[1] 春、『花愛でる茶話会』にて(1)
「ミリィディアナ様、お立場を笠に着て、私の大切な妹に危害を加えるような真似は許しませんから!」
日が陰る前に、と閉会になった茶話会。
順々に帰る招待客の姿を眺めながら、未だ妃殿下と話し込んでいるお母様を待っていると、私の背後からそんな口撃が聞こえてきた。振り返ってみれば、今まで殆ど会話したことのなかった、プロプラム伯爵家長女クリスティナ・メイ嬢が目を吊り上げて仁王立ちしていた。
その日はウレアナ期十六年五月、場所はフォルトハート国王宮の中央庭園にて、リディアナ妃殿下発案の『花愛でる茶話会』が催されていた。
昼間の王宮での催しだったこともあり、政の中心を担っている貴族のご夫人や、そのご夫婦の間に生まれた未成年の子ども達ばかりが参加していたが、特に今回の茶話会では、王家所縁の子ども達に歳近い八歳〜十五歳前後の子息令嬢が参加しており、随分と賑やかな一日だった。
それは、“妃殿下が管理なさっている庭園の花々が美しく咲き誇っているので、花を愛でながらお話を致しましょう”、公にはそんな趣向だったけれど、実際のところ、皆様の関心は花よりももっと別のところにあったから。
ひとつは、王家所縁の子ども達が、国王陛下直系の子ども達三人だけではなく、王弟殿下の子どもや前国王妹姫の孫に至るまで全員揃って参加していること。
ふたつめは、伝説に語られる『聖女』の印を持っているとされる十三歳の少女が、初めて茶話会に参加したこと。
つまり、叶うならば、覚えめでたく自分たちの子どもと、王家の子ども達の誰かとが、婚姻を結ぶ機会になるのでは、と言う思いと、百年ぶり程になる『聖女』の姿をいち早く直に見てみたい、と言う好奇心から足を運んだということ。
お蔭で茶話会は閉会したというのに、未だ帰ろうとせず、王子や姫君と話そうとする方々や、『聖女』をちらちらと遠巻きに観察している方々も数多くいらっしゃる。
そんな人目もまだまだ多い王宮の一角で、それらの人目も気にせず、むしろ悪目立ちするような喧嘩腰のクリスティナ・メイ嬢。
新緑色のドレスに、カールした明るい茶色の髪をポニーテールに結い、ドレスと共布のリボンで纏めていた。胸元には、サンザシを模したブローチが飾られている。それは今日『聖女』が身につけていたブローチとお揃いなのだと気がついた。
せっかく彼女を引き立たせる清楚な装いで、黙っていれば可憐な少女に見えるというのに、吊り上がった目と仁王立ちの様相が、全てを台無しにしてしまっている、気がする。
(私、なにか悪いことしたかしら?)
と、心の中で今日あったことを振り返ってみる。
もしかしたら、『聖女』の肩書をつけられた、レミリア・エイラ嬢ーークリスティナ・メイ嬢の義妹に当たるーーに、初めての挨拶を交わした際、彼女が身につけていたドレスに汚れを見つけて指摘したことかしら。
初めてお会いした『聖女』は、ゆるくウエーブの入った白金の髪と新緑のような黄緑色の瞳に、淡桃色のドレスがとても良く似合って、花の咲いたような可憐な少女だった。胸元にはクリスティナ・メイ嬢とお揃いの白いサンザシを模したブローチも付けていた。
「初めてお目にかかります、パーロウ侯爵家長女、ミリィディアナ・バーバナと申します。お見知りおきくださいませ」
そうご挨拶をした際、彼女のドレスの裾に、泥の跳ねたような汚れを発見した。
「……失礼、ドレスの裾が汚れておりますよ」
と周囲に気が付かれぬように、身を寄せて小さな声で伝えると、近くにいた小間使いに声をかけ、汚れを取って貰えるようにと彼女の代わりにお願いした。
その際、レミリア・エイラ嬢からは、
「ありがとうございます」
と、恥ずかしそうではあったものの、大変愛らしい微笑みでお礼の言葉をいただいた覚えがある。
とすると、恐らくこれではないはず。
いえ、それとも彼女が、妃殿下がお育てになっているブルーベルを手折ってしまったのを注意したことかしら。
庭園と宮殿の他所を繋ぐ道程に、ドレス姿ながらしゃがみこんでいる彼女を見つけ、もしやと思い急いで駆け寄ったものの、あっという間に摘んでしまったので止めることができなかった。
彼女は、この茶話会で初めて王宮に足を踏み入れたとのことで、王宮の広さと勝手がわからないご様子だった。
茶話会が開催されている庭園は美しく整えられているものの、それまでに至る道々は自然に馴染むように手入れがされている。それで自然に咲いた花だと勘違いしてしまったようだった。そうは言っても、王宮内で咲いていることには変わりなく、ここにある全ての花が全て妃殿下自らが管理していらっしゃること、例え道々に咲いているような花でも勝手に摘んではいけないことを伝えた。
「ど、どうしましょう……知らずにとんでもないことを……申し訳ございません」
顔を青ざめさせてオロオロする彼女に、
「私に謝っても仕方がありません。本来なら妃殿下に謝るところなのですが……」
そう伝えたところ、一層顔を青ざめさせ、
「妃殿下に……ですか……?」
と、固まってしまった。
ちらりと庭園内に目をやると、遠巻きにこちらを伺っているまだ帰宅せぬ茶話会の参加客が数名。
私が傍にいるので近寄ってこようとはしないけれど、果たしてどこからどこまで見られていたのか。これは可哀想だけれど、無かったことには出来ない。
「私が一緒に参りましょう。素直にお伝えすれば妃殿下はお怒りになりませんよ。お優しい御方ですから大丈夫です」
と、レミリア・エイラ嬢の右手を取った。
「申し訳ございません、お手数をおかけします」
私が一緒に行くと伝えたことで気持ちが落ち着いたのか、彼女は青くなっていた顔色を少しだけ赤く染めて、取った手を握り返してきた。
気持ちが落ち着いたのなら幸いと、そのまま手を引いて妃殿下の元へと連れだって向かい、約束通り一緒になって頭を下げる。
「その……とても美しくて、思わず手にとってしまい……大変申し訳ございませんでした」
正直な言葉を口にしながら、深々と頭を下げるレミリア嬢に、妃殿下は「何も問題ありませんよ」と言って優しく微笑まれると、彼女から一度ブルーベルを受け取られた。
そして、私達の見ている前で花の切り口から汁が出ないようにと簡単に処置をしてから、彼女の胸元に飾られたサンザシのブローチに差し込むようにして、ブルーベルを飾った。
レミリア・エイラ嬢は驚いたような顔をして固まってしまったけれど、
「正直に言ってくれて良かったわ。美しいと言ってくれてありがとう。これはその御礼にプレゼントするわね」
そう言った妃殿下の言葉に、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
妃殿下の前から下がった後にも、
「ミリディアナ・バーバナ様、助けてくださいまして、本当にありがとうございました」
と丁寧なお礼と笑顔を私に対して見せてくれていた。
この件であれば、私が駆け寄らなければ他の誰にも気が付かれなかったかもしれない。
とは言え彼女は今日、主役の一人と言っても良い。彼女に対して誰も目を向けない、と言う瞬間はなかっただろう。放っておけば「妃殿下の花を勝手に摘んだ」と騒ぎ立てる令嬢がいたかもしれない。
そう思えば、やはり駆け寄って正解だったと思うのだけれど。