相反する思い
レイベルがアウルベルクに戻った頃には、すっかり日も暮れていた。
だが、都全体の活気や熱気は昼間に比べると異様に増しており、祭り会場の様な盛り上がりを見せていた。その為、飲み屋などの飲食店は例日以上に騒がしかった。どうやらセルセム級討伐の祝勝会が夕方ごろから行われているらしい。
モンスター討伐の祝勝会は別に珍しいことではない。セルセム級となれば尚更である。レイベルも似たような光景を何度もこの都で目にしてきた。それでも、その群衆に未だ慣れずにいる。
そんな盛り上がりを無視して、レイベルは自身の家へと歩みを進める。そしてその背後には、何故か岬で相対した青年——マークもいた。
自身がレイベルの故人の息子だと自称した青年。それを示す証拠や根拠は何一つ確認はしなかったが、少なくともレイベルに用があり、その為に岬に足を運んだのは間違いない。
だが馬車の乗車時刻の都合上、彼との会合直後レイベルは帰宅を余儀なくされていた。そんな状況下でマークが発したのは——。
「なら、俺も行っていいか?」
突拍子もない言葉であった。見ず知らずの青年を遠い土地の自宅まで連れ帰ることに抵抗を感じていたレイベルであったが、彼の素性が気なったことで、それを承諾して今に至るという訳である。
そんな青年——マークと帰りの道中を共にしたのだが、そこに一切会話は無く、淡々と気まずい時間の中馬車に揺られながら、アウルベルクに戻ってきたのだった。
「随分と騒がしいな……何かあったのか?」
——と、久方ぶりに口を開いたマークが、祝勝会を横目にそんな疑問を口にした。どうやら彼はこの都市に来るのが初めてらしく、ただただ騒がしいだけの催しとしか認識していない様子。
「セルセム級のモンスターが討伐されたから、それの祝勝会だよ。まあ、本気で勝利を祝っているのは、ごく一部だと思うが」
「そうか……」
それがどういう意味合いなのかは不明だが、そう言ったきり、マークは口を閉じてしまった。だがレイベルは別段それを気にすることは無く、マーク同様に黙々と歩みを進める。
そうして気付けば、賑やかさとはかけ離れた、のどこかで静けさしかない町はずれの家に到着していた。木の温かさが前面に押し出された普通の家。良くも悪くも、周囲は穏やかで何もない。
そんな大通りからかなり離れた閑散とした地域で、レイベルは独りで暮らしていた。そして家に隣接する形で工房が存在している。作業する上では困らない環境と言えるだろう。もっとも、道具や素材の調達こそ面倒な立地ではあるのだが。
「取り敢えず、中に入れ」
住居スペースとして使っている家の扉を開けながら、レイベルが入室するように促す。
「邪魔する」
抑揚のないトーンで返答し言われるがまま入室するマーク。
中も外見同様に木の存在感が強く、木製の床に木目のテーブルと椅子が真っ先に目に入る。そして壁際に暖炉が設置されており、冬でも寒さを凌ぐことができるのが伺える。寝室と調理場らしきものなどは目に映らないことから、別の部屋にあるのだろう。
そんな簡素で面白味に欠ける室内だが、入室してすぐレイベルが灯りを付けるなり、マークの目つきが一瞬鋭くなった。
彼の視線の先にあったもの、それは暖炉傍の窓台に置かれた一枚の写真立て。レイベルとマークの父が写った、過去の幻想。
「なんか飲むか?」
そんな心情の変化などつゆ知らず、レイベルが一般的なもてなしをしようとする。だが——。
「不要だ。そんなことより、俺は話がしたい」
飛び出たのはそんな言葉。恐らく本人に急かかしているつもりは全く無いのだろうが、その口調にはほんの僅かに焦燥感が混ざっていた。
「そうか。まあ、座れよ」
それを宥める様にレイベルが穏やかな声で訴えかける。
「……」
返事こそないものの、言われた通りに椅子に腰掛けるマーク。そしてそれに続くように、レイベルも対面する形で着席した。
「それで、何の話がしたいんだ?」
先に口を開いたのはレイベルの方であった。
ここに来るまで、レイベルはマークからその目的を何一つ教えてもらっていない。それでも彼の執念が生半可ではなことは、ここまでの行いで理解していた。だから茶化すことなく、至ってまじめなトーンでそう訊ねたのだった。
「単刀直入に言わせてもらう」
レイベルのその誠意が伝わったのかは分からないが、改まった口調でマークがそう切り出した。
「俺と一緒にモンスターを討伐して欲しい。その為に、俺はあんたに会いに来た」
「……討伐?」
一瞬、レイベルの思考が止まった。それでも無理矢理に脳を再稼働させ、疑問を解消していく。
「一つ言っておくが、俺は鍛冶師なんだが?」
「む、そうなのか? だが昔は狩人だったと聞いている」
それがどこから来た情報なのかはともかく、それ自体は嘘ではない。レイベルはかつて狩人であった。
「どこでその情報を知ったんだ?」
「父の日記だよ」
そう言ってマークがポケットから手帳型の日記を取り出し、スッとレイベルの手前に差し出した。随分と年期の入った、ボロボロの日記がレイベルの目に映る。
表紙にうっすらと書かれている文字。それはメイビスの筆跡とは似ても似つかなかった。彼が生前書いた手紙を今もなお大事にしているレイベルだから分かる。加えて、レイベルはそれを目にしたことがない。つまり、偽物である可能性が高い。
「読んでみるか?」
そんなレイベルの心情や疑いを察してか、マークがそう口にする。
「いいのか?」
「別に俺の日記じゃないから好きにしろ」
「……なら少しだけ読ませてもらう」
そうして日記を手に取り読み始めるレイベル。中はびっしりと余白がないほどに文字が書き詰められており、その全てがやはりメイビスとは異なる筆跡。だが——。
「間違いない」
内容自体に嘘偽りはなかった。メイビスと共に過ごした狩人時代。それはレイベルが必死に忘れようとしていた記憶。けれど、それが雪崩のように押し寄せて鮮明に蘇ってくる。
レイベルは少しだけと言ったが、読み始めてからかれこれ数十分は経過したと思う。けれど、マークはそれを遮ることはしなかった。
「……お前の素性は今も半信半疑だが、この日記に関すること自体に偽りは無い」
やっと手を止めたレイベルがパタリと日記を閉じ、そっと目の前に日記を置いた。
「そうか。なら、あんたが過去に狩人をやっていたことも間違いないか?」
「ああ、違いない。で、俺を誘う理由は?」
「色々と利点があると思ったからだ」
「利点?」
レイベルは狩人として腕が立つ。いや、立っていたというのが正しいだろうか。
少なくともマークが持参した日記からはそう読み取ることができる。ただ彼がレイベルを誘った利点は、その強さ所以ではなかった。
「俺が討伐したいモンスターを、あんたが知っているからだ。そいつに関する情報は少ない。だから、知っている奴と共闘するのが最善だと思ったんだ。加えてそいつが強者なら、申し分ない」
「……で、俺って訳か」
マークは小さく頷いた。
……本当に信じているのか?
いや、それより——。
「理由は分かった。だが解せないこともある。何故俺がそのモンスターを知っていると? 日記が書かれた期間と、俺がそいつに遭遇した時期、それだけは不一致だ」
どうやらレイベルは、マークの対象モンスターを既に理解しているようである。だからこそ、日記の内容とそぐわないモンスターの名に不信感を抱いたのだ。
「親父を殺したモンスターの名だ。知っていてもおかしくないだろ」
レイベルはやっぱりかとため息をつくと同時に、眉をひそめてやるせない表情を浮かべた。心当たりが確信へと変わった瞬間である。
「お前が俺に訪ねてきた理由は十分理解できた」
マークの顔を真剣な面持ちでまっすぐと見つめるレイベル。けれど——。
「だが、悪いな。そのモンスターに関して有益な情報なんざ持ち得てない。他を当たってくれ」
レイベルがマークの望まぬ答えを返した。
「それは本心か?」
当然、マークは簡単に退かなかった。表情の変化こそないが、僅かに口調が鋭くなったように感じられた。
「俺はもう、鍛冶師だ。狩人を辞めてからブランクも相当ある。だから、俺には無理だ」
やけに感傷的な言い方。その意味はマークにとって不可解だったが、これ以上の問答が無意味であることは悟った。だから話題転換を図り別の要求を提示する。
「ならせめて、武器を見繕ってくれ欲しい。そいつを殺す為の武器を」
そう歎願しながら、マークは腰にかけている剣を鞘から抜いた。
「見ての通り、俺の剣は大した代物じゃない。討ててヴェンゼル級が関の山だろう」
マークの言う通り、確かにそれは大した代物ではない。鈍らではないが、それを武器にして強者と渡り歩けるとは到底思えない。だからその意見にはレイベルも同意であった。
——だが。
「……断る」
剣を見定めて尚、またしても否定の言葉を述べるレイベル。
「なぜ——」
「俺は武器を作らないと決めているんだ。お前の意志など関係ない。だが、防具だけなら作ってもいい。もっとも、望んだ通りの品になるかは正直分からんが」
キッパリとレイベルがそう言い放った。
「……」
穏やかな口調の中に紛れる憤りを前にして、マークが言葉を詰まらせた。僅かな時間だが、レイベルの意志の堅さがじんわりとマークにも伝わったのだろう。
そもそもマークの目的はレイベルとパーティーを組むこと、この時点で既に瓦解している為、武器の作成などどうでもよかった。
それでも——。
「なら、俺が単騎でセルセム級を討伐したら、パーティーメンバーか武器作成、そのどちらかを考え直して欲しい」
一方的な提案に熱を込めて言い放つマーク。それは単なるわがままでもなさそうだった。
「単騎でセルセム級? 死ぬぞ」
だからといって、容認するかは別の話。レイベルが首を縦に振ることは無かった。いや、単純に不可能だからだ。レイベルの発言は脅しではない。客観的に、現実的に見て、そう判断するのが妥当だった。
それでも。
「この程度で死んでたら、俺の目的は果たされない……まあいいさ、また来る。日記はやるよ。邪魔した詫びだ」
「……」
それで簡単に引き下がるマークではなかった。内に燃ゆる闘志を煌々とさせながら、セルセム級討伐を見据えた眼で、レイベルに鋭い眼光を突き刺した。
その会話を最後に、マークは家を後にした。
先程までの騒がしさがなくなり、今までと同じ静けさが戻ってきた。けれど、目の前に置かれた日記を目にして、レイベルは穏やかではいられなかった。