幕間:遠い日の約束
視点変更:ダイチ
「ねぇみさとさん。みゆのお父さんって、どんな人だったの?」
あれはいつの頃だったろうか。
昼寝のあと、みゆがなかなか起きてくれなくてつまらなかった俺は、何の気なしに彼女にそう声をかけた。
「…ゆきちゃん?」
みゆの頭を撫でながら、みさとさん…みゆのお母さんは、ふわりと笑う。
「…とても、優しくて、そうね―――――」
何故俺は消えてしまいそうだと思ったんだろう。
それくらい、みさとさんの表情は儚げで。
思わずスカートを掴むと、彼女はあらまあ、と楽しげに笑ったのだ。
「…誰よりも、ひどいひと、ね」
「ひどい?」
「そうよ。…一人にしないって、ずっとそばにいるって、約束してくれたのに」
言葉は強いものなのに、みさとさんは微笑んだままだ。
怖い、とは思わなかった。
ただ、俺は見とれていた。
「『ちゃんと自分も大事にするから』って、そう言った約束まで、破られちゃったわ」
「そう、なんだ?」
「ええ。ダイちゃんは約束、守れる子にならなきゃ駄目よ?」
撫でる手が優しくて俺は目を細める。
約束。
約束を破ったのは、どうしてなんだろう。
「どうしてみゆのおとうさんは約束をやぶっちゃったの?」
「どうしてかしらね…」
「破るのは、悪い子なの?」
「そうね」
みゆのおとうさんは、わるいこ?
「でも、悪いことしたはずなのに、みさとさん怒ってないよ?」
「怒ってるわよ。でも、選べなかったのも知ってるの」
「えらべなかった?」
「ダイちゃんにはまだ難しいかしら」
ふふ、と笑う声に。
俺は、ぎゅう、と手を握り締める。
「おれは、みゆを、まもるよ」
「あらあら」
「悪い子には、ならないもん。ちゃんと俺は、みゆを、選ぶよ」
「…」
だからみさとさん。
泣かないで。
そんな笑顔で、泣かないで。
みゆが悲しむから。
「…ダイちゃんも間違えちゃいそうで怖いなあ…」
「ええ?」
「そうね。じゃあダイちゃん、約束して?」
「うん!」
「―――どんな事があっても、自分を殺さないで。自分を偽らないで。ちゃんと、自分も守ってね?」
言葉がなければ伝わるものも伝わらないから。
そう、みさとさんは…言った
☆
嫌な予感がした。
出かける前までは、何もおかしなことはなかった。
第二師団の傭兵達は、俺から見ても面白い奴らばっかりだったし、話すのは好きだった。
たまたま会った場所で、明日ちょっと来いよと言われて普通に出るつもりになったのも俺の方。
だけど。
じわり、じわりと何か得体の知れない恐怖感を感じて。
ふと気付いた。
目の前の男の肩の上に、黒い小さな靄がある事を。
「? なんだ?」
見えた瞬間に震えが起きた。
考える間もなく短剣を引き抜き、その肩の上を振り抜く。
「…ッ!? 何を…!」
「動くな!!」
黒い靄は本当に小さなもので。
短剣に触れた瞬間に霧散して、俺の目の前から消える。
ほっと息をついたところで、目の前の男の顔色が、不思議そうなものになった。
「あ…れ? 俺、ダイチと何話してたっけ…? つか、なんで短剣…?」
「……」
目を瞬かせる様子に、俺は嫌な予感しかわきあがらず。
堪えながら、聞きたい事を聞く。
「なぁ。俺となんで話したかったんだ?」
「あ? あーそうだよ、お前の彼女ってさ、あの出来そこない魔術師と取り合ってるってホント?」
「は? 出来そこない?」
トリスさんは俺から見ても、すごい魔術師だ。
何を言われているかわからず、見返せば傭兵はあー、と呟く。
「ユリス・カイラードだよ。あいつ魔術師の家出の癖に魔術師になれなかっただろ? だから、そう言われてんだ」
「…っん、だよそれ…!」
「お、怒るなよ! アイツが偵察兵としては一流ってのは知ってるけど、騎士としては」
「そこじゃねえ! なんでそんな噂になってんだよ!」
呼び名の方も気になったが、ユリスさん自身にある程度の話は聞いた事があったから、俺は先を促す。
みゆきを取り合い?
なんでそんな噂が出てきてるのかわからず見返せば。
「…あれ? なんでだっけ?」
「はあ!?」
言い出した癖に、わけのわからない事を言い出す彼に苛立ち。
睨みつければ、彼が慌てたように手を振った。
「や、なんでそんな事思ったのか俺もわからな…! あ、え、いや、そう言えって言われたんだ、多分」
「誰に!」
「誰って…誰、だろ? なんか会話の最後の方に言わなきゃいけなかった気が…」
「最後?」
言われた内容に。
嫌な予感の正体に。
俺はぞくりと背筋に駆け抜けるものを感じて、踵を返す。
「あ、おい、まだみんな来てねえし!」
「パス!!!! それどころじゃねえ!!」
ユリスさんがみゆきに何かをすると思ったわけじゃない。
だけど。
何かを"仕組まれている"事だけは確実で、それがろくでもない事だと言う事だけは俺の本能が告げていた。
「間に合え…!!」
動かない足を叱咤しながら、咄嗟に風の加護や筋力増強の魔法をかける。
飛べないのが痛い。街中でそこまでスピードを出したら、ぶつかってしまう。
転移が使えないのがこんなに辛いことだとわかっていたなら、サボんなかったのに…!
「みゆき…!」
☆
扉をたたき割るように開けて、まず見えたのはベッドの上。
「み…ッ」
声が詰まったのは、そこにいたのが一人じゃなかったから。
咄嗟に見たのは、着衣の有無。
俺が扉を叩き割ったのを見て、目を丸くしてこちらを見るみゆきの服装は―――!
「…ま、にあ…っ」
声にならなかった。
俺の途切れた声にベッドからゆっくりと体を上げて、ユリスさんが俺を見る。
その顔に表情はなく。
肩と言わず、全身を巻き込むように渦巻く黒い靄に、俺は絶句する。
「…ん、だよ、これ…ッ」
どこから切っていいのかわからない。
いや、これは切って大丈夫なのか?
ユリスさんとは何度か剣を切り合わせた事があるし、今なら俺だって圧倒出来ると思う。
だが。
「だ、ダイチ…? 何?」
状況がわかっていないだろうみゆきの、間の延びた声が聞こえる。
何、ってお前襲われてたんじゃないのかよ!
いくら服乱れてないからって男に襲われてその抜け方って危機感なさすぎる!!
「…離れろ!」
咄嗟に出た言葉は、どちらにも向けたモノ。
近くにいられたら俺は剣を振り回せないし、みゆきを盾に取られたら俺は何も出来ない。
ユリスさんは緩慢に首を傾げ、こちらに手を向けて…。
「……?」
何か呟いたが、手からは何も出ない。
あれ? 何かいまこの人魔法使おうとしなかった?
って、使えないのに使おうとするってなんだそれ!!
しきりに首を傾げるユリスさんにみゆきも何かを感じたのか、そろっとベッドを下りて逆側の方へ隠れる。
む、まあ、みゆきにしては上出来。
ベッドのこっち側にはユリスさんが下りてきてるし、剣圧とかをベッドで避けようと思ったのだろう。
俺は咄嗟に長剣を引き抜いて、身構える。
ユリスさんはしばらく首を傾げていたが、何故か指輪を手から抜こうとした。
「――――!?」
ぞく、と背筋に何かが走り、咄嗟に牽制で剣をふりあげる。
「!」
黒い靄の一部が切れるが、また渦巻いて行く。
あの指輪、なんだろう何か嫌な予感がする。
抜かせちゃいけない、と思った俺はとりあえず剣を振り身動きを封じて行く。
「っ! はっ!」
右に出れば左に。
左に動こうとすればさらに左に。
ベッドから離れるよう、狭い場所で剣を振ればユリスさんは避ける。
当たらないが、当たって欲しくないのでそれはどうでもいい。
問題はどうしていいかわからんことだ!!
「み、みゆ! なんか拘束できる魔法とかねーの!」
「え、ええ? ってかなんでダイチはユリスさんに攻撃してるのーー!!」
「馬鹿! どう考えても表情がおかしいだろうがーーー!!」
全然緊張感のない声に脱力しながらも、剣を振る速度は止めない。
体力勝負過ぎる…!
避けているだけのユリスさんと、ある程度の重さのある長剣を振り抜く俺とでは体力勝負は不利だ。
しかし、どうしたら…!!!
「――っ!」
どれほどの時間が経っただろうか。
一向に途切れない体力に、俺の額に汗が浮かぶ。
最悪、斬る…? まで考えて、俺は首を振る。
どこまで向かってくるかわからないのに、下手に怪我をさせて致命傷にでもなったらどうしたらいいんだよ…!
くそ…!
『ちゃんと自分も守るから』
みゆを守るためには、相手を倒さなきゃいけない。
俺自身を守るためには、相手を傷つけなきゃいけない。
わかっていたはずなのに、その相手が知っている相手と言うだけでこんなにも俺の剣は鈍るのか。
魔王は、――××××かもしれないのに。
ずる、と足が滑る。
咄嗟に切り返すが、ユリスさんに隙を与えてしまっていて逆に距離を詰められて剣が振り回せなくなる。
彼の指が、またその指輪にかかり―――。
「ど、どうなさいましたの!?」
「ルルリアさん!!」
ルルリアさんが帰って来る時間まで俺は持ちこたえれていたのか。
剣の音に違和感を覚えたのか、帰宿と同時に入ってきたのはルルリアさんだった。
俺は半分泣きそうになりながら、彼女に助けを求めて名前を呼び、ユリスさんから一歩離れてまた剣を構える。
ルルリアさんの登場でユリスさんが固まっていたので容易に離れられたのはいいが、ルルリアさんは俺らを見つめるとポツリとこう言った
「え、まさか嫉妬のあまり決闘」
…………。
「ちっげーよ!? ユリスさんに靄が…!」
「なんですって!」
脱力しそうになる。
どうしてこの場面でそうなるんだよ! 俺本当に泣きたいよ!
思わずこけそうになり緩んだ俺の剣先に、ユリスさんが触れそうになったので咄嗟に体勢を立て直す。
止まったままのユリスさんはと言うと、何故かルルリアさんを凝視していた。
あれ?
何か、また、すげー変な予感が…?
そして何故か見つめ合うユリスさんとルルリアさん。
ユリスさんは俺を忘れたかのように、俺の横を通り抜けてルルリアさんの方に歩いてい……って、あれ?
「きゃああ!」
「ルル」
何故かそのままぎゅう、とルルリアさんに抱きつくユリスさん。
叫んだままバンザイ状態で固まるルルリアさん。
その一瞬後、ルルリアさんはそのユリスさんの頭に水の塊をたたき落としていた。
ばっしゃーん!
もろに水流をくらったユリスさんが崩れ落ち。
意識を失ったらしく、かくっと倒れた処で黒い靄が収束して行く。
え、え…意識失ったら収束するのかよ…! なんだよもう!
「とりあえず…刺す!」
本人をさすんじゃないぞーと、肩の上に剣先を向けてルルリアさんを確認しながら黒い靄を長剣で刺す。
すると剣先を真っ黒にしながらも、ユリスさんの肩の上の方に浮いていた靄は消えて無くなっていったのだった。
「……は、咄嗟に!? 勿体ない事をしましたわ!」
叫ぶルルリアさんにまた脱力しそうになる。
そう言う問題じゃ絶・対・ねーよ!!
何なの、俺の苦労…。
かっこいいシーンの筈なのに…。
ギャグにしかならない哀れなダイチ…。
ユリスの信用度プライスレス(主に読者的にも)
スミマセン。本当にスミマセン。伏せ字はわざとです。




