第二話 早すぎる再開
そして、あっという間に二ヶ月が過ぎた。順調な回復を見せた俺は、早めに退院することが出来た。
退院してから初めての大学登校日。
松葉杖をつきながら、大学の最寄り駅まで来た俺は、前回は人混みが嫌いなためスクールバスを避けたが、今回は怪我の為仕方なく乗り込んだ。
履修登録を行えなかった俺は、大学の計らいで英語の授業と必修の授業だけ、履修を許可された。
だから、今日の講義予定も英語の授業のみだった。
「かったりー」
俺をかったるく思わせる原因は二つある。
まず、大学の広さ。創世大学はとにかく広い。体育会系の大学と言うこともあり、サッカー、野球、アメフト、ラグビー等のコートを常備しているだけでなく、テニスコートなんかは10面もある。
それだけではない。講義を行う教室棟も敷地内に10棟以上存在し、それ以外に教授たちが研究を行う研究棟や、大学職員が務める管理棟。宿泊施設まで建ち並ぶ。
そんなことを考えていると、いつの間にかバスは大学に到着していた。
バスの前と真ん中にある出入口からは勢いよく生徒が飛び出していき、バスの中で残っているのはあっという間に俺だけになった。
俺は立てかけていた松葉杖を両脇に挟み込み、ゆっくりとバスを降りた。
「えっと、講義はどの校舎でやるんだっけか・・・」
建ち並ぶ校舎が多いだけに、授業で使われる教室を探すのも一苦労で、何も知らない一年生は好きな講義を選択し、授業が開始された頃に大学の端から端へ移動させられるなど痛い目を見ることになる。
「とりあえず管理課で聞くか?」
俺は管理棟に足を向けた。
創世大学は山の上に立っているため、キャンパス内はとてもアップダウンが多く、至る所に階段が存在する。俺は不慣れな松葉杖を使いながら、ちんたら階段を降り、管理棟に辿り着いた。
「やっとついた・・・」
バスを降りてから既に20分が経過していた。
俺は扉を開け、扉正面にあった学生課窓口の前で立ち止まった。
管理棟には沢山の大学職員が勤務している。
学生の悩みや相談毎を請け負う学生課や地域住民との連携を行う地域活動課、運動部のサポートを行う体育課など様々な課が存在し、それを総称して管理課と呼んでいた。
俺はその一つの学生課の前で、相談相手を探した。だが、暇そうにしている職員は見当たらず、どうしたものかと眉を顰めていた。
すると、一人の職員が横から声をかけてきた。
「おっ、おい。お前」
俺は喜んでその声がした方を向いた。
すると、そこには両手でバットを握りしめながら、ブルブルと振るえている男が一人立っていた。
「なっ、何を睨んでいるんだ」
「ああ?」
「ひーーーーー!」
男は持っていたバットを落とし、学生課のカウンターの中に逃げ込んでしまった。
「はあ?」
俺は訳も分からず、遠ざかっていく男に声をかけた。
「おい!」
すると、突然周りから沢山の視線を感じた。
振り返るとそこにはバットや竹刀などを携えた職員たちが、人を殺せそうな眼差しで俺を睨んでいた。
「はっ、ははははははあ・・・」
その後、何とか職員たちの誤解を解き、英語の授業が行われる教室を教えてもらった。
でも、まさかヤクザに間違われるとは・・・。
目つきが鋭いのも考え物だ。
「あいつらのおかげで、とんだ時間をくったぜ・・・」
英語が行われる教室は8号館の3階の一番奥の教室らしく、ここからだと10分以上はかかるらしい。近くにあった時計を見ると、授業開始まで5分を切っていた。
「やべっ!復学初日からいきなり遅刻かよ!!」
俺は今出せる全速力で、校舎内を急いだ。
オーバーブリッジと呼ばれる、創世大学を横断している橋を越え、七号館の中を突き抜けて、8号館に辿り着いた。だが、一番奥となると、まだ先は長い。その時だった。
キーン・コーン・カーン・コーン
校舎中に授業開始の始業の鐘が鳴り響く。
「あー、始まっちまいやがった・・・」
始まっちまったからには仕方なしと覚悟を決め、俺はゆっくりと英語の授業が行われているであろう教室にむかった。
ゆっくり歩いたせいもあってか、それから10分かかって、ようやく教室前に辿り着いた。
教室の中には既に先生が来ているらしく、生徒の名前を一人一人読んで、出席を取っている。
「さて、どうしたものか・・・」
普通に入ったところで、今まで休み続けていた俺がいきなり入ったら、怖がられるだけだ。
特に英語は他人と会話をする授業スタイルだから、生徒や先生を怖がらせると、今後授業に参加しづらい。
「よし、明るく、優しく、低姿勢で入るか・・・」
入り方は決まった。
だが、もう一つ大きな問題がある。
タイミングだ。
どのタイミングで入ればいい。今は点呼中。タイミング悪く、生徒の返事を掻き消して入ってしまったら、ばつが悪い。やっぱり点呼の後に入るのがいいだろうか。いや、待てよ。先生が俺の名前を呼んだ瞬間に入ればいいんじゃねえか。そうすれば俺がここの授業を履修している生徒だって一発でわかるし、人の点呼の邪魔にもならない。
「よし、それで決まりだ。」
俺はいつ先生が俺の名前を呼んでもいいように、ドアノブを握って待機した。
「青木隆弘」
「はい。」
まだか・・・。
「青野竜平」
「はい」
まだか・・・。
「青山智也」
「はい」
アが付くやつ多すぎだろう!!
「市川・・・」
来たー!!
「仁・・・は、入院と・・・。」
「なんでだよ!!」
気付いた時には、ドアを開け、先生にツッコミを入れていた。
「・・・君は?」
突然の来訪者に唖然としながらも、いち早く正常思考を取り戻した先生が俺に質問を投げ掛けた。
「えっと、・・・市川・・・仁」
「あっ、ああ。市川くんね。良かったわ。ずっと来ないから心配してたのよ。」
「・・・すいません。入院してて・・・」
「そうなの。席はですね。席替えしちゃったから、えーと、綾瀬さんの隣ね・・・」
俺は先生に教えられた席に向かって歩き始めた。
周りからは「こわーい」「目付き悪」「背高ぇ」など高校まででさんざん言われて来た事がそこら中から囁かれた。
あーあ。やっちまった。
少し後悔はあったが、そんな聞き慣れた言葉に俺はイチイチ反応せず、自分の席に向かって歩いて行く。
そして、自分の席に着き、荷物を下ろそうとしたその時だった。
「あーーーー!!」
さすがに顔を向けたね。いや、向けない方がおかしい。
突然隣の席の女が大声をあげたのだ。
「ああ?」
その女はあわあわしながら、お化けでも見たかの様に俺を指差しながら震えていた。
あれ?こいつどこかで見たことあるかも・・・。
そう考えさせられたのは一瞬だった。
「・・・あな・・・た。あのとき・・・私を助けてくれた・・・」
女はぶつ切りになりながら、言葉を振り絞って出したので、俺には何がなんやら・・・、いや!
「あっー!お前この前の絡まれてた女!!」
そうだ。間違いない。まさか同じ経済学部だったのか。
「この前はあり・・・」
「こらー!」
先程まで唖然としていた先生が冷静さを取り戻していた。
「いつまで喋ってるの?授業、始まってるのよ!」
周りを見渡すと、クスクス笑うもの、好機の目で見るもの様々だった。
「ごめんなさい。」
隣の女が謝って座るのを見て、俺も黙って着席した。
それからの授業は苦痛だった。ずっと隣の女が睨んできやがる。
教科書も持ってなかったし、見られるのもいい気がしないので、とりあえず重くなってきた瞼に身を任せることに決めた。
「・・・かわくん」
誰かが遠くで呼んでいるような気がする。
「・・・ちかわくん・・・」
いや、気のせいじゃない。確かに呼ばれている。だが、なぜだかものすごく眠い。
「・・・いちかわくん」
なんだよ。もう少し寝かせてくれよな。とりあえず適当に応えておくか。
「ぅぅ・・・むにゃ・・・あと、5分だけ・・・」
遠くの方でざわざわ笑い声が沢山聞こえた。俺はそれを気にすることなく、また、眠りの船を漕ごうと、オールに力をこめ始めた。だが、その船を沈没させる衝撃が突然襲い掛かってきた。
「だーめ。ふぅぅ~」
温かい空気が耳を刺激し、俺の身体に電気の様な衝撃が駆け抜けた。俺の眠りを覚ますには十分な衝撃だった。
「なっ・・・なっ・・・」
「ふふふっ。やっと起きた。おはよ。」
隣の席に座っていた女が俺の耳に息を吹きかけてきたのだ。
「何すんだよ!!」
「もう授業終わったのに、全然起きないから私が特別に起こしてあげたのよ。」
「・・・」
「ほら、もう昼休みだよ。」
「あん?」
言われて溶けを見ると、授業が終わってから4分ほど経過していた。一つの講義が90分だから、単純に計算しても90分くらいは寝ていたことになる。どうりで疲れがきれいさっぱりとれているわけだ。
「それよりお昼ご飯食べに行こうよ。」
そう言うと俺の腕を勢いよく引っ張った。いつもなら何のことはない強さだったのだが、今のなまりきった俺の身体では耐え切れず、その場にいた者だったら誰もが振り向くほど豪快に倒れた。
「だっ、だいじょうぶ?」
隣の席に座っていた女は慌てて、俺に駆け寄ってきた。清楚な膝上までの少し長めのスカートが風になびかれる。倒れている俺にはその隙間からスカートの中が見えそうになり、慌てて顔を背け、何事もなかったかのように立ち上がった。だが、スカートの隙間のビジョンがどうしても頭から離れず、頭の中で何回もフラッシュバックする。
「ごめんね・・・。」
突然、隣の席の女の顔が俺の視界にドアップで現れた。俺はそれに驚き、後退りながら、スカートの中が見えそうだったことを悟られないまいと、強がりを見せる事にした。
「大丈夫だって、こんくらい。」
「そう?・・・」
心配しながら、隣の席の女はより一層、顔を近づけてくる。オイオイ、こいつは俺の事、男と思ってねえのか?それとも女って、意外と男に近づいても緊張しねえのか?
「おう。だから、おめえも気にすんなって。」
俺は色々なものがこいつにばれたくなかったので、出口に向かって歩き始めた。
「・・・食堂でいいのか?」
「・・・ぇ」
「・・・食堂でいいのかって聞いてんだよ」
申し訳なさそうにしている隣の席の女を別に気遣ったわけではないんだからな。ただ、申し訳なさそうにされていると、こっちまで気まずくなるのが嫌だっただけだ。
そんな俺の気持ちを感じることもなく、この女は飛び切り可愛い笑顔で笑ってきやがった。
「うん!」