魔女の読書論
どうも、星野紗奈です(*´ω`)
去年の夏に書いた作品を保存がてら放り投げます。いつも通りクオリティは保証できませんのでご了承ください(笑)
どんなのでも受け止めてみせますという勇気のある方だけお進みください……。
それでは、どうぞ↓
彼女は唐突に、こんなことを言った。
「人はね、皆本を読んでいるのだよ」
夕日で紅く染められた教室。静かな空間には、僕と彼女だけが存在している。微かな風が彼女の髪を撫でるように揺らす。
「君は思想家か何かなのかい」
僕が一つため息をつくと、彼女は透き通る声で答えた。
「違うよ。ただ、最近よく思い当たることがあるからね」
彼女がこうやってわけのわからない考えを僕のことなんてお構いなしに話すのは、いつものことだ。彼女はやはり、どうかしている。彼女はどこか世界を達観していて、その瞳は時に泥水よりもひどく濁る。まるで、この世界を見捨てたような、そんな感じだ。だが、毎回呆れながらもこうやっておとなしく話を聞いてしまう僕も、きっとどうかしている。
「私たちは、人生と言う長い時間をかけて、とても想像できないような、大きすぎる物語を読んでいるのだよ」
彼女の話を遮るのはあきらめて、僕は適当にへえ、と相槌を打つ。
「人生の読書、ねえ」
「良い表現だ。まあ、読書と言っても、私たちが趣味で行うあの動作とは別物だが」
細く白い指で自身の髪をくるくると弄びながら、彼女は話を続ける。
「趣味の読書と人生の読書における決定的な違いは、人々が読書をしているという自覚を伴っているか否かだ。趣味の読書は、好きかどうかは別として、ほとんどの人がその行動を自覚している。しかし、人生の読書に関しては自覚している者がほぼいない。誰も気がついていないのだよ、自分が目に見えない本を読んでいることにね」
彼女は遠くの夕日を眺めながら、静かに笑った。新たな発見をして、さぞかし満足しているだろう。
「なんだか宗教的な考え方に近づいて来たような気がするよ。僕は、そういうのはあまり好きじゃないんだけれど」
やれやれ、と首を振りながら僕がそう答えると、彼女は妖しげな瞳をこちらに向けて、にやりと笑った。
「なんでだい?人間は思い込みの激しい生き物であるから、宗教との相性はばっちりだ。本当に助けてくれるかもわからない神にすがって、日々の苦難を乗り越えて生きている。実に滑稽で面白いじゃないか」
彼女がにこにことそんなことを言うものだから、僕はまたため息をついてしまった。
「そんなことを周りに言ったら、君は全世界の全ての宗教信者を敵に回すことになるよ」
しかし、そんな僕の気も知らずに、いや知っているかもしれないけれど、彼女はあっけらかんと言う。
「別に、私は正直に意見を述べたまでだよ。それに、全世界を敵に回すというのも悪くなさそうだ。今までにそんな偉業を成し遂げた人物はきっといないだろう?」
彼女の発言に、僕は頭を抱える。どうして彼女は、こうも世間を気にしないのか。
彼女がこういう風に一歩、いや十歩外れた意見を口にしてしまうのは、今に始まったことではない。僕が出会ったころから、彼女はそんな感じだった。だから、クラス内で孤立するのは当然で、いつも一人、窓の外を眺めていた。その様子は、まるで鳥かごに閉じ込められた小鳥のようだった。
彼女は確かに孤立していたけれど、いじめとか、そういうものに手を出そうとした者はいなかった。理由はとても単純で、彼女が美しすぎたからだ。こんな僕でも、素直に綺麗だと思えるくらいには。例えるならば、棘があって近寄りがたい魅惑の薔薇、といったところだろうか。普通はその美しさを妬ましく思う者がいるのだが、いつまでたっても問題が起きないということは、彼女の美しさを目の前にしてもなお勝てると思えた者は誰もいなかったらしい。
ミステリアスで、頭のねじが外れているからか考え方がどこか狂っていて、誰も歯向かえないような美貌を持ち合わせている。他にも周りの人々が離れていく理由は多数あるが、彼女は大変変わった人物であったから、クラスの皆は魔女と呼んでいた。
なぜ僕が魔女と呼ばれる彼女と話しているのか、それは僕にもわからない。ある日の放課後、初めて彼女とこの教室で会ってから、何の理由もないのに、僕はここに通い続けてしまっている。きっと、魔女の魔法にでもやられてしまったのだろう。
僕は時計を見て、少し驚いた。あれこれ回想をしているうちに、数十分時間が経ったらしい。頭の中は、まだ彼女のことでいっぱいなのに。
彼女はずっと黙っている僕に飽きたのか、話しかけてきた。
「ねえ、君は本を読むのを途中でやめたことはあるかい?」
僕は、ゆっくりと首を縦に振る。
「それがどうかしたのかい?」
「いや、私は今まで全ての本をきちんと読み終えてきた。どの本にも必ず何かしらの意味があると信じていたからね。しかし、それが今にも崩れそうなのだよ」
私自身が崩そうとしているのだけれど、と鼻で笑いながら彼女は言った。僕はなんだか、嫌な予感がした。
「この本からは、意味を見出せないのだ。登場人物たちが、この本の中に生きる意味が。何もかもがモノクロに見えて、とてもつまらない」
彼女は、目を疑うほど自然な流れで、窓ぶちに腰かけた。夕日が彼女を背中から紅く染め上げて、表情は闇に消える。その美しさと妖しさは、まさに魔女。
彼女は、言った。
「つまらない本を読むのは、もうやめたいのだよ」
そして、落ちた。
というシナリオを彼女は思い描いていたのだろうけれど、あいにくそれは僕が阻止した。
僕は気がついてしまったのだ、自分の中の彼女の存在の大きさに。彼女に対して持っている感情に。僕は彼女を教室内になるべく優しく引き戻して、こう言った。
「さっき、趣味の読書と人生の読書における違いは自覚を伴うか否かだと君は言ったね。しかし、もう一つ、明確な違いがあるじゃないか」
僕は一度深呼吸をして、彼女に再び向き合う。
「物語に自身が介入することができるか否か、だよ」
すると、彼女はこの世界の全てをあきらめたかのように細めていた目を大きく開いた。夕日が瞳に移りこんで輝き、それはまるで宝石のようだ。
鼻の奥につんとした感覚を覚えるが、気がつかないふりをして、僕は驚いている彼女に話を続ける。
「僕は、こんなに愉快な奇人と、十分すぎる時間を過ごしてしまったんだ。もし君が、僕の本から姿を消したなら、残りのページに書かれた物語は退屈以外の何物でもなくなってしまう」
だから、という僕の言葉は震えていて、風の音にいとも簡単にかき消された。それでも、ようやく気がついた僕の想いを伝えたくて、声を振り絞る。
「消えようなんて、思わないでくれ」
その直後、僕は耐えきれず、涙を流してしまった。
彼女はそれを見て、一瞬驚いた顔をした。しかしすぐにその表情は変わり、隠すこともせずに大笑いし始めた。笑いはしばらくおさまらなくて、彼女は女性らしくもなく、ずっとひいひい言っていた。自分がとても情けないことは認めるけれど、この反応はあんまりだ。
深呼吸をするように僕が促して、ようやく彼女は言葉を発せるようになった。
「君は、面白い人物だね」
彼女は、紅くなった目元を拭いながら言った。勿論、僕はそれを見逃さなかった。それは笑いの涙なのか、それとも別の何かなのか。胸の片隅で、後者を期待している自分がいる。
「この物語の続きを、もう少し読んでみたくなったよ」
彼女はまるで子供の様に笑った。それはとても魔女とは思えない、屈託のない笑顔だった。こんな風に心から喜ぶような笑顔を、僕は初めて見た。その時、胸の奥がきゅっと熱くなって、心が大きく揺れるのを感じて、僕は恋というものを知った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!