その行方
「本題に入る前に、まずはこちらをお聞き下さい。車輪の音、風の音などが共に録音されてしまい不明瞭ではございますが」
黒豆は慣れた手つきで、取り出した光沢を放つ道具を操った。
ぴろぴろと形容しがたい音を立て、その表面には見たこともない不思議な形をしたものが動いては消え、現れた。
「何だそりゃーっ!? 生きてんのかっ!? 動いてんぞっ中でっ何か! 妙なのがっ笑ってたっ!」
反射的に捉えようとしたルークの手を黒豆は避けつつ、指先をちょこちょこと細かに動かしている。
「今のは、イキノコットルと名づけた私のアバターでございます。ルーツはキタキツネなれど、細かい設定につきましては後日改めて説明させて頂きます」
ルークはそれに、少しの衝撃を見せたものの
「それで? チェルシーはどうしたっ!?」
黒豆の手からそれを弾き飛ばさん勢いで、問い詰めている。
黒豆はルークのその勢いに怯むことなく、だから待てと言うに! と不敬な仕草で振り払いつつ、その道具を机の上に置いた。
音声が悪いので、静かにお聞きくださいと言い置いて、黒豆はその表面を押した。
するとそこからアーロイン家の子息と、誰のものか分からぬ不穏な会話が聞こえてきた。
あたかもその小道具の中に、人がいるように聞こえてくるような声。
「……??」
誰もいないところから声がする。人の気配はなく、無機質な所から。
ルークはパチパチと目を瞬いた。
「……??」
ルークはんー? と首を捻った後で、ガラナのバラ、チェルシー様を思いのままと言う言葉を聞き、凶悪に顔を歪め、その額に青筋を立てた。
「ご主人様と、王太子殿下はこちらの声に聞き覚えはありませんか?」
この奇妙な小物は一体なんぞ? と頭を悩ませるデインに考慮することなく、黒豆が質問を被せてきた。
「ねぇぞ。いちいち野郎の声なんざ覚えねぇし」
ルークが問うような視線をデインに向けるが、デインも首を横に振った。
「私にも分かりかねます」
「デインにも分かんねぇってことは、城に出入りしてるやつじゃねぇってことだな」
心当たりがない、と返答するデインたちに、黒豆は困る! と言う表情を浮かべた。
「しかし、チェルシー様はこちらの方の声に聞き覚えがあるようでございました。チェルシー様にせがまれ、この会話をお聞かせしたところ、明らかに動揺していらっしゃいました。私がこの声の持ち主を尋ねたところ、ご存じないとのお答えでしたが、心ここにあらずで、私知ってる! と反応が物語っておりました」
黒豆は、もう一度ご確認下さいと会話を再び聞かせてきたが、やはりその声に覚えはなかった。
「チェルシー様が何やら挙動不審だったので、私めはじっとりと見張っていたのですが、そう言う時に限り耐え難い尿意と言うのは襲ってくるもので。全力で放出し舞い戻ったのですが、チェルシー様のお姿はどこにも見当たりませんでした」
「マジかよ……」
黒豆は勘で、チェルシーの様子に良くないものを感じていたようだが、詰めが甘い。
傍に付けていた影が追えなかったという事実から、隠し通路を使ったのだと分かる。
チェルシーが部屋から出た姿を見たものはおらず、愛馬も厩に繋がれたまま。
何の痕跡もなく姿を消したということは、自らの意志で出て行ったということだ。
城内に張り巡らされている隠し通路は、不測の事態にのみ使われ、その場所を知るのはほんの一握りの人間である。
宰相家の城内は、数百年も昔に建てられた壮大なもので、その血族以外に明かされることがない秘すべきものが隠されている。
隠し通路もその一つだ。
「心当たりってどういうこったよっ!」
心配が苛立ちに変わったのか、悪態を吐きながら机を殴りつけた。
チェルシーはルークと旧知の仲だけあり似たような行動を起こすことがある。
つまり後先考えず、危険顧みずに、己が思うまま動いてしまうのだ。
ルークならば、まだ良い。
ルークは危険を防ぐ武術も備えているし、常に影がお守りしている。
しかしチェルシーは武術を嗜んでいるとはいえ、限界がある。
ガラナのバラは違法の代物であり、取り扱っていることが露見すれば重い罪が科せられる。
そんな男にチェルシーが会いに行ったかもしれぬと言う事実に、ルークは明らかに落ち着きをなくした。
昨日の今日で、ルークの忍耐も限界に来ている。
ルークが影と兵を動かし、チェルシー捜索の指示を出した。
がりがりと髪を掻きながら、粗野な仕草で汚い言葉を使うルークを窘めたいところだが、今はその余裕はない。
デインは控えていた影に、チェルシーの書簡や交友関係からその男を探るように命じた。
「では私めはとりあえずの、腹ごしらえを」
万事に備えまして、と言い訳しながら、黒豆は緊迫した雰囲気の片隅で、パンを取り出しもそもそと食べ出した。
今、些細なことに構っている余裕などないが、一言言わずにはいられない。
「其方、事の重大さは分かっておるのか?」
「しかと心得ております」
パンを食べながら返答されても、説得力がない。
デインが呆れながら、まふまふと食べている黒豆から目を逸らしたその時、異質な空気が混じるのを感じた。
「……っ!」
慌ただしく気配が動く中に一つ。
デインがそれを目で捉えると同時に、気配を読んだルークがナイフを飛ばした。
数本のナイフは標的に刺さることなく、キンと耳障りな音を立てて床に落ちた。
デインはルークの前に出て剣を構えながら、ぽかんとしながらも、パンを食べ続けている呑気な黒豆を守るように影に合図を送る。
ルークは現れた黒尽くめの男の喉元に、剣を突きつけた。
それに動じることなく誰何するルークに深々と頭を垂れ、敬意を示した。
「かような無礼を何卒お許しください。私は苑の紅蓮に属するもの。貴国の宰相家ご令嬢チェルシー様は今、我が国の名を抱きたる者の傍にいらしております。それを報告に参ったまで」
「……どういうつもりだ?」
ルークがその男の喉に剣を滑らせると、真っ赤な血が流れ出た。
ルークの殺気に怯むことなく顔を上げたその男の顔には、影の証である刺青が刻まれていた。




