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黒豆と牢獄

 

露骨に目を合せまいとする黒豆の分かりやすさにデインが呆れていると


「坊ちゃま、このメイドの部屋に隠されておりました。この公爵家から王城への推薦状です。坊ちゃまの署も既に記されております。ただの紛い物と言えぬほどの、この私ですら、肉眼では見抜けぬほどの……精巧な贋物でございます」


バートラが書状を差し出してきた。

それを見た黒豆は、まずいっと言わんばかりの表情を浮かべた。

 

冷や汗を流しながら、ずりずりと部屋の壁を擦るように逃げ道を探している。

逃がすまいと動く気配を感じた。

 

どんなに優れた刺客であっても、あの距離にいる影からは逃れられまい。

その影に気付いているのか分からぬが、外へと続く影が控える場所とは反対側へと走り寄った黒豆は隅に転がっていた自らの下履きを掠め取り、常にはない俊敏さでつま先を突き入れた。


しかし先ほど怪我の治療で施した帯のせいで膨らんだ右足では、いつもの履物が入らなかったのだろう。

 苛立ちを表すように、小さいんじゃーっ! と悪態を吐きながら、無事な左足で右の履物を蹴り飛ばしている。

 

この緊迫した状況でどうしてそういう気が抜けることをするのだろうか。


「坊ちゃま、情けをかける必要などございません」


「分かっておる」


黒豆が行った偽の書状作りは、言うまでもない王家への反逆である。

しかしデインは分かっていると言いながらも、捕えよと命を下さない。


「地下牢へ連れていきなさい」


そんなデインに代わり、バートラが場を動かす。


「はっ」


控えていた衛兵が黒豆の腕の掴み、引っ立てるのをデインは黙って見ていた。黒豆は諦めを見せ、抵抗もせずに大人しく従った。


動きが鈍い黒豆を、衛兵は乱暴に髪を掴んで揺さぶった。顔を顰めた黒豆を、別の衛兵が縄できつく縛り上げようとする。

腕を無理やり後ろに回されて無理な体勢から逃れるよう体を捩る黒豆を、抵抗と見なした別の衛兵が固い軍靴のつま先で蹴り上げた。

 

支えるものがないまま、黒豆は床に倒れ込んだ。


「やめよっ! そのような乱暴な真似はするでないっ」


それを見たデインが思わず声を荒げ制止すれば、衛兵の動きが一斉に止まった。

黒豆は、額に冷たい汗を掻きながら床に転がっている。

 

失念していたが、ラウの実の毒は黒豆の体から完全には抜けていない。

黒豆は毒に対する免疫など皆無に等しく、そのようなものに対する抵抗力とて限られたものだ。

 

そんな状態の黒豆を、日の光の当たらぬ暗い地下牢へと閉じ込めたらどうなることだろうか。

 

地下牢で行われる尋問は、屈強な男だとて一日で根を上げる厳しいものだ。

この国の、もっとも死に近い場所とも言えるだろう。そこに黒豆を送り込むことに、愉快とは言えない気持ちが湧き上がる。


「……よい。下がれ。このメイドの取り調べは私が直々に行う」


「は? しっ…しかしっ」


常とは異なるデインの命に、戸惑った衛兵はうろうろと泳がせた視線を、バートラに定めた。

バートラはふぅっとため息を吐いて、考え込むように白い髭を撫でている。

 

デインは動きを止めた衛兵から、黒豆を縛り上げた縄を奪い取り


「下がれと言うのが聞こえぬのか?」


再度命を下した。

はっとした様子を見せた衛兵はカツンと靴底を鳴らし、訓練された礼を見せると部屋から出て行った。

突き刺すようなバートラの視線を無視して黒豆を抱き起す。

 

黒豆が呆けたような、ぽかんとした眼差しでデインを見つめてきた。

この国ではありえない真っ黒な目でひたっと見つめられ、居心地が悪い。


そもそも目下の者が上位の者と視線を合すことは無礼とされ、許しが出ない限り、顔も上げないというのが一般の常識である。

次期公爵の位にいるデインと視線を合すことが出来るのは、皇帝陛下とそのお方に近しい方のみのはずだ。

 

そんな理を黒豆が意に介していないのは常の事だが、ここまでひたりと視線を合されたことはついぞない。


「何だ。何を言いたい」


「いえ……ご主人様が…使用人に寛大な雇用主だとは存じておりましたが、まさかここまで人道的な対応を取るお方だとは思っておりませんでした。アルルのケーキに細工をした時以上の、寛大なお心に感謝いたします」


「坊ちゃま……? アルルのケーキとは何のことでしょうか? よもやこのメイドがケーキに毒物を仕込んだとでも?」


デインが部屋の外で控えていたマーサを呼び、胃に優しい体が温まるスープを持って参るように言えば、何やら言いたげに片眉をあげられた。

バートラだけでなく、マーサもデインに言いたいことがあるようだ。

 

そしてその内容は大部分、見当が付いている。

デインとて分かっている。不穏分子を許してはならぬと言う理を。

 

些少の油断と気の緩みと情けが、自らの大切なものを奪う原因となり得るということは、身をもって学んできた。

非情になることが守ることに繋がると知っていても、間近で見た黒豆の黒い目が不安に揺れるのを見てしまうと、常の決断が怯むのもまた事実だった。


「そのような大層なことではない。先日遠方からの客人が、町で有名なアルルのケーキを持参したであろう。どうしてもそれを食したかった黒豆は、そのケーキの端を切り落とし、クリームで飾りなおすという無礼を働いたのだ」


「余分にケーキがあることを先におっしゃっていたら、私めも余計な労力を使わずに済んだのでございます」


「元より食い意地の張った其方に食させてやるつもりであったわ。其方にやろうと箱を開ければ、先ほどと同じ様態の、しかし一回り大きなケーキが陳列している。そなたの悪事を悟り笑いも出なかったぞ」


ケーキの縮図だけを変えてクリームで飾りなおせる黒豆の特異な技術はさておき、その労力とやる気を別のところに使えぬものかと呆れてしまった。


「しかし今回の件は、甘味の時のように不問にすることは出来ぬ」


「分かっております」


「……罪と分かってやったのだな」


「覚悟しておりました。しかしもう少々心構えが必要かと。ですからご主人様、忌憚なくお答えください。私がしたことは、この国の尺度で判断すると、いか程の懲役で罰則金になるのでしょうか?」


「其方が言っていること殆どが分からぬが、これだけは言える。其方が思うほど、其方の罪は軽いものではない」


黒豆が行ったのはただの偽造罪ではない。

偽りの書状で向かおうとした先が王宮であれば、それは偽造罪ではなく、国家反逆罪になるのだ。


例え黒豆自身が、そんな意図がなくともその事実だけで然るべき機関はそう判断を下すであろう。


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