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ELEMENT 2016秋号  作者: ELEMENTメンバー
テーマ創作「夕暮れ」+「染まる」
4/13

ぶざまに、かっこよく(作:鈴木りん)


 今日一日の仕事を終え、燃え上がる気持ちと火照った体をクールダウン――

 そんな、今しも水平線に沈もうとする太陽の如く赤い血しぶきが、みるみる、純白のリングマットを染めていく。

 マットの上でぐったりと仰向けに倒れているのは、覆面プロレスラーの「ジャスティス・タイガー」。そんな彼を、興奮冷めやらない血走った目で見下ろしている、ジュニアヘビー級チャンピオン、恩田おんだ正男まさおだ。

 チャンピオンの、その惜しげもなく観客に曝された胸板は、マットに横たわるタイガーの数倍も厚く、その黒パンツからはみ出すようにして伸びた二本の足の太ももは、今にも張り裂けんばかりのぎりぎりの張力で、形を保っているように見える。


「ふん、ちょろちょろと小賢しい覆面野郎め。俺に挑戦するなんざ、百年早いわっ!」


 会場に轟くほどの音量で叫んだチャンピオンは、数人の付き人を従えながら悠々とリングを後にし、花道の奥へと消えて行った。


「く、くそっ……」


 体にようやく力が入るようになったタイガーが、吐き出すように、呻き声をあげる。Tシャツ姿の若手レスラー数人が、倒れた覆面レスラーに駈け寄っていく。


「タイガーさん!」

「負けちまって……すまんな」

「そんなことより、今は怪我のことが――」

「ああ……どうやら足がいったようだ。それに額が割れて、前が血で見えない」

「うわ、こりゃ酷い。おい、担架だ。急げ!」


 普通にはありえない方向へと曲がった左足は、当然、自由が利かない。

 それに加え、覆面の下の額から流れ出す血が、まるで湧き水の流れのように、目と口の為に開けられた穴から滴り落ちていく。


 こうして、ジュニアヘビー級の覆面レスラー「ジャスティス・タイガー」は、薄れる意識の中、病院へと運ばれて行った。



 ★☆☆



「良かった、気がついたのね……」


 ジャスティス・タイガーこと、加納かのう大輔だいすけが病院のベッドの上で目を覚ますと、その視界一杯に、「彼女」である工藤くどう桃子ももこの苦しそうな笑顔が広がった。

 二十八歳の女性の目尻に浮かぶ、二粒の透明なしずく


「桃子さん、すみません……。約束したチャンピオンベルト、獲れなかったです」

「……そんなことは今、どうでもいいの。まずは、体を治すことが、先決」


 顔をしかめながら起き上がろうとする加納を、毛布の上から、桃子がベッドに押し付ける。

 互いの顔が、急接近。桃子の頬が、夕陽を浴びたように赤く染まる。



 ――ワンダープロレス所属のジュニアヘビー級レスラー加納大輔は、32歳の中堅プロレスラー。20代の頃は、正統派のレスラーとして戦っていたが、ぱっとした活躍ができず、今ではサーカスで飛び回る曲芸師の如き動きで相手を翻弄する覆面レスラーとして、リングに上がっていた。


 桃子との出会いは、ちょうど、一年前だ。

 プロレス好きの友達に半ば強引に連れて来られた桃子が、たまたまジャスティス・タイガーの試合を見たことが、きっかけだった。


 そのときも、ジャスティス・タイガーこと加納大輔は、試合に敗れた。あっさりと。

 そのあまりにも情けない負け方が、桃子の母性本能をくすぐったのだ。桃子は特にファンという訳でもないのに、わざわざ控室まで押しかけ、彼に激励の言葉を掛けた。

 彼女のそんな姿に、これまたあっさり完敗したのが、誰あろう、彼だった。

 まさに、可憐で純真な可愛さ。

 彼女に瞬時で惚れた大輔は、その場で交際を申し入れた――



「まったく……チャンピオン戦、真面まともには見てはいられなかったわ」

「すまない、弱くて。ぶざまなもんだね。俺みたいなヤツには存在価値なんて……」

「ちょっと、大輔! 今度そんなこと云ったら、本気で怒るわよッ」

「ご、ごめん……」


 大輔は、両手で白い毛布を掴むと、それを一気に引っ張り上げた。涙の零れそうになった顔を、覆い隠すために。

 漏れる、低い嗚咽――

 だが、桃子は諦めていない。

 厳しい目付きをしながら、盛り上がった毛布の山を睨みつける。

 彼女には、そんな毛布でできた白い壁が、まるでこれからサクセス・ストーリーの映画が上映されるスクリーンのように、思えてならなかった。



  ☆★☆



 それから、一か月が経った。

 まだ少し足を引き摺りはしていたが大輔は退院し、桃子の職場、体の不自由な児童の為の福祉施設へと顔を出した。

 もちろん、覆面レスラー「ジャスティス・タイガー」として、だ。

 子どもたちへのたくさんのプレゼントの荷物を抱えながら、広間となっている談話室へと彼が行くと、そこには車椅子に身を委ねた大勢の子どもたちが彼を待っていた。中でも一際その瞳を輝かせたのは、ある中学生の少年だった。

 彼の胸元に付いた名札には、「近藤こんどう あきら」とある。

 傍らには大輔の恋人、桃子が車椅子を両手で支えながら、立っていた。


「ジャスティス・タイガーさんだぁ!」 満面の笑みを見せる、明。

「名前、憶えててくれたんだね、明君」 リボン付きの青い包みのプレゼントを渡しながら、明の笑顔にタイガーが答える。

「当たり前じゃないか! だって僕は、ジャスティス・タイガーさんのファンだよ! いつだって応援しているに決まってる」


 と、はしゃいでいた明だったが、その顔に、急に暗い影が射した。


「……この前は、残念だったね。チャンピオンベルト、取れると思ったんだけど……」

「期待に応えられなくて、ごめん」

「次に頑張ってくれれば、いいんだ。あ、それより怪我はもういいの?」

「あ、いや、それが……。まだちょっと足がね」


 思い出したように傷が痛み出し、顔をしかめる、大輔。

 とそのとき、やや歯切れの悪い口調で、桃子が云った。


「それで……明君、ジャスティス・タイガーさんに……お願いがあるのよね?」

「お願い? 俺に?」

「うん……」


 斜め下をじっと見つめながら、明がぼそり、声を出す。


「今度のジャスティス・タイガーさんの試合……応援しに行ってもいい?」


 タイガーが、ちらりと桃子の顔色を窺う。桃子は「もう、許可は取っている」とばかり、瞼を使って小さく頷いた。


「よし、わかった! じゃあ次の試合、このジャスティスタイガーが明君を招待しよう」

「やったあ! 絶対、勝ってよ!」

「ああ、勝ってみせるよ……きっとね」

「良かったね、明君。ありがとうございます、ジャスティス・タイガーさん」

「うわあ、楽しみだなあ。早く、その日にならないかなあ」


 桃子は、車椅子の上ではしゃぐ明を尻目に、マスク越しの大輔の眼が寂し気な光を放ったことに、気付いていた。



  ☆☆★



 二週間後。明と大輔の約束した、その日がやってきた。

 「ジャスティス・タイガー」の復帰戦が行われる日である。

 ――試合前。八割方埋まった、観客席。

 リングサイド近くに車椅子の為のスペースが設けられ、そこに車椅子の少年と付き添いの女性の姿があった。


「桃子さん、楽しみだね! 次は、ジャスティス・タイガーさんの試合だよ」

「そうね、楽しみね。で、相手のレスラーさんって……強いのかしら?」

「ああ――『メガトン岩田』とかいう赤パンツの筋肉男マッチョマンだろ? あんなの、ただの『前チャンピオン』だもの。全っ然、大したことないよ」

「そっか、ただの前チャンピオンか……。うん、確かに大したことないわね……うん」


 桃子の口から漏れた小さな吐息は、会場の盛大なアナウンスにかき消される。選手入場が始まったのだ。

 先にジャスティス・タイガーが呼ばれ、リングロープの間を抜けて四角いジャングルに躍り出る。黒い革ブーツに包まれた両足で、すっくとマットの上に立つ、タイガー。ややまばらな拍手の中、手を挙げて応える彼に、桃子は一人、盛大な拍手を送った。


「ファイッ!」


 耳をつんざくゴングの後の、レフリーの掛け声、一閃。

 リング上は、ほぼ裸体の男二人だけの、戦場と化した。


 一進一退の、攻防が続く。

 相手が技を出せばこちらも技を出す。叩き合い、倒し合うという、小競り合い。

 しばらくは、後からリングに上がった赤パンツに対し、黒パンツの病み上がり覆面レスラーは、一歩も引かなかった。


 だが、それも長くは続かない。

 体力で勝っているせいなのか、はたまたジャスティス・タイガーの怪我が治りきっていないのか――メガトン岩田が、小兵こひょう虎顔とらづら覆面レスラーを、次第に圧倒し始める。

 

 丸太ほどの太さの二本の腕でタイガーの両肩を掴み、向こう側のリングロープへと突き飛ばす。

 ロープの反動で帰って来た彼の喉元に向けて、ラリアット。ほとばしる、背中の汗。

 仰向けにタイガーが倒れたところを、メガトンがひっくり返し、体を載せて海老反えびぞりにタイガーをギリギリとやる。


(もう、見てられない……)


 歓声に沸く会場の中、一人、目を伏せてリングを見ようとしない、桃子。

 それを見た明が、あまり器用には動かない顔の筋肉を強張こわばらせながら、云った。


「桃子さん、目を反らしたらダメだよ。僕たちが今やるべきことは、命を懸けて戦っているあの人を、しっかりと応援することさ!」


 桃子は目を見張り、車椅子の明を見た。


(私、勘違いしてた。この子は守られてなどいない。私にも、車椅子という器具にも……)


 きりり、視線を上げた桃子は、ジャスティス・タイガーの劣勢となったリング上を見つめた。メガトン岩田に羽交い締めにされた彼の胸板が、真っ赤に脹れ上がっている。握り拳を固める、桃子。


「今日こそ勝ちなさいよ、ジャスティス・タイガー! わかったわね!」


 試合会場に木魂した、可愛らしくも力強い、高音のゲキ

 一瞬の静寂の後、桃子は視線の集中砲火を浴びる。

 このとき、リングの上も一瞬の隙が生まれた――宿敵メガトン岩田の意識が、リング外に向いたのだ。


 隙を突き、ジャスティス・タイガーが立ち上がる。

 背後から近づき、メガトン岩田の首を取る。

 両椀の筋肉に渾身の力を込めたタイガーが、腕を振る。

 苦しそうに顔を歪めたメガトンが、リングロープに向かって吹っ飛んでいく。

 さっきのお返しとばかり、タイガーがラリアットをお見舞いする。

 呻き声を漏らし、メガトンが仰向けに倒れた。


(今だっ!)


 青コーナーの最上段へと駆け上る、ジャスティス・タイガー。

 振り返ると、まだメガトンはぐったりと寝そべったまま、身動きしない。


「スワンダイブ・フライングボディアターック!」


 ジャスティス・タイガーが、モモンガの如き姿勢で、宙を舞う。


「いっけえぇぇ」


 桃子と明が、同時に叫んだ。

 と、放物線を描いて落下するタイガーの体がメガトンの体に触れる、少し前。

 突然、両目をかっと見開いたメガトン岩田が、転がるようにして体をずらす。


 ――罠だった。


 リングマットにその体をしたたかに打ち付けたタイガーの足が、ぴくぴくと痙攣する。


「ああ……」


 同時に顔に手をやり、俯いた桃子と明。


 それからはもう、一方的な戦いだった。

 まるで木偶でくの棒のように立ちつくしたジャスティス・タイガーに浴びせかけられる、技の数々。

 最後、試合を決めたのは、メガトン岩田のフライング・ソバットだった。

 まるで糸の切れた操り人形(マリオネット)のように、タイガーがマットに沈んでいく。


 そう――男たちの戦いは、たった今、終わりを告げたのだ。



  ★★★



 意識を取り戻し、若いレスラーの肩を借りながらリングから引き揚げるジャスティス・タイガー。萎れた押し花のような姿勢で、リング横の車椅子に近づいていく。


「すまない、明君……。勝てなかったよ」

「いいんだ。勝負は時の運、仕方ないよ。ねぇ、桃子お姉さん?」

「……」


 明に肩越しに声を掛けられた桃子が、ジャスティス・タイガーこと加納大輔を睨む。

 湿った睫毛と潤んだ瞳に込められたその力の大きさに一瞬たじろいだ大輔が、ぼそりと声を出した。


「ごめん」

「ばか……。最後の方は、もう……見てられなかったんだから……」


 零れ落ちそうになる涙と、抱きつきたい衝動を必死にこらえる桃子に代わり、明が云った。


「お姉さん、泣かないで。だって、今日のジャスティス・タイガーさん、すごくかっこよかったでしょ。倒れても倒れても立ち上がる、そんな姿が眩しかったよね。ぶざまにかっこいい――そんな感じだった!」

「ありがとう……。弱くても、ぶざまでも、かっこいいと思ってくれたなら、うれしいよ」


 明がゆっくりと差し出した右手に、タイガーががっちりと握手をする。

 その横で、桃子が頻りと頷く。

 いつしか三人の周りには、拍手の渦が取り巻いていた。


「次こそは勝てよ、ジャスティス・タイガー! その二人のためにもな!」


 会場の誰かの叫びに、ジャスティス・タイガーが拳を突き上げて応える。

 

「ああ、もちろんさ。次こそ、勝つ!」


 湧き上がった、歓声の嵐。

 うねりとなって拡がった、拍手の渦。

 それは、いつまでもいつまでも続き、しばらくの間、止むことはなかった。



 ―おわり―

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