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第10話 立ち待ち月の約束

 隣の部屋とを分かつ扉の隙間から漏れる、淡く細い光の筋。

 ほのかに香るシチューの匂い。

 聞こえてくる楽しそうな笑い声。


 ルナの眷属としても護衛としても。周囲に危険がなく、ルナが幸せそうにしているこの状況は、本来であれば喜ぶべきもののはずだった。しかし今、リムの心を占めているのは、黒くて暗い気持ちのみだった。

 なぜ今自分は、ルナ様の隣にいられないのか?

 なぜ自分だけが、こんな惨めな気持ちにならなくてはいけないのか? と。


 ――ギギィ――


 リムはベッドに腰をかけるとそのまま倒れこみ、右腕で目元を拭いながら顔を隠すことで、隣の部屋から漏れる光を断つ。

 ……理由など、考えるまでもない。だからこそこれ以上そのことについて考えるわけにはいかなかった。


「『ペットとして』……か」


 脆弱な人間のペットになるなど、リムからすれば願い下げだった。だが、あの輪の中に加われるのであれば、それでも良いのかも知れないとさえ思ってしまう。


「あの時ルナ様のように……。いえ、もっと小さな子狼の頃まで若返っていれば、私もペットとしてあの中に入れていたのでしょうか? ……はぁ、考えていても仕方がないというのに。仮に望んだとして――っ!?」


 ――ドクン――


 突然の眩暈がリムを襲い、その後全身が痺れたような感覚に襲われるとともに、視界がぐにゃりと歪んだ。

 平衡感覚が狂い、今立っているのか? それとも布団に倒れたままなのか? それすらわからず、呼吸が荒くなり、意識が遠のいていき――。


 ――ドタン――


 ベッドから落ちたのか? それとも転がって頭を打ったのか? リムにはそれすらよくはわからなかったが、どうやら頭を打ったことで意識は保たれたらしい。その後、視覚や平衡感覚も徐々に回復し、体に違和感はあったが、なんとか立ち上がれる程度には回復した。


「――はぁ、はぁ。いったいなにが――?」


「――が落ちたみたいなのじゃ!」


「でも今の音は――」


「視界が……低い?」


 リムは今、立っている。立っているというのに、リムの視界はまるで座っているかのように低かった。


「き、きっと私がお掃除中に物を積み上げちゃったから、そのせいなの」


《リム。どうした? なにがあったのじゃ?》


「ウリュウ。親子でも乙女の部屋に入るのは禁止なのじゃ!」


 ウリュウがルナの部屋に入ろうとしているのを、ルナとシルキーが止めようとしている声を聞きながら、リムはルナのいる隣の部屋を振り返りつつ思念波を返す。


《いえ、すいませんでした。なんでもありま――え?》


 そして、振り向いた先にあった姿見に、見慣れない……いや、見覚えはあったが、映るはずのない姿が映っていた。


「いやでも今の音は……まさか、あのロリコンか?」


 背の低い、短い銀髪の少女。ルナと出会った頃のリムの姿だ。


「ロリコン? なんのことなのじゃ?」


《どうしたのじゃリム?》


「――まさか!?」


 リムは嫌な予感を覚えながら、自分の手の甲を急いで確認する。


「――呪印が、ない?」


 ライカンスロープの身体能力は真祖のヴァンパイア並と言われており、才能が有り、戦闘訓練を受けたライカンスロープの戦闘能力は、ヴァンパイアの王族にも匹敵する。そのため、王宮に出入りし、王族に仕えるライカンスロープは、皆、王族に対して逆らえないように隷属の呪印を施されることが決まりとなっていた。

 リムにも当然その呪印はあるが、王国から追放されてすぐ、ルナはその呪印契約の破棄を行った。

『妾はもう王族ではなく、この契約に対するメリットもすでにない。妾のせいで王国に帰すことは出来なくなってしもうたが、これでお主はいつでも契約を破棄出来る。妾を見捨てたくなったら、いつでも見捨ててくれて良いのじゃ』と言って。


 しかし契約というのは、両者の合意によって結ばれるものであり、どちらかが一方的に破ることは出来ない。だからリムは、いつでも自らの意志だけで破棄できるようになったその契約を、あえて破棄せず。右手の甲に刻まれたその呪印を残し続けることで、それを忠誠の証としてきたのだ。なのにその忠誠の証たる呪印が消えている。


《――リム。入るぞ》


 まずい! これを見られるわけには――


 ――ガチャ――


「……リム?」



 ▽



 リムはルナの部屋の窓から飛び出し、夜道を走って逃げ出した。

 呪印が消えたことを知られるのが怖くて全力で。

 そんなリムが足を止めたのは、ウリュウがルナに『二人だけの秘密の場所』と言った、綺麗な泉の前だった。


 途中思念波で呼び止められるのでは? とも考えたリムだったが、幸か不幸かルナからの思念波は、あれから一度も来ていない。


「二人だけの秘密の場所……私とではなく、あの男とルナ様の」


 泉を見ているとまた少し胸が痛くなった。しかしその痛みのお陰か、リムの頭は徐々に冷静さを取り戻す。


「――これからどうすれば」


 リムは自身の右手を眺めながら、これからのことについて考える。

 呪印が消えたことに混乱し、リムはルナにそのことを悟られまいと、咄嗟にあの場から逃げてしまった。護衛としてあるまじき行為。

 次に会う時、自分はいったいどの面下げて会えば良いのだろうか? と。しかもその時、リムの右手に忠誠の証たる呪印はない。

 リムは次に、ルナの視点でこの状況を考え理解する。


 ――最悪の状況であると。


 ルナは王国から追放されてすぐ、リムに対して、いつでも契約を破棄し、自分を見捨てたくなったら見捨ててくれと言っていた。

 ルナの視点から見た現在の状況こそ、正にそれではないか? リムがルナを見捨て、呪印契約を破棄して逃げた。そう思われてもおかしくない状況だ。でも呪印が消えたことに、まだ気づかれていない可能性も――。いや、そんなことは考えるだけ無駄なこと。

 なぜならどちらにせよ、呪印はすでにないのだから。

 いつまでも逃げてはいられないし、逃げていたくもない。リムの望みはルナとずっと一緒にいることなのだから。そしてそうなると、呪印のことを隠し通すことなど不可能だ。


「……私は、なんて馬鹿なんだ」


 リムは俯きながら、自分の馬鹿さ加減に呆れて涙を流す。


「なぜ私はあの時、逃げずにすぐ、呪印が消えてしまったことをルナ様に話さなかったのでしょうか?」


 今のリムは、言うなれば『あなたを護り続けることをこの剣に誓います』と言っておきながら、主人の意に背いていきなり逃亡したうえ、忠誠を誓ったその剣すらもなくしているという状況だ。

 考えれば考えるほど、リムの思考はマイナスへと傾いていく。


「こんな状況で、私はいったいどの面下げてルナ様の前に立てば良いのでしょうか?」


 誰かに返事を求めての言葉ではなく、ただただどうすれば良いのかわからず、口から出て来ただけの独り言。しかしその独り言に返事が返る。


「出来ればその懐かしい顔に、笑顔を浮かべて立って欲しいものじゃな」


「――っ!?」


 リムは突然聞こえてきたルナの声に、体をビクッと振るわせ、すぐさまルナの声がした方に振り返るが誰もいない。


「懐かしい姿じゃな。リムと初めて会った時のことを思い出すのじゃ」


 しかし数秒後には地中から――。いや、影の中から。ルナはまるで生えてくるかのように、その姿を現した。


「ルナ様」


「いらん」


 リムはすぐさま跪いて首を垂れようとしたが、それをルナの声が静止した。


「すまぬがお主の独り言は、途中から立ち聞きさせてもらった。呪印がなくなったというのは本当か?」


「……はい」


「そうか。ところでリム、お主は今自分に起こっていることをどのように考えておる?」


 問われたリムはすぐさま答える。


「わかりません。ですが私は、呪印の破棄は望んでいませんでした」


「そうか、ではまず最初に言っておくが、妾はその呪印が消えたことを嬉しく思っておる」


「……なぜでしょうか?」


「理由は後で話す。じゃがその前に、なぜお主が若返ったのか? それについて妾の考えを聞いて欲しい。妾はあれからずっと疑問に思っておったことがある。なぜ妾とウリュウだけが若返り、村の人間の記憶まで塗り替えられておるのに、リムがそのままなのかということじゃ」


「それはルナ様があの男との未来を望んだからでは?」


「そうじゃ。じゃがなぜリムがそこに含まれていないのか?」


「……ひぐっ」


 リムはルナがウリュウという人間との未来を望み、自分がルナに必要とされなくなってしまったのではないか? という考えが脳裏をよぎり、さらに涙を流してしまうだけで返事が出来ない。そんなリムを見かねたのか、ルナはリムの下まで歩いてくると、身長が逆転したリムを抱き、頭をなで、からかうように笑いながら優しく話かける。


「もしやお主、外見だけでなく中身まで子供に戻ったのか?」


「そんなっ、ことは……」


「妾にとってリムは掛け替えのない存在じゃ。そんなリムがいない未来を、妾が望むはずがない。じゃというのに、実際リムにはその効果が表れていなかった。それはいったいなぜじゃ?」


「……望み。……ギフト?」


「そうじゃ。これは妾の推測なのじゃが、おそらく今まではリムのギフトが妾のギフトを弾いておったのじゃ。お主のギフトは、自らに干渉するギフトの場合、自らが望んだ場合を除き、全てのギフトを自動的に無効化するという、吸血鬼からすれば反則じみたものじゃが、自分が無効化したギフトの内容どころか、無効化したことすらわからない。そうじゃな?」


「はい」


「つまりリムは、妾のギフトにかかることを望み、その姿になったのじゃと思うのじゃが、心当たりはないか?」


 リムはそのことについて心当たりがあった。そして丁度それを願ったタイミングで、自らの体に異変が起きたことを思い出す。


「しかし私は、呪印の消失なんて望んでいません」


「それは妾の望みじゃ。リム、先程も言ったが妾はずっとお主にその呪印を消してほしいと思っておった」


「なぜですか?」


「妾はリムのことを家族のように思っておる。お主が嫌がるから消せなかったが、家族を隷属の呪印によって縛ることなど、妾が望むはずがないのじゃ」


「……私が、ルナ様の家族?」


「……嫌か? 嫌と言ったら今度は妾が泣くのじゃ」


「そんなっ、滅相もありません」


「なら、改めてお願いするのじゃ。リム、妾の家族になって欲しいのじゃ!」


「ありがとうございます。身に余る光栄です」


「家族なのじゃから、今後敬語は禁止なのじゃ!」


「そんなの無理ですよ!?」


「その程度、無理でもなんでもないのじゃ! それにリムはこれから妾の妹として、ウリュウの家で暮らすことになるのじゃから、敬語を使われたら困るのじゃ」


「私が、ルナ様の妹……」


「そうじゃ。妾は末っ子じゃったから、あの頃はずっと妹が欲しかったのじゃ」


 ルナは嬉しそうにそう答える。


「あの者にはどう説明をするおつもりで?」


「リムを見つけた瞬間に閃いた作戦があるから、そこは妾に任せるのじゃ! 細かい設定は月でも見て帰りながら、二人で一緒に考えればよいのじゃ」


 今までリムを抱きしめていたルナは、そう言いながらリムを放し、リムに手を差し伸べる。


「月……ですか、せっかくこんな大事なお話をして頂いたのに、今日が満月ではないのが少しだけ残念ですね」


 リムはそう言いながら、ルナの手を握る。


「なにを言っておるのじゃ? これほど今の妾達に相応しい月などないじゃろう?」


「?」


 リムが小首を傾げる。


「今日は立ち待ち月じゃ。リムが泣きながら立って待っている間に()が出た」


 リムはあの時、ルナを待っていたわけではなく、むしろ逃げていただけなので、なんと答えようかと返答に窮する。そんなリムの内心を察し、ルナは笑顔でこう告げる。


「あのまま放っておけば、きっとどの面下げて帰れば良いのかわからなくなり、姿を見せずに妾の周りを気配だけ感じるようにしてウロチョロし、妾に話しかけられるのを待ったのじゃろ? 言いにくいことがある時のお主の癖じゃ」


 リムは言われて初めて気付く。確かに自分なら、あの後確実にルナ様の下に帰っただろうが、なんと声をかけようか? 迷いながらその後を追い続けるだけだったかもしれないと。そして事実、今までそういう時には、何故か必ずルナ様から声をかけてもらえていたことも思い出す。

 ただし、気配だけ感じるようにしてという部分については、恥ずかしいので消し忘れていただけだと信じたい。


「私が立ち尽くし、(ルナ様)を待っていることにすら気付かぬ間に、(ルナ様)が出てきてくれた。という事ですね? 確かにこれほどこの状況にふさわしい月はないかもしれません」


「リム、敬語は禁止じゃ。今日からリムと妾は対等な家族なのじゃから」


「わかりました。立ち待ち月の約束ですね」


「わかってないのじゃ! その言葉がすでに敬語なのじゃ!」


 二人は笑いながらウリュウの家へと向かって歩き出す。

 天にいつもより明るく輝く、立ち待ち月の光に照らされながら。

立ち待ち月というのは十七夜。読んで字のごとく、十五夜(満月)の2日後の月のことを言います。

日没後、立って待つ内に出てくる月という意味です。

実際には、日没後一時間半位だったと思うので、そんなに待っていられるか!という感じですね。


十五夜(満月)の翌日である十六夜(いざよい)と、三十夜(みそか)は割と有名ですが、十五夜以降は月が出るのが徐々に遅くなります。


十八夜(居待ち月)。居というのは居合い等と同様に、【座る】という意味であり、日没後月が出るのを、立って待つには長いが、「座して待つ内に出てくる月」という意味です。


十九夜(寝待ち月)。月が出るのを待つには長すぎるため、横になって月の出を待つ。


二十夜(更け待ち月)。夜更けに出るのでこの名が付いており、以降は二十三夜(下弦)二十六夜(有明)三十夜(晦日)と続きます。


現代社会ではどうでも良い無駄知識でした。



これで第一章の主要キャラが全員揃い、そろそろ活動開始です!


これからもこの作品をよろしくお願い致します。

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