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黒豆と疑惑


豪奢ではないが、格式高い次期公爵の私室。

難しい顔をしているデインと、軽く頭を下げて控えるバートラ以外の気配はない。


重大な話があると、バートラが申し出た故だ。


「……黒豆の紹介状が偽証されたものであると?」


そうして告げられた事実を、デインは受け入れがたい表情をしていた。


「さようでございます。ナディス家からの紹介状、これは真のものでございまするが……ハキス家のものは拵物であると判明いたしました」


バートラは机の上に、二枚の証書を並べた。

どちらも印章入りで紛いなきように思えるが、バートラのことだ。

 

既にハキス家とナディス家に真偽を問うた後なのだろう。


「しかし……私には分からぬな。どう見ても、本物の証書に思える」


「誠、これほどまでに精巧な拵物はそう作れるものではございません。ナディス家の紹介状が偽りでないということは、ナディス家では真と判じ雇い入れたのでしょう」


ナディス家はハキス家には及ばぬが、他家に一目置かれる名家である。

しからば、雇用の厳しさは言うまでもない。

 

そのナディス家が零すほどの、精巧な証書であった。

真偽の見極めに長けたバートラですら当初は目零すほどだ。本物のナディス家の証書が更にその判断を惑わせたにせよ、これほどまで精巧な作りは他にない。


「ふ…む。しかしあの黒豆がな……」


デインの脳裏に、ちょこまかと無駄に動きがうるさい黒いメイドが浮かぶ。害がありそうで、全くない黒い生き物。


「いかがなさいますか? 坊ちゃま。宜しければ私が、尋問いたしまするが」


「うむ……」


先を見据えて行動を起こすデインの意思決定は早い。

そのデインが即答しないところに、彼の複雑な心中が表れていた。


デインは思案するように組んだ手に顎を置き、宙を見つめる。

危険因子の可能性が高い以上、これまでと同じく傍に置くわけにはいかない。

 

さりとて、あの小さな体に屈強な男同様に尋問を加えるのも些か気が進まなかった。


「坊ちゃま、よもや情を移しておいでではありませんか? どうも坊ちゃまは、あのメイドに甘いところがあるようにお見受け致します」


デインとしては甘く見ているつもりはなかったが、マーサにも同じような苦言をされたことを踏まえると、そういう面があるというのは否定出来なかった。

黒豆と対していると、己付きのメイドと言うよりも新しく飼った小動物のような気がしてくるせいだ。

 

次期公爵を敬いもせず自分勝手な振る舞いをする黒豆は、デインが幼き頃拾った貧相な仔犬と被った。


「しかし、黒豆が私の命を狙えるとは思えぬ。あの貧弱な体つきでは、いかな攻撃をも期待できまい」


証書もさることながら、黒豆自身の体が身元を疑わぬ要因の一つであった。

訓練された者は、隠せぬ体つきと雰囲気を纏うものだ。

 

その体は爪のような細部に至るまで硬く、目は特別な光を持ち、一つ一つの所作に現れる。

紙で皮膚を裂き、始終悪態を吐いて破り返している黒豆の体は鍛えられたものとは到底思えなかった。


「さようでございます。しかし油断なさいますな。隙を見て、毒物を含ませることも出来ましょう」


「効かぬよ。私に毒は効かぬ」


公爵家の後継ぎである以上、命を狙われることなど茶飯である。

毒に慣れるために毒を含むのは、貴族の嗜みの一つと言ってよい。


「当家の情報が狙いなのかもしれません。いずれにせよ、問い質す必要はあります。そして坊ちゃま、まずはご報告をと思いましたが、此度の不手際誠に申し訳ございません」


「気に病むことはない。私は未だにこの証書が拵物というのが分からぬ。黒豆が来てわずか十五日足らずで、良くぞ調べた。しかし……あの豆がな…信じられぬ」


あの害のない雰囲気は、意図して作れるものではない。

しかし黒豆に不可解なところが多いのも、事実。


黒き髪黒き目は、この大陸には見られない。

昨今、染料や薬種で髪や目、肌の色を容易に変えることが出来る。


皆々その日の召し物によって色を変えることを美の一つと捉えているので、黒豆も好みで黒に変えているのだと思っていた。


「黒豆を呼んでくれぬか? 東の館に使いを頼んだので、そろそろ戻るはずだ」


「御意」


昼の休み時に用を申し付けたので、不機嫌であったが領土から献上されたばかりのラウを一房やったら、動きが機敏になった。

金に拘るが、黒豆は存外安い思考だ。


幼き頃拾った犬も、普段はデインが呼んでも片耳すら反応せぬくせに、食べ物の匂いを嗅げば喜び勇んで駆けてきたものだ。


デインが昔守り切れなかった仔犬を思い返し黒豆に重ねていると、出て行ったばかりのバートラが複雑な顔で戻ってきた。


「いかがした」


「例のメイドがラウを食べて倒れたそうです。ラウの実を食べたようで、今マーサが毒消しを飲ませております」


「ラウの実を食べた!? ラウは皮と種を食す果物ぞ、実は体に害を及ぼすゆえに食せぬとは幼き子ですら知っているはずだ」


ラウは国の名産物と言っていい、代表的なものの一つだ。

どの季節でも実がなる上に、保存が効く。比較的安価で市場に出回るゆえに、市民は幼い頃から頻繁に食べている。

 

しかしラウの実はその分厚い皮と大きな種が食用部分で、実の部分は腹痛を引き起こす液を含む。

 

少量ならば問題はない。

しかし一房食べてしまったのなら、それは命の危険に晒される可能性もありうる。まして黒豆のように体が小さきものは。


デインが黒豆に渡したラウの果実は五つ。

いつもながらの食い意地を発揮して、全て食してはおらぬだろうなとデインは早足で黒豆に与えた部屋に向かった。

 

倒れたと聞いていたが、黒豆は寝台の上で腹を押さえながらごろごろと悶えていた。


「そんな危険な果物なら、先に言っとけっ! 労働局に訴える準備だっー弁護士を呼べーっ」


呻きながらも顔を上げた黒豆は、デインに気付いて枕を投げてきた。

その枕はデインへ到達する前に投下したが、主に対しこの上ない非礼だ。


「其方、いくつ食べた?」


「……お使いに行く途中に一つ食べて……残りは町の子供に売りました……うぅ、あの子たちも今頃同じ目に遭っているかも……っ」


「この国でラウの食べ方を知らぬ者はおらぬ」


余程痛いのか額に大量の脂汗が浮かんで、黒い髪が張り付いていた。

デインはそれを指で掻きあげながら、マーサに水と布を用意するよう命じる。


「しかし其方、尋問の先取りをするとは……」


素性の怪しきものが潜り込んできた場合、手っ取り早く薬物を飲ませるという方法がある。

薬物は毒をも含む意味合いで、どの程度の耐性があるか知るのは其の者の素性を割る手がかりとなるからだ。

 

しかし黒豆は、毒消しの速攻の効き目といい、毒への耐性が全くないと言って良い。

毒に慣れた体では、毒消しの効果も期待できない。


黒豆の体はあまりにも弱すぎて、素性と狙いの検討が付かない。


「いっ……申し上げてっ…おきますが…、これは労災ですのでっ……明日休む分も…賃金は貰います…うぅ…から…有給は…使わん……」


「分かった、分かった」


デインの服を掴んでいるその手をポンポンと軽く叩けば、黒豆は話すのを止めてダンゴ虫のように丸くなった。


「坊ちゃま」


「問い質すのは……黒豆が回復してからだ」


バートラから非難するような視線を受けたが、デインは気づかぬふりをした。


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