否定的な決意
翌日のアウルベルクも、昨日に引き続き上空には雲が広がり、雨水を降り注いでいた。
そんな雨でもアウルベルクの活気が冷え切ることは当然ない。例日に比べれば人の数こそ少ないが、本日も多くの人・モノが絶え間なく流動している。
特に大通りでは傘をさして歩く人が多い為、普段よりも歩みが遅い。そんな雑踏を縫うように、傘をささずにレイベルは歩みを進めていた。
そして辿り着いたのは総合行政事務局。その大きな扉の前でコートに付着した水滴を軽く叩いて落とし、ハンカチで髪などを拭いながらそのまま中へと入っていった。
いつもであれば仕事がらみの要件で来るのだが、本日は別の用事。昨日マークの看病で果たせなかった要件を済ませるためである。
その為、レイベルは受付カウンターには足を運ばず、待ち合わせ場所として開放されている——ソファやテーブルがふんだんに用意されている大きなスペースへと向かっていた。
「すまない、待たせた」
そしてとある人物を見つけて、そう声をかけた。
その人物は書物を嗜んでいたのか、一冊の本に目を通していたのだが、レイベルの声でやや上に視線を向けた。
長く艶のあるブロンドヘアに、気品あふれる居住まい。そして柔らかな表情と大人びた顔立ちを両立させた美顔。
名を、アルマティ・ピュラス。職業は聖官者であり階級は神級。紛れもなくその道の実力者である。何時ぞやの新聞に記されていた名の女性である。
聖官者は通常、白や青が主体のローブのような礼服を身に付けているのだが、この日のピュラスは赤を基調としたドレスを着こなし、髪には花飾り、両耳にはエメラルドのピアスを付けていた。
そんな事務局と聖官者には不釣り合いな格好の彼女は、レイベルが視界に入るなり微かに睨みを利かせた。
「ええ、随分と待たされたわ」
見た目通りの柔らかな声音。まるで赤子をあやすときの様な優しさすら感じられる。だがそれに反して口調は刺々しい。その様子から彼女に少なからず不満があることが伺える。
レイベルは「すまない……少し、雨で……」と再度謝罪し、対面する形で腰をかけた。
「ところで、ピュラスが私服なんて珍しいな」
「どうだっていいでしょ。早く要件を言いなさいな」
パタリと本を閉じて一層睨みつけるピュラス。レイベルに個人的な話はしたくないらしい。
「……そうだな」
若干の憂いを見せて両手を握り合わせるレイベル。だがピュラスに言われた通り、雑談をすることなく早速本題を口にする。
「最近、メイビスの息子に会った」
静かな声だが重々しい雰囲気が漂い始める。
ピュラスもメイビスと深い関わりがある。だからその話題に少なからず関心があってもおかしくはない。だというのに、彼女の表情が揺らぐことは微塵もなかった。
「そう。それで?」
彼女の口から出たのは淡白な言葉。その様子を見て一つの事実を確信する。
「お前、以前そいつに会ってるだろ?」
彼女の様子を眺めながら、レイベルがそう結論付けた。もっとも、彼女に会う以前にその仮説は立てていた。マークから見せられた日記。そこに記された字は見覚えがあった。それは今目の前にいる者の——。
「だったら何?」
曖昧な返答だが、この場合肯定ととっていいだろう。
「別に。ただの確認だよ……だとすれば、メイビスを記した日記を渡したのはやはりお前か」
「日記? ああ、あれのことね。ええ、私がくれてやったわ……まさかそれが本題?」
「……いや、違う」
「随分と遠回しに話を進めるのね。さっさと本題について話しなさいよ」
機嫌を損ねた子供の様に、話の核心に触れろと急かすピュラス。いや、じれったい会話に嫌気がさしたのではなく、レイベルと不要な会話をするのが不快なのだろう。
それでも、レイベルはすぐに口を開くことはなかった。話すことを躊躇っているというよりかは、言葉を選んでいるように見えるが。
「なら単刀直入に聞く」
意を決してピュラスを鋭い双眸でもって射抜く。
「狩人への転身をあいつに提言したのは、お前か?」
「は?」
単刀直入に聞いたわけだから何の脈絡もない切り出し。それでも、あまりにも突拍子もない問いにピュラスが呆れた声をこぼす。
「全くもって質問の意図が分からないのだけれど」
「そのままの意味なんだが……まあいい。あいつが……メイビスの息子が騎士学校の出身なのは知ってるか?」
「……ええ、一応。私が会った時は、彼が騎士学校在籍中だったから」
「そうか。だがあいつは、騎士ではなく狩人をやっている。俺はその動機が知りたい」
「なら私じゃなくて本人に聞けばいいでしょ」
当然と言えば当然の解決策を、ピュラスが冷めた眼と共に言い放つ。
「……いや、そうなんだけど……」
とはいえ、それができないから今ここで尋ねている訳である。それはピュラスも薄々は気付いていた。
「察するに、無理だったのね。で、日記と関連付けて私に聞きに来たって訳?」
「まあ結果的には。本当はお前に先に聞くつもりだったんだが——」
「そんなのどうでもいい。それを聞く意図は何?」
ピュラスの口調と目つきがより一層鋭さを帯びる。その理由は不明だが、少なくとも彼女の機嫌が良くないことだけは分かる。
それを弁えた上で、レイベルは語り始めた。
「あいつは狩人よりも騎士の方が向いている。だから…………いや、違うな……あいつの生き方が、どこか危うく感じるんだ。うまく言葉にできないけど、目標を目指して前進しているというよりかは、迫りくる焦燥から逃げて退くことを躊躇っているような、そんな感じ。だから、自分の意志ではなく他人の影響で、狩人になった気がするんだ。……お前がもしあいつを狩人の道に勧めたのなら、諦めさせて欲しい。そうでなくとも、一緒に説得して欲しいんだ。でなければ、近いうちにあいつは——」
——はぁ。
と、レイベルの弁を遮る様に、深いため息が彼の前を過る。そのため息は他でもなく、ピュラスが発したものであった。
「あのね、レイベル」
「……なんだ?」
そして、唐突に改まった口調でピュラスがレイベルの名を口にした。彼女の雰囲気ががらりと変わる。けれど、それは決して肯定的な意味合いではなかった。
「人を馬鹿にするのも大概にしろよ」
「……は?」
予期せぬ発言にレイベルの言葉が詰まる。
「あんたが何を考えようと構わないけど、私を巻き込むな」
「何を——」
「利己的な憶測で私に関わるなって言ってんだよ」
先程までとは一変した、重々しい声でそう言い放ったピュラス。
「私は彼に転身を勧めた覚えはない。全くもってね。それを私のせいにして……私はね、あなたを恨んでいるし、メイビスの息子に関心もない。だから彼とは関係もないし、関わるつもりは一切ない。これが答えよ、いい?」
一方的に言い終えてピュラスは再びため息をついた。
その間にレイベルは反論をすることは無かった。いや、する気にはなれなかった。それは彼女の言葉故だろう。
レイベルは薄々気付いていた。ピュラスが自身を憎んでいることを。それでも、改めて言葉にされると心に来るものがある。
「それじゃあ、この後別件が控えてるから私は失礼するわ。今回は気まぐれで付き合ってあげたけど、当分は関わらないでね。お願いだから」
「……ああ、今日はありがとな」
最初と比べれば随分と弱々しい声で感謝を告げるレイベル。
だがその言葉に返事はなく、ピュラスはそのまま事務局を後にした。
独りになった瞬間に、レイベルは天を仰いだ。広く豪華絢爛な天井と照明が目に映る。けれど、それが一瞬ぼやけた。内の奥から目を通して悲哀が流れ出たのだ。
思わず目を閉じる。それでも、哀しみを閉じ込めることはできない。
——メイビスが生きていれば……。あいつがいれば……。
そんな身も蓋もない願望を、無意識に抱き始める。そして無意識に過去を振り返る。
中途半端に狩人を引退し、中途半端に鍛冶師を続けて迷走している。厳密には狩人を引退した訳ではない。今も認定証は保有しているから、活動自体は自由にできる。いや、だからこそ中途半端なのだ。
何も得ることはできず、失ったものは数知れず。そんな十年間だった。
……もう、終止符を打ってもいいだろう。踏ん切りをつけるいい頃合いかもしれない。
「ふぅ……」
ゆっくりと目を開けて深いため息を吐く。
だが、引退するにしてもやることをやってからだ。マークの装備作成、それだけは完遂しなくてはならない。
そう心の中で結論付けてゆっくりと立ち上がる。
そして重い足取りで事務局を後にした。
その後レイベルは一度自宅に戻り、都市外へ出るための身支度を整えていた。マークはもういない。
恐らく、今頃は現役狩人にスキル習得を手助けされているだろう。
そして再び家を出て数時間後、アウルベルク近郊に位置する森に来ていた。雨は依然降り続けている。それでもレイベルは気にせず森を歩き続ける。
都市から歩いて数時間しか離れていない立地と低級のモンスターが頻出する為、新人狩人がよく足を運ぶ森なのだが、森の中心近く——深層領域と呼ばれる区域には上から四番目の階級である、デュクス級も出現する危険領域となっている。その深層領域との境界線は曖昧であり、新人狩人はそれを見誤って進み続け、結果命を落とすことが少なくない。
その為、新人殺しの森という通称で危険視され、軽んじるルーキーは少ない。
そんな森であるが、レイベルは微塵も恐れることなく歩みを進めて、ついには深層領域へと足を踏み入れていた。
事務局での容姿とは打って変わって、動きやすい服装に胸や腕、脚などに防具を付けた戦闘服。それでも、どこか物足りなさを感じる程度には軽装である。加えて、腰に差している剣も珍しい代物ではない。
それでも彼が物怖じしないのは、仮にも神級狩人であり、この程度の森であれば軽装でも問題ないと判断したからだろう。
そして、この森に訪れた理由はただ一つ。マークの装備を作るための素材調達である。
鍛冶師が素材調達を行う場合、それが流通していないものであり、モンスターが調達源であれば狩人に依頼するのが普通である。つまり、鍛冶師本人がわざわざモンスターのいる巣窟に出向くのはレアケースである。だからレイベルの行為は元狩人だからこそできる所業である。とはいえレイベルは、狩人らしい活動をここ数年してこなかった。だから全盛期と比べれば腕は間違いなく落ちている。それでも、レイベルはマークの装備作成において、他の狩人を頼る気は全くなかった。
因みにレイベルが狙っている獲物は、この深層領域に巣くう鳥類モンスター、アマニュバーハ―。そのモンスターの羽が目当てだ。とはいえ、奴らは渡り鳥の特徴を持つため、必ずしもこの森に生息している訳ではないのだが。
アマニュバーハ―は大人の掌より一回り程大きい小型の鳥類モンスターなのだが、多様に色を変化させる羽毛と、群れで狩りをする統率力、そして鳥類にはあるまじき鋭利な牙を持ち合わせている。その脅威度合いは、上から五番目のヴェンゼル級であり、油断はできない。
と、そんなモンスターを探しながら森をすまし顔で歩いていたレイベルだったが、僅かな気配を感じて足を止め、周囲に目を配る。
雨の匂いに混ざって、獣の気配がした。
その刹那——。
咆哮が森を裂いた。
無数の鳥が空へ逃げる。羽音の轟き。だがアマニュバーハーの姿は無い。
アマニュバーハ―は決して弱くは無いが、基本的には臆病なモンスターである。つまり先程の咆哮で姿が見えないということは、恐らくこの近辺にはいないだろう。いや、既に別の地に飛び立った可能性すらある。奴らは不定期に、気まぐれに移動するから不自然ではない。
そう判断して踵を返した、その時だった。
レイベルの視界の先で佇む、異形の影。
体躯は三メートル。鰐に似た胴体と頭部、しかし手足は蜘蛛のような細長い節足であり、数は計十本。全身は白い毛でを覆われ、顔に目は無い。代わりに絹のようにひらひらとした赤いものが垂れ下がっている。
赤いひらひらはセンサーとなり、目の代替の働きをしている。それがゆらりと揺れる。まるで血の花が舞うように。
《クァゲータル》。それこそがルーキー殺しの異名を持つ、深層領域を支配するデュエクス級のモンスターだった。
とはいえ、レイベルからすれば格下。一切動じることなく剣を抜き構える。
鈍く輝く刃が雨粒を受け、ひときわ静かに光る。
戦う理由はないが、行く手を阻まれた以上、迎え撃つのみ。
視力が無いというのにレイベルの動作に反応して、魔獣が口を開く。黄ばんだ牙を見せつけて殺意を放つ。直後——。
——ズザ!
クァゲータルが大きな跳躍を見せた。白い体躯が灰色の空と混ざり、天から獣影が迫る。確かにこの身体能力であれば、新人狩人が命を落とすのは訳ないだろう。
だがレイベルは微動だにしない。
ほんの僅か、左足を軸に身体をずらしただけ。
直後、クァゲータルが通り過ぎた——その瞬間。
≪上級狩人スキル・流閃≫
レイベルの剣が走る。光の起動が斜めに輝き、クァゲータルの左目と左脚三本を裂いた。返り血が雨に溶ける。
流閃——不意の一撃に対応するカウンター技。そしてレイベルの得意技だでもあった。
だが決して致命傷ではない。
クァゲータルは着地と同時に距離を取る。負傷してなお、その動きに迷いはない。
いや、それどころか——加速した。
地を蹴り木を蹴り頭上を舞う。最早この空間全てが奴のテリトリーであった。奴の姿が点から線となり、空間を乱れ飛ぶ。
そして空を裂く音とともに、不快な音が鳴る。それは肉が裂けるような不吉な音であった。
やがて、レイベルの前にある一本の樹の上で姿を現した。その口元から、赤黒い液体が滴っている。
レイベルは剣先を向けたまま、奴の能力を思い出していた。
——他の獲物を喰ったな。
再生能力。
このモンスターの厄介な特性だった。獲物を喰らった瞬間に、即座に肉体を再生させる。
いつの間にかクァゲータルは目の傷までをも完治させてており、まるでそれを見せつけるように、ひらひらを揺さぶっている。
そしてその直後——再び跳んだ。
クァゲータルが空を裂く。速度は先ほど以上。
だがレイベルはその奴の軌道を捉えていた。
体が再生しようと、動きが俊敏になろうと、どうという訳ではない。振り出しに戻っただけ。その程度、レイベルからすれば僅かな延長に他ならない。
慢心ではない。それが事実。それが奴とレイベルの力量差。
それを知る由もないクァゲータルが、レイベルの後方の木に接すると同時に攻撃を仕掛けた。樹木を力強く蹴り、高速のまま襲い掛かる。
だがそれは、レイベルが予知していた行動パターン。奴の攻撃が迫りくる直前、身をひるがえし剣先をクァゲータルの目の前に突き出す。
剣先が一閃を放った。
しかし、その攻撃を奴は容易に躱し、すり抜け、奴が再び背後を取る。
——フェイントだ。背後を取られたレイベルに死が迫りくる。
その死を感じさせる間もなく、奴の鋭利な牙が、レイベルに迫る。
瞬間、血が霧散し生臭さが充満する。
勝負あり——だが。
「…………」
流血を見せたのはレイベルではなく、クァゲータルの方であった。奴の攻撃は不発。対するレイベルの剣はクァゲータルの頭部を貫通していた。
≪狩人中級スキル・一閃後裂≫
背後からの攻撃に対して突き技でカウンターするスキル。レイベルが一枚上手だったのだ。
レイベルは人一倍勘が鋭かった。故に、この様なスキルが体に馴染んでいたのだ。そしてそのスキルを以ってクァゲータルの体が止まり、崩れ落ちる。
白い毛に、赤が滲んだ。
それを感傷的に眺めた後に、剣を引き抜いた。
瞬間、血が舞う。
そうしてレイベルはクァゲータルの遺体を回収して帰路へとついた。