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若者

作者: 松宮 奏

sean 健太



いつもとは違う帰り道。

この街で一番大きな片側二車線の道路にかかる歩道橋の上。今日はなんだかまっすぐ家に帰りたくなくて、歩道橋の柵に寄りかかり、道路の遥か奥の山間に見える焼け焦げてそろそろ落っこちそうな茜色の果実を、この町に住んでいる健太は眺めていた。


あいつはいいよな。唯一無二で。文字通りみんなを照らして、誰からも必要とされている。心の底から羨ましいと健太は感じていた。



健太の小さなころからの夢はビックになることだった。お金持ちで、カッコよくて、人気があって、誰よりも自由で、自信に満ち溢れていて、、、そこに定義などありはしないが、そんな漠然とした存在に幼少期から憧れていた。二十歳を目前とした今でも変わらなかった。


抽象的な憧れから具体的な憧れに変わったのは中学三年生の時で、中三への進学時、クラス替えで隣の席になった昂心がキッカケだった。

ある日昂心の家に遊びにいった。小さな一軒家で、昂心の部屋も、人一人がまっすぐ横になって寝られるベットが面積の半分を占めてしまうくらいの部屋だ。だがその部屋には赤や青の得体のしれない使いづらい刀のようなものや黒色の箱や本棚には目眩がしそうなほどに大量に本が所狭しと詰め込んであった。

赤や青の使いづらい刀のようなものはギターというもので、黒色の箱はアンプというもので、大量に並べられた本は全て音楽雑誌やギターの教本であると説明してくれた。

説明が終わると赤色のギターを持って椅子に座り慣れた手つきで何やら準備を始めた。少しすると準備が終わったのかギターを膝にのせてベットの上に座りこちらをみてにやりと笑った。少し右手を振りかぶり、野球のホームベースのような形をしたもので木に括りつけられた銀の紐をこすると部屋全体を突き破るように大きな音が鳴った。

その音は耳を通り抜けて心臓まで達し、驚きと歓喜に健太の心を震わせた。そんな健太をよそに昂心は演奏を始めた。今までの人生で見たことがないような速度で動く昂心の両手とそれとは裏腹に心地よいメロディーを奏でる昂心のことを健太は音の魔法使いだと思った。 

ずっと聴き惚れているとそのメロディーは日本人なら誰もが知っているあの曲だと気が付き、それに気が付くとそこからは音の解体ショーみたいだなと思った。これほど胸が躍り高鳴った瞬間は健太の人生では一度もなかった。

その日から毎日のように昂心の家に通うようになった。青色のギターを昂心に借りて教えてもらったり、昂心がいない時にも昂心のお母さんに許可を取り、教本を読み漁って指先が痛くなってボロボロになっても練習をした。


ある日の休日、昂心に誘われて昂心の好きなバンドのライブへ行った。頬に汗が伝わるがはっきりと見え、その水しぶきがかかるくらいの広さで熱狂したフロア。性別年齢問わず誰もが前だけをみて手と歓声を上げて楽しそうにしている。

だがその誰よりも楽しそうにステージにたって奏でている五人のバンドマンがあまりにもカッコよく、健太の目は釘付けになった。


ライブ後の帰路。興奮冷めやらずいつまでも昂心に話し続ける健太のことを見透かしたように

「俺らもあんな風になれたらいいよな」

と昂心は言った。その顔はまた笑っていた。健太はさっきまでのおしゃべりを辞めて何やら考え始めた。


次の日から。健太が抱えてた弦の数が六本から四本に変わった。バンドをやるには圧倒的上手さの昂心をギターにして、自分はベースをやった方が良いと思い立ったのだ。

小学生の頃から貯金してきたお年玉がほとんどなくなったが全く気にならなかった。


昂心と同じ高校に進み勉強なんてそっちのけで毎日のように練習日々。そのうちに仲間も増え、作詞は健太が中心に、曲は昂心が中心となってみんなで作り、オリジナの楽曲をいくつも作れるようになった。

作った楽曲を文化祭で披露すると瞬く間に人気者になった。バンドメンバーの編成は、もちろんギターの昂心、ベースは健太、昂心と同じクラスだったボーカルの学とドラムの友弥だ。


人気者になって有頂天になっていたメンバーはボーカルの学が言ったオリジナルソングをレーベルへ送ってみようという意見に反対するものはいなかった。

自分達の作った曲に自信がなかったわけではなかったが、文化祭レベルの自分たちと人生で初めて見たライブの時の昂心の好きなバンドとでは比べるのもまだまだおこがましいと思っていた健太はだめで元々といった軽い気持ちだったが、その気持ちとは裏腹にレーベルの大人たちは健太たちの音楽をとても気に入ったらしく音源を送ってから数週間と立たないうちに事務所から吉報が届いた。

元々勉強になど全く力を入れていなかったバンドメンバー。特に昂心と健太に迷いはなく、それに乗せられる形で他のメンバーも、親や身内や友人を説得して回り、高校を中退し上京した。高校二年生の時の話だ。思えばこの頃が一番楽しかった。


上京した四人は音楽で世界を自由にする(扉を開放する)という意味でロックとかけて「unrock」と名乗り、あっという間にデビューを果たすと、青春の甘酸っぱい学生目線の歌詞が受けたのか、J-POP調の軽快なサウンドが受けたのか、キャパ数百人ほどのライブハウスを埋められるくらいにまで成長した。上京してから二年がたち若干19歳の頃だった。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだったが幸福はそう長く続くものでもなかった。



人間関係なんて割れ物のようなものだ。人と深く関われば関わるほど、互いに近づき過ぎれば過ぎるほど、好きになればなるほど、ほんのちょっとのきっかけで亀裂がはいり、一度われると二度と戻ることはない。よく喧嘩して仲直りしたなんて聞くが、そんな喧嘩は喧嘩もどきかまたは最初からお互いに真剣に向き合っていない証拠だと思う。ある程度の距離感を保ち近づきすぎず互いに仲良くなろうと探りあっているくらいが一番うまくいく時なのかもしれない。


俺たちunrockに亀裂が入ったのも本当に些細な事だった。高校生の時は昂心を中心に四人全員で話合いながら曲を作っていたが、時が立つにつれて昂心がデモ曲を作り、それを各々のパートで編曲を入れて完成させる形になっていた。誰かがそうしようと言ったわけじゃなくそれがunrockにとって一番の形だと思うようになっていた。

しかし、ライブのたびに客が増えバンドとして軌道に乗っていた中で作成を始めた二枚目のアルバムのレコーディング中、ボーカルの学と昂心が揉めたのだ。

バンドが売れるということはニーズに合わせて変わることを少なからず要求されることがある。または無意識の内に変わっていることがある。学は昂心が持ってきたデモ曲が今までと違うと、これは俺たちの音楽じゃないとまで言い放ったのだ。

それに対して昂心は断じて意見を曲げず突っぱねた。口論は次第にヒートアップしていきいつしか手を出し合うまでに発展していた。健太と友弥は二人を必死になって止めた。バンドをやっていく上でよくありがちな方向性の違いだが、本当の仲良しだった健太たちunrockには今まで一度もそんな経験はなかったのだ。動きを止めるために両脇を抱きかかえるようにして抑えていた健太の腕を振り払い、学はそのままスタジオを飛び出していった。スタジオに残った三人は誰も口を開かずその間には重苦しい空気が流れていた。

実は健太も昂心作る曲の変化を感じていた。しかしそれは昂心が昂心なりに考えてのことだと思っていたし、それが悪い方向に行っているとは全く思っていなかった。健太にも学とは違う考えがあった。いやいや、だからと言ってこのままほっておいていいのか。健太は学を追いかけるためスタジオの扉を開けて外に飛び出した。学はスタジオの入り口に扉に背を向けてたっていた。もう遠くへいってしまったんじゃないかと思っていた健太はほっとして声をかけようとしたとき、学は首だけ後ろを向けてちらりと健太を確認した後、健太が声をかける前に口を開いた。

「やっぱり出てきたのは健太だけか。俺、バンドやめて地元にかえるから。」

表情は見えなかったが、ライブ中に後ろから見てきた豪快に歌う背中はなく、今までで一番小さく寂しく見えた。

それだけ言うと学は正面に向かって走り出した。健太はあっけにとられてしばらく放心していたが学を追いかけて走り出した。どこへ行くのかどこまで行くのかそれすらも分からず走り出した。

「まて!学!話をしよう。止まってくれ!」

健太は走りながら何度も叫んだ。だが学は耳を傾けず走った。バンドメンバーのことはもう何でも知っていると思っていた。けど学がこんなに足が速いとは知らなかった。みるみるうちに引き離され見失ってしまった。

この狭くて広いトウキョウシティーを無我夢中で走っていたから、辺りを見渡すともうここが何処だか分からなかった。健太は近くにあったガードレールにもたれ掛かり肩で息をしながら呼吸を整えるために上を見上げた。高いビルの隙間から見えた小さな空は雨も降っていないのに星一つ見えない真っ暗でそれを見ているとなんだか自分の心まで黒く染まっていく気がした。



道路の遥か奥の山間にあった茜色の果実はもうとっくに焼け落ちていた。横から照らされ後ろに長く伸びていた健太のシルエットも闇に消えていた。辺りは薄暗くなった街を街灯がチラホラと微かに照らし始めていた。

半袖で外にいると昼間は暑いが夜になると寒くなる変わり目の季節だ。健太は半袖のプリントティーシャツにジーンズといった出で立ちだったため、寒さで身震いした。


学と昂心が喧嘩して学がいなくなった日から一週間立って、学が本当に地元に帰ったと分かったのは、健太の実家の地元の母親から近くのスーパーでいるはずのない学を見かけたという驚きの連絡が入ったからだ。

今日はそのことを伝えるために昂心と友弥と三人で所属している事務所に行った。

社長には酷く叱責された。デビュー当時からunrockの世話和してくれていたマネージャーはこの世の終わりのように青ざめた顔をして一言も発さなかった。これからアルバムの発売もライブもいくつか決まっていたのだ。一番気の毒なのはマネージャーさんかもしれない。

楽器隊ならまだしも、ボーカルというバンドの顔である学がぬけたunrockは何としても学を連れ戻すこと、それが出来なければ解散。それまでの間は活動休止というのが社長から言われたことだった。学が戻ってこないことはメンバーならみんな何となくもう分かっていた。


高校も中退して中卒の俺たちがバンド辞めて、まともに働けるようなところが今のご時世どこかにあるのだろうか。

そんな誰もが持っているような不安を今まで一度も覚える暇もなく突っ走ってきた健太は、そんなことを想像すると発狂しそうなほどに怖くなった。

とはいえ俺たちがやってきたunrockで本当に開けられた扉などあったのだろうか。フロアにいる観客たちは少なくともその場は熱狂しているように見えた。だがあれも全て時間が立つと溶けて消える童話の姫の魔法のようなものだったんじゃないのだろうか。


現に俺はあの夜。学を追いかけたあの夜。声を枯らして、息をきらしても叫んだあの夜。俺の言葉は一番大切だったメンバーの一人にさえも届かなかった。


「うわあああああああ!おい!!!!おあああああああ」


内にある何かが溢れだしたように、健太は歩道橋の上から声にもなっていない声を張り上げていた。

おい道路を通ってゆく車よ。おいそこで犬の散歩をしているおばさんよ。どうか俺に気が付いてくれ。俺の言葉を聞いてくれ。俺を孤独にしないでくれ。世界に俺の居場所をくれ。

健太はそんな思いで、何度も何度も何度も何度も声を張り続けた。やがて喉に限界がきて声を張り上げるのを辞めた。

その間、走っていく車は一度たりとも止まることはなかった。犬の散歩をしていたおばさんですら健太の声に気が付かず、犬のした糞を拾ってどこかへ去っていった。健太は自分という存在の大きさをまざまざと知った気がした。


コップいっぱいに溢れてこぼれ落ちそうなくらいにあった自分に対する自信が今は空っぽだった。


少し目に涙を浮かべながら薄く笑い、冷えきったおぼつかない足取りで帰路に向かう方の階段へと歩みを進めた。






sean 幸壱


いつもと同じ帰り道。

この街で一番大きな片側二車線の道路にかかる歩道橋が見えるレンガ畳の歩道を歩いていた。

ふと見上げると浮かない顔をした若者が歩道橋の柵にもたれ掛かりぼんやりと立っている。

なんてことはない日常の風景と言えばそうだが、その若者は何となく昔の自分と似ている気がした。

玄関の外まで匂ってくる夜ご飯のカレーのようにわずかだが嫌な予感もして、いざという時は咄嗟に動けるように心構えをして、その若者をじばし、静観することにした。

ずっと見ていると気づかれた時に不審に思われるのも嫌なので、若者の背中側に回って見守ることしようと思いちょうど若者の後ろ姿が斜め右上に見える位置へ移動したその時だった。


「うわあああああああ!おい!!!!おあああああああ」


内にある何かが溢れだしたように声を張り上げた若者に驚き振り返った。

何度も何度も何度も何度もその若者は叫び続けている。喉が潰れるんじゃないかと心配になるほどだ。

ふと目に止まるものがあったその若者は黒くて細長い歪な形をした鞄を持っていた。その瞬間その若者のすべてが分かった気がした。


ああ。やっぱり俺なのだ。あの若者は若かりし頃の俺だ。




この町の製薬会社で働く幸壱は今年で38才になるが、今の製薬会社に勤め始めたのは三年前だ。

それまで何をしていたかというと、バンドを組み音楽活動をしていた。だがその活動は決して華やかなものではなかった。30代もちょうど折り返しにかかった頃バンドメンバーの一人に奥さんと子供が出来、バンドを脱退したいと申し出た。

それを聞いた幸壱が出した結論は意外なものだった。バンドを解散する。もちろんそれは簡単に出した結論ではなかった。

20才で上京しそれからはすべての人生を音楽に捧げてきたのだ。それをお終いにするなんて、自分で自分の首を絞めるように苦しい決断だった。

長くやっていると数は少なくともずっと寄り添ってくれるファンもいて、その人たちのことを思うと胸も苦しくなった。

だが、もう自分達の持てる全身全霊を出し切ったと感じていたのだ。それでも自分たちが望んでいるほど売れない。

それは幸壱だけではなく他のメンバーも感じていたようで、幸壱の解散という意見に反対するものはいなかった。34才の時に音楽業界から卒業した。


その後一年間何をするわけでもなく遊んだりちょくちょく就活をしたりして35才の時に今の製薬会社に就職した。メンバーの脱退、解散。意見の食い違いからの口論、殴り合い。売れたくても上手くいかない葛藤、不安。心のない批判、罵詈雑言。

長くてあっという間だった音楽人生を振り返ってみるとこういった暗い思い出の方が多く出てくる。

しかし今でもライブハウスから会社のお祭りのステージに場所を変え、同僚たちと年に何度か楽器を演奏している。たまにバンドの元メンバーや長年応援してくれて仲良くなった元ファンと適当な居酒屋でお酒を飲みかわす日は、たいてい次の日の朝まで皆が笑いながら思い出話に花を咲かせる。

間違いない。間違いないのだ。

あの長くってあっという間だった、スポットライトを浴びた日々は暗い思い出も含めて全て、間違いなくお金にも代えられない、ダイヤモンドよりも光り輝く財産となっている。



幸壱には伊織という一つ年下で地元の後輩であり親友でもあり、心を許せて何でも話せる友がいる。

伊織も幸壱とは別のバンドを組んでいて昔は何度か対バンという形で一緒にライブを行ったことがあった。しかし伊織が組んでいたバンドはあっという間に売れていき一躍時の人となった。

今では何本か映画が公開されると、そのうちの一つは伊織のいるバンドが主題歌を担当している。

もちろんそんな伊織のことが妬ましく、いじらしく連絡を絶つこともあった。だが今はそんな気持ちは毛頭ない。人にはそれぞれ居場所があることに気が付いたのだ。

伊織は何万に囲まれた煌びやかなステージの上。幸壱は製薬会社の笑い声がよく聞こえるステージの上。

他人の意見なんてどうでもいい。

それに気が付いてから伊織ともまた飲みに行くようになった。伊織は幸壱が想像しか出来なかった華やかな世界の話を心から楽しそうに幸壱に話す。幸

壱は伊織の話を心からその話を楽しそうに聞く。

伊織は言った。

お金にも代えられない、ダイヤモンドよりも光り輝く財産を手に入れたのだと。




歩道橋の上で叫んでいた若者はとうとう声が出なくなったのか、叫ぶのを辞めておぼつかない足で幸壱がいる方向とは逆側の階段に歩みを進め始めた。

幸壱はカレーの匂いほどの不安が杞憂に終わったことに安堵した。

幸壱は階段へ向かう若者に向かって拳を突き上げた。


それでいい。若者よ。お前の声は確かに俺に聞こえたぞ。まっすぐ突き進め。たとえ横にそれてもいい。その道を真っすぐ突き進め。そうすれば、どちらに行ったとしても、お前が得られるものは宝だけだ。

心を燃焼して突き進め。


幸壱は若者の姿が見えなくなるまで上げていた拳を下して家に向かって歩き出した。

最近購入したワイヤレスのイヤホンで世界に蓋をする。こういう時に聴くのは自分が作った音楽だ。

これは音楽に携わった経験のあるものだけの特権だろう。自分が作った音楽が耳から流れてくる。それだけで見える景色がいつもより少し輝いて見えるのだ。

あの若者ももう既にそんな宝を1つ手に入れているのだ。


若者よ。真っ直ぐ突き進め。




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