かつての残滓
大通りを歩く人の数は相変わらずであった。
いや、寧ろ先ほどよりも増えている。それと同時にセルセム級討伐に関連する話題があちらこちらで飛び交っている。
——やはり、モンスター関連の情報が広まるのは早いな。
そんなことをレイベルは思いながら、大通りを真っ直ぐ歩いて行った。
それから数分歩いてレイベルが辿り着いたのは、大きな馬車の乗車場であった。アウルベルク付近の主要都市は勿論のこと、本数自体は少ないが過疎地域へのアクセスにも優れている。
また、乗客を運んでくれる馬の個体の中には、通常種とは異なりモンスターも含まれている。特に重宝されているのがフェルメイスという馬種。外見こそ馬に似通ったフォルムだが、その実、上から五番目の位を誇るヴェンゼル級モンスターである。
サイズは通常の馬とさして変わらないが、筋力や持久力は高く、並みのモンスターであれば近づくことは無いだろう。それくらい高い攻撃力と脅威さを持ち合わせている。
それにより従来の馬車よりも大人数の客の輸送・長時間の移動が可能となった。
勿論モンスターであることに変わりはないので、最低二人の狩人の同伴が義務付けられており、加えて調教自体が困難であることから数は少なく、運賃やコストはその分割高にはなる。
それでも尚、利便性と道中の安全性向上により利用客は後を絶たない。
そしてレイベルがここに来たということはつまり、馬車での移動が必要な場所へ行くということである。
「シュトレール行き、間もなく出発です!」
「道中でのモンスター出現により、フェンデルン行きは現在出発見送りとなっています!」
「こちらの馬車を利用のお客様は少々お待ちください!」
乗車場内はせわしなく、運行状況を伝える係が絶え間なく動き続けている。いつも通りの光景ではあるが、何度見ても落ち着かない。
とはいえ、そのおかげで運行状況の掲示板は常に最新の情報になっているので、レイベルはそれを鬱陶しいと思ったことは無いし、寧ろ感謝すらしている。
そうしてレイベルは掲示板を僅かに眺めた後に、『セイセン』と書かれた看板を掲げている乗車場へと向かった。看板を掲げる係の横には八人ほどしか乗れない荷車と、それを運ぶ馬がいた。
セイセンはアウルベルクから南に位置する町であり、人口は少なく観光地も特別存在しない。そして運行本数も少ない。早い話が田舎町である。だが、海に面していることで岬が多く、そこから見渡せる透き通った海が魅力的であり、心を躍らせるのは確かである。
ただ、レイベルは何もその海を眺めに行くわけではなかった。
「すみません、乗車希望です」
「ご利用いただきありがとうございます。では、お一人様ですので2000パール頂戴いたします」
「分かりました」
ここでは全ての馬車で前払い制となっており、係に言われた通りに2000パールを差し出す。
因みに、パールとはこの国の通貨単位であり、300パールが大体ビール一杯分の値段である。
「ちょうどお預かり致します。では、間もなく出発致しますので、乗車してお待ちください」
「ありがとうございます」
荷車に乗ると、既に一人の男が乗っていた。だが彼は道中警護をする狩人であり、それを除けばレイベルしかいない。それくらい、セイセンは行く目的が皆無な町なのである。
狩人は若い男で比較的軽装であり、目立った武器も身につけてはいなかった。だが、セイセンへの道中はモンスターが出現することはめったにない。だから単なる形だけの警護である。
それでもレイベルはその狩人に1000パールを渡して「よろしくお願い致します」と声を掛けた。
こういった馬車でのチップはあまり見慣れない光景であるが、レイベルにとっては馴染んだ行為だ。
当然狩人はその行為に一瞬目を丸くしたが、直ぐに「ああ、こちらこそ」とそれを大事そうに受け取って朗らかな笑顔を見せた。
それから間もなくして、馬車はアウルベルクを発った。結局乗客はレイベルただ一人だけであった。
一時間ほど揺られた後、何事もなくレイベルはセイセンに着いた。アウルベルクとは違い、澄んだ空気と見晴らしのいい立地が清々しさをもたらしてくれる。
レイベルは御者と狩人に軽く挨拶してから降車し、そのまま歩き始めた。
海に面していることもあり、風がやや強く潮の香りも僅かに漂っている。
レイベルがここに来るのは年に一度程度。それでもこの場所は、レイベルにとって忘れられない地である。
降車してから数分、ようやくレイベルは最終目的地に辿り着いた。
そこは、この町で最も見晴らしのいい岬であり、船乗りのための鐘が備えらえた灯台の側。そして死者が安らかに眠る墓地でもあった。
ゆらゆらと風で揺れる清涼感のある芝生の上に白い十字架の墓標が立ち並び、墓地特有のおどろおどろしい雰囲気とは対照的な神聖さが、この一帯を包んでいた。
その地をレイベルは敬意を払いながら歩んでいき、とある墓標の前で立ち止まった。
一年に一度しか訪れない墓参り。その証拠に、墓標の汚れが目立っている。
そんなことは気にせずに、レイベルは墓の前でしゃがみ込み、名前が刻まれたプレートを服の裾で拭った。
『メイビス・ティラ』
墓に刻まれたその名前が、僅かに鮮明になる。
それは、レイベルと苦楽を共にした、鍛治師の名前だった。
「よお、久しぶりだな」
小声でそう呟いて、墓を撫でた。その時レイベルの表情は僅かに笑っていたが、どこか寂しそうにも見えた。
「今綺麗にするから、ちょっと待ってな」
数回ほど墓を撫でた後、レイベルは鞄の中から水の入った小瓶とハンカチを取り出し、小瓶の中身を墓標の上から垂らした。
そして汚れた箇所をハンカチで丁寧に拭いていった。
「今日、偶然にもお前と夢の中で会えたよ。代り映えのしない姿だったけどな」
墓標の清掃を続けながら、そんな小言を投げかけていく。勿論、返答などは無い。
それでもレイベルは話を続けていった。
「まあ、それはそうと、俺は元気でやってるよ。相変わらず仕事は増えないけど、別に気にしてはいないから大丈夫だよ……まあ、少しは増えて欲しい気はするけど。でも、最低限以上の生活はできてるから問題ない」
手と口を止めずに簡易的な清掃をしていく。
返答が無いことくらい分かっていた。だから正直、内容なんて関係無い。最近の流行や自分の趣味、起床時間に朝食のメニューなど、思いついたことを片端から口に出していく。沈黙を避けるように、ひたすらに語りかけていく。
だがその中に、過去の話は無かった。まるで無理をして、現実と向かい合っているような痛々しさが、そこにあった——。
そして会話の一方通行を続けていき、気付けば埃や汚れは全て無くなっていた。だがその綺麗になった墓標を見つめるレイベルの瞳は、哀愁を帯びていた。
動いていた口が数分ぶりに閉じる。
今まで気になっていなかった海風と海鳥の鳴き声が、レイベルにその存在感を訴えかけてくる。
「……俺はさ——」
と、自然の音を感じながらレイベルが数十秒ぶりに口を開いた。
「俺は……まだ迷ってるんだ。きっとそのせいで武器を作れずにいるし、過去との決別ができていないのかもしれない。夢にお前が出てきたのも、そのせいかもな」
先程までとは違い、感慨深い気持ちで、心の底にたまっていた本音を吐露していく。
「これだけ時間が経ったっていうのに、不思議だよな。なんていうか、過去がいつまでも俺の背後にあるような感覚、みたいな? 俺にも分からないけど、払拭したと思った瞬間に、お前との記憶が蘇るんだ……俺はやっぱり優柔不断な人間だよ。確か、ピュラスにもそんなこと言われたっけ——あ」
と、そこで何かを思い出したように、新聞を取り出した。
「そうだ、今日記事にピュラスの名前、載ってたよ」
そう言ってレイベルは昼間に貰った新聞を墓の前に置いた。
「あいつは立派だよ、俺と違って。……あれから全然会ってないけどな」
どうやらレイベルとピュラスは以前から面識があったらしい。それもかなり親密な。だが、恐らく墓の主の死をきっかけに疎遠になってしまったのだろう。
「いつかまたあいつと——」
そう最後まで言いかけたその時、耳の芯を貫く甲高い音が響いた。
——ゴーン。
鐘がなったのだ。
それに呼応するかのように、付近のカモメが一斉に飛び立ち、白いカーテンが空を舞う。穏やかな波風と共に青々とした海のさざめきが、レイベルを包んだ。
話に夢中になっていたレイベルの耳が、再び大自然へと移った。
今まで気にしていなかった多様な音が、不思議とレイベルには懐かしく感じられた。
「そう言えば、ここに初めて来たときも、鐘が鳴ったんだっけな」
昔のことを思い出したかのように、笑みをこぼした。
そして、「今日はいい天気だな」と墓に対してではなく、単なる独り言のようにそう呟いた。
昼過ぎにアウルベルクを発ったこともあり、もう日が暮れようとしている。
「……悪い、また来るよ」
帰りの馬車のことも考えて、レイベルは帰路に就くことにした。いや、後もう少しここにいたら、今が苦しくなりそうだったから、帰ることにしたのだ。
そうしてレイベルは新聞を置いたまま、その場を後にしようと背を向けた。
だが——。
「あんたがウィーン・レイベルか?」
レイベルの歩む先に、自身の名を口にした一人の青年が立っていた。そして返答を聞くよりも先に、ゆっくりとレイベルに歩みを寄せていく。
その青年は港町には珍しく、黒のズボンと白の上着という貴族風の衣服を身に着けていた。さらに腰に剣を差し、そしてどこか面影のある顔であった。
とはいえ、レイベルは青年を知らない。
「そうだけど、あんたは?」
何故自身の名を知っているのかを聞くよりも先に、レイベルが同様の口調で問い返す。
そう問われた青年はゆっくりと口を開き、こう答えた。
「マーク・ティラ。メイビスの息子だよ」
先程とは打って変わって、やけに穏やかな声がレイベルの耳に届いた。
その言葉で、レイベルの心が揺らいだ様な気がした。