黒豆の正体
翌日、バートラが寝台の上の黒豆に偽の証書を突きつけ、次第を問い質した。
デインは壁に凭れ、黒豆の反応を伺っている。黒豆は、バートラの言葉に焦る様子は見せずに、しかし否定もしなかった。
「ついにばれてしまいましたか……」
そう呟くや否や、黒豆は長すぎるスカートを翻し、窓の縁に足をかけ外へ飛び出した。
デインもバートラもそれを制止せずに、外にいる影に後を追うように手を振った。
黒豆の身体能力を測るに、大した後ろは出てこないと思われるが、その油断が命取りとなることもある。
思わぬ者が思わぬ者の後ろから、出てくることもあるのだ。
「……其方は何をしている」
影の気配が動かないので、デインが窓の外を伺えば黒豆が足を押さえて蹲っていた。多少の警戒をしつつ近づけば、黒豆は右足の裏を押さえ、呻いている。
抑えた指の合間から、微かに血の匂いがする。
無言で見ていれば、黒豆が小さな石を忌々しそうに遠くへ投げ捨てた。
その後でデインに気付くと、今まで一番良い愛想笑いを浮かべながら
「履物を取って頂けますでしょうか」
場違いな要求をしてきた。
緊張の欠片も感じないその動作にデインは深々とため息を吐くと、その腕を引いて部屋の中へと引っ張り上げた。
仕切り直してもう一度。黒豆を問い質すバートラ。
「私の後ろですか? はぁ……亡くなった祖母しか心当たりがありませぬが」
「其方は何の話をしている?」
黒豆は足の裏の裂傷だけでなく、地に足を付けた際に左足首を捻っていた。
このような間抜けな刺客は未だ嘗て見たことがない。
手当をする振りをして、デインは黒豆の足を取って調べた。丸い石ですら傷ついてしまうのではないかと思うほど、柔い皮膚をしている。
黒豆のこの危機感のなさは何なのだろうと、デインは眉根を寄せてしまう。
忍ことを生業とするものは、他人に触れられるのを極端に避ける。それは自らの身体能力を悟られないようにと策略的なものもあるが、最たるものは本能だ。
黒豆はお手数をお掛けしますと恐縮するような言葉を言いながらも、態度は横柄で躊躇いもなくひょいっと足を出してきた。
この緊張感のなさで、デインの糸も緩んでしまう。
「其方にあの偽の証書を用意したのは誰だと聞いている」
「あれですか。あれは私が作りました」
「何と……?」
特技でして、と言う黒豆に話を促せば、故郷ではそれでお金を稼いでいたと語りだした。
「本職はプログラマーですが、副業として二次創作の同人誌をネットで売っておりました。これでも私、その世界では名が知られていたのでございます。一度ならず、二度ほど出版社から警告を受けたことがある腕前で、まさにオリジナル作家の如くに描くことが出来るのでございます」
「其方の言うことはよく分からぬが、書を真似ることを職業としていたということか。しかし印章。あれはどのように作った」
「あの時はまだ、スマホのバッテリーが残っていたのでございます。私は、人目を盗んで高性能カメラで印章を撮影し、拡大し、立体化させ、新たな印章を作り上げました。工房に頼まなければ出来ぬこともございましたが、その辺りはお金の力が効きました」
「印章の複製を請け負うということは、犯罪に加担するということだ。其方がそれほどの貨幣を持っていたとは思えぬ」
「ですから、私は同人作家なのでございます。もっと言えば、ミリオンセラーをそのまま描いたとしても、ここでは著作権で咎められませぬ。まさにやりたい放題なのでございます。紙とペンさえあれば、私はお金を作ることが出来まする。しかし問題は、一作に付き、一作しか売れないということです。ですから脚本作家として身を立てて参りました」
黒豆の言葉は理解できぬ部分が多く、話の筋を掴めない。
しかし見た方が早いと、ペンと紙を差し出せば、黒豆はさらさらと文字を綴った。
それはデインの書体そっくりであった。
当の本人ですら、違和感を覚えぬほどの。
「……」
無言でバートラにそれを差し出せば、おや? と言うように片眉を上げ、じっくりと検分した。
「これはお見事です。坊ちゃまの書体の癖、掠れ方など細部に至るまで、如実に書写されております」
感心したように零したバートラの言葉に、黒豆は場違いにも得意げな表情を浮かべた。
ふふんと言わんばかりの黒豆を
「其方……私の書体を盗み、何に使おうとしていた…?」
デインがジロリと見れば、途端しまった! という表情に変え、視線を泳がせ始めた。