王太子殿下の葛藤
「う~っ!」
イラッとした気持ちを抑えきれずに、ルークは髪を掻きむしって苛立ちを押さえた。
紅葉王子は、チェルシーの父に文を書くと言ってしばし席を外し、チェルシーはそれに付き添って行った。
デインも、しばし失礼をと言って部屋を出て行った。
今、この部屋にはルークと黒豆しかいない。
突然、叫び出すというルークの奇行に全く反応を示さない黒豆に、無駄と思いながらもつい、話を振ってしまった。
「紅葉王子、チェルシーに婚姻を申し込むつもりだってよ」
ぼそっとした呟きに、黒豆は顔をあげてルークを見た。
もっと詳しく話してみろという視線を受けて、ルークははぁぁと体内の空気全て吐き出すような息を漏らした。
二人きりで話がしたいと紅葉王子の要求。
王太子たるルークに、自国の失態を告げると言うよりも。
チェルシーに求婚することを告げることが、真の目的だったのではないかとルークは思っている。
チェルシーは舞踏会のパートナーを申し込まれたことに驚いていた。
しかし紅葉王子がチェルシーに求めているのは、ただのパートナーではない。
人生の伴侶として、紅葉王子はチェルシーを求めていた。
「チェルシー……受けるんかなぁ…」
「ご不満なのですか?」
黒豆の問いかけを、ため息で代返する。
紅葉王子は、チェルシーにとって最適な結婚相手であると言える。
同盟国の王子であり副宰相でもあり、確固たる地位も身分もある。
容姿はもう少し野性的な方が好ましいが、あの優しげな容姿は相手に好印象を与え、敵を作りづらい。
それに何より、その気性。
チェルシーは世間知らずで純粋で、温室育ちの坊ちゃんで手がかかるなどと紅葉王子を評価していたが。
とんでもない。そもそもそんな男に、一国の副宰相など務まるはずがない。
先ほどルークは二人で話していた時、低姿勢の紅葉王子に会話の主導権を握られてしまった。
答えを誘導するような話法に、選択肢をこちらに委ねながらも、相手が望むものを選ばざるを得ない言い回し。
完全に後れを取った。
痛いところを次々と突かれ、ルークは何度も詰まってしまった。
紅葉王子は自分と結婚することで、苑とこの国に有益な関係を齎すことを、同意せざるを得ない言い方で表現し。
現在のルークの行動が、チェルシーの婚姻にいかに不利になっているかをやんわりと指摘し。
加えてどこで知ったか、デインが巨乳美女の言葉を信じて、チェルシーに怪我をさせたことも遠まわしに嫌味を言い。
果てはチェルシーのコンプレックスが、周囲が有能な家族と比較するが所以であり、苑ならばそれを感じさせない良き環境であるのではないかと同意を求め。
留めにチェルシーを妻にする手はずは全て整ったと断言された。
紅蓮王からの書簡まで携えて。公式と非公式の書簡が一通ずつ。
非公式の書簡には、いかに紅葉王子が有能な弟であるか今までの功績などを長々綴ってあった。
公式の書簡は、王として副宰相紅葉と宰相家ライナード・チェルシーの婚姻を願い出る旨を認めたものであった。
同盟国の王の名のもとに請われた婚姻であれば、よほどの理由がない限り拒否することは難しい。
仮に紅葉王子がその書簡をチェルシーの父である宰相へとお渡しすれば、婚姻は確実なものとなるだろう。
しかし紅葉王子はあくまでチェルシーの気持ちを優先させるつもりであった。
チェルシーが自分の求婚を受け入れてくれたら、公式書簡を携え、宰相へと承諾を願い出るが、それ以前には使うつもりはない、と。
公式書簡を見せたのは、婚姻するに辺り苑は受け入れる体勢が出来ていることをルークに証明すること
だけが目的で、それによってチェルシーの選択を迷わすことは本意ではないらしく、ここだけに留めておいてほしいと紅葉王子はルークに頼んだ。
同姓から見ても、評価できる紳士ぶりである。誰が見ても好感度が高い求婚の仕方であった。
「……それなのになぁ、難癖つけたくなんのはなんでだろ?」
「私の父方の親類に殿下のようなトメがおります」
この上なく良き相手だと思うし、紅葉王子以上の相手はいないと分かっているのに、もやもやする。
自分でも説明できない燻る気持ちをルークは持て余していた。
「俺はさぁ、チェルシーの一番近くにずっといるもんだと思いこんでたんだよ。そんなわきゃねぇのに、俺が結婚しても、チェルシーが結婚しても変わんねぇと思ってた」
結婚したらルークは、王妃をチェルシーよりも大事にしなければならない。
チェルシーだとて、ルークよりも夫となった者を優先させるだろう。
「それが親友とられたみたいで寂しくて、嫉妬してんかなぁ、と思った俺はだ。宰務の合間にチェルシーと結婚相手が仲睦ましげにしているとこ想像して、気持ちを寛容にさせようと試みてるんだが……」
どうしようもなく苛立つ。
紅葉王子とチェルシーが仲良くしているのが面白くない。自分のポジションを取られてしまったような気になる。
「俺ってやつは……心せめぇなぁ…」
親友の幸せを心から祝ってやれない自分にルークはがっくりと落ち込む。
自分の子供っぽい感情を自覚して、舞踏会では短絡的な行動は起こさないようにぐれぐれも気を付けようと、改めて自らを諌める。
自身が主催した舞踏会で外交問題を引き起こすなど、前代未聞である。
何度も失敗しているのに、懲りてない。深く考えずに感情のまま行動して、何度も自分を苦境へと追い込んできた。
「気持ちを落ち着かせたい時は、ゆっくりと円周率を唱えるのです」
はぁっと気力が減少中のルークに、黒豆が珍しく助言してきた。
「円周率って何だよ」
意味が分からなかったので、説明を求めれば
「三」
短い解説をされた。
「サン?」
なんだそりゃ? と不可解な表情を浮かべるルークに
「ゆとりなもので」
黒豆が言い訳をして来たが、やっぱり意味分からなかった。
それからルークと黒豆は、デインが戻るまでどうでも良い雑談を続けていた。
雑談と言うか、紅葉王子とチェルシーが気になって仕方がないルークが、気を紛らわせるために一方的に話していただけであるが。
黒豆は焼き菓子を食べる合間に、明らかに適当な様子で相槌を打っていた。
他愛のない世間話。
しかしなぜか、ルークの発言は黒豆の機嫌を損ねるものが多かった。
最初は、無表情に二、三本の縦皺であったが。
最後の方は、負の力をフルに込めた眼力を向けられていた。
「……何か、お気に触りましたか…?」
思わず敬語で尋ねるルークであった。
直前の会話と言えば。
チェルシーが結婚に対する夢、恋愛とかそういう面に対して期待を持ってないことを、黒豆に零し。
それからルークはふと、ちびって恋愛経験あんのか? と疑問に思い、好奇心赴くままに、率直に聞いた。
「脳内彼氏とお部屋デートでネットショッピングが唯一の恋愛経験である、喪女ですがそれが何か?」
「……いえ、別に…」
黒豆の恋愛話を探るのはタブーなんだな、とルークが悟ったところで、デインが戻ってきた。
「其方は何をふて腐れているのだ?」
デインは慣れた手つきで、黒豆の頭を撫でた後ルークに向き直った。
城へ使いをやり、報告を受けたり、色々な債務を熟してらしい。自分が黒豆に愚痴を零していた間にも、デインは山と積まれた案件に采配を振るっていた。
すまん、と謝れば
「いえ。ただ、これが舞踏会までの最後の休息だと心得て下さい」
デインが社交場の笑みを向けてきた。
ただでさえ、押せ押せになっている前準備などが、極限状態になったらしい。
次期公爵様の言う通り、舞踏会まで休息どころか、満足な睡眠時間すらなかった。
ルークだけでなく、デインもなので文句を言えるはずがない。
死ぬ気でやれば終わりますと言われたが、本当に死の間際まで二人は行った。
あれ? 俺たち、飯食ったっけ? 食べたと思いますよ、などと二人でボケ老人のような会話をすること数回。
実際は食べておらず、睡眠不足に加え、栄養不足も重なってしまった。
しかしそんな努力の甲斐があり、何とか無事に舞踏会当日を迎えることが出来た。




