不完全な鍛冶師
アウルベルクという都市は衰えを知らず、繁栄の神の加護と贔屓を以ってたゆまぬ上進を続ける。
そう言い伝えられる程に、アウルベルクは活気に満ちている。
当然、神は空想上の代物であるし、アウルベルクがどの時代も栄華を極めていた証拠もない。だが少なくとも、今現在ではこの世界の中で最も栄えている都市と言っても過言ではないくらいに、人や物の往来が絶え間なく行われている。
単純に物珍しい商品が店前に並べられることもあれば、希少で高価な素材がオークションに出品されることもある。
要は、流通面においてこの上なく優れているのだ。
その訳としては——。
「皆さーん! 号外でーす! どうぞご自由にご覧になってくださーい!」
昼頃、アウルベルクの大通りの一つであるスティア通りにて、紺色のトップスとひらひらとした赤いボトムス、そして胸元に白の蝶ネクタイを身につけた二十代前半ほどの女性がとある建物前で、ビラを片手に通りを歩く群衆に向けてそんなことをはつらつとした大声で伝えていた。
彼女が手に持つビラはどうやら新聞の様なもので、表紙には『セルセム級モンスター墜ちる』と大々的に記されていた。
セルセム級とは、モンスターの強さを指標化したもので、脅威度合いと言ってもいいかもしれない。
モンスターの強さは下から『ピム』、『ピシム』、『ダルン』、『ダシルン』、『ヴェスク』、『ヴェンゼル』、『デュクス』、『デュエクス』、『セルセム』、『セイクステル』と階級が定められており、先程の記事によれば十段階の強度の中で、上から二番目に脅威となるモンスターが討伐されたということである。
セルセム級となれば、一騎当千の狩人が束になって拮抗できるかどうか、それぐらいの強敵だと言える。だからこそ、この女性は号外で発信しているのだ。
それでもアウルベルクでは半年に一度、場合によってはそれより高頻度で、セルセム級以上のモンスター討伐が報告されている。
そして、この精良な狩人の多さこそが、アウルベルクの繁栄の訳と言えるだろう。
優秀な狩人によって流通が促進され、物資が安定する。それにより狩人の定住率が高まり、依頼も増加傾向になる。その結果さらに狩人の割合が増加し流通の安定性が向上する。そんな好循環な環境に恵まれている為、あながち神の恩恵と言うのも絵空事ではないのかもしれない。
兎にも角にも、比較的高難易度のモンスターが討伐されるアウルベルクであっても、女性の声に耳を傾け新聞を受け取る者は決して少なくなかった。
そしてその群衆の中に、レイベルの姿があった。
黒いコートを羽織ったラフな服装と革製の手提げバッグで歩く姿は、彼が鍛冶職人であることを全く意図させない。それほどまでに対照的な装いを今の彼は持っていた。
レイベルも例に漏れず、女性のはつらつとした声に反応し新聞に興味を持っていた。
「すみません、それいただいてもいいですか?」
「どうぞ! あ、お久しぶりです!」
その女性はどうやらレイベルと面識があるようで、レイベルと気付いた瞬間にそんな言葉を投げかけた。
「ええ、ご無沙汰しております」
「本日もお疲れ様です!」
「ありがとうございます」
朗らかな笑顔で礼を言いながらレイベルは新聞を受け取り、女性の背後にある建物へと入っていった。
そこは、外見は勿論のこと中も荘厳な造りとなっており、吹き抜けの天上は高く広く、高価なシャンデリアが至る天井に並んでいる。床は艶と清潔感に満ちており、主な動線には赤いカーペットがずらりと敷かれている。それが一階だけでなく二階、三階……と上階まで続いている。
また、エントランスだけ見ても、王宮の入口のような神聖さが見受けられるほどの豪勢さ。
そんな富をふんだんに使用して建造されたであろうこの建物は、主に行政事務が取り扱われる施設である。正式名称はアウルベルク総合行政事務局。インフラ整備や税に関する業務は勿論のこと、職業の斡旋や様々な依頼掲載・伝達が頻繫に行われている。
一見レイベルには似合わない場所に思えるが、依頼の中には鍛冶職に向けたものも含まれている為、決して無関係と言う訳ではない。もっとも、依頼対象のほとんどが狩人であるのだが。
レイベルは建物内に入るなり、依頼担当の受付カウンターに向かっていた。
時刻が昼頃ということもあり、カウンター前には大勢の人が見受けられる。したがって、今現在は整理券となるカードを配布しており、順番通りでの案内となっている。
仕方なくレイベルも受付カウンターの隅に置かれている261と書かれたカードを取り、適当なソファに腰を掛けて順番を待った。
レイベルが腰を掛けたソファも、それなりに高価な代物なのだろう。だが、既に何度もここに訪れ、その度に座ることも珍しくないレイベルにとっては、質感に驚嘆するほどの感情など無かった。
その待っている時間の中で、レイベルは先程の記事に目を通していた。
そこには討伐されたモンスターの詳細や、場所、条件、そして討伐に携わった人物の名が記されていた。
討伐されたモンスターがセルセム級ということだけはあり、一度は目にしたことのある名が多く、討伐にあたった人物も大勢記載されていた。逆に言えば、それだけ強敵である証拠だ。
それらの名前に淡々と目を通していったレイベルであったが、とある人物の名が目に映った瞬間に、表情が一瞬強張りを見せる。
『聖官者 アルマティ・ピュラス——』
アルマティ・ピュラス。それはアウルベルクでも屈指の回復スキルを扱う女性聖官者の名である。
レイベルが彼女の名を見て何を思ったのかは分からないが、少なくとも、彼がピュラスを普通の聖官者として見ている訳では無いようである。
「お待たせ致しましたー! 261番でお待ちのお客様!」
と、ようやく順番が回ってきたようで、レイベルは新聞を急いで鞄にしまい、カウンターへと向かった。
「はい、私です」
そう言いながらレイベルは自分の番号札をカウンターの向かい側にいる女性に渡した。彼女も先程ビラ配りをしていた女性と同様の服装を身に付けている。これがここの制服の様である。
「はい、ありがとうございます。最近見かけませんでしたが、お元気でしたか?」
「ええ、まあ」
どうやら、この女性もレイベルのことを記憶している様である。それほどレイベルはこの施設を利用していると言えるのだが、理由は他にもあった。
「体調にお変わりなくて良かったです。それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「先日達成した依頼の証明書と、手数料を払いに来ました」
レイベルはそう言いつつ、二枚の契約書と手数料をカウンターに差し出す。
「かしこまりました。確認致しますので少々お待ちください」
そう言って女性はその紙を持って奥の方へと行ったが、間もなくして戻ってきた。
「ありがとうございます。確かに依頼達成でございます。お疲れ様でした」
満面の笑みで不備がないことを彼女が告げた。ものの数分しか経っていないが、これで当初の目的が済んだことになる。
——が、レイベルは立ち去ることは無く「あの——」と質問を投げかけた。
「私宛ての依頼って、今ありますか?」
どうやら、レイベルは直々に依頼が来ていないか、それが気になったようである。
通常の依頼契約の流れとしては、依頼主が行政事務局へ依頼発行願を届け出た後に、その依頼内容が掲示板に掲載、或いは依頼を探している人に紹介する形で契約が成り立っている。
しかし、例外として指名契約がある。これは通常よりも高い契約金を支払うことで、特定の人物に依頼できるものである。依頼を受注するか否かはあくまでも任意であるが、割高の報酬金が貰えるため、断る方が少ない。
つまり、名が上がれば上がるほど、依頼が増えて食うに困らないということである。
そして、今現在鍛冶師の割合は減少傾向にあり、さらに先のセルセム級モンスター討伐のように、ここ最近は狩人の士気が高まっている。だから鍛冶師に限定していえば、指名契約は珍しくないものとなっている。
だが、レイベルの質問を耳にした瞬間に、女性の顔が曇った。そして依頼有無を確認する間もなく「いえ、レイベル様宛てのご依頼は、まだございません——」と事実を告げた。
申し訳なさそうというよりは、気まずそうな表情を浮かべて、女性が僅かに目線を下に逸らす。
レイベルは「そうですか」と淡々と返答をした。正直、レイベル自身分かっていたはいたことである。指名が発生した時点で、行政局から何らかの形で一報が入るからである。それが無いということは、つまり——。
「レイベル様——」
と、女性が深刻そうな表情で話を切り出した。
「申し上げにくいのですが、やはり武器を作成されない鍛冶師というものは、相当のブランド力が無ければ市場価値は下がる一方かと」
言葉は非常に丁寧であるが、辛辣な発言にレイベルまでも表情が曇る。
そう、レイベルは武器を作らない鍛冶師なのである。
そんな鍛冶師は彼一人しかおらず、だからこそここの職員はレイベルを認知しているのだ。
勿論、レイベルは武器を打つこともできる。だが彼は、一度も商品として武器を作成したことがない。だから他の人からすれば、『武器を作れない鍛冶師』という認識であり、そんな技術不足の鍛冶師に防具作成を直接依頼はしたくないというのが、狩人の本音である。
その為、通常の依頼契約であっても、依頼主から断られることもあった。
「まあ、そうですよね……お時間を取ってしまい申し訳ありません」
分かり切ったこと聞いて申し訳ないという気持ちからか、レイベルの声のトーンが微かに低くなった。
「いえ、とんでもございません。……もし宜しければ、レイベル様が受注可能な依頼一覧をご覧になられますか?」
女性職員がフォロー代わりにそう提案したが、レイベルはそれを丁重に断った。
「すみません、今日はこれから予定がありますので、また今度拝見させていただきます」
「左様でございますか。では、またお待ちしております」
「はい、ありがとうございます」
そうしてレイベルは行政事務局の建物から外に出て、再び大通りを歩き始めた。