーねー兵悟さん」
「んー?」
「手で掘るの?」
「……あー、スコップとか有った方がいいか」
と、スコップの存在を思い出してある事に気付く。
小学生の僕らはそんな大層なところには埋められない。
けど、思考的には、他人には見つかりにくい場所にしたい。自分たちしか分からない場所にしたい。そう思うだろう。
だとしたら、思い出をたどって行けばいい。"レッドマスク"ごっこをしてた彼らが、どこに隠しそうなのかを。
「あ」
一つピーンと来た。ここで大事なのは隠した場所という点だ。
つまり、必ずしも埋めた訳ではない。
という事は……。
「スコップ要らないかもな」
「どういうこと? 埋めてあるんだよね?」
「"レッドマスク"ってのは、"ペテルギウス星"からやって来た正義のヒーローなんだよ」
地球で悪事を働く"将軍ゴーゴン"を懲らしめる為にやって来た、正義のヒーロー。それが"レッドマスク"だ。
という事は、天からの使者。
僕らだけに分かる場所、僕らと"レッドマスク"が一番近い場所。
「たぶん、この木だ」
「そこの根元?」
「と思うだろ?」
魔王の城、基い、ジャングルジムの奥にそびえる、公園で一番高い木。
すっかり葉は落ち、枝々を露わにしているその幹の狭間には、何か錆びついた物が見えた。
僕はそれを指さす。
「見つけられても取りにくい場所って発想だよ。よく思いついたもんだ」
僕らの考えた隠し場所。それは、見つけてもわざわざ取りには行かないだろう、木の上。
まあ、本人たちは、そこまで考えてなかったのだろうけど、埋めるよりも場所が分かり易いし、堅実な手にも思える。
「つうか、小学生の時、木登りなんぞしてたのか僕は。全然覚えてない」
決して高いところではないが、それにしたってよく登ったもんだ。今はなかなかそんな気も湧かない。登れなくはないけどさ。
「おー。見えた見えた。あの缶箱かー」
僕の隣で背伸びをする夢前。やっぱり、案外あっさりと見つかってしまう辺り、隠す場所よりその発想自体に酔いしれていただろう当時の僕ら。実にそこは小学生らしい。
これ天才じゃね! とか言ってそう。
「因みに、女子って木登りとかすんの」
「それは人によるんじゃないかな?」
「なら、お前はどうだ? 出来る?」
「出来ない事はないと思うけど……」
お尻を触りながら木を見上げて、「うーん」と漏らす夢前。
登る事よりも、別の事が気になっているようだ。
「でもほら、わたし今スカートだし」
短パン履いてるから大丈夫だとも思ったが、そういう問題じゃないらしい。
木片が繊維に絡まる可能性もあるし、そもそも登っている見てくれが女子としてよろしくないとの事。
女子としてねえ……大変だな、まったく。
「この際、スカートを脱ぐのはどうだ」
「完全に露出狂だから。人としてアウト」
「いや、短パン履いてんだろ?」
「…………履いてないから困ってる」
ああ、どうやら、体育が終わって短パンは脱いでしまったようだ。珍しく怒ったかのような表情を向けられる。が、やっぱり恥ずかしがってるように思える。たぶん、こいつなりにそういう感情を表す時の顔なんだろう。
分かり易いつうか、何ていうか。
「僕しか見る奴はいないぞ」
「関係ないよー、そこは」
「……なら仕方ない。僕が登るよ」
これ以上困らせるのも何なので、ブレザーを夢前に渡して、木と対峙する。
くぼんでいる箇所に足を引っ掛け幹を掴む。手に伝わるざらついた木肌の感触がなんとも言えなくて、変に溜息が出る。
何やってんだろうな、僕は。
「おお、木登り上手ですなあ」
体をうまく幹につけながら、上まで登っていく。結構高い。本当に小学生低学年がここまで登るのだろうか。運動神経が良くても、よくあの缶箱を片手に登れたものだ。
「取った」
幹の間で硬くなったそれを夢前に手を挙げてみせる。意外に重い。持ちながら下りるのも難しそうなので、木をつたらせて地面に落としてやる事にした。
ガラガラ。と音を立てて、夢前から少し離れたところに到着。
一応これでも気を使ってやったのである。
「兵悟さんすげー。トレジャーハンターやんけ」
「あんま嬉しくないな、トレジャーハンター」
一段下の枝に足を下ろし、一気に飛び降りる。ドスン。と足に軽い衝撃が響く。スニーカー越しだけど来るもんは来る。
……我ながらスイスイ登れるもんだ。人間の成長とは恐ろしい。
「開けてみっか」
一息ついて、落とした缶箱を開けてみようとする。両手で手元に収まるほどの大きさだ。意外に指を引っ掛ける場所が小さくやりずらい。
力を込める。テープで留めてあるんじゃないかってくらい固い。ビクともしない。
さらに目一杯力を込めてみる。
「おらっ」
するとようやく隙間が空いた。
今度はそこに指先を引っ掛けて思いっきり引っ張る。微かに蓋が動き始め、徐々に開いていく。
そして、数分の格闘の末、何とかこじ開けた。
ああしんどい。
「……ん、なんか入ってる」
疲弊している僕を横目に、先に夢前が箱を覗き込む。
僕もそれに続く。
どうやら、中にはミニカーとビー玉、折りたたまれた紙切れ一枚と、赤い塗装のお面が入れられているようだった。
どれも古びているが、強烈な懐かしさがある。
特に。
「あ、これ、"レッドマスク"のお面だ。おじさんが作ってくれたヤツ、この中にあったんだ」
そのお面には思い出があった。
確か、紙芝居おじさんは手先が非常に器用で、紙芝居以外にもこういうグッズを作っては子供たちに渡していたのだ。
このお面もそうで、僕ら"レッドマスク"好きに作ってくれた物だった。
でも一個しかなかったから、相談してタイムカプセルに入れた。
将来、本物の"レッドマスク"なっていた奴が、手に入れるように。
実にガキくさい。
「でも、よく出来てるね。売り物としてあってもおかしくないよ」
そんな思い出深いお面を、夢前が触りながら感心する。
確かにクオリティは高い。まさに商品として売っていてもおかしくないレベルだろう。
けど、ちゃんと見てみると、ハンドメイドの温かみのある出来栄えなのだ。塗装のムラの感じなんか丁寧ではあるんだけど、無機質じゃない。ちゃんと人が塗ったという事が分かる昔ながらの感じ。
いいよな、こういうのって。
「で、この紙はなんだっけか」
"レッドマスク"のお面を一旦置き、当時大切にしてたであろうミニカーやビー玉のおもちゃと共に入っていた、一枚の紙を手に取る。
大雑把に折りたたまれたそれを開けてみると、何やらミミズの這ったような字が書いてあった。
象形文字じゃないのかっていうくらいヘンテコな字だ。
解読不能である。
「ん?」
一人でその紙に頭を悩ませていると、何かもう一つ、音も立てずに足元に何か落ちた。
屈んで拾い上げてみる。
「……これって切符か?」
「見せて見せて…………ん、乗車券?」
夢前が僕の手元を覗き込んで言う。
どうやら本当に乗車券のようだ。後ろに小さく書いてある。
しかし、不思議だ。
入れたのは、当時の僕らだろう。
でもこれは判子も押されておらず普通に使える状態で、値段も書いてなければ、行き先なんかも書いてない。本当にただ、乗車券と書いてあるだけなのだ。
――忘れているのか、本当に知らないのか。
「バスのかな? でも列車とか電車とか、そっちの方の乗車券っぽいかも」
「列車とか電車ねぇ。遠足にでも行った時のヤツなのかな。未使用で乗ってここに入れたとか」
小学生の僕ならやりそうな気もするし。
「ねえ、こっちの紙見せて」
と、乗車券への考察の半ば、夢前が僕の手から紙を取る。
返事をする間もなく、紙とにらめっこし始める夢前。早々に難しい顔をしている辺り、初見の衝撃が凄かったのだろう。
……もしそれ、書いたのが僕だったらちょっとアレだな。
「どれどれ…………うーん、これは『花』かな……で、これは、えと、『サンタさん』か」
でもなぜか、段々と解読出来てしまう夢前。僕との違いがよくわからん。何か読み方的なものでもあるのだろうか。
そんなの知りたくはないが。
「……おお、なんか可愛い。ふふ」
一文字ずつ解析しつつ、感想を漏らしてはチラチラ僕を見てくる。
この感じだと、本当に僕が書いたヤツか?
全く記憶にないし、書いたであろう本人が読めない。
「ねー、ひょーごくん」
わざとらしく平仮名発音で僕を呼んでくる夢前。
ああ、マジでそうらしい。これは頭を抱えるレベル。
全然覚えてないモノだけに、何を言われるかすごく怖い。
何書いたんだよ、当時の僕。
「なんですか、ゆめちゃん」
「なんかさあ、昔からわたしの事好きなんだなって思って」
楽しそうに笑って、改めてこちらを見てくる夢前。
昔と変わらない、いつもの笑顔だ。
――意地の悪い笑顔ってヤツ。
「まさか、お前へのプロポーズでも書いてあったのか」
「ああ、それも可愛いな。でも、もう少しマイルド」
紙をこちらに見せて、その文字たちを指差す。ところどころ読めるが、やはり僕には象形文字にしか見えないそれ。本当よく読めたなと感心する。
「サンタさんへ。僕はレッドマスクになりたいです。かっこいいからです。あと、ゆめちゃんはお花屋さんになりたいです。叶えてあげて下さい。あまがさきひょうごより」
「……うわ」
どうやら夢前が読んでたのは、小学生の僕からのサンタさんへの手紙だった。
完全に内容は将来の願望だったけど、サンタはそこまで出来ないのも分かってないのだろう。
体全体がそわそわする。主に恥ずかしさで。
「なんかこう」
「はいはい」
「お前の夢を叶えてもらおうとしてる辺り、痛いな」
「えー可愛いじゃん。わざわざ書いてくれてるだなんて、ニヤニヤしちゃうんですけどー」
言葉だけだったら嬉しそうにも思えるが、やっぱりからかいの顔をしてやがった。
いやはや、こんな恥ずかしい目に会う為にタイムカプセルを取りに来たんじゃないのに、なんて仕打ちだ。
即刻撤去を申し出る。
「あっ」
おもむろに、僕は夢前が持っていた紙を取り上げ、くしゃくしゃにして破り捨てた。
寂しく、パラパラと白い破片が地面に落ちる。
別に乗車券の事が何か書いてある訳でもないし、解読に苦労した割に、ただの僕の痛々しい文章だったのだ。思い出として取っておいても、こいつにからかわれるネタなだけ。
なら、捨てちまってもいいだろう。
「え、ええ? それはちょっとないんじゃないかな?」
急に不満そうに僕を睨み、語気を強める夢前。
久しぶりに見る、困惑と怒りの表情。
「こんなこっ恥ずかしいモノを読み上げる奴が悪い」
「はあ? なにそれ、わたしが悪いっての」
散り散りになったそれらを一瞥して僕に詰め寄る。このまま殴られそうな勢いがある。
けれど、僕は敢えて不服そうに言う。
「他に誰がいるんだよ」
「なにその言い方」
「ムカつくんだよ、お前の行動」
「ちょっ、そこまで言う事ないじゃん!」
「いちいち、うるせえな」
「あ~~もう! そっちこそ何様なの! 言い方考えてよ! 腹立つ!」
と、夢前が今日一番の大声を出したところで、お互いに『はぁ』と一息。
このままやっていると本気で僕が悪い奴になりそうだ。全く、ノリでやるのもいい加減にして欲しい。
そもそも僕が夢前にそんな事言う訳がない。
「茶番タイムか」
見合いながらも、夢前は笑う。
「正解。今日も良い感じだったね」
「だろ。僕は性格悪いの似合うからな」
「ねえ、さっきの全部冗談でしょ?」
「当たり前だろ」
「わたしの事好きだもんね」
「調子に乗るな」
「乗らせてよ」
先ほどとは打って変わったいつも通りの口調。冗談でも怒った夢前なんかより断然こっちの方が落ち着く。
そりゃ当たり前の話なのだが。
「勘違いされるだろ」
「誰にさー」
「お前に」
「素直じゃないなあ」
時々始まる茶番劇は、基本的にこんな感じで、最後はお互いに恥ずかしいやり取りになる。
だから、あんまりノリでやるもんじゃない。特に僕の過去にかこつけてやるのはマジで痛い。
勘弁して欲しい。
「でも、その紙。こんなのにしたのは、ちょっと嫌だったか?」
足元の紙切れをひとつまみし、夢前の頭にちょこんと乗っける。手入れがしっかりしてるから髪がつやつやしてる。
「ちょっとだけね。でも、兵悟さんが破きたかったのなら良いんじゃない?」
「回答が適当だな」
「えーじゃあ、わたしをお花屋さんにしてくれたら許す」
「あれ、今でも花屋になりたかったのか」
「そうでもないかな」
なんなんだよ。
「まあ、折角だし新しく書いてよ」
「今度な」
「いえーい。ニヤニヤできるのをよろしく」
出していた缶箱に入ってた物を戻し、蓋を閉める。また登るのもアホらしいので、木の根元にそっと置いておく。
一応、乗車券だけ持っておいた。唯一まだ使えるという点と、『電車』『列車』という点が気掛かりだったからだ。
……この街の駅を、僕らは覚えてない。
だから、例え辿り着いたところで、『何かあったな』くらいの感覚しか残らないだろう。
なら、忘れてしまったという事が分かってる今、ちょっと試してみたい。
思い出せるのかどうか、思い出したら何かあるのかどうかを。
これは、その為のアイテムにしておきたいのだ。
「しかし、本当に」
僕は公園の出口まで歩きながら空を見上げる。変わらないオレンジ色が続いていて、やはり見惚れてしまう程に美しい。
全部忘れてしまうくらいに。
「夕焼けってのは良いよな」
そしてこの公園で見ると尚更美しくて、ずっと見てると意識が持ってかれそうになる。
僕らの何か重たいものを溶かすかのように、優しく、温かい夕焼け。
今までよりも強く。飲み込まれるくらいの力がある。
「なあ、少し冒険していかないか?」
夢前が後ろからとことこ近づいて来て、僕の隣に並ぶ。
何となくその頭に手を伸ばすと、こちらを不思議そうに見上げて、ふふっと笑みをこぼした。
「いいよ。どこいくの?」
「駅。どんなところかさ、ちょっと思い出しに行きたくて」
「……そっか。じゃ、兵悟さんの仰せのままに」
自転車のスタンドを上げて、公園を出る。
妙に懐かしい空気を漂わせる街並みを見つつ、僕らの『知らない場所』を目指す為に。
単純に忘れてしまっただけの、思い出せるかも分からない場所へと。
夕焼けが全てを忘れさす前に、この街を出る前に、何かが見つかる事を信じて。