第三話 旅立ちの朝
第一部 第三話
その日、カエルはなかなか眠れなかった。
あれだけの一大事が起きた1日だったから。
明日は旅立ちの日だ。早く寝なければいけない。それは分かっている。
だが、気がかりなことがいっぱいあった。
今日一日でどれだけの被害が出たのか。
明日、出発した後みんなで協力してやっていけるんだろうか。
「……考えても仕方ないか。俺には俺の、やるべきことがある」
真っ暗になった今から出来ることなど少ない。かえって邪魔なだけだ。
不安を捻じ伏せて、明日のことを考える。
外……、一体どんな景色があって、どんな世界が広がっているんだろう。と。
その日、カエルは期待に満ちた気持ちでまどろみに包まれながら眠りに就いた。
*
朝が来て、昨日戦いの影響で崩れた大樹の一角から、鈍い日光が煌々と差している。
いつもなら、このヒグラシの郷は正午にならないと、ちょうど真上に来る太陽からの日差しが入らない。
戦いの凄惨さを物語る変化ではあるが、このヒグラシの郷が長年に渡り外と隔絶されてきたのが、郷と外が繋がったことも意味している。
その朝のヒグラシの郷。昨日被害を受けた部分の復旧や瓦礫の除去などに手を出している有志者たちの横を、決意に満ちたカエルが行く。
何名かは、カエルに気付いて話し掛けてきた。
「よぉ。カエル。元気そうだな? あー、外に出るんだって? ……これ、持ってけよ、内緒な?」
「ああ、元気だぜ。っと……何だコレ?」
「フフン、驚いたか? いつか戦いが起きることは、俺は予想していた! そして、戦いが起きた時のために……その、伝説の剣を作っておいたのさ!」
「剣……かぁ? コレ」
そう言って、渡された剣のようなものを掲げるカエル。訝しげな表情である。
「おいおい……俺が頑張って木の枝を削って作ったんだぜ? 攻撃力抜群! それに、かなり丈夫な素材を使ったからちょっとやそっとじゃ壊れねえ! どうだ? いいだろう! 欲しいだろう!!」
「お、おお……分かった分かった。持ってくよ。ありがとうな」
「グハハ! お礼なんぞ要らんからな! あ、旅の土産話なんて期待しとこうかな? グハハ! なあみんな! ……あれ?」
半ば後半部分の勢いにより持っていかされることになったカエル。そして剣を渡した主は、とっくに復旧が終わっていたことに気付かず、取り残されていた。
「おぉーい! 待ってくれー!!」
何を見せられていたのだろうか。
「まぁ……使い時が来るかもしれないしな。一応貰っとくか」
ということで、カエルは「伝説の剣」を手に入れた!
そんなこんなでやってきたヒグラシの郷の東。
今は郷と外を行き来できる唯一の場所だ。
そこで外の景色を前に立ち尽くすカエル。そのカエルの背中に向かって話し掛ける者がいた。
「物事にはな。始まりと終わりがあるのじゃ」
振り返ると、ヒゲが特徴の長老、ジィガがそこにいた。
「じいちゃん」
「これから始まる物語は、始めるのも終わらせるのもお前次第」
アルファベットのJ字型の杖を使いコツコツと地面を鳴らすジィガ。
「ワシがお前ぐらい若い時は、同じように旅をして、かなり無茶なことをして来たものじゃ……だがな、こうして生きておる。それはなぜか分かるか?」
「見かけによらず、すごい強かったとか?」
「違う」
「じゃあ、ものすごく運が良くて生きて来られた、とか?」
「違う」
「じゃあ……ああ、そうか。じいちゃんスゲー賢いもんな? 頭が良かったからだ!」
「違う」
「えぇーじゃあ何だよー?」
「それはな」
そこで言葉を切り、後ろを振り返るジィガ。これは、彼が大事なことを話す時のクセだ。
「答えはお前が見つけなさい」
「どんがらがっしゃああん!! そりゃ無いぜじいちゃん!!」
ド派手にコケたカエル。そのカエルに背中で語っていたジィガが振り返る。
「ハハハ! まぁ心配するでない! ワシに見つけられたのじゃ。お前にもきっと見つけられる」
「まったく……」
「しかし、これだけは忘れるでないぞ」
今度はハッキリと目を逸らさずにジィガが言う。
「外では何が起こるか分からん。常に自分の身は自分で守らなければならん。それが大自然の掟なのだ」
カエルは、黙ってうなずいた。
「強い者が弱い者を食べ。弱い者は自分より弱い者を探して食べ。その繰り返しだ……。そして、そのピラミッドの一番上に立つもの、それがニンゲンじゃ」
「なるほど……」
「ワシらカエルはそのピラミッドの下の下の方にいる弱い生き物なのだ。本来、ニンゲンなどには敵うはずはない」
「そうだな」
「例外として……お前のドラゴンのような力があれば勝つことも出来る。じゃがな、それは本当に危ない時にのみ使うようにせよ。神話にのみ存在する幻獣がいると知られれば、奴らニンゲンはどこまでも執拗に追ってくるに違いない」
「あぁ。分かった。ここぞという時にしか使わねェ」
「よし。ならばワシから言うことはもうない」
「ありがとう。じいちゃん」
と、そこでカエルは今のジィガの発言に何か引っ掛かりを覚えた。
「ワシから言うことはもうない……? それはどういう」
「言葉どおりじゃよ。ワシからはもう終わった。ここからは」
ジィガの言葉を引き継ぐように、カエルの見ている景色に変化が起きた。
郷の中の岩や瓦礫、壁やジィガの背中など……たくさんの場所から現れた、ヒグラシの郷の住民たち。
その数、30匹以上。
恐らく、負傷したりして動けないカエルを除いて全員だ。
「郷の者みんなからの、応援じゃ!!」
ジィガの号令と共に、ワッとした歓声が広がる。
「カエルー! 水臭いじゃねーか! 俺に内緒なんてよー!」
「私たちみんな、あなたのこと心配してるのよ!? 本当に1人で行くの? ついて行ってあげようか?」
「あんな小さかったガキが……旅だとよぉ!! うおおおん!! みんな、餞別だ! 餞別をやれぇぇ!!」
「絶対に生きて帰れよー!!」
「お腹が空いたら帰ってくるのよー!」
「バカ! それじゃ毎日帰って来るだろうが!」
「誰がバカだと! コラ!」
「お前にゃ言ってねぇーよ!」
「ケンカはよせ! お祝いムードが台無しだぞ! ったく」
などなど、声援を受けたカエル。
心配させまいと、事情を知る者も知らない者も置いて旅に出ようと決めていたカエル。
そもそも、被害の一因は自分にあるのだ。だからお別れの挨拶をするのは少々気が進まなかった。
だけど、こうしてみんなは応援してくれている。
カエルが感極まって泣きそうになっていると、一匹のカエルがこちらに進んで来て、背中から何かを着せてくれた。
「そいつは……瓦礫の下から出てきた。継承式はまだ済んでないが……お前が着るべきものだ」
「モーガおじさん……」
その者の名はモーガ。カエルの父親であるオットガの弟だ。
カエルに着せてくれたそれは、随所に煤けたような黒い汚れが付いてはいたが、一族に伝わりし紋章がしっかりと見える形で残っていた。
「うん。さすが兄貴の子だ。そのマントがよく似合う」
「こんな……俺が着ていいのかよ?」
「お前以外着ちゃいけない。って俺は思うね。そこら辺はあの野次馬どもに聞いてみたらどうだ?」
そう言われて、困ったようにカエルが後ろのほうで野次を飛ばしている声に意識を向けた。
「うおおお!! あのマントは、あのマントはよぉ!!」
「カエルゥ!! 最高に似合ってるぜェ!!」
「やっぱりお前しかいないよな。それを着るのは!!」
など、もっと色々言われているがとりあえず無視した。
「じゃあ……ありがたく頂いておくぜ」
「うん。くれぐれも気をつけろよ」
「ありがとう。モーガおじさん」
ということで、カエルは一族に伝わりしマントを貰った。
元々の持ち主は言わずもがな。カエルの父親であるオットガだ。
そのオットガは昨日、人間の魔の爪によって体を貫かれ……その先はあまり深く考えないようにした。
モーガが群集の中に戻り、いよいよ旅立ちだ。
「じゃあ、行って来るよ。みんな」
カエルは一歩ずつ、光に向かって歩き出した。
一歩、踏みしめる度に前に進み、前に進む度に、後ろから聞こえてくる声援が遠くなった。
そうして歩き続け、かなり声が遠くなった時だった。
「カエル!! 必ず生きて帰って来いよ!! ……約束、破んじゃあねえぞ!!」
一際大きく豪快な、他の誰よりも聞き覚えのある、声が聞こえた。
「――!?」
思わず後ろを振り返り、今の声の主を探す。
しかし、どこにも見当たらない。
当然だ。なぜなら、記憶が間違いなければ、今の声は――。
「親父。だよな」
思考でそれを理解しても、感情がそれを受け容れない。
今の声は、もしかしたら一番聞きたい声が聞こえるだけの自分の都合の良い耳が作っただけの幻かも知れない。
逆に、現実かもしれない。
後者かもしれないと思うと、走り出して郷に戻りたい気持ちだった。
でも、そうしてしまうと自分の心が負けてしまう。
だから、精一杯の声で伝えたいことを勝手に伝えることにした。
「じいちゃん! 郷のみんな! モーガおじさん! ……親父!!」
感情を思い切り爆発させ、声の限り叫ぶ。
「今まで! 本当に! ありがとう!!!」
カエルは、ただ故郷に向かって頭を下げた。
*
カエルが旅立って、その背中が遠くなって、しばらくくだを巻いていたヒグラシの郷の住民たちは、主役がいなくなったパーティのようにまた散り散りバラバラ。それぞれの仕事に取り掛かっていった。
しかし、その場に残り続ける2匹の影があった。
1匹は長老ジィガ。もう1匹は――。
「じいさん。本当にこれで良かったのかよ?」
話し掛けられたジィガはヒゲを触りながら答えた。
「こうするしかない。これが最善じゃよ。お前さんが生きていることを知ったら、あヤツは旅に出ないと言い出すじゃろう?」
「さぁーてな。ハンパな鍛え方してねーから、そうとも限らないぜ?」
ジィガはフォッフォッと笑う。
「まぁどちらにせよ……これで良かったんじゃよ」
「そうかい……」
「むしろワシは、お前がさっきあヤツに向かって叫んだことに驚いておるわ。なぜあのようなことを?」
「うーん。分からん! まぁ、旅立つ我が子を見てちょっと抑えが利かなかったとでも言うか……」
「ふん……まぁ良いわ」
ジィガはちら、とオットガの左腕を見た。
「その腕は……」
「あぁ。もう使えねーぜ。何しろあの魔の爪をマトモに受けたからな。ガハハ!」
戦いの傷が今も癒えることのないオットガ。
「ならば尚のこと、あヤツにこのことを話さなくて良かったな」
「まぁな」
若いカエルは旅に出る。
旅の最初に無用な心配をさせず、送り出す2匹のカエルの悪巧み。
否、それは優しさであった。
意気揚々と歩くカエルは知る由もなかった。
さあ。冒険を始めよう。
期待と興奮に満ちた大冒険を始めよう。
第一部 第三話 完。