黒豆と王太子の悪だくみ
優雅とは程遠いティータイムが中断されたのは、チェルシーを訪ねて来た客人のせいであった。
王太子であるルークを差しおかなければならぬ客などいないのだが、今は忍びで来ている。
下手に断るとチェルシーの、ひいては宰相家の立場が悪くなるだろう。
「まーた現れたか。アーロイン男爵家のぼんくら息子」
流行りの服と高価な装飾具を身に着けた男爵家のご子息が、チェルシーの手に口付けて挨拶している。
うっぜぇ、まじうっぜぇ。
高貴な生まれであるはずのルークは、乱れた言葉で子息に悪態を吐きながら、身を潜めて物陰から事を伺っている。
ルークは完全に気配を絶っているが、黒豆があからさまな覗きをしているのであまり意味をなしていない。
「こんばんわ、チェルシー様。昨晩も、夢であなたとお会いしてしまいました。しかし所詮は夢と儚く、焦がれる心が募り、訪ねて来てしまった哀れな僕をお許しください」
ご子息は跪いて、両手で抱えきれぬほどの花束をチェルシーに差し出した。
チェルシーは若干引きつった顔で、礼を言うと花束を受け取った。
ご子息は少々演技掛かったように美しいと呟き、大きく咲いた花を一つ手折ってチェルシーの髪に飾り付けた。
それを見たルークは忌々しげに舌打ちし、黒豆は気障すぐると呟いて、身震いしている。
「ちっ! あのぼんくら息子、しつけぇな。馬鹿の一つ覚えみたいに毎度毎度でっけぇ花束送ってきやがって。女なら誰もが花を喜ぶなんて短絡的な発想してんじゃねぇよ」
デインたちの所まで花の香りが届く。
華やかなるそれを睨みつけたルークは、苛々とつま先で床を鳴らした。
「全くおっしゃる通りでございます。大きすぎる花束で毎日が新装開店。枯れ行く花の始末は中々大変なのでございます」
ルークの言葉に、黒豆が深々と頷いている。
二人ともご子息の評価に、かなり私情が入っている。
「ミハイロウィッチ様。いつも見事なる花、感謝しております」
「チェルシー様、どうぞ私のことはミハイルとお呼びください」
嬉しさよりも戸惑いを表しているチェルシーの様子に気付かずに、ご子息は距離を詰め、にこりと爽やかな笑みを浮かべた。
光栄の至りと、跪いて再びチェルシーの手の甲に口づけを落としている。
「あんのぼんくら、そんな名前だったのかよ、なげぇな……」
「正式なるお名前は、アーロイン・クロポトミハイロウィッチ様ですよ」
散々悪口を言っておきながら、ルークは名前すら憶えていないらしい。
主要貴族の名を覚えるのも王の務めでありますよとデインがルークに諭す。
「けっ! 覚えられるかっての。それにあーんな男、ぼんくらで良しっ! なぁ、ちび」
ルークが同意を求めると、黒豆は話を盗み聞きしている体勢のままで何度か頷いた。
「私めはウェルダン様と呼ばせて頂いております」
「んだ、あんな奴、ウェルダンで良いんだ。……いや、ウェルダンって何?」
そうだ、そうだと調子良く相槌を打った後で、ん? とルークが首を傾げた。
「サーロイン男爵家のご子息なので」
「??……アーロインだろ?」
アーロイン男爵家の子息は、チェルシーの腰に手を回し、客間にエスコートしようと足を動かした。
それを見たルークはちっ! と舌打ちをして、二人から目を逸らす。流石のルークも立場を弁えずに、乱入はしないようだ。
しかし黒豆をちょいちょいと手招きすると
「ちび、これやるから邪魔してこいよ」
五十ペソを滑り込ませ、良からぬことを嗾けた。
「申し訳ございません。私、既にウェルダン様への接触禁止令が出されておりまして」
ちゃっかり懐に札をしまい込みながら、黒豆は残念そうに首を振った。
「それはつまり、俺がいないところで、邪魔してやったってことだな」
感心、感心。
ルークは深々と頷きながら、徐にデインの方へ向き直った。
その視線の意味を悟ったデインは、やりませぬ、と首を振る。
「いえ、一所懸命お勤めを果たしたつもりなのですが、なぜか上からお叱りを受けました」
腑に落ちないと黒豆は首を傾げたが、黒豆の普段通りと言うのは無礼を極めている。
「チェルシー様のお顔が冴えない……ご主人様、どうかこれで事態をお納めてきてください」
何卒どうか、と黒豆はデインに二十ペソ差し出してきた。
黒豆から金銭を渡されるという行為は初めてで、デインは一瞬動きが止まってしまったが、良く良く考えればかなりの仲介料を取っている。
気乗りはしないが、このままではルークが城に戻りそうにないので、デインはため息を吐きつつチェルシーの元へ急いだ。
上手い言い訳を考えつつ歩いていたので、残した二人が妙な策略を巡らせていたことなどデインは気付けなかった。
後にデインは影からの報告で知るのだが。
ルークと黒豆は、アーロイン男爵家のご子息をチェルシーの婚約者候補から落とす計画を立てていた。
「あのぼんくら、女関係に乱れがあるんだよな。が、さすがに今は自重しているのか、ここぞという現場が抑えられん。道ならぬ恋もお楽しみのようだし、それを証明する書簡でも手に入れられりゃ良いんだけどよ」
「……証拠で、ございますか。それより、今こそ王太子殿下の国家権力を振りかざすべきではございまぬか?」
さぁ、やれと煽る黒豆を、ルークは無理言うなよと首を振る。
「俺っちだって理由なしじゃ動けねぇよ。アーロイン家のぼんくらとの婚姻はチェルシーの親父が乗り気なんだよな。これは逃れられねぇ証拠を掴まにゃならんが……時間が足りねぇ」
「良ければ私めが、不貞の証拠を得るための罠を仕掛けましょうか?」
「お前の策略って、俺、とんでもなく不安なんだけど。それにお前に危ないことさせっと、デインが怒りそうで気乗りしねぇ。あいつ、静かに怒りを燃やすから、本気で怒らすとやばい人物、俺的ランキングのトップを独走してんだよな」
普段怒らぬ者が怒る時、それは天地を揺るがすほどの恐ろしさなのである。
「ご安心ください。罠と行っても、草と草と結んで足を引っ掛けるような単純なものではございませぬ。太陽の力をお借りして蘇らせたハイテクノロジーの産物を使うのです。そのためには、戴冠式の祭りのために城下に来ている旅芸人の一座に会い、売っぱらってしまったソーラー充電器を買い戻す必要があるのですが。ご主人様から外出許可とスマホをもぎ取って来て下さいませ」
何やら分からないことを訴える黒豆に、ルークは顔を顰めた。
「お前本気でやる気かよ? それに意味分かんねぇんだけど、何を買い戻すって?」
「この世界に当てはめて説明するのは難しいのですが、太陽の光を、小さな箱に集め他のエネルギーに変え、眠りについた文明の利器に注ぎ、その力を蘇らせるのです」
「お前なんかやべぇ宗教とかに嵌ってねぇよな? っつーか何で、それ売ったんだよ」
聞き覚えのない代物だが、価値がありそうだと言うのは分かる。
「一座を出るに当たり、纏まった金子が必要だったのです。見慣れぬ小道具は、芝居に役立ちそうだと結構な金額を提示され、売ってしまいました。太陽の力は非常に弱く、使い方によっては僅か三分で息絶えるという某ヒーロー並みの活躍っぷりでしたので、どうせネットも使えないし、目先の金銭の方が大事だなと決断致しました」
「うーん……? 意味分からんけども」
黒豆の言うことは、影も理解できなかったらしく、ありのままをデインに伝えてきた。
勿論報告を受けたデインもよく分からなかった。
しかし自らを守る術を持たぬ黒豆が、厄介なことに首を突っ込まぬ方が良いので、余計なことはせぬようにデインは釘を刺しておいた。
デインの小言など、黒豆にはどこ吹く風であったのだが。




