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黒豆と王太子 2


「黒豆、其方とて女人なのだから衒いもなく如何わしき画を描くのはやめよ。そしてルークもそのような画で興奮するのはお止めください」


ため息交じりに黒豆が描いた春画を取り上げれば、ルークが返せ~と情けない声を上げた。

絵師もかくやと言わんばかり、完成度が高い。


「仕方ないじゃん。男は生まれ付きスケベなんだよ。お前だって寝台のシーツの間とか枕の下に、むっふーな春画を隠してんだろ?」


こういうストイックな見掛けな奴ほどやべぇの持ってんだよなとルークが肘でぐりぐりとデインの横腹を押した。

デインは絶対零度の視線でルークを見てから、それを振り払った。


「あらぬ疑いはお止めください。私はそのようなものなど」


「ございませんでした」


「えぇっ!??」


「……黒豆。なぜ其方が答える」


黒豆の答えは合っている。

次期公爵という身分がなくとも、その類稀な美貌で望まぬとも女が群がるデインには平たい春画など必要なかった。


しかしなぜ黒豆が自信たっぷりに即答するのか、そこが腑に落ちない。


「先日、ご主人様に紅茶をお持ちしたところ、机に肘をついた状態で居眠りをなさっておりました。疲れていらっしゃると思った私めは、起こさぬようそっと枕とシーツを捲り、退室いたしました」


「……何故捲った」


「ちょっとした好奇心でございます。深い意味はございませぬ」


本当に深い意味はないのだろう。

無表情のままぽいっと枕を裏返す黒豆が目に浮かぶ。


「つまりお前は生身の女にしか興味ねぇんだな。妄想は神が人にのみ与えた特別な能力なのに勿体ねぇな」


「ルーク。そのようなことばかり口に致しますと、王太子としての品位に関わりますよ」


春画の一枚や百枚、持ってこそ男だろうがと言いながら、肩を組んできたルークをデインは冷えた目で見やる。

貴き身分であるルークも女性に不自由していないはずだ。


王太子としての品位を落とす危険があると言うのに、流行りの絵師の作画を躍起になって買い求めるルークこそが、デインにとって理解不能であった。


「ご主人様の懸念もごもっともですが、民が慕う賢王以外の王は、須らく好色と決まっております。それにより尊き血が守られるのかもしれまぬ」


さらりとした黒豆の発言は、王族を何者とも思わぬ無礼なものであった。


「おいっこら! 決まってねぇだろ! 好色な賢王だってこの大陸史上に沢山いるしっ」


「この地の歴史明るくないもので」


「んじゃ、教えてやるよ。この俺!」


「さようで」


びしっと自らを指さすルークに、感情がこもらない表情と声で頷く黒豆。

この二人を放っておくと話が進まない。

 

はぁと溜息を吐いたデインが、力の抜けた手で黒豆を手招きすれば、素直にペンと紙を置いてやってきた。


「ルーク。話が大分逸れております。時間とて多くはありませぬ。宰務官殿より、くれぐれもルーク殿下の国務を本日中に終わらせるように、涙ながらに訴えられました。如何わしい画を見ている余裕はないのですよ」


「分かってるよ。今夜も徹夜だろうーな……。はぁ……おい。ちび。お前、ちょっとこれを見ろ」


ルークは机の上に放置されてあった禁書を手に取った。

その表題を黒豆に見えるように翳し、これが何だか分かるか? と問う。

 

黒豆は瞬きをして、ルークが持つ書を見つめている。

反応がない黒豆にルークが書を差し出せば、条件反射なのかそれを受け取り、中身を捲った。

 

ぱらりと数枚捲ったところで、僅かに首を傾げている。


「せっかくなのですが、私には読めぬ文字です」


「はぁ? これは古朝文字だぞ? この程度の教養がない奴が公爵家のメイドになれるはずが」


「雇用の際もっとも重要視されたことがご主人様を誘惑せず、期待せず、子を作らず(それに至る行為も厳禁)の三原則だったのです。その条件のみを重視したところ、満場一致で私に決まりました」


あの時公爵家は、一時的に深刻な人不足に陥っていた。

デインの父の代より仕えてくれたメイドたちが、家庭の事情で同時期に三人辞めることになったのだ。


どのメイドも引き止められぬ事情を持っていたのだが、同時に起こらなくとも……と思ってしまう所はあった。

 

出自も育ちも確かであろう者を急遽雇ったが、このメイドたちが要らぬことに精を出し、短期間で辞めさせねばならぬ結果となった。

始終秋波を送り、人目がなければデインを誘惑してくるので、他の使用人たちまで落ち着きがなくなってしまい、バートラやマーサを嘆かせた。


「こいつ高貴な出自で近寄りがたい雰囲気醸してるくせに、怪しい色気があるからなぁ。公爵っつー家柄がなくてももてるんだよなぁ」


羨ましいやつと零すルークと、同じく妬まし気にデインを見る黒豆。


「俺っちの誘いを素気無く断った美女が、デインに言い寄っているのを見て、ジェラシーで殴りたくなったし。しかもその美女の誘いをズバッと迷惑そうに断っているのを見て、俺、半泣きで殴りに行ったもんよ」


「それは殴られても仕方がないかと存じます」


「でもデインのヤロー、交わしやがった」


悔しそうに拳を握るルークと、諦めるな、と何故か嗾ける黒豆にデインははぁとため息を吐いてから、話の軌道修正を試みる。

ルークはそうだったとばかりに、放置されていた禁書の末のページを開き


「んじゃ、ちび。この文字なんだが、見覚え」


大陸の流れを汲まない文字を黒豆に見せようとしたところで、入室の許可を求める声がかけられた。

ルーク直属の執務官の声に、ルークはさっと禁書を隠し、入室の許可を出した。


「王太子殿下、ミルハ公国より使者が参っております。第二皇女イルファ姫ご到着にございます」


「あー、そういや今日だったな……」


ルークの王妃はまだ決まっていない。

そのため使者の名を借りて諸国の姫君が続々と来訪を申し込んでくる。

 

兵力、財力と抜きんでて富める大国と、繋がりを持ちたいのはどの国にも共通する望みだ。


「国王よりの書簡を携えて参ったとのことで、直々の御目通りを願っております。いかがなさいますか?」


「会おう。着替える。しばし待て」


ミルハ公国は山国で鉱物などの資源を豊富に持つ国だ。その山が防塞の役目を果たし、他国の侵略を防いでいる。

今後とも良き付き合いを望む国であり、疎かにはできない。


「用件は分かっている。挨拶は短く切り上げたい。デイン、頼んだぞ」


「お任せを」


姫の機嫌を損ねず話を切り上げるのは、社交力を備え人の心の機微に敏いデインが得意としている。

デインは黒豆を見て、身だしなみを整えているルークに視線を流した。


「別にここで構わないぞ」


デインが問わんとすることが伝わったらしい。

黒豆をルークの執務室で待機させるのは、少々問題があるように思える。しかし逆に言えば影と衛兵の強固な見張りが付くことにもなる。


「其方はしばしここで待機せよ」


「かしこまりました」


不安は多少あるが、何も起こせまい。

ルークとイルファ姫の会合は宣言通り長い時間を取らなかった。

 

挨拶のみのルークのお出ましに姫は少々気分を害したようだが、豪奢な客室でそれも直るだろう。


「やっべぇな。やらなきゃいけねぇことが多すぎる」


カツカツと足早に廊下を闊歩するルークの半歩後ろに下がり、足並みを揃える。


「ルーク主催の舞踏会もそうですが、王位継承の儀も迫っておりますから」


「あぁ。あのちびの件、ちょっと据え置く。調べると厄介そうだし、後回しだ、後回し」


「しかし……」


「お前も分かってんだろ? 不可解なことが多いが、ちび自身は無害だ。ありゃ人を殺すことなど知らねぇし、傷付けることすら出来ねぇな。だからお前も、居眠りなんぞして枕をひっくりされる羽目になったんだろうが」


「……」


優秀な刺客ほど、気配を消すことが出来る。無意識に発する殺気すら、抑えることが出来る。

しかし抑えることが出来ても、完全に無にすることは出来ない。

 

限りなくゼロに近い状態を保てるとしても、ゼロに出来る刺客などいない。

そしてデインもルークも、それを察することが出来る。

 

後継者として生き残れるように、かように育てられた。

人が自分に害意を向ける時、一瞬でも発するその殺意。

殺される前に、殺せ。そのように訓練された者は、人の気配に敏感だ。

 

いかに優秀な影が傍に控え固めようとも、わが身を守るのは自身のみと身に染みて知っている故に。


「お前はメイドが片手間に身に着けた護身術にさえ、油断しねぇからな」


放つ殺気に敏感すぎるデインは、文官よりも武人に近い。

デインもルークも常に気を張り詰めた状態で通常を保てる。

 

それが生まれた頃からの義務であり、そうせねば命を奪われる地位にある。

しかしそんな二人を持ってしても、黒豆の気配は赤子と同じようなものしか感じられない。 


それはまるで、争いが全くない平和などこかで育ったかのように。

ちょこまかと動いても、そこに訓練された動きが欠片もない故に、気が抜けるのだ。 


害意も危機感も皆無なのに無知ではない。一体この大陸のどこで生まれればそんな風に育つのか。

そんな謎を二人に残した黒豆は、畏れ多くも王太子殿下の宰務室でまったりと寛ぎつつ、春画を見ていた。

 

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