黒豆と眼薬
「時に黒豆、その目つきの悪さは何とかならぬのか?」
そろそろ慣れてはきたが、黒豆の人相の悪さは指名手配書に載っていてもおかしくはない。
「夜な夜なネットサーフィンをしてきたつけをここで払わなければならないという、何とも悲惨な状況なのです。私の視力は頗る悪く、正直申しまして、ご主人様と判別できるのも、その豪奢な服があって成せる技でございます」
黒豆は何とも独創的な手法で花を活けながら、淡々と答えた。
その言葉に、滑らせていたペンの動きが止まる。
「まさか服がなければ、この私が分からぬと申すのか?」
デインは宝石のようと称されるアンバーの目を見開いた。その目に怯むことなく、黒豆は深々と頷く。
「おっしゃる通りでございます。仮にご主人様が素っ裸で立っていたとしたら、私めはご主人様と気づけず、素通りしてしまうのではないかと存じます」
仮の話とは言え、次期公爵が素っ裸で立っていたらなど飄々と言える黒豆の辞書に無礼という文字はない。
「真っ裸で男が立っているのに、素通りすると女性にあるまじき対応はさておき、その目の悪さでは生活に支障がでよう?」
そしてまた、それを咎めるほどデインは狭量ではなかった。素っ裸の変質者が出た時の反応に軽い引っ掛かりを覚えるくらいである。
「最近は慣れてきまして、声を使って距離を測れるようになってきました」
「其方はこうもりか?」
「ばれましたか。そうです。社会問題の一つである引きこうもりでございますが、しかし私は在宅という手段で社会の歯車の一つに加わっていたので、問題なしでございます」
この黒いメイドの言うことはよく分からぬことが多いが、視界の悪さに人相の原因があるらしい。
「其方、眼薬は効かぬのか? この辺りならば、アリーナの薬屋に行くが良かろう」
「眼薬……とおっしゃいますと目の薬でしょうか? して、それはどのような効果が?」
「其方、何を言っておる? 眼薬と言えば、視界の悪さを回復させるものと決まっておろう」
黒豆のように劣化した視界の者が使う薬であることを説明すれば、驚いたのか手元を狂わせ、バラの蕾を切り落とした。
「それは……一体どんな原理で…? レーシックを超えた何かが……。いや、でも待てよ。怪しい雑誌の裏に載っているまがい物の可能性が高い気も。それを使った結果、目に致命的なダメージを与えられたら国保対象外という危険が……」
「其方は一人で何をぶつぶつと呟いているのだ?」
デインが声をかければ黒豆は頬を窄め、下唇を突きだした珍妙な顔を向けてきた。
「その眼薬ですが、一体何を材料に作られているものでしょうか?」
「ドラゴンに決まっている」
何なのだ、その顔はと思いながらもデインが質問に答えてやれば
「ドラゴーン」
黒豆は更に面白い顔になった。
黒豆はいつも奇妙であるが、今日は特に挙動不審である。
「ドラゴンと言うと、あの空を飛ぶ大きな……」
「大きくはないと思うがな。あの昆虫よりももっと」
「昆虫っ!?」
ドラゴンはどの国にとっても馴染み深い昆虫である。
年によっては大量に発生し、田畑に損害を齎す害虫となりうるが、薬や香辛料にもなる生き物で、豊穣の化身として崇めている国もある。
黒豆は頭を激しくぶんぶんと振り出した。
長い髪が乱れ怪しい儀式の、何かが宿った者のようで少々怖い。
「其方……頭は大丈夫か?」
「ご心配には及びません。私の祖国のドラゴンと大きな違いがあったため、少々混乱してしまいました。我が国のドラゴンはもっとずっと巨大で、時に人を乗せて空を飛んだり、時に城を攻撃してお姫様を浚ったり、時に洞窟の奥で宝物を守ったりする生き物なのでございます」
「……其方の国のドラゴンが全く想像できぬな」
その後、黒豆はマーサからアリーナの眼薬を貰ったようで、嬉々として報告しに来た。
一気に視界が回復し、苦も無く遠くが見えるようになったことを。
「お仕えして幾星霜、これほどまでご主人様に感謝したことがあったでしょうか? いや、ございません。ありがとうございます。故郷に帰った時、この視力でイチからネット廃人の道を歩めます」
「それは良かったな。しかし其方、私に仕えてまだ十日であろうに」
デインが呆れながら黒豆を見れば、まん丸の目で見返された。
デインはその目の色の黒さに言葉を失ってしまった。混じりのない漆黒。
「……其方、その髪、その目は染めているのではなかったのか?」
黒は、染料を使わねば持てぬ色であった。