4話
鳴とすれ違うと、その女子生徒はなおも散歩を楽しんでいた。
特にどこに行くという目的も無い。ただ、適当に廊下をぶらぶらと歩いているだけだった。なんとなく隅の方を歩いてみたり、わざと遠回りになるルートを選んだり……。
しかし、その歩みが突然止まった。
「あら? 珍しいわね。引きこもりのあなたが外に出るなんて」
誰ともなく語り掛ける。彼女の周りには誰もいない。
だがその時、正面の角から一匹の狸がひょこりとあらわれた。まるで、彼女の声に反応したかのように。
そして、その狸はまるで意志を持っているかのように、ゆっくりと彼女に近づいていった。
「……狐露、何で勝手に出歩いている」
その狸は彼女に話しかけた。眼も心なしか彼女をずっと睨み付けているように見える。
「あら、見てたの?」
「当たり前だ。お前の怪しい動きは逐一監視している」
「……もしかして変態に目覚めた? それなら困るなぁ。毎日夜道には襲われないように注意しないと……」
「おい。ふざけるのもたいがいにしろ」
少し呆れ気味に狸が喋る。さらに狸の視線が鋭くなる。
「何で勝手に雫に会わせた? それもあそこに残してくるとは!」
「私はあの子に聞かれたことに答えただけよ。何も悪いことなんて……」
「あの招待状もお前の仕業だろ?」
彼女は答えない。
「お前が彼の手に渡るように仕組んだのだろう。それぐらいのことは俺でも見破れる」
「あの子が何とかしてくれるでしょ。そもそも新入生の勧誘は私たちの仕事じゃなかったかしら?」
「彼の仕事だ。僕たちは手を出しちゃいけない。これまでの秩序が乱れる」
しかし、その狸はかたくなに拒否する。こんな固い考えは彼女の好むところではない。
「あっそ。じゃあ今後気を付けまーす」
狐露は拗ねたように、狸に背を向けるとこれで終わりだ、と言わんばかりにそのまま歩き去ってしまった。
「おい、待て! お前にはまだ言いたいことがまず普段の行動だが……」
しかし、その言葉が彼女に届くことはなかった。
「だあれ?」
その少女は、教室で唖然としている鳴に近づくと、不思議そうに小首を傾げた。思わずこちらが気おくれしてしまいそうなほど無垢な表情だ。しかし、そのかわいらしい動作とは裏腹に声音には少しの警戒心が染み出していた。
だいたい彼女は何なのか。どう見ても幼い子供にしか見えない彼女は、その和服という服装も相まってこの高校という空気からはかけ離れていた。
「いや、僕は呼ばれてここに来ただけなんだけど……」
「ふうん」
なおも彼女は鳴を見上げている。そのふっくらとした顔は興味津々、といった感じだが、瞳の奥には恐怖心が見え隠れしていた。まるで、何かの小動物のように。
何でこの子はこんなところにいるのだろうか。迷子だろうか。でもここは高校だ。学校に迷子なんてあり得るのだろうか? まさか捨て子? いや、それこそどうかと思う。
様々な考えが頭に浮かんだが、考えれば考えるほどわからなくなる。
「それで君はどうしたのかな? 学校で迷子になったのかな?」
「うんん。まいごじゃないよ」
少女は首を振った。
「わたしは、ここから出られないの」
これはどうするべきなんだろう。そもそも、何がどうなっているのかわからない。
頭を抱えている鳴の元へ救いの手が差し伸べられようとしていた。
「ごめん、雫……おや?」
その時、新たな人影が現れた。
背が高めの男子生徒だ。よほど急いで来たのか息が途切れ途切れになっている。彼は鳴を見ると不思議そうな顔を浮かべた。
「君は新入生かな?」
「はい、丸山鳴と言います」
「すると、手紙に誘われて?」
鳴は頷いた。彼は少し考えていたがすぐに、納得がいったような表情になった。
「僕は、藍貝京谷。二年だから君の先輩になるね……ってこんなゆっくりしている場合じゃないや」
彼は、まだ落ち着かない息を吐きながら言った。
「ちょっと申し訳ないけど、雫……そこの女の子の相手をしていてくれないかな?」
鳴は断ろうとして、迷った。相手といっても何をしていいかわからない。でも、断るのも悪いし……。
その間にも制限時間は過ぎていく。
「じゃあ、あとはよろしく。くれぐれも僕が帰るまで部屋から出るのだけはやめてね。すぐ帰ってくるから」
「あ、待ってください」
しかし、彼はこちらを振り返ることなく、来た時と同じく急いでどこかに行ってしまった。