春に吉
机に頬をおしつけたまま撒き散らした屑紙を見やる。今日はいつになくうまくない。手早く美しい筆致を白い紙の上に画くのが自分の職分だのに、今日ばかりは書く詩書く文字片っ端から気に入らない。
「おいおいどうした先生、神の一手は」
苦笑混じりにのぞきこんだ親友を無視して何も浮かんでこない白い紙を睨みつける。いくら睨んでも公孫道士と違い念写ができる神通力には私にはないからまったくの徒労であるのだが。
「自分の仕事をしろ金」
「おいおい不機嫌だなあ」
私の不調に気付いて気を回し話しかけてきたのだろうが今は集中せねばならぬ時なのだ。腹立たしく足を踏みつけてやると、いてえ、と大声を出してまた笑った。金はいつでも上機嫌な奴なのだ。
「どうしたんだい」
「春節に似合う詩を考えろと呉軍師に命ぜられたのだがどうにも思いつかん」
「なんだい、そんなことか。おれがかわりにかいてやろう」
紙を奪い取って金は迷うことなくなにやらさらさら筆を動かす。
「そらできた!」
どんな名文句を書いてくれるのかと思いきや、しばらくの後に紙に画かれたのは、口にするのもはばかられるような、男女の営みを描いた、まあいわゆる…春画だ。
「なんだこれは!?」
「縁起物だよ、時々副業でやるんだよ。うめえだろ」
にっかりと微笑んだ金大堅は妙に手慣れた一枚を私の手に押し込んだ。
「お前年末からずっと机にかじりついたばっかりで窓の外も見やしねえ、今が春か夏かもわかんねえ男に巧い文句なんぞ思いつくわけねえだろうが」
はっ、と息をのんで見上げた窓の外は真っ暗で、ちらちらと雪が。
「よし」
私ときたら大切なことを忘れちまっていたようだ。
「きょうはもうやすむよ」
「それがいい」
奥方としっぽりやれや、とはにかんだ親友に蹴りを入れて、今夜は筆を置くことにした。