黒豆とバラ
「昨晩の会話を再生したところ、アーロイン家のご子息と、誰のものか特定できぬ声が記憶されておりました」
お望みのガラナのバラ……、一輪でこの値段は高すぎるのでは…、これでチェルシー様が手に入るなら……紅茶に混ぜれば思いのまま…。
混ぜるという言葉を不審に思った黒豆は、隙を見てご子息が持ち込んだバラと、宰相家で咲いていたバラをすり替えたらしい。
「ご子息が持ち込んだバラはどこへやった」
ルークが黒豆を厳しい声で問い詰めるも
「その辺? かと」
黒豆は呑気な返答をして来た。
まさかと思いご子息が持ち込んだバラを調べてみれば、ガラナの効果を持つバラが一輪、紛れ込んでいた。
確認したところ、子息はバラの花びらを数枚千切り、チェルシーの紅茶に浮かべたらしい。ご自分のカップにも同じように入れたらしいが、それは別のバラから千切っていた。
「あんのやろう……マジ殺すっ!」
どのようにその会話を黒豆が知りえたのか謎は残るものの、半分ほど事情を飲み込んだルークが低く唸った。
そのルークの不穏な言葉に、黒豆だけが深々と頷く。
御手柄としか言いようがない黒豆の行動だが。
会話はよく分からない。
でも混ぜるって怪しい、あいつ怪しい、バラ怪しい。
とりあえず、すり替えておこう。
深い考えなどなく行われた。
それ故に事の重大さが分かっていない。
違法な薬物をチェルシーに使おうとした子息への怒りを抑えきれぬルークを無責任に煽っている。
ガラナが露見しているとは思いもしていない子息は、押し倒したことだけに弁解を試み、躓いただけで他意はないと言い張っている。
バラの分析が終わったころから、チェルシーが不安気に顔を曇らせていった。
違法な薬などチェルシーとて、予想していなかった。
ガラナは本来、粉末状である。
しかしその粉末を混ぜた水で、植物を育てると稀にその効果を持った花が咲く。
大半はその毒にやられ、育つことなく枯れてしまうのだが、僅かな確率で育つものもある。
そしてそれは希少なるもので、並大抵のルートでは手に入らない。
荒事に多少慣れていると言え、チェルシーは薬物にそれほどの免疫はない。
そんなものが使われそうになったと知って、穏やかでいられないのは当然のこと。
ルークは深呼吸をして落ち着こうとしているチェルシーを
「大丈夫だ、俺が守ってやる」
いつにない真剣な顔で、抱き寄せた。
ルークの位置からはチェルシーの顔は見えない。しかし横に位置しているデインからは垣間見えた。
チェルシーがルークに持つ気持ちをデインは知っていた。だからこそその形容しがたい表情の意味を察していた。
ルークがチェルシーに向ける感情は友情とは異なるもの。
交わらぬ思いの悲しさ。
それ故にデインはルークを引き離さんと手を伸ばしたが、顔を隠すようにチェルシーがルークの胸に凭れた。
ルークは自身が触れるのを怖がっていた事実を今頃になって思い出し、慌てたように手を離した。
しかしチェルシーが嫌がる様子でないのに気付くと、ぱっと顔を輝かせ再びその手を回した。
「……」
そんな二人の微妙な空気を、もしゃもしゃとパンを齧りながら黒豆がじーっと見ていた。
山の奥に住んでいると言われる子供妖怪のような目で見ている。
「……其方、もしや気づいておるのか?」
「チェルシー様の好みの悪さなら」
「……」
ルークはチェルシーを女性として見ていない。
実際ルークが今まで手を出した女性は、みなチェルシーとは真逆に位置するような妖艶な美女だった。
しかしその女性たちよりも、チェルシーを特別扱いしている。
チェルシーが結婚相手を選ぶ段階になって顕著になった。
どんなに良き男を候補に挙げても、文句を連ねる。
文句を言いつつ絞り込んだ男は、みな国内、もしくは隣国。
この国から遠い方は、その時点で候補から外している。
ルークは無意識か、チェルシーが遠くへ行くのを忌避していた。
それが単なる幼馴染が遠ざかることを寂しがるだけのお気持ちから来ているのか、それとも別のお気持ちから来ているのか、人の心に敏いデインをしても判断が難しいところだった。
しかしチェルシーは幼き頃から一途に、ルークだけを見ていた。ずっと長い間。
ルークが妖艶なる女性と仲睦ましげに話すのを見る時のチェルシーの目。
傷ついたようなものから、諦めに変わったのはいつの頃だったのだろう。
「ご主人様、何やらデコがスースーするのですが」
「あぁ、消毒用のハーブを布に染み込ませておいたからそのせいであろう」
ハーブが浮かんだ器を見せれば、黒豆はどこからか白い布を持ってくるとぼちゃんと投げ込んだ。
それをぎゅぎゅっと絞り、未だに妙な雰囲気を作っている二人に近づく。
「チェルシー様、どうぞこれお使いください。このハーブは消毒の役目があるそうです」
ささ、どうぞと無理やり布を握らせられたチェルシーは困惑したように、布を見やった。
ルークも何でだよ、と言わんばかりに眉根を寄せている。
「口を消毒した方がよろしいかと。ウェルダン様に触れられていたようにお見受けしたので」
「はぁぁぁややぁぁぁっあ??」
ルークの叫び声が、屋敷に響いた。
何事かと飛んできた使用人を何でもないと、チェルシーが慌てて手で制している。
「えっ? えぇっ? お前、さっき、何にもなかったってっ……はぁぁぁっ!?」
あのヤローに触れられたってどこにっ? どこをっ?
おろおろと周りの様子を伺うチェルシーの肩を揺さぶり、ルークは尚も大声で状況を詰問している。
「本当に何にもなかったんだってっ! ただ一緒に倒れ込んだ時に…少し……」
「○!※□◇#△!」
ごにょごにょと言葉を濁すチェルシーに、更に心を乱されたルークは言葉にならないうめき声を上げている。
そこまで錯乱するとは思いもしていなかったチェルシーは、困惑気味に
「掠めただけっ!」
とルークを宥めているが、逆効果だ。
「落ち着いてっ! 口と口じゃないからっ! 口の横に当たって言うか…掠ったっていうか……私もよく分からないくらいだったから」
「○!※□◇#△!」
あわわわわと叫びながら、黒豆が渡した布でチェルシーの口をひん曲がるほど強く拭っている。
今はチェルシーが子息に口付けられたかもしれないという事実に全意識が向けられているが、暫くすれば、それは全てご子息本人に向かうだろう。
アーロイン家の子息が、違法薬物に関わった事実を探るにあたりデインは事を慎重に進めるつもりであった。
すぐさま子息を闇に葬ろうと動くルークを押さえるのは、厄介な仕事となりそうだ。
「黒豆……其方、なぜ要らぬことを言った」
「王太子殿下のお気持ちを探ってみようと試みました」
黒豆は嫌がるチェルシーの口を、あわあわしながら拭っているルークに向かって王族もふじこるのか、と意味不明なことを呟いている。
「それで何か分かったのか?」
「友人も恋人もいない私には、難易度が高すぎました」
デインは余計なことをする、と溜息を吐きつつ
「悲しきことをさらっと言うな」
言い置いて、再びパンを食べようとした黒豆から籠を取り上げた。
どう考えても食べ過ぎである。




