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命の担い人  作者: これは、神作品なのか……? いや、それは非常に遺憾であり、コインランドリーに駆け込むフィリップ氏のような感じます。
11/11

静かなる誓い

 その後、クレーンと共に歩き続けたレイベルは、いつの間にか教会の前にたどり着いていた。


 「今更だが、このまま厄介になるのは気が引けるんだが……」


 門の手前で足を止め、レイベルがぼやく。


 「知るか。アタシだって似たようなもんさ。気になるならゼラに聞けばいいじゃないか」


 気のない返事をして、先に行くクレーン。

 仕方なく、レイベルもその背を追った。


 門をくぐった途端、子供たちの無邪気な笑い声が風に乗って耳に届く。

 見えない庭の向こうから、土を踏む音が混じっていた。


 ――平和だな。


 背負った木箱の重みを直しつつ、レイベルはゆっくりと足を進めた。


 と、不意に玄関の影から、小さな足音が飛び出してくる。


 「わっ……だれ?」


 見知らぬ少年が目を丸くしてこちらを見上げ、首を傾げた。


 「だれか来たよー!」


 遅れて響く声。それに応えるように、建物の奥からゼラが現れた。


 「ああ、レイベルさん。お戻りでしたか」

 「……ええ」


 淡々と応じると、ゼラはレイベルの木箱に目をやり、表情を和らげた。


 「それは、鍛冶仕事の材料ですか?」

 「まあ、そんなところです」


 その声には、昨日までとは違う、わずかな張りが宿っていた。


 「…………今日は、子どもたちと一緒に畑をいじっておりましてね。といっても、家庭菜園の域を出ませんが。土に触れさせるのも、大切な教育だと私は思っているんです」


 ゼラは穏やかな笑みでそう語り、庭の奥へと目を向ける。


 と、その空気を切るようにクレーンが言った。


 「こいつもセルセム級討伐に参加するってさ。武器の在庫、あとで見てやってくれるかい?」


 あけすけな口ぶりに、ゼラは少し目を細めた。


 「……それは、頼もしい限りです」


 そしてふと、静かに尋ねた。


 「ですが、レイベルさん。本当に、よろしいのですか?」


 その声には、揺るぎない優しさと、微かな逡巡が含まれていた。


 レイベルは言葉を詰まらせる。


 頭では割り切ったつもりだった。

 覚悟は決めたはずだった。

 だが、誰かに問われると、胸の奥の震えが、まるで子どもじみた不安のように顔を出してくる。


 「……わかりません。でも、答えを探すために逃げ続けるのは、もうやめようと思ったんです」


 声に出すと、途端に心が軋んだ。ひび割れた地面に、水がしみ込んでいくように。それでも、どこか力強い声だった。


 そのひと言に、ゼラはそっと微笑んだ。


 「……そうですか」


 笑い声が風に乗って届く。

 そこに答えがあるのなら――きっと。


 その後部屋に戻ったレイベルは、木箱を床に降ろし、その場に腰を下ろした。


 空気は静かで、壁越しに子どもたちの笑い声だけがかすかに届いてくる。

 それが、どこか遠い世界のように感じられた。


 しばらくして、控えめなノックの音が鳴る。


 「レイベル様。夕食のご用意ができました」


 扉の向こうから聞こえたのは、メルンの声だった。


 レイベルは立ち上がり、軽くドアを開ける。

 メルンは相変わらず穏やかな笑みを浮かべて、頭を下げた。


 「……すみません。これ以上、お世話になるのは気が引けます」


 そう言って視線を逸らすと、メルンは静かに首を振った。


 「お気になさらず。それがゼラ様のご意向ですから。……それに、あの方はそういう方なんです。見返りなんて、最初から考えておられません」


 そう言って、ほんの少しだけ微笑む彼女に、レイベルは言葉を返せなかった。


 しぶしぶ了承し、二人で廊下を歩きはじめる。

 ステンドグラスから差し込む淡い光が、床に不規則な影を描いていた。


 「ゼラさんとは……昔からの知り合いなんですか?」


 ぽつりと尋ねたレイベルに、メルンは少しだけ歩みを緩める。


 「いえ。私がここに来たのは……数年前のことです」


 一呼吸の間を置いて、彼女が話を続けた。


 「……ヴァルゼリオスが、私の村を襲った時でした」


 レイベルの足が止まりかけた。


 「そのとき、遠征に来ていたゼラ様とマーク様に助けられて……。気がついたら、この教会の寝台で目を覚ましていました」

 「……そうですか」


 そう言うのが精一杯だった。


 「私は……本当に、運がよかったんです。助けてもらえた命なんて、ほんの一部でしたから」


 メルンは俯きながら、淡々とそう語った。だがその声には、悲しみだけでなく、どこか芯の強さが感じられた。


 「……メルンさんは、俺の狩人時代を知っていますか?」

 

 不意にそう尋ねるレイベル。


 「全てではありませんが、優秀な狩人だったと……クレーンさんから聞き及んでいます」


 声色を変えることなく、彼女がそう答える。


 「……ヴァルゼリオス討伐を放棄したことも?」

 「はい」

 「俺を……恨んではいなのですか?」


 不意にそう言って足を止めるレイベル。

 それに気付いたメルンも、歩みを止めてレイベルと向き合う。


 「……あの時、俺がもっとちゃんと立っていられたら、あなたの今も違っていたかもしれません」


 メルンはすぐには何も言わなかった。

 ただ、まっすぐにレイベルを見つめたまま、ほんの少し微笑んだ。


 「私は、レイベル様の選択を責めたりしません。誰だって、逃げなきゃいけないときはあります。自分の命を大切にするのは、大切な判断だと思いますから。……命を軽薄に捉えないこと。それも強さの一つだと、私は考えております」


 優しくて、どこまでも真っ直ぐな声だった。


 クレーンと違った救いの言葉。でも、それがどこか苦しくなるからーーレイベルは何も言えなかった。


 そうして食堂の前に着き、扉を開けると、木製のテーブルに皿が並べられていた。

 席にはクレーンがひとり、足を組んだまま椅子に寄りかかっている。


 「遅かったじゃないか。腹、減っただろう?」

 「……ゼラさんは?」


 問いかけると、クレーンは器用にフォークを回しながら答えた。


 「子どもたちと一緒に食べてるよ。あの人はそういう主義でね、子どもも職員も関係なく、同じ釜の飯ってわけさ」


 レイベルは「そうか」とうなずき、隣の席に腰を下ろした。

 配膳された皿には、香草の乗ったスープと、焼き立てのパン、それから温かい野菜の煮込み料理。

 豪勢ではないが、質素すぎもしない。丁寧につくられた食事だった。


 メルンが水差しをテーブルに置く。


 「……あの、俺たちの食事って、子供たちよりも豪華だったりしませんよね?」


 メルンは一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに笑みを浮かべた。


 「安心してください、まったく同じものです。調理も一度にまとめて、皆の分を用意しています」

 「そう、ですか……」


 レイベルはそれ以上、何も言わなかった。

 ただ、心のどこかで張り詰めていたものが、ほんの少しだけ緩んだ気がした。


 「あんたにまだ、人を気にかける余裕が残ってたか。やれやれだね……いや、卑屈になっただけかね」


 レイベルは何も言わず、スプーンを手に取って、目の前の皿に向き合う。


 温かな湯気が、静かに立ち昇っていた。


 「そういやーー」

 

 と、何かを思い出したようにクレーンがそう口にする。


 「明日の朝、議会の方でセルセム級討伐の話し合いがある。あんたも参加しな」

 「……分かった」


 そう言った時のレイベルの手が、微かに震えた。



 翌日。

 夜が明け、薄明かりが教会のステンドグラスを透過し、床に淡い模様を落としていた。

 レイベルは早朝の静寂の中で身支度を整え、扉の前で軽く息をついた。


 扉を開けた先に、ゼラとクレーンの姿があった。どうやら、こちらに向かっていたらしい。

 「おはようございます、レイベルさん。実は、お迎えに上がるところでした」


 穏やかな声に、レイベルは肩の力を少し抜いて頭を下げた。

 「ちょうど出るところでした。……行きましょう」


 冷たい朝の空気が肌を刺すなか、三人は足を進めていった。


 向かう先は、聖騎士連盟議会。この都市に来てレイベルが最初に訪れた場所だ。

 その一室で会議が開かれる予定となっている。


 会場に着き扉を開けると、重苦しいほどの緊張が漂っていた。


 古い木製の長卓。その周囲に、武装を控えた十名余りの人が座している。

 装飾は最小限、実用本位の会議室。壁には大きな地図が掲げられ、中央には立体的な森の模型が据えられている。


 椅子がわずかに軋む音と、紙資料をめくる音だけが響いていた。


 ここに集っているのは、この都市に残る“上位ランク”の戦闘職ばかり――狩人、騎士、そして数人の鍛冶師や物資担当。名実ともに“歴戦”と呼ぶに相応しい顔ぶれが揃っていた。


 だが、そこに漂う微かな違和感。それをレイベルは感じ取っていた。


  ――……少ない。


 必ずしも会議に全員が参加するわけではないが、この緊迫感、恐らく少数で討つつもりだ。


 「すみません、お待たせしました」


 と、レイベルの思考を遮るように、ゼラが謝罪を口する。

 どうやらレイベルたちが最後の入室者の様だ。


 「ーー気にするな。我らが早すぎただけだ」


 それにいち早く反応したのは、部屋の奥、壁に掛けられた広域地図の前に佇む、ひとりの男であった。


 白髪交じりの髪と深い眉間の皺。指揮を任される老練の騎士――ガルシスである。


 「……で、そちらの彼が、例の?」


 不意にそう言って、ガルシスがレイベルを見る。


 「はい。急遽、私の一存で参加させていただくこととなった、上位狩人です。一度目標個体と交戦しているので、貴重な戦力になるかと」

 「お初にお目にかかります。レイベルと申します」


 ゼラの紹介で、軽く頭を下げるレイベル。


 元神級狩人とはいえ、空白期間は長期にわたる。故に、自身の存在などこの場にいる誰もが知らないと、レイベルは思っていた。


 だがーー。


 「そうか、貴殿が……」


 感慨深く、深みのある反応を見せた者がいた。


 それは他でもなく、ガルシスであった。


 「その偉業はかねがね耳にしてはいた。名を聞かぬ時が増えたが、まさかこの様な形で会合できるとは」

 「私をご存知で?」


 戸惑うレイベルに対し、ガルシスは「左様」と堂々たる振る舞いを見せる。


 「さて、時間だ。話し合いを始めよう」


 ガルシスの言葉で、全員の視線が地図の一点に集中する。


 「……目標対象、セルセム級。種族名をクラスト・ゼリオスと命名。主たる特徴は桃色の粘液。毒と爆破の属性を兼ね備え、自立での行動も確認されている」


 ガルシスの声は低く、しかし一語一語が明確に場を打った。


 「広範囲の攻撃に加え、行動の制限が少なからず伴う森での戦闘。故に、討伐に向かうのは、我々“精鋭班”と“後方支援班”、そして“遅延誘導班”の三つに分ける」


 ガルシスの言葉が区切られたの確認して、壁際の若い騎士が、資料を手にして補足する。


 「クラスト・ゼリオスの出現により、街道方面へと逃れたモンスターは他部隊が対処予定です。ただし、街道モンスターの体内からも同質の粘液が検出されており、寄生・遠隔操作の可能性が浮上しています」


 ガルシスがうなるように言った。


 「……レイベル、貴殿はどう見る?」


 「毒は即効性でした。爆破の威力も高い。ただ、毒性が長期潜伏できるものには思えません。街道の個体に外傷がなければ、別の目的、あるいは……」


 一瞬、プラナデールの惨状が脳裏をかすめる。あのときも、内側からモンスターが爆ぜた。


 「なるほど……そうか」


 意見を聞き終えてガルシスは腕を組む。


 レイベルの話が偽りでなければ、緊急事態に備えて街道に人員を割くのが妥当だろう。

 だが、討伐に向かうのは少数。そうするのは賭けだった。


 それはガルシスが口にせずとも、誰もが思ったことであった。


 「ーーなら、私が街道の方に出向きます」


 重い空気が漂う中、一人の男が口を開いた。


 ナヴィス、今回の作戦で伝令を務める報鳥使である。

 レイベルと同等の齢、加えて柔らかな顔立ちと言葉遣いでありながら、その居住まいはこの場にいる者と同等の風格である。

 

 「私は元々戦闘で参加する訳ではありませんから、班から抜けても痛手ではないはずです」


 謙遜ではなく、本気でそう思っているかの様な発言。


 だがガルシスはそれを重く受け止めて。


 「各班の連携は脆弱になるが、それが適作であろうな。では、各班修正。後方支援班のナヴィスを街道班に移行。抜けた穴は、クレーンで補う。その分精鋭班は手薄になるが、遅延誘導班が随時援護するものとする」


 若い騎士がその言葉を書き記す中、ガルシスは話を続けていく。


 「目標個体は現在……北東区画、第七林地帯に潜伏中。熱源観測では目立った動きはなし。ただし、周辺の動物反応も消えており、既に捕食行動を済ませた後とも考えられる。あるいは、別区画に逃げ果せたか」


 そう言いながら、ガルシスは地図に指をさし、森の北東部をなぞった。


 「街道のモンスターの体内に粘液があることを鑑みれば、奴が都市周辺の状況を把握していないとは思えん。最悪、都市決戦になることも想定しなければならない」


 その言葉で、場の緊張感が一気に増す。


 「無論、そうさせない為に我々が集った訳だ」


 ガルシスの言葉を受けて、やや年若いが理知的な顔立ちの騎士が一歩前に出た。金縁の装甲に身を包んだその男は、戦術参謀を担うシェルマン副官である。


 「作戦は、あくまで“短期決戦”を想定して構築されています。理由は明白。クラスト・ゼリオスの存在が続く限り、毒性を持つ粘液──いわゆる副次的スライムの発生は抑えられないからです」


 場に沈黙が落ちる。


 「すなわち、奴を倒さない限り、事態は刻一刻と悪化する。長期戦は許されません。よって作戦は、三段構成で展開します」


 シェルマンが地図を指し示しながら、淡々と語る。


 「第一、遅延誘導班。森の縁から火薬・臭気袋などを用い、目標個体を森の北東区画内に誘導・固定する。進行方向を都市側から反らせるのが最優先です」


 地図上で、香料玉と赤線が描かれたポイントに印が打たれる。


 「第二、後方支援班。本隊後方に位置し、外部から流入する雑種モンスターの排除および、負傷者の搬送を担います。加えて、毒による影響が出た場合の対処班としても機能します」


 補足として、複数の地点に“搬送路”がマークされる。


 「第三、精鋭班。本隊の主力として、クラスト・ゼリオスとの正面戦闘を担当。目標の粘液の飛散範囲に留意しつつ、速やかに核部への攻撃を行います」


 シェルマンは一呼吸置いたのち、核心を述べる。


 「最短での本体撃破が勝敗を分ける鍵。よって、精鋭班は初手で最大火力を以て接触し、可能な限り奴の命を削ります。その後、複数人で連携し“殲滅圧”を加えることで、再生の猶予を与えずに叩き潰す……なお、街道班とも連携を取り、状況によっては即時合流。万が一、都市に向けた移動が始まった場合は、精鋭から一人が即座にエイドラストで追撃。都市直前での迎撃態勢に移行するものとする」


 ここでガルシスが再び口を開く。


 「……作戦の要は“地形”だ。森を越えれば街道、そして都市がある。あやつに高度と加速が与えられた時点で、我らの射程では止められん。だからこそ、森の内側で全てを終わらせる」


 厳しいが、それしか道はなかった。


 「各班、構成と連携に漏れがないよう再確認を。不測の事態には、各隊長の裁量で即時判断せよ。レイベル殿は、精鋭班にて火力支援をお願いしたい」

「……承知しました」


 レイベルが静かに、しかし力強く頷く。


 「うむ。街道班と精鋭班の情報連絡はナヴィスを通じて随時共有。……言うまでもないが、撤退判断は“全員の命が尽きかけた時”のみだ」


 その一言に、誰も返さず、ただ静かにうなずいた。


 「それでは──第四門前、出陣は明後日夜明け前。準備を整え、運命を打ち破れ」


 ガルシスの覇気を纏った言葉を最後に、会議が終了した。



 「……今回の作戦、参加者が少ないのはやはり、街道の影響ですか?」


 会議を終えた帰路。街の陽光が徐々に強くなり始める中、レイベルはゼラと肩を並べて歩いていた。


 クレーンは別の用事があるとのことで、先に抜けていった。


 「それもありますが、地形や目標個体の影響もあるでしょうね。障害物の多い森。こっちは選択肢が限られる反面、敵は範囲攻撃を放てますから。それに――」


 ゼラはそこで言葉を濁し、「いえ、何でもありません。まあ、それらが理由でしょうね」とだけ締めくくる。


 ゼラは全てを言わなかったが、レイベルはその内容を察していた。

一度戦ったからこそ、レイベルには分かる。


 あれに挑むのは、数ではなく質。どれほどの兵が集まろうと、上位者でなければ肉壁にもなれない。ならば、無為に命を捨てさせるより、他への備えに割く方が正しい。


 ゼラが言おうとしたのは、きっとそういう類の話だ。


 「ゼラさん……ひとつお願いをしてもいいですか?」


 歩みを続けながら、レイベルがふと口を開いた。


 「私にできることであれば、何なりと仰ってください」

 「……鍛冶のために、工房を借りるあてを紹介していただけませんか?」


 ゼラは少し驚いたように横目を向ける。「装備の整備、ですか?」


 「……いえ、違います。自分の装備じゃありませんが、作りたいものがあるんです」


 それだけを伝えると、ゼラはしばし歩みを止めた。そして小さく頷く。


 「知人の工房で良ければ、案内しましょう。あなたに貸せるかどうかは分かりませんが、交渉くらいなら」

 「ありがとうございます。その前に、一度教会に戻らせてください。素材や道具を揃えたいので」


 ゼラはそれに異を唱えることなく、軽く頷いた。




 昼前、二人はゼラの案内で、街の一角にある鍛冶工房を訪れた。


 黒く煤けた石造りの建物。中には熱と金属の匂いが満ち、幾つもの炉が並ぶ中、数人の職人が黙々と作業をしていた。


 その中の一人――年配の職人がゼラを見つけ、面倒くさそうに顔をしかめる。


 「……珍しいな。騎士様がこんなとこに来るなんて、さては鎧が割れたか?」

 「いえ、そうではありません。今日は私ではなく、この者が工房をお借りできないかと思いまして」


 ゼラに促され、レイベルが一歩前に出る。


 「少しだけで構いません。隅の炉と作業台をお借りできれば。それ以上は求めません。素材も、道具も、自分で持参しています」


 職人はレイベルの持つ布袋に目をやり、そして無言で視線を外した。数秒の沈黙の後、ぽつりと漏らす。


 「……あんたがどんなもんかは知らねえが、ゼラの紹介なら断りゃしねえ。奥の隅、あそこなら今は空いてる」


 レイベルは深く頭を下げた。「ありがとうございます」


 「ただし、事故だけは勘弁な。火を飛ばしたら出禁だ」


 レイベルがもう一度頭を下げるのを見届けて、職人は作業に戻っていった。


 炉の熱気に包まれた工房の片隅、レイベルは道具を静かに並べる。


 その様子をしばし見守っていたゼラが、ふと思い出したように口を開いた。


 「私はレイベルさんの装備を確認しておきます。それでは――」

 「ゼラさん」


 背中を見せたゼラを、レイベルが静かに呼び止めた。


 「……もう一つ、お願いがあります」


 ゼラが振り返ると、レイベルは少し迷った後、口を開いた。


 「この装備が完成したら……マークに渡してください。もし、自分が戻れなかったら、その時は……」


 その言葉は、淡々としていた。


 けれど、隠しようもなく、そこには覚悟があった。


 ゼラは一瞬言葉を失い、やがて真っ直ぐにレイベルを見つめた。


 「……そうならないよう、祈りますよ」


 それだけ言い残し、ゼラは静かに工房を後にした。


     

 その場に残ったレイベルは、ゆっくりと素材と向き合った。


 そして工房の片隅、僅かな明かりに照らされながら、レイベルは炉の前で作業をし始めた。


 設計は以前から決めていたのだろう。道具や素材の選別に迷いがない。

 流れるように、金属音を響かせる。


 アマニュバーハーの輝きが、鉄の表面に淡く映り込む。


 打つ音が、静かに、力強く、空気を震わせる。


 時間の感覚はとうに消えていた。

 ゼラが去ってから、幾度目の鼓動を数えたか。

 炉の火が二度、薪を変えた頃。空の色が、白から夜へと変わっていた。


 「俺はもう帰るから、火の管理だけはくれぐれも頼むぜ。燃え広がったら洒落にならん」


 職人が続々と作業を終えて工房を後にする中、最後に残った年配の職人が、そう告げた。


 「はい……ありがとうございます」


 「それじゃあな。もし夜中に帰るようなら、戸締りしてから出てくれ。鍵はここに置いておく。使ったら戸口付近の土に埋めといてくれると助かる」


 見ず知らずの男に夜の工房を使わせるなど、普通じゃない。それも鍵まで預けるのは無用心にも程がある。

 逆に言えば、そうさせてもいいと思えるくらいに、ゼラは信用されているのだろう。


 それを心の中でありがたく感じながら、空気を震わせ続けた。

 赤熱の金属が火花を散らし、打つたびにその輝きがわずかに落ち着いていく。

 レイベルの動きは静かで、だが迷いがなかった。


 レイベルは、そっと最後の鍛造を終えた。

 工房には再び静けさが戻り、金属の余熱だけが、かすかに空気を揺らしていた。


 手を止め、ゆっくりと息を吐く。


 やるべきことは、やった。

 後は、来るべき時を待つだけだ。


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