王宮書庫
王宮書庫へ、足音すら立てずに気配を消して歩く二人に話を戻す。
「今更になりますが、禁書の在処、私が知り得て良き情報だったのでしょうか?」
大陸一の所蔵数の多さで、知識の宝庫と名を馳せる国の王宮書庫。
その一角にある書棚をずらすと、地下へと繋がる通路が開いた。
人一人がぎりぎり抜けられる入口を抜けると、四面古い書が収められた異様な雰囲気の部屋に辿り着く。
「本来は良くねぇけど、仕方ねぇだろ。見ろよ、この禁書の量。俺ぁ、活字が苦手なんだよ、目が滑るっていう状態? ってか、読めねぇし」
ルークが無造作に取り上げた本は、表紙が変色していて、文字が霞んでいる。
雑な扱いを咎めつつ、中を見れば書体がかなり古い。
「これはおそらく流伝文字、今からおよそ百年以上前に使われていたものです。そのように年月が経ってもこの状態を保てるとは」
この部屋は少し肌寒いと感じる温度が保たれている。
書を維持するのに適した環境が整えられ、いかに大事に保存されてきたか分かった。
「王となる前に、ここの書庫にあるもんには全部目を通しておけって親父が言ってたけど、無理無理。そりゃさ、歴史も大事だけど、今が大事じゃん? と格好いい建前の元、全然目を通してない俺に、親父のげんこつが落ちるまで秒読み開始」
ルークはぶつぶつと呟きながら、書棚を漁っている。
えーっとこれじゃねぇと表題と中身を確認していることから、目的はあるようだ。
「お! あった、これこれ。見ろよ。さっき話した建国史はここから得た知識だ」
ルークはぱらりと捲り、とある絵を見せた。
初代国王と思われる鎧を身に付けたシリウス王と、馬を並べ共に前を見据える美しき少女。
「頗る良い女だろ。堂々たるシリウス王の横に並んでも見劣りしないってーか。まぁ、どこまで事実か分からんけど、こういうのは美化して描くもんだから」
ランプを机の上に乗せ、書を照らす。
生き生きと描かれた美しき少女。まるで動き出さんばかりに、書き手の思いが伝わる。
ざっと目を通して見れば、先ほどルークが語った内容よりもずっと濃いものが記されていた。
蛮族の支配に、抗う術なくして。
神の怒りに触れた地は、水の恵みが途絶え、死に行くまで。
悲しみの涙と罪なき者の血を、枯れ行く大地が吸い取りて。
絶望の中より現れし一人の男。
禁じられた術を以て、異界の女に力を請うた。
黒き髪、黒き目を持つ美しき女は、王を勝利へと導かん。
デインはぱらりぱらりと書を捲り、そして末に記された文字に目を留めた。
見たことがない書体だ。
複雑に線と線が入り組み、記号のようでもある。
「ルーク、ここですが……」
「それさぁ、お前読める?」
「残念ながら、私の知にはない文字でございます」
文字をなぞり、思考を巡らすも全く見覚えがない。
どこか辺境の地で使われていた古き書体だろうか。
しかし王家が継ぐに値する書だと判断したものだ。
しからば、必ず意味はある。
「時代と共に言葉は変わるし、文字も変わる」
「言語は生きた人と同じように、歴史を作りますから」
「でもこの文字の作りは、おかしいだろ?」
「……そうですね」
文字は流れを汲み、時代に合わせ少しずつ形を変え、進化する。
他国の文字が、自国の文字と合わさったり離れたり。
そんな風に時代を記す。しかしこの文字は、どの大陸の歴史も受け継がない。
書体に、流れがないのだ。それはとても奇妙。
「お前さぁ、この文字読めなくても見覚えあんだろ」
「……えぇ」
黒豆は日々の糧を得るために、旅芸人の劇を語っていたという。
影からの報告によれば、黒豆は旅芸人の誰かに語ることで、話を起こしていた。
黒豆が語り、それを誰かが書に起こす。
それだけなら、黒豆に識字の学がないという事実で終わるが。
黒豆は誰にも読めぬ文字を使って話を綴っていた。
大陸には様々な言語と文字がある。
黒豆が書き記したそれも、芸人仲間は他大陸の文字と判断し、深く追求しなかったそうだが、それは大きな間違いだ。
少なくともデインの知る知に、その文字は存在しない。
そしてその複雑な組み合わせからなる黒豆の文字は、酷く類似している。
この書の末尾に書かれた不思議な書体と。
「多分、この書庫のどこかにその文字が使われた書がいくつかある。それからシリウス王が呼んだっつー美女を記した書も」
「三華人と同じく黒き髪、黒き目を持つお方……」
あり得ぬとされる色。黒豆もその色を纏っている。
デインは己がメイドを脳裏に描きながら、四面にきっちりと納められた書を見渡した。書はざっと千は超えるだろう。
これを調べるには骨が折れる作業となりそうだ。
地下だが、空気の流れを感じる。長くいても窒息はしない作りになってはいるが、四方書に囲まれた空間は圧迫感があり、あまり長くいたい場所ではない。
「うわっ! ちょ……見ろよ。男児と女児の産み分け方、だってよ。こんなんも禁書に含まれるんかい」
「……」
嬉々としてその書を読み始めるルーク。
厄介な作業だというのに、パートナーがルークだ。
早くも別のことに気を取られているルークに、デインはため息を吐いた。
「うぉっ…図解付き!?……でもなんかぐっと来ない図だな。蛙が絡み合ってるみてぇ」
「……ルーク」
「深く差し入れると女児、浅く差し入れると男児ってマジかな? いや……でも双子の男女の場合はこの理論は破たんするだろ」
にやにや怪しい笑みを浮かべ、わくわくと書を捲るルークに冷たい視線を送る。
「経験豊富な男には男児は出来やすい。ってこれマジかな? ってことは近衛の長の子って、女だったよな……もしかしてあいつ」
もしかしてあいつってば童○だったのかなぁ。
武道一本だった癖に、美人でぼいんの奥さん手に入れやがって、妬ましい奴!
でもあいつの子は女の子…つまり~。
くすくすと笑いながら大きな体を丸め、書を舐めるように見るルークは完全に変質者である。
下世話な想像を巡らし、醜い嫉妬から長年の臣下を貶めるルークに冷ややかな視線を送って
「今の言葉を全てチェルシー殿に言いつけますよ」
警告すると、ルークはさっと姿勢を正した。
「さぁ、やろうっかな。頑張ろうかな、俺」
そそくさと書をもとに戻すと、真面目にやってますと訴えるように背の表題に目を通し始めた。




