第四話 時季外れの履修登録
新生活がスタートして、早二週間が過ぎ、六月も終わりを迎えようとしている。
このところ何日連続だったか考えるのも気が重くなるほど、雨が降り続き、傘を持って出歩くのが日課となっていた。
大学の最寄駅から最初は抵抗があったスクールバスに乗り、大学の校舎まで約15分、俺は一番後ろのシートに腰かけ、窓の外をボケっと眺めながら、不定期に訪れるバスからの振動に揺られていた。
15分の乗車時間はあっという間の様で、到着先の期待感が高ければ高いほど、永く感じるものだ。
俺も最初はあっという間に感じていたが、大学生活が過ぎれば過ぎるほど、少しずつ長く感じるようになっていた。
ああ、そうだよ。
俺も大学で楽しみができたんだよ。
悪いか。
入院生活の時には、いや、ほんの2週間前には考えられなかったろう、学校に来ることが待ち遠しくなるなんて。
あ、一つ言っておくが、断じて勉強に目覚めたわけじゃないからな。
それにサークルや部活動に入部したわけでもない。
じゃあ、何かって?それは・・・。
「おーい。キャンパスに着いたよー。早く降りてくんねい。」
誰かが俺を揺さぶってきた。俺はその振動で現実に呼び戻され、身体をビックっとさせながら、震源の方を向いた。
そこにはスクールバスの運転手と思われるサングラスをし、どこぞの地球防衛軍のエースパイロットかとツッコミを入れたくなるようなピシッとした正装を身に纏った人物が俺を見下ろしていた。
どうやら考え事をしていたら、スクールバスは既に大学のキャンパスに到着していたらしい。
一緒に乗ったはずの学生は既にキャンパスに飛び出していったらしく、バスの中には俺一人しかいなかった。
財布しか入っていない人工革で出来た小さなバッグを手に取ると、ぼーっとした頭を起こしながらバスを降りてやった。
そう言えば、俺の大学に来る楽しみだっけ?それは・・・。
「何ぼーっとしてるのかな?」
「うわぁーーー!」
突然後ろから声をかけられ、俺は咄嗟に腹の底から声を出した。
声の方向を向くとそこには俺が大学に来る楽しみの要因が悠然と立っていた。
「・・・なに?」
「あっ、いや・・・、いきなり声をかけられたからビックリしちまってよ。」
ずっと俺が綾瀬睦月の顔を無意識のうちに見つめていた事に耐え切れなくなったのか、俺に問いかけて来た。
だが、本当の本当に無意識だったので、その問いかけに慌て、咄嗟に答えを返した。
「ふふふ。ごめん、ごめん。ぼーっとしてたから、ついね」
「心臓に悪いだろう。もうやめてくれよな。」
「はーい。」
まるでやめる気のない返事を俺は聞いて、話を進めることにした。
「で、どうしたんだよ?」
「うん?」
「こんな所でなにしてたんだよ?」
「ああ。君を待ってたの。」
睦月の「君を待ってた」という一言に、俺はドキッとした。
「次、英語の授業でしょ?一緒に行こうと思って。」
「ああ、そう言えば次は同じ授業だったな。」
俺は物凄い期待を裏切られショックな気持ちを必死に抑えながら、冷静を装い言葉を返した。
「何言ってるの。次はじゃなくて、次もだよ?」
「・・・」
「君の時間割は私とほとんど一緒じゃない。」
そうなんだよ。
俺の授業は睦月とほとんど一緒なんだ。
睦月と初めて出会た次の日、俺は一人前日訪れた食堂の隅っこで頭を抱えていた。
入学式に入院生活をスタートさせた俺は、講義の履修登録さえも行わずに、休学が確定してしまったのだ。
なので、最初から履修の時間が決まっている英語と、必須強化の経済学入門以外は履修が決まっていなかった。
だから、時季外れに一人履修登録用紙と睨めっこをすることになった。
ああ、くそ。
何を取っていいかさっぱりわからねえ。
日本経済、世界経済、貨幣経済、社会経済、日本経済史、世界経済史、経済数理などなど、さすが経済学部、なんでもかんでも経済を付ければいいと思ってやがる。
そこに・・・。
「ワッ!」
突然耳に与えられた音と生暖かい空気に俺は驚き、背もたれもない椅子からドシャーンと音をたてて転げ落ちた。
「ごめんなさい。大丈夫?」
声の主である綾瀬睦月は俺を覗きこみながら、心配しそうな声をかけるが、それならはじめからやるなよとツッコミを入れたくなった。
この時は思わなかったが、睦月にはきっと俺の後ろに突然現れることが出来るアビリティが備わっているに違いない。
そうでなければこう何度も・・・。まあ、いい。
「ああ、大丈夫だ。」
と答えながら、ゆっくり立ち上がった。
「心配するなら、おどかすなよ」
念をおすように睦月に話しかけながら、俺は辺りに散らばったモノを拾った。
アイツも俺の私物を拾い始めたが、人に自分の私物を触られるのはなんだか恥ずかしかった。
だから・・・
「・・・いいよ。服が汚れるぞ。」
などと適当な理由をつけて断ろうとしたが、アイツは気にする様子もなく、少しニコッとしながら話しかけてきた。
「ねえ、何してたの?」
「うん?ああ、履修登録だよ。俺、入学式の時から入院してたからな。まだ履修登録してねえんだよ。」
「ごめんなさい。私のせいで・・・。」
「なんでお前のせいなんだよ。」
俺はうつ向いたアイツの顔を上げる様に、デコピンしてやった。
「お前は関係ねえよ。たまたま地面を踏み外して、低い崖から落ちただけだ。自業自得だ。」
「・・・」
「だから、そんな顔すんじゃねえ。」
俺は元気を出させようと、頭を撫でてやった。
「・・・うん。」
アイツはそう答えた。
まだ、うつ向いて何かを考えている様に見えるが、でもさっきよりかはマシに見える。
「そうだ!」
「!」
いきなり大きな声出しやがって、びっくりするじゃねぇか。
「私が履修登録手伝ってあげようか?」
「・・・」
「同じ学部だし、結構参考になると思うわよ。」
「・・・ん?んー、じゃあ、お願いすっかな。」
「うん。任された。」
よかった。やっと笑顔になりやがった。
「じゃあ、隣座っていい?」
そう言うと俺の隣の椅子に置いていたバッグを向かいに移動させ、アイツは俺の横に座ろうとした。
「ちょっと待て。なんで俺の横に座るんだよ。あっちに座ればいいじゃねえか。」
そう言って俺はバッグを置きなおした椅子を指さした。
「えっ、なんで?」
「なんでって。・・・ハ・・・」
「は?」
「はず・・・。なんだっていいじゃんかよ!んなことより、そっち側に座れよ。」
「えー。なんでよ。」
「なんでもだ。」
「向かいじゃ、冊子が見えないじゃない。」
「・・・まあ、確かに」
「ね?それじゃあ、やっぱり私、ここ。」
そう言うと、アイツは先程の曇り顔が嘘の様にニコニコ楽しそうに、俺が元々座っていた椅子に座った。
そんなアイツを無意識に俺の視線は追ってしまい、その視線に気づいたアイツは・・・。
「なにぼーっとしてるの?さっさと始めましょう。」
「・・・そこは俺の椅子だろう。そっち座れよ。」
「別にいいじゃない。」
「よかねえ。」
「けちー。」
「ケチで結構。」
俺はそんなどうでもいい会話をしながら、アイツの横の椅子に座った。
「・・・ん。じん。」
ん?なんか呼ばれてるか?
「ジン!」
突然、大きな声が俺の耳から足先、足先から逆サイドの耳へと一気に駆け抜けた。
「!!」
「ん、もう。ぼーっとしちゃって。危ないわよ。」
「・・・おう。」
「さあ、イこー。」
歩き出すアイツを俺はキンキンした耳をいじりながらついて行った。
「だいじょうぶ?」
「だから、心配するならやるんじゃねえよ。」
「だって・・・」
少し口を尖らせながら、アイツは不満そうな顔をした。
そう言えばあの履修登録の時からだろう。
綾瀬睦月が俺のことを『ジン』と、そして俺が綾瀬睦月の事を『アイツ』と呼ぶようになったのは。
まあ、今となっては些細なことかもしれないが。