32話
目の前で起こっていることの整理がつかなかった。起きている一切のことが把握できない。目の前の青年が何をやっているのか、何をやっているのか全くの理解が追いついていない。
一度全てを否定したかった。だが何度それをやろうとしても、必ず何かが邪魔をする――つまりこれを事実と受け入れるしかなかった。
混乱の中必死に絞り出した声がこれだった。
「どして藍貝さんが……」
違う、何かの間違えだ。否定してください。しかしそれは淡い幻想となった。
「残念ながら嘘じゃない。もう一度いう。これ以上雫に関わるのはやめろ」
藍貝はきっぱりと全てを壊した。鳴の信じていたもの全てを。
「なあ鳴、俺はお前のことを思って言っているんだ。お前とあいつを離そうと尽くした。雫をあのとき外に出したのも俺だ。全部お前が俺みたいにならないようにしたんだ。あいつとこれ以上関わってもお前にいいことなんて一つもない」
藍貝はきっぱりと言い切った。そしてなにかを思い出すように語り始めた。
「――俺も去年、偶然この本を見つけた。そして色々と調べて君と同じくこの朝霧柚木という人が雫と繋がっている、ということもわかった。だが、それが全ての失敗だった」
藍貝は右手の本を憎々しげに睨めつけた。まるでそれが全ての根源とでも言いたげに。それを勢いよく一瞬上に持ち上げたが、思いとどまったのかそのままゆっくりと下ろした。
「ある日、柚木のことを調べていて俺は大怪我をした。突然本がなだれ込んできたんだ。人が人ならざる領域を犯せばどうなるか――答えは天罰が下るだけだ。俺はお前にもそんな目にあって欲しくない。だからもうやめてくれ」
全てを話した藍貝はじっと鳴の言葉を待っていた。
彼の言うことも正しいかも知れない。もし自分が同じ立場なら藍貝と同じように止めていたかもしれない。しかし、
「すみません。それはできません」
しかし藍貝にどうしても同意できない点があった。それを唯一の支えとして。
「どうしてだ! 俺の話を聞いていなかったのか。続ければ……」
「……約束したんです」
静かに、しかし確固とした意思を込めて鳴はいった。
「雫のために探すって、約束してさらに自分の中でも守るって決めたんです。どんなことがあっても」
狐露の前でも、あの時も既に誓った。その約束だけが鳴の理由だった。
頼ってくれた小さな少女のために。
「藍貝さんもそんな気持ちがあったんじゃないですか? だから柚木さんのことを調べて、そして雫に喜んでもらおうとしていたんじゃないですか?」
今度は藍貝がどきりとなる番だった。藍貝は落ち着きなくもう一度本を開くと、あのメッセージのページを開いた。そしてそれを見つめていた。まるでそれを通して何か別のものを見ているかのように。
やがて藍貝は本から顔を上げた。
「……旧校舎に書庫がある。そこには確実に朝霧柚木につながる何かがある」
藍貝は呟くと、右手の本を机の上に置いた。
「その本は勝手にしろ。借りたのはおまえだからな」
藍貝はそのまま背を向けて図書室から出ていってしまった。
藍貝はわかってくれただろうか。いや……。
鳴は卓上に置かれた本を見た。
(いや、きっとわかってくれた)
書庫という言葉と残していった本――それが全てを語っている。とりあえず明日二人で書庫に行ってみよう。