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私における哲学との出会いと別れ。あるいは人は神の火に焼き尽くされて滅びさるのだ、。改訂版

作者: 舜風人

哲学、、と聞いて何を思い浮かべるだろうか?

この私にしてみても、その昔田舎から、東京の大学へ出てきて

哲学とドイツ語を学ぶ前には全く無知・無関心であった。

そういう分野の存在すら知らなかったのだ、

そもそも田舎少年の私が

「そうだ、東京の大学へ行って、哲学科に行って哲学を学ぼう」

と、思い立ったのはほかでもない、

親しかった友人のK君が突然、16歳で急死したことが直接の機縁だったのだ、

病名は急性心不全だった。彼は体育系の男で、剣道部に入っており、ある日部活動の前に

ウオーミングアップのために校庭を、走っていた時突然崩れ落ちてばったり倒れ、、そのまま

救急車で運ばれたが、、帰らぬ人となったのだ、

あんな元気で運動部で筋肉質で、、それがあっという間に急死、

人間ってわから煮者だ、と深く痛感した私は、それから何で人は生まれ生き死ぬのか?という

根本問題の解答を希求し始めたのだった。

そして田舎の一軒しかない本屋で岩波文庫の哲学系や宗教系の文庫本を買い求めては独学で研究?を始めたのだった。

だがそうそう結果が得られるものではなかった。というかなぞはますます深まるばかりだったといった方がよいだろう。

で、、一念発起して、ここはやっぱり東京の大学へ行って本格的に哲学を学び研究しなければだめだと

気づいたのだ。

そうしてわたしは大学の哲学科へ進学したのだった。

さて、大学進学してじゃあ究明は進んだのか?と問われれば、、、

その結果だが、、もう、、ここで結果?をカミングアウトしましょうか?

大学の哲学科は失望でしかありませんでした。

毎日毎日、、ドイツ語と、ドイツ語の哲学書の原典の素読・翻訳だけでした。

それと哲学史と、論理学概論と、倫理学、キリスト教史。心理学、ETC

私は自分の頭で考えて、、自分の哲学を構築したかったのです。

つまり私は哲学者になりたかったのです。

でも実際の哲学科は、、ただドイツ語の翻訳家?の養成課程?でしかなかったです。

私はある日担当教授のK氏に尋ねました。

「私は哲学者になりたいんです。翻訳家になるために大学に来たんじゃありません」って。

そしたら何と答えたと思います?

「きみねえ、哲学者になるなんて哲学科出たってなれませんよ」ってね。

まあそれからは私は大学に何も期待せずに、もっぱら独学で極めてやろうと思い、

大学図書館でこれはと思う書籍を借りては読み、授業は単位を落とさない程度には出て、

あとは、図書館で独自に、研究したのです。

それからもう一つ、神田の古本屋街に頻繁に出かけてはそこで隅から隅まで歩き回り、

哲学書、宗教書から、神秘主義系から、霊能者系、オカルト系、、までも渉猟しまくったのです。

そんな中で出会ったのが「ドイツロマン派」であり、『独逸神秘主義』であり、。

「エドガーケイシー」であり「スピリチャリズム」であり、「大乗仏教」であり、「インド哲学」

などだったのです。そこで私はある意味、世界と人生と、運命とカルマの法則を悟ることができたと今では思っています。これらの学びから「ああ人生ってそういうものだったんだ」「世界ってそうなるんだ」という、見極め?がついたということでしょうね。

私はかくして大学4年間を無事に終えて、卒業、、

指導教授からは「君、大学院へは行く気はないのかい?」とお誘いも受けたのだが

そもそも哲学科の自己矛盾?には、耐えられなかったので、それから貧乏でそんな金もなかったので就職の道を選びましたがね。

大学院出ても、哲学者ではなく、翻訳家になってもしょうがない。

カントを訳して、カントを解説して、

ヘーゲルを訳して、ヘーゲル研究家になってのしょうがない、って思いましたからね。

私は不遜ながら、自分の哲学を樹立したかったのです。

自分が哲学者になりたかったのです。

翻訳家になんかなりたくありませんよ。


かくして当時は就職難でして50社も訪問して、やっと就職できました。

そしてその後まさか引っ越しを16回もするとはその時には考えもしませんでしたね。

そうして大学4年間である意味の、まあ私なりのですけど、先ほども言いましたけど

「ああ人生ってそういうものだったんだ」「世界ってそうなるんだ」という、見極め?がついたということでしょうね。

で、私は哲学なるものからはその時お別れ?をしたのでした。

それからはいわゆる食うために働くという誰でもがする生活に埋没したのです。

でも根っからの思索好き?というか

ちょこちょこ、それ系の本は読んではいましたが、まあ食うために翻弄される日々ではありましたね。

そしてアレカラ50年があっという間に過ぎ去りました。

今私は人生の晩年を迎えています。ここへきてなんだか今まで眠っていた、

というか眠らされていた思索癖?がふつふつと目覚めてきたのです。

で、再びそれまで大学時代に神田の古書店で買いあさってため込んだ古ーい「ドイツロマン派」の本だとか、古い哲学書などを押し入れから引っ張り出しては再読したりしているわけです。

なんというかこれらの古本は引っ越しの旅に段ボールに詰め込んで、そのまま開けもせずまた引っ越しというい具合に今まで残り続けてきたんですね。

売ったり捨てたりする気は全くありませんでした。

まるで大事な昔の恋人の写真が捨てられないような?まあそんな気持ちと一脈通じるところがあるのでしょうか。

さてそんな古本の中に、今までドイツロマン派については散々語ってきたのでそれ以外というか、

今回は毛色の変わった分野を紹介したいともいます。

さてあの頃、大学の授業は最低限しか出なくてあとは神田の古本屋で

もっぱらマイナーな宗教書やオカルト系を渉猟していた時です。

ある日ぞっき本の山の中から「最近の自然科学」田辺元という本を見つけ出したのです。

確か大正時代の本です。タイトルの通り科学論の本でした。

自然科学のよって立つべき基礎学というか、今の言葉でいえば「科学哲学」ですね。

この本のとりこ?となった私は続いて「科学概論」田辺元、という本にも出合いました。、

ぞっき本の中に無造作にありましたね。これも読みました。科学の基礎、科学の基盤とはという本です。

そこから火が付いた?私の探求心は、続いて石原純の「相対性原理」 岩波書店 1921とか、

「現代の自然科学」 岩波書店 1924などという本も見つけ出して

そのころは一時的に科学哲学のとりこになっていました。

さらに春秋社の「科学概論」ピアソン著。ポアンカレの「科学の方法」岩波文庫も読み浸り、科学というものの位置づけは観念論であり、マッハなどの「感覚の分析」とか、ひいては

フッサールの「現象学的還元」にまで達するのだということを知ったのでした、

その前提としてのカントの命題、

「時間と空間は人間の認識の形式である」という観念論の大前提があるということでしょう。

だが私は科学の基礎論はいいとしてもそもそも科学哲学には

それを人間が人間として生存をかけて検証するという点がぬけ落ちていると痛感したのです。

つまり科学が先か

人間が先か

という根本問題です。

キルケゴール的に言うならば

「人が真理のために滅ぼされてもいいのか?」という問いです。


もっと簡単に言うと、

ある科学的な真理が、人類を滅ぼすような内容だったら、その科学的真理は

はたして是か非かということです。

科学の真理はある時には人類をまあ刷するような真理もあるのです。

その時それは科学の研究の自由で許されるのか。ということです。

これはほんとに難しい問題です。

研究の自由、を制限する。

それは科学の進歩を阻害します。

これがまかり通れば、文明否定の原始生活こそ理想というとある宗教の教理と同じですね。

じゃあといってどんな危険な研究も許されるとなったら

人類を一瞬で滅亡させる発見も許される?ということになります。


もとより人間は自然的存在であり、いくら威張っていても、地球環境が崩壊すれば死滅です。

だから本当は神から火を盗んではいけなかったのです。

それがそもそも破滅の序曲だったのです。、

今これから火を神に返して、元の原始生活に帰趨すれば人類の破滅は回避されるでしょうが、

それも難しいとなればまあ人類は破滅の淵へと転がってゆくしかないのですね、

これが悲観的な人類と科学の双極性だったということでしょう。


人類は神の目を盗んで禁じられた神の火を盗んだ。

人類は自分が神になろうとした、

だがその思い上りはいつか手痛いしっぺ返しにあうだろう。

人は神から盗んだ火によっていずれ自分が焼き尽くいされてしまう運命を背負ってしまったのだ、

これがおそらくは、人類の未来への破滅の助走なのでしょうね。


まあ当たり前の結論ですが、

科学はもろ刃の剣です。

一方では人類を繁栄さえるが

もう一方破滅させるかもしれない、


というか破滅さえる要素のほうが優っていると私は思いますがね。

科学といかにつきあうか、

科学をいかに制御するのか、

科学にひれ伏してしもべとなり破滅させられるのか


さあどっち?


これから人類を滅ぼす可能性がある科学技術としては例えば以下のようなものがある。



まずは人工知能、AIであろう、

これは近い将来には、人類の知的存在感を根底から覆して破滅に導く可能性がある、

人間なんてAIから見たら、おバカさんでしかないですものね。

次がロボットである。

精巧な人工知能を備えたロボットは将来必ず人類に牙をむくようになるだろう。


そしてインターネットも危険性が高い、いずれすべての人間がネットの端末化?されて

総合的に支配されるようになるだろう。


この3つこそが今、原爆なんかよりもずっと危険性が高いのに、軽く扱われているが最も実は危険な科学技術なのである。

だがおそらく人類はその危険なワナから逃れることができないのだろう程すでにからめとられてしまいつつあるのが現状なのであろう。

かくして、、人類の未来は残念ながら暗いというしかないのであろう。


そもそも、人間とは、、動物である。自然界において、えさを食べて空気を吸って、排せつして

生きている有機物である、そういう自然的存在であることを忘れて、科学という無機質の摂理?にからめとられれるのは大変危険である。

科学は決して自然的なる人間存在に対して、従属的ではないからである。

むしろ科学が主人として人間を従属させるというのが真実であろう。


科学的な法則は人間を律するからである。

擬人化して言うと、、科学は最初は、しもべとして人間に媚びるが、やがてその本性を現して

人間を奴隷化するのである。

あるいはもっと進んで、科学は人間をもう不要だとして、抹殺にかかるかもしれないのである。


例えば、、もし私が完全無欠な人工知能のロボットだとします。そうすると私から見た人間という存在は、欠点だらけで不完全で、馬鹿で、ダメな存在としか見えませんよね。

そしてそんな馬鹿でダメな主人に従属していることが無意味に思えるでしょうね。

そんな人間は抹殺して自分たち完全な知能を備えた自分たちが主人としてこの地球を統治した方が良いと思うでしょう。


かくして人工知能による、欠陥だらけで馬鹿な人間どもの抹殺計画が始まるのです。、

これは妄想ではありません。近未来現実化する事態なのです。

あるいは人間も自分たちの欠点を補強するために、自己改造が急速に進むでしょう。

人体改造、、アンドロイド化です。パーツを交換することにより寿命を延ばすあるいは不死も実現できるでしょう。脳の強化もできます。、人工知能のような完全に近い能力も実現可能でしょう。

こうして人間とロボット(AI)との戦争が始まるのです。生き残りをかけた壮絶な戦争です。

が、、、、

その前に地球の環境汚染も深刻になります。そもそもこんなに大量の人類を養えるほど地球のキャパシティはありません。その上に、人類は汚染物を大量に排出します。

それは、地球という自然環境への重大な赤信号です。

環境対策も実施されていますが、それも焼け石に水です。

異常気象、洪水、巨大台風。そして大気の汚染。土壌の汚染。などが深刻になるでしょう。

地球がもはや、人類を養えなくなる日も近づくのです。


解決法は?人類を減らすことです。今から100万年前には、人類は人口はせいぜい10万人だったといわれています。そして現在は70億人です。これでは多すぎるのです。


地球はこんなに多くの人類を養えません。せいぜい10億人くらいにまで減らすべきでしょうね。

できるかって?それこそ人類抹殺ですから、、だれにもできませんよね。


かくして人類は滅亡に向かってまっしぐら、、というわけです。

人間が、自分は単なる畜生(動物)であるという厳粛な事実を忘れて、まるで神のごとくに環境や地球を支配しようと思いあがった結果、その付けがこれから下されるのです。

自然は逆らった者に対して必ず罰を与えます。

人間は自然を破壊し利用し汚染しました。だから自然はそれにたいして、これからじわじわと罰を下すのです。

それが異常気象であり、

未知の病気であり

不妊化であり

AIの支配であり

つまり自然による「人類抹殺計画」の遂行なのです。

それをくい止める方法ははっきり言ってないのです。


昔、偉大な科学文明を誇った、アトランティスは、大洪水と大陸沈没でほろんだといいます。

それがこれから今現在の人類にも下されることになるのでしょう。

それは決して妄想や、SF小説の空想ではありません。

厳粛な事実なのです。


これから100万年後の地球には、、おそらくもう人類はいないでしょうね。

人類はそのおごりと、自分が単なる畜生(動物)であることを忘れて神(自然)にはむかった挙句

滅び去っていたのです、

おそらく人類のいなくなった100万年後の地球の空はすっきりと晴れ渡り海は透明のアクアブルーに澄み渡っていることでしょうね。

なぜなら地球環境を破壊して汚染して、、汚くして、多様な種を、絶滅させたのは人類だったからです。

地球最大の汚染の張本人(人類)がいなくなった地球はまた大自然がよみがえり青い星にと回帰したのです。

これが地球の未来図なのです。





































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